03
「兄様」
まばゆい光が手入れ部屋を満たし、その力の出所である女が去った本丸御殿。
ざわついている付喪神の間を抜け、小夜左文字は意識を取り戻した兄たちの元へと駆け寄った。
「……お小夜、これはいったい」
しばらくぶりに立ち上がったせいか、江雪左文字の足元は若干覚束ない。少しばかりふらつく彼の隣には、不浄な畳に座ったまま己の体を上から下までしげしげと観察している宗三左文字の姿があった。
「手入れを、……されたのでしょうね。僕たちは」
着物や袈裟こそ血や泥で汚れ、あちこち破れているものの、彼らの肌や臓物に深く刻まれていた傷はきれいさっぱり消えている。式神を介さぬ女の手入れは正規のやり方ではなかったが、神々の創傷を全て塞ぎ、見事に治癒させていた。
「……傷が、消えている」
「ええ」
江雪左文字の誰に言うでもない小さな呟きに、宗三左文字はどこか他人事のように返事をした。
信じられなかった。傷む箇所は一つもなく、意識は冬の澄んだ空のように明瞭としている。苦痛に苛み、激痛に身をよじっていたあの頃が、嘘のようだった。
「人の器とはこんなにも軽く、自由なものか」としみじみ感じ入った、現世に顕現されし遠い日を思い起こさせた。
「兄様……良かった」
しっかりと目覚め、傷の癒えた兄たちの姿を目にし、小夜左文字は深く安堵する。感無量。その胸には、言葉に表しがたい気持ちが滾々と溢れていた。そんな彼にも手入れは行き届いており、もともとあった頬の傷以外、治っている。
女の唐突な提案から始まった、今回の手入れ。一期一振が牙を剥いたり式神が使役されなかったりと、なにやら障害もあったようだが、それでもきちんと完遂された。
兄たちや仲間が回復し、こうやってまた言葉が交わせるのはありがたいことだと。痛みや辛さに苦しまなくてよくなったのは嬉しいことだと。小夜左文字はそう思った。
「お小夜」
室内のさざめきに埋もれそうな小夜左文字のか細い声を、兄弟はきちんと聞き届けていた。
「……あなたの怪我は、治っていますか」
そう言って、宗三左文字はふわりと微笑む。弟を想う、優しい優しい声だった。
「……うん」
見る間に、短刀の瞳に涙の膜が張る。彼の心に込み上げるのは、底知れぬ喜び。言いようのない安心感。
江雪左文字は俯いてしまった弟の傍に屈み、微かに震える細い体をそっと抱き寄せた。そうして、宗三左文字の方へ視線を流し、ゆっくりと口を開く。
「皆、無事で──折れていなくて、良かったです」
「そうですね。……これからどうなるかは分かりませんが」
柔らかな表情で兄に応えた宗三左文字だったが、その色違いの双眸はやおら他所へと向けられた。人間が──おそらく自分たちの手入れを行ったものが、よろめきながら消えていった方角へ。
「和睦の、道は、──……」
宗三左文字の目線の先を追った太刀が自身の常套句を口にするも、それは途中でぴたりと止まった。己が本当に和睦を望んでいるのかどうか、分からなかったのだ。
江雪左文字は戦いや諍いを嫌う性分だったが、人によってで弟や仲間が傷付けられるのは、もっと嫌だった。
神々を蝕んでいた、長い長い生き地獄が終わる。けれどこの先、平和が訪れる確証はない。人がこの地にいる限り。