小話 - なんとはなしに

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「おーい!」
 曇天の下、離れに向かって呼びかけるものがいる。
「おい、出てこいよ。いるんだろー?」
 ──坂上宝剣の写し、ソハヤノツルキ。
 彼は時渡りより帰還した女の無事を、自分の目で確かめようとしていた。というのも、本日審神者を労おうと意気込んでいたソハヤノツルキは、押入れに籠もる大典太光世とうっかり長話をしてしまい、出迎えに間に合わなかったのである。
(……これだけでかい声出してるってのに、無視か?)
 眉を顰めて訝しむも、写しの太刀は池の前から動かない。
 へし切長谷部に「後にしておけ」と言われはしたが、彼はどうしても「お疲れさん」と声をかけたかった。また、女に怪我がないかを見ておきたく、そして、「いつでも使ってくれよ」と、協力の姿勢を示したくて。
 緋色の瞳が捕らえ続ける家屋は依然ひっそりとしている。この地で唯一の人間が住まうそこは、もとは寂れた茶室だった。本丸創設の折に建てられた単なるセットのうちの一つで、茶会が開かれたことは一度もない。
 誰にも使用されずに朽ちていった茶室は今、人の居住空間として機能している。風呂場などなかったのだが、就任日に建物の修繕を行った際、女は無意識ながらに改築を為していた。躙口も炉も消え、床の間は広い押入れになり──茶室の名残を留めているのは、趣のある丸窓や連子窓。
 現在、家の主は戦闘で消費した力を回復させるべく午睡している。ソハヤノツルキが何度声を張ろうと、うんともすんとも返事はなかった。
 それでも彼は辛抱強く離れの様子をじっと窺う。少しして、ぴしりと閉ざされていた戸が僅かに動いた。ソハヤノツルキは「審神者が出てきた」と顔を明るくしたが、戸口の隙間に女の姿はなく。不思議に思って視線を下げれば、身軽に敷居を飛び越える管狐が一匹。
(あー……なんだ、こんのすけか)
 落胆の色を見せる太刀をよそに、「何を騒いでいるのですか。あまり大きな声は出さないでください。用件があるのならばあちらで」と、小さな狐は御殿へ目配せをする。
「わかった。……おい、こんのすけ。体に何を着けてるんだ。よだれかけか?」
「よだれかけ──! なんと失礼な。これは我が主が私のためにお作りになられた服でございます」
「ああ、悪い悪い。怒るなって。へえ、うまいことできてるな」
 そんな会話も交え、枯れ葉の絨毯を通る一振りと一匹。庭を突っ切った彼らは長い縁側に座り込む。曇り空を映す池で、鯉が跳ねた。
「なあ、あいつは?」
「あいつ、とは、我が主のことでしょうか」
「ああ。斬られてないか? 怪我はなかったのか? なんで出てこないんだ?」
「おやおや、よく鳴く刀ですねえ」
 次々と問いを発した写しの太刀へ、管狐が小さく笑う。おどけた獣にさして気を悪くすることなく、ソハヤノツルキは答えを待った。
「幸い、此度の戦も完勝でしたので、主様は傷一つ負っていませんよ。今はご就寝中にあらせられます」
「ご就寝……? 人間が眠るのは夜だろ。日が高いうちから寝てるのか」
「ええ。時間遡行軍を滅するにあたって失ったお力を……養っておられるのです」
 ソハヤノツルキが純粋な疑問を口にすると、管狐は眉間に皺を寄せ、苦々しそうに説明を始めた。
「主様の霊力は強大でも無尽蔵でもありません。あの男とは異なるのですよ。破魔の才にも恵まれておらず、時間遡行軍との交戦は浄化や手入れよりも負担がかかります。最弱の敵であれど、数体倒すだけで──お体に支障が」
 狐が言葉を切るのと、太刀が息を呑むのとが重なる。
「力を失う影響でしょうか。出陣の後、主様は睡魔に襲われ、一刻ほどお眠りになるのです。命を脅かすことも、寿命を削ることもないとは伺っております」
「……なんだよ、それ」
 新たに知った事実に驚き、ソハヤノツルキは呆然と唇を震わせた。そうして、ふと思い出す。
(そういやあ、俺たちの手入れをした後も眠ってたって……)
 先月実施された刀剣男士の総手入れ。傷が治り、人の形や意識を取り戻した彼らの前に出てくることのなかった女は、霊力を消耗し丸三日昏睡していた。そう言っていたのは太郎太刀か次郎太刀か、はたまた、目の前の管狐か。いくら手繰ってみても、太刀の記憶は朧げだった。
「あいつ、そんなの一言も言ってなかったじゃねえか」
 あの時はなんとも思わなかった。人間がどうなろうが知ったことではなかった。目覚めようが目覚めまいが、生きていようが死んでいようが関係なく、ただ己らが安全であればそれで良かった。
 だが、今日のソハヤノツルキはひどく動揺している。生命に脅威はないと聞いても落ち着かず、ただただ彼女が心配で。
「……やっぱ、俺たちが出るべきだよな」
「餅は餅屋。酒は酒屋に茶は茶屋に。私としてもその方が安心です。──されど」
 何かを言いかけ、口を噤んだ管狐。固く結ばれたそれは開かれない。流れた重い沈黙は、鉛色の空によく似ていた。

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