小話 - なんとはなしに

18


 重い、重い、硬く真面目な声色。細い丸太橋を渡るような慎重さを含んだそれは、女の肌を粟立たせた。背筋を虫が駆け抜けたような感覚は一瞬で消え去り、彼女に残されたのはとてつもない圧迫感。
 薙刀の付喪神の厳粛な問いを受け、しばし困った顔で考え込んでいた女の唇は、「時の政府の望み」をなぞった。もちろん、瞬時に見抜いた岩融は立ち所に問いただす。すると、女は見るからにおろおろとしだした。
 視線を彷徨わせ、もごもごと口籠った末に唇を引き結ぶ。悩みに悩んでも尚、迷いの生じる心に焦り、人の子は足元の管狐へ目をやった。
「御心のままに」
 政府の狐の助言は短い。されど、それは惑う心を優しく鼓舞する。弱り果てていた顔はみるみるうちにしゃんとし、彼女は言うべき答えを思い定めた。
 深呼吸ののちに神々へ向き直った女が出したのは、「何もない」という返答。
 場に居合わせた多くの刀剣男士に衝撃が走る。この地に就任した新たな審神者は、神々へ出陣や遠征を頼まず、関係修復の立言もせず、「望みもなければして欲しいこともない」と、決然たる口調で告げたのだ。
 肩透かしを食らった心地で女を凝視する付喪神。彼らの予測の中に、「何もない」という答えはなかった。
 願いを一つほど控えめに乞うてくるか、協議を持ち掛けてくるか。はたまた、親睦を深める前段階として談話を始めるか。
 長い時の中で人の善し悪しを見てきた神々は、人間の持つ狡さもよくよく知っている。鯰尾藤四郎や蛍丸らと不可侵の約束を交わしているにしろ、神側から話を切り出されれば好機を狙ってくる可能性は高いと睨んでおり。
 そこには慢心もあった。必ずや自分たちは必要とされるであろうと。
 何せ、戦績にさして興味を示さなかった先の審神者でさえ彼らを使い続けていたのだ。酷使されていたが故に、皮肉にもこの地の刀剣男士は戦の経験が多く、練度も高い。戦力には並々ならぬ自信があった。非道な男が消えた後に次々とやって来た新しい審神者や政府の役人だって、強く彼らを求めていた。
 であるからして、女もきっと同じだろうと。自分たちを所望するだろうと。そう認識していたのに。
 女の声がはっきりと告げた言葉は、「別に何も」。彼女はこれ幸いと協力を願うことも、居丈高に命令を下すこともなかった。
 約束があるので戦いに出てもらうつもりはない、こんのすけのおかげで生活にも困っていない、手伝って欲しい事はない──緊張しているのか、女はやや強張った表情で「ない」を並べていく。
 無理難題は突きつけられなかった。昔のように虐使されないのだ。その点に関しては胸を撫で下ろす付喪神らだったが、「何もない」への驚きと疑いは色濃い。
 一切要望のない事が信じられなくて、数振りの付喪神が「何もないのか」と聞き直す。けれど、女の答えは覆されない。拍子抜けした刀剣男士の胸の内に生じたのは、ずしんと響く落胆。それはひどく、滑稽だった。
 女の口から出る「ない」が増えるほど、息苦しくなる。女の口から「ない」が出る度に、胸が貫かれる。
 ──自分たちが使われないなんて。
 約束を守ろうとする姿勢は好ましく、明言した以上はそうあるべきだった。だが、こうも潔く申し渡されてしまうと、奇妙なことに感情が入り乱れる。「要らない」と言われたも同然。そう捉えた刀剣男士も、なかには居た。
 なまじ人との共存へ光明が差してしまったばかりに、女に望まれていないという事実は神々の心へずぐずぐと突き刺さる。
 望みも、願いも、頼みも、何もない。
 発された女の本心。極少数の神は己等の懐に潜り込もうとするための芝居だと憤り、一握りの神は無干渉を喜んだ。そして、半数を越える神は、必要とされなかった事への虚しさを大なり小なり胸に抱えたのであった。

19