小話 - なんとはなしに

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「わっ」
 突然声をかける神。
「──!」
 そして、突然声をかけられた神。
 立派な御殿に数ある部屋のうちの一つ、そこに座していた燭台切光忠は、不意打ちにしてやられ微かに肩を震わせた。忍び寄る者の気配を拾えないほど、彼はぼんやりとしていたのである。
「よっ」
「……鶴さん」
 振り向いた燭台切光忠へ、鶴丸国永が白い歯をこぼした。
「どうだ、驚いたか?」
「はは、そうだね、少し。やられたなあ」
 悪戯を成功させた童子のように笑っていた白き太刀だったが、燭台切光忠の力ない微笑を見て漠然とした引っかかりを覚える。今だけではない。普段明るく穏やかな振る舞いをしている燭台切光忠は、時折こうして翳りのある笑みを浮かべることがあった。そうした場面に出くわす度、鶴丸国永はかの刀剣を危ぶんでいた。
「何をしていたんだ、光坊」
 憂いの透けた微笑みが、その理由が気になっていた鶴丸国永は、正座を崩さぬ太刀の隣へ胡坐をかいて座り込む。元気のない我が子を気遣う母親のような、あるいは、悩みを背負った友を想う昔馴染みのような物腰だった。
「ん? 別に何も。ここに座って──じっとしていただけだよ」
 帯びていた哀愁を伏せ、にっこりと口角を上げる燭台切光忠。完璧な笑顔だった。けれど、鶴丸国永は誤魔化されない。
「おいおい、隠したって無駄だぜ。きみ、時々何か考え込んでいるだろう?」
 一度口を閉ざした鶴丸国永の眼光が鋭さを増す。金の双眸は伊達の刀を静かに見据えていた。彼には思い当たる節があったのだ。何せ、表情のない顔で新たな審神者を密かに眺める燭台切光忠の姿を、何度か目にしていたのだから。
 離れの人間の安全性を理解し、春の芽生えにも似た親しみを抱き始めた刀剣男士らは、積極的に女と交流を持とうとするようになった。しかし、そうでない神も少数いる。その中の一振りが燭台切光忠だ。
 以前、人の子が包丁の手入れをしに御殿を訪れた際、お人好しの彼は他の刀に頼まれ案内役になった。されど気分不良を起こしてしまい、接触らしい接触はそれっきり。その後の燭台切光忠は、自ら進んで女に会おうとしていなかった。──ただ、見張りの番が回ってくればぼうっと彼女を見つめていたし、そうでない時も物陰からそっと視線を送ることがあって。
「……離れの人間のことか」
 核心を突かれ、燭台切光忠の左目が僅かに揺らいだ。燃える燭火が風に煽られたように、瞳孔が動く。もちろん、白き太刀はその些細な変化を見逃さず。
「やっぱりなあ」
 背を丸めて頬杖をつき、隣の神の反応を窺う鶴丸国永。濁しも否定もしない伊達の刀は、柔和な笑みを張り付けたまま無言になってしまった。
 家具や装飾品のない殺風景な和室に微妙な沈黙が流れる。空気を読んだ鶴丸国永が「ま、言いたくないなら無理には聞かないさ。抱え込みすぎるなよ」と、立とうとした刹那、黙っていた刀剣男士が膝の上で拳を作った。
「──怖いんだ」
 眼帯で右眼を覆いし端正な顔が、弱々しく歪む。
「……あの人間がか?」
 鶴丸国永は浮かせかけていた腰を落とし、不安そうに眉を顰めている燭台切光忠を覗き見た。
「いや、あの子自身は怖くないよ。……ただ」
「ただ?」
 先を促され、燭台切光忠は唇を結ぶ。吐き出してもいいのか、言ってしまってもいいのか逡巡した彼だったが、やがて堰を切るようにして言葉を零していった。
「全部、『夢』なんじゃないかって。本当は僕もみんなも穢れた手入れ部屋で意識を失ってて、アレもまだ、奥の間に居て──瞬き一つしたら、また前に逆戻りかもしれない。そう思うと怖いんだ。傷が治ったことも、あの子がこの本丸に居ることも、なんだか……実感がない」
 燭台切光忠にしては珍しい、雑然とした言い様。か細い吐息を一つ伸ばして、伊達の刀は「幻だったら、どうしよう」と、深く重い闇の塊のような苦悩を漏らす。
 彼がこの地へ顕現された時、既に仲間の何振りかは重傷を負っていた。手入れ部屋に横たわる同胞は皆血だらけで、臓物がはみ出たり、骨が露出したりと、ひどい有様だった。地獄絵図でしかない光景に衝撃を受けた燭台切光忠だったが、それよりもっと驚いたのは、自分たちの「主」が、自分たちを大切にしてくれるであろう「主」が、全く手入れをしないこと。
 本丸の主は常に御殿の奥に籠もり、何をするでもなく生きていた。刀剣男士に興味を示さず、されど、折々ふらりと現れ、気まぐれに命を下す。「どちらが強いか見せてみろ」と、仲間同士で血で血を洗う試合をさせる男。そんな彼を「主人」と定める付喪神はいなかった。また、男に逆らえる神もおらず、神をも凌ぐ強大な力に縛られ、刀剣たちは操り人形と化していた。
 やりたくない。だが、言霊で操作される。燭台切光忠には、旧知の仲である刀を斬った辛い過去があった。そしてそれは恐怖の根となり、未だに彼を苦しめていて。
「今」を信じられない、「今」が幻影なのではないかと畏れる太刀に追い打ちをかけていたのが、離れの人間だ。無論、女にそのようなつもりはない。けれども、「人間」である彼女がそこに居るだけで、燭台切光忠はあの男の姿を脳に呼び起こしてしまう。また、彼女と先の審神者は見た目も中身も違い過ぎ、その存在を疑いたくなるのだ。「こんな子が新しい審神者として来てくれるなんて」、と。
「……情けないよね。もうあの男は居ないのに。体だって自由に動いて、傷も綺麗に治ったのに」
 はは、と、乾いた笑いがうら淋しく座敷に溶けた。
「だけど、僕は。──僕は」
「光坊もういい。辛い事を話させて悪かった」
 まさか燭台切光忠がこれほど心の痛手を引きずっているとは。鶴丸国永は思い、彼の腕をスーツ越しに掴んだ。閉め切ってある室内は昼だというのに薄暗く、日光が届いているのか分からない。
 太刀の浅い呼吸音が繰り返され、それは次第に整ってゆく。狼狽えていた燭台切光忠の気が静まるのを待ち、鶴丸国永は彼の背を強く叩いた。バシン、と景気の良い音が鳴る。鬱屈とした空気を吹き飛ばすようなものだった。
「安心できないかもしれないが、それでも言おう。きみは今、確かにここに在る。俺もそうだ」
 己の頬を摘んで引っ張り、白き太刀はニッと笑う。
「『夢』でも『幻』でもないさ。俺が保障しよう」
 若干ふやふやとした発語。皮膚が伸び、口の開閉が上手くできないせいだ。
「──ありがとう」
 燭台切光忠は片頬の変形した鶴丸国永を見つめ、少しだけ口元を緩ませた。

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