小話 - なんとはなしに

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 気配がした。主人の張った結界の周りを漂う、刀剣男士の清高な神気が。
「蛍丸、へし切長谷部、そこで何をしているのですか」
 女の側を離れ、庭へ出た管狐が見つけたのは、池のあたりをそぞろ歩く二振りの付喪神だった。
 闇の立ち込める冷たい夜。狐の吐く息は湯気のように白い。
「あっ、こんのすけ」
 蛍丸が狐に気付き、その名を呼ぶ。温度のない地べたを静かに進みながら、管狐は大太刀の後方に佇立するへし切長谷部へ夜目を光らせた。
「ねえ、あの人は?」
 境界線の手前、急いた様子で問いかけた蛍丸。
「湯浴みを終え、寛がれておりますよ。すこぶるお元気にございます」
「……そっか」
 管狐を見下ろす大太刀は冴えぬ顔をしていて、雑然とした疑念を胸の内に秘めていた。そしてそれは、へし切長谷部も同様だった。
「こんのすけ。あの方はなぜ──なぜ時間遡行軍と戦っている。どうして俺を、俺たちをお使いにならない」
「主様からお聞きになられたでしょう。それが全てです」
「あの方が嘘をついていると言いたいわけではないが、他に理由はないのか。俺たちに知らされていない事があるのでは──」
「どうでしょうね。私は存じ上げません」
 どこか思い詰めたような打刀を見据えながら、管狐は考えを巡らせる。
 狐は解っていた。この二振りは夕刻の話を再びしたいがためにここに居るのであろうと。己の主に会いに来たのであろうと。
(……ふむ)
 物案じをする刀剣男士の気持ちは分からないでもない。狐自身も主の行く末が心配だ。ならば自らが仲介し、双方を取りまとめるべく動くべきか。……しかし、主人は夕の一件で精神的に疲れている。
 二つを天秤にかけ、管狐は主人の安寧を選んだ。
「本当に? こんのすけは何か知ってるんじゃないの?」
「いいえ。私も多くはお伺いしておりませんので」
 蛍丸が食い下がるも、左右に首を振ってみせるこんのすけ。
「我が主は直にお休みになられます。色々と憂う心もありましょうが、お二方、お戻りを。主様と話がしたいのであれば明朝になさってください」
「……明日」
「ええ、明日です」
 離れの窓から漏れる幽かな明かりに照らされた管狐は、柔和な面持ちをしていた。気を揉んでいる付喪神を安心させようとしてのことだったが、大太刀は曇った表情で唇を結ぶ。彼の晴れやらぬ心情を見かね、小さな獣は言葉を続けた。
「蛍丸、そう思い煩わなくともよいでしょう。主様は嘘などついておられません。与えられた役目を真剣に熟そうとされているだけなのです」
 抑揚のつけられた口調は温かだった。幼子を諭すようにして言い、管狐はこう付け足す。
「しがない式神に過ぎぬ私ですが、一つ助言を致しましょう。これ以上、あれやこれやとあの御方へ話を乞うのはお止めなさい。得策ではないですよ」と。
「ようよう考えることです、蛍丸。あなたは何を懸念しているのですか。あなたは何が嫌なのですか。我が主と話をし、一体何をどうしたいのですか。あなたの望みは何ですか」
 矢継ぎ早に問われ、大太刀は奥歯をぐっと噛み締めた。彼は何も答えられなかった。思考はぐるぐると蠢いているのに、確たるものが一つたりとも得られなかったのだ。
 それもそのはず。蛍丸は目的の定まらぬまま御殿を飛び出していたのである。迫りくる不安と焦燥感で、居ても立ってもいられずに。
「おやおや、情けない顔をして。一騎闘千の強者(つわもの)も、苦悩が相手となると脆くなりますな」
 管狐はくつくつと笑った。そして、自身の心を隠すが如く、緩やかに瞬いた。
(いっそ、私が全て話してしまえば)
 狐の主人が固執するもの。──例の「約束」。新たな審神者と付喪神の間に交わされたそれは、蛍丸らが己や傍輩を守るための制約だった。なれど、こんのすけは途方もなく思うのだ。これは「呪縛」であると。女を雁字搦めにし、刀剣男士の入り込む隙を与えぬ「呪い」そのものだと。
(……全て話して、刀剣男士を導くことができれば)
 歪み、誤解、すれ違い。煩瑣なねじれを正し、互いに分かり合えたなら。しかし、公に橋渡しをすれば主の意志に反してしまう。陰で糸を引こうにも、もし主人に知られれば、築き上げた絆に瑕が入るだろう。敬愛している主に疎まれてしまうかもしれない。
 ああ、なんとかならぬものか。と、管狐は穏やかな面を変えず、歯痒さで髭をひくりと動かした。
「蛍丸、大丈夫です。あなたの中で答えが出れば、きっと善い方向に風が吹きましょう」
 慰め。励まし。管狐が優しく微笑めば、大太刀は浮かぬ顔で「うん」と小さく返事をする。一拍置いて、草を踏みしめる音がした。蛍丸の隣まで歩み出てきたのは、彼らの話が終わるのを待っていたへし切長谷部だ。
「……こんのすけ。お前はあの方と合戦場へ行っているのか」
 緊張を孕む硬い声音。その時、へし切長谷部は想像していた。陣を敷く敵軍、それらと対峙する女の姿を。
「はい。矮小なる身であれど、微力ながらお供させていただいております」
 深く頷いた管狐の項に、赤い紐が覗いている。幅は童子の指の太さほどで、狐の首をぐるりと巻いてあった。終点である白い胸元へは小ぶりな袋が下がっており、人の霊力が濃く香っている。
 狐を包む結界、二重の防護となるお守り。へしきり長谷部は悔しさを滲ませた。また、熱く重い羨望も。管狐が寵愛されていることは、誰の目で見ても明らかだった。
「もし、俺たちがこのまま使われなかったら」
 織田に在り、黒田に在った打刀が、押し殺した声を放つ。彼の胸裏は苦々しさで一杯だった。
「彼女に必要とされたい」「彼女に使われたい」「彼女のために在りたい」──……女の探し物を見つけ、「ありがとう」と言われたその日に、へし切長谷部の心はほぼほぼ固まっていた。主を求めるこの打刀にとって、離れの人間は既に特別な存在だったのだ。
「……守れよ」
 己が守りたいものを他者へ託すもどかしさ。彼の言の葉を耳にし、管狐は笑みを消す。
「笑止。この命に代えても」
 凛としてへし切長谷部を仰ぎ見る獣の瞳には、忠義の光が煌めいていた。

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