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おかしい。と、感じたのはいつだったろう。
気付いた時には手を振られなくなっていた。挨拶をされなくなっていた。目が合っても笑みは向けられず、思惑の読めない視線が無感情に逸らされる。それどころか、不自然なほどこちらを見ない。
少し前までは何かと声をかけてきて、ちょっとしたことで微笑んでくれていたのに。相まみえる度、鬱陶しいくらいに手を振ってきていたのに。
知らない間にそういったものがなくなっていて……かつて気さくだった女は、変わってしまっていた。
嫌な予感と、漠然とした不安が小さな大太刀を蝕んでゆく。
刀剣男士(自分たち)はあの人間に嫌われているのかもしれない。避けられているのかもしれない。憎まれているのかもしれない。恨まれているのかもしれない。
蛍丸は他の神と同様、先の審神者に虐げられていた過去を持つ。それ故に人を疎んでいたのだが、女に遠ざけられているのでは、と惑う彼の心はざわついていた。
自分たちが、……自分が女に嫌われているなどと、どうしてだか思いたくないし、認めたくもない。女に心を許したつもりはなくとも、とにかく、嫌だった。
人嫌いの人間不信な刀剣男士。忌むべき人間に嫌われても憎まれても何の問題もない。本来ならば「嫌うなら勝手に嫌え」と鼻を鳴らすところである。だのに、蛍丸は胸をつかえさせ、「そんなことはない」と己の推測を振り払った。
審神者である彼女に刀剣男士は必要なはずだ。嫌われるわけがない。以前はあんなに構ってきて、親睦を深めたそうにしていたではないか。今のアレは、何か別の理由があるに違いない。自分たちのせいじゃない。自分たちは嫌われていない。
一日に何度かこういった憂悶に苛まれ、来派の兄弟に心配される。そんな日々が過ぎたが、女に煙たがられるであろう心当たりがいくつもあっただけに、蛍丸の嫌な予想は消えずにいた。
*
神無月が去り、霜月を迎えたばかりのある日。女が包丁の手入れのため、御殿にやって来ることとなった。これは鬱屈とした思考から抜け出せずにいる蛍丸にとって、良い機会と成り得た。いい加減自身の苦悩と決別すべく、彼は一念発起したのである。
確かめるのだ。女が自分たちを嫌っているかどうかを。
(絶対大丈夫。俺たちのこと、嫌いになんかなってない。……なってない)
こちらから話しかければ案外普通で、前のように接してくれる。そうに決まっている。
言い聞かせるように繰り返すも、手入れ部屋を訪れた女の様子を観察すればするほど不安は大きく膨れていった。欲しかった安心感には手が届かないどころか、その形すら見えなかった。
やはり女は自分たちを視界に入れないし、話しかけてもこない。女の口から時々溢れる「どうも」という短い言葉に、小さな大太刀は素っ気なさを感じた。管狐とは多弁に楽しくやっているのに、と、嫉妬にも似た思いで気重になる。
式神が作業できるよう管狐に促され、やがて女は手入れ部屋の片付けを始めた。襖や畳の入れ替えには力が要り、たった一人で、それも女の細腕のみで取り組むのは大変そうであった。
蛍丸は手伝うべきかと首をもたげたが、周囲の付喪神は誰も力添えをしようとはしない。一人進み出る勇気なぞなく、結局彼はもやもやとしたまま忙しなく動き回る女を見つめるだけだった。
「こんちゃーん、これどっち?」
女が廊下へ出てくる度、小さな大太刀は心臓を跳ねさせる。座敷の隅で縮こまっている自分に気付いてもらいたいような、そうでないような──複雑ながらも高鳴る胸には、仄かな期待が生じていたのだ。
目が合って、微笑まれて、「久しぶり」と言ってもらえたなら。それだけで何かが満たされるような気がした。体の芯からほぐれるように、ほっとできる気がした。
されど、現実とは酷なもので、蛍丸の期待が喜びや安堵へ変わることはなく。
片付けの間、女が蛍丸を見ることも、声をかけることもなかった。彼女は作業に集中しており、口を開いたとしてもおしゃべりの相手は管狐に限られていて、神々のことなど気にも留めていないようだった。
すっかり綺麗になった手入れ部屋で包丁の修繕が始まる。式神が刃物を研ぐ音、女と管狐の愉快そうな会話──周りの付喪神がひっきりなしに出入りする中、小さな大太刀だけはずっと、他の刀剣男士の陰に隠れ密やかに女を眺めていた。寂しそうな萌黄の瞳で。