小話 - なんとはなしに

04


「……これは」
 人によって手入れが為され、重傷から脱した付喪神たちのひしめく騒がしい本丸御殿。混乱の最中、蜻蛉切は自身の傍に落ちていた一枚の紙切れを目に留めた。拾い上げてよくよく見れば、それは札のようなものだった。
 彼が手に持つその札は、手入れに至る前、女が派手に転んだ折に落としてしまった式札だったのだが、蜻蛉切にはそれが何の札なのか、どういった物なのか毛頭分からなかった。
 名将、本多忠勝が愛用していた槍がこの地へ顕現された時分、先の審神者は既に手入れを行わなくなっていたので、彼は「式札」なぞ見たことがなかったのだ。蜻蛉切のみならず、刀剣男士の半数は「式札」の存在自体を知らないでいる。
「ん? そりゃあ、式札か?」
 不意に、背後から槍に声がかけられる。偉人、坂本龍馬が佩刀、陸奥守吉行だった。遥か昔、この本丸が創設したのち、早い時期に鍛刀された彼には「式札」に覚えがあった。
「式札?」
「ああ。時の政府の供給品じゃ。審神者がその札を使うて式神を喚び出す。出てきた式神がわしらの手入れをしてくれる。……あの男は滅多に手入れなんぞせんかったき、おまさんが知らんのも無理はない」
 彼本来の明るい気性を覆うような、暗い声音。人懐こい橙色の瞳が翳り、それは蜻蛉切へも伝染した。──彼らを支配していた男の審神者は、どんなに刀剣が傷付いても、神々が深手を負っても、素知らぬ顔して何もしなかった。
 思わず視線を落としてしまった蜻蛉切は、己の手にある式札をじっと見つめる。長方形の紙切れは、蜻蛉切の掌よりも小さい。
「しっかし、それは使われてなさそうやのう。式神も喚ばず……あの人間、妙な手入れをしたもんじゃ」
 陸奥守吉行は不思議そうに首を傾げ、蜻蛉切も難しい顔で疑念を抱く。
 短い時間ではあったが、目覚めた彼らの視界には、式神ではなく人間の女が一人居た。こんのすけに連れられて出て行ったあの女が、どうも己等の手入れを行ったらしい。蛍丸や小夜左文字の言うには、この本丸にはもうあの男はおらず、代わりに女が新たな審神者としてやって来たのだとか。
 蜻蛉切は眉間の皺を濃くして手元の紙切れを凝視する。
 政府の供給品。手入れをするための札。しかし、なぜそれが未使用のままここにあるのか──皆の傷は癒えているというのに。
「お、あそこにも落ちとるのお」
 訝しんでいた蜻蛉切が顔を上げると、陸奥守吉行が一枚、二枚と同じような札をつまみ上げている姿が目に入った。
「……これも、これも、ぜーんぶ新品じゃ」
「使われていないのであれば、自分たちの手入れはどうやって……」
「さあのう。時の政府が新しいモンを発明したんか、あの人間が自分の力を使ったんか──よお分からん。……分からんが、わしらの傷は治った」
 静かに札を見据える陸奥守吉行は、複雑そうに表情を曇らせる。新たな審神者への警戒心と、治されたことへの戸惑い。
「血で汚れとる。……こりゃあもう、使いもんにならんぜよ」
 札には赤黒い染みが付いていて、蜻蛉切の持つそれも同じく汚れていた。どの付喪神のものか定かではないが、女が落とした拍子に滲んでしまったのだろう。何せ畳はどこもかしこも血塗れだった。
 神から流れ出た血液が付着してしまったことで、式札の本来の力は変異し、なおかつ神の血によって抑え込まれている。これでは式神は喚び出せない。彼らの持つ札は、今や何の効力もないただの紙切れになってしまっていた。
 蜂の巣を突いたような騒々しい室内。陸奥守吉行と蜻蛉切は、式札だったモノをひっそりと眺めていた。

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