01
「くっ、ははは……『ぎゃあ』とくるか。『ぎゃあ』と──『ぎゃあ』とはなあ。ああ、可笑しい」
常にミステリアスな微笑を貼り付け、いつ何時も落ち着き払っている刀が愉快そうに笑う。彼にしては珍しく、陽気な笑い声を立てていた。先刻叫んだ人間は驚きのあまり思考を放棄し、丸くなっている。鳥につつかれ、命を守ろうとする芋虫のようだった。
「ふふふ……やったな小狐よ。見ものであったぞ」
「笑っている場合じゃ──ほら、小狐丸さん、離れて」
年長者の隣、困ったように眉を曇らせ、「言わんこっちゃない」といわんばかりに嘆息する石切丸。名を呼ばれた小狐丸は我に返り、眼を剥いて飛び退いた。
「わ、私は今、何を」
油揚げの香りに惑わされていたこの付喪神は、今になってやっと、己の行為がどのようなものであったか認知したのである。全て無意識だったのだ。女を下に敷いたことも、不躾に匂いを嗅ぎ回ったことも、結界へ赤い舌を這わせたことも。
室内は混沌としていた。御殿には無数の足音が地鳴りのように走っている。それは女が悲鳴をあげてすぐに生じた音だった。どたどた、ぱたぱた、とっとっ──音の種類は様々だったが、行き着く先は皆同じ。
「どうかしまし、うぐっ」廊下の左から走ってきたへし切長谷部。
「何が起き──っ」廊下の右から走ってきた巴形薙刀。
ゴチン!
両者、女の尋常ならざる奇怪な大声を聞いて駆けつけたまではよかったが、勢い余って出会い頭に衝突。打刀の頭部が薙刀の顎にぶつかり、二振りは苦虫を噛み潰したような顔になった。巴形薙刀の後ろでは、事故を目撃した静形薙刀が「あ」と僅かに狼狽えている。
ダンッ!
時を同じくして、隣室と繋がっている襖が血相変えた蛍丸によって蹴破られた。大太刀らしい豪快な入室だ。
「ぐえっ、な、なんじゃ」
そこに居たのは小狐丸。女の上から大慌てで離れた彼は、運悪く襖の手前に座り込んでいたのである。腐っても百戦錬磨の刀剣男士。普段であれば気配を察知し容易く避けることができていたはずだが、いかんせん、激しい動揺の渦中にあったため、無様にも襖に潰される羽目になっていた。その光景を見て、小烏丸が更に笑う。
「っ、どうなさったのですか!」
痛みの生じる中、へし切長谷部と巴形薙刀は女の側へ腰を下ろした。推参した蛍丸もまた、畳に横たわる彼女に近付く。自身が襖越しに踏んづけた刀へ「ごめん」とだけ告げて。
「お嬢ちゃん、無事か!?」
「……敵襲ではないみたいだね」
「ちょっと、何事ー?」
日本号、小夜左文字、次郎太刀──女の絶叫を耳にした付喪神らが、あちらこちらから馳せ参じる。八畳の和室は瞬く間にいっぱいになった。
「意識はあるか。何があった」
巴形薙刀が結界ごと揺さぶるも、彼女は両手で顔を覆い、全身に力を入れて丸まったまま。脳がお留守になっている女は本能で守りに入ってしまっており、完全な防御姿勢をとっていた。
「おいおいどうした。大丈夫か?」
「怪我でもしたの?」
数多の神がざわついている。そこへ、小烏丸が手を鳴らした。華奢な彼の手は小さかったが、生まれし音は小気味良く大気を割った。
「子らよ、そう騒ぐでない」
刀剣の祖へ集まる注目。小烏丸は石切丸と共に事の顛末をすらすら語って場を鎮めた。女に大事無いと知り、男士らはほっと胸を撫で下ろす。一方で、小夜左文字はひっそりと姿を消した。「審神者を狙う曲者がいないのであれば己は不要。彼女が無事ならそれでいい」と。
女へ刀を向けたことを、左文字派の短刀は未だに悔いていた。合わせる顔がなく、会って怖がらせたくはない。彼女の前に現れなくなった彼は、いつもそう思っている。
「失礼のないようにと言っただろう。こっちへ来い」
離れの人間が思考能力を取り戻した頃、へし切長谷部は襖の下より這い出した小狐丸を叱りつけた。獣の耳に似た毛束がしゅんと垂れる。「失礼のないよう匂いの元を確かめよう」そう意気込んでいたが故に、此度の失態がショックな小狐丸。謝罪もできぬまま部屋を連れ出された彼は、へし切長谷部の小言を受けながら悲しみに暮れるのであった。
小狐丸の暴走で幕を開けたドタバタ劇も、これにて終演。主役にとっては悲劇である。
「いやいや、愉快であった。そうであろう? 石切」
「はあ……私は肝が冷えたよ」
小烏丸だけは愉しんでいた。始めから終わりまで。