小話 - なんとはなしに

03


 その人間は温かな眼差しで「それ」を眺め、優しい手付きで扱った。懐かしそうに、楽しそうに思い出を語る口調は甘やかで、刀剣男士は「それ」がとても大切にされていたことを知る。
「物」の性分が疼くのか、神々は「それ」を羨んだ。「それ」を持つ人間の、愛ある柔い手に憧れた。あの手で撫でられたら、あの指先に触れられたら、どんなに心が満たされようか、と。
「『花子』、あの人にすごく大事にされてたみたいですね」
 審神者が去った陸奥守吉行の部屋で、堀川国広は誰に言うでもなく零す。浅葱の瞳が穏やかに細められていた。
「──ああ、そうだな」
 脇差の声に反応したのは、和泉守兼定だ。彼は文机にかじりついたままの陸奥守吉行や山姥切国広に目をやりつつも、どこか遠くへ思いを馳せていた。頭に焼き付く「彼女」の姿。花子を見つめる愛おしそうな瞳や、慈しみの溢れる手、情のこもった語り口──どれも和泉守兼定を惹き付けてやまなかった。
「ああいうのを見ると、前の主を思い出してしまうな」
 長曽祢虎徹の示す「前の主」とは、断じて先の審神者ではない。彼を最後まで本物の虎徹だと信じた、近藤勇のことである。
「はい。……僕も少し、思い出しちゃいました」
「はは、僕もだよ」
 ややしんみりとして言った堀川国広に続き、大和守安定が苦笑した。土方歳三、沖田総司。今は亡き遥か昔の持ち主たちは、彼らを武器として振るい、そして大切に扱った。
「ちょっと、『花子』が羨ましいね」
 敬愛する沖田総司を想ったのちに、掌へ花子を乗せた審神者の笑顔を思い浮かべる大和守安定。彼の口が作る微笑みは、悲しげで寂しげだった。
「まあなあ」
 長曽祢虎徹が大きな息を吐けば、堀川国広の視線が畳に落ちる。静謐として仄暗い目が眼窩にあった。
「あんな人が──あの人が僕たちを顕現してくれてたら」
「言うな国広。過去は変わらねえ。変えられもしねえ」
「でも」
 決然たる語気の打刀を脇差が見上げる。和泉守兼定はキリリとした面持ちになっており、高潔さの滲む双眸で堀川国広を正視した。その風格たるや、強き武士そのもの。
「……うん。そう、だね」
 和泉守兼定の揺るぎなき雰囲気に呑まれ、堀川国広は目を伏せた。「尤もだ」と思ったのだ。過去は変えられない、変わらない。歴史を守る刀剣男士だからこそ、嫌というほど解っている。
「ま、考えちまうのも無理はねえさ。あの野郎とあいつは違い過ぎるからな」
 しゅんと項垂れた脇差を気遣う和泉守兼定。彼は彼で「もしも」を考えていた。
 もし、今の審神者が「主」だったなら。離れで暮らす女に顕現されていたなら。己等は味方同士で傷付け合わなくてよかっただろう。重傷の刀は出陣させられなかっただろう。怪我をしても手入れだってしてもらえただろう。殺気立った本丸にはならなかっただろう。穢れも蔓延しなかっただろう。
 幾つもあった。数え切れないくらいに。だが、堀川国広の話を遮った手前、和泉守兼定はこれらを口にせずにいる。
「違うどころじゃない。同じ人間なのか疑わしいくらいだ」
 はは、と笑い、長曽祢虎徹が逞しい腕を組む。
「過去は変わらないが、おれも時々考えるぞ、堀川。あの審神者が『主』だったなら、とな」
 もし、彼女が主だったなら。そう心に抱くのは、堀川国広や和泉守兼定、長曽祢虎徹だけではない。今この時まで、半数以上の神が一度は思い巡らせていた。新たな審神者と接するうちに、氷塊の如き人間不信も徐々に徐々に融解しつつある。
「……愛されてたかな。僕ら。あの人が『主』だったら」
 大和守安定もまた、「彼女だったら」を考える刀剣男士の中の一振り。たらればの話は無意味でしかないと分かっていながらも、彼は声に出さずにはいられなかった。
 新撰組に縁のある刀たちが一斉に大和守安定へ目を向ける。それぞれが潜考し、夢色の筆で胸に答えを描いた。
「きっとそうですよ。だって、『花子』はとっても大事にされてたんですから。ね、兼さん」
「さて、そいつはどうかな? 案外尻に敷かれて乱暴にこき使われるかもしれないぜ」
「もう、兼さんてば」
 打刀の冗談に呆れ、肩を竦める脇差。二振りのやり取りにつられたのか、他の付喪神が表情を和らげてゆく。
 ──加州清光以外は。
「けど、結局あげちゃったじゃん。陸奥守に」
 これまで四振りの話を黙って聞いていた加州清光は、壁にもたれて言葉を散らした。大和守安定の隣で、淡々と、無感情に。
「大切にしてたのに手放した。俺たちのこともそうするかもよ? もしあの人が主だったら」
 彼の顔は冷たかった。物である「花子」に愛を注いでいた審神者へ好感を抱く一方、不愉快でもあったのだ。大切ならば何故自分で所有しないのかと。何故誰かにやってしまうのかと。
「清光……」
 大和守安定が気心知れた刀の名を呟く。五振りの周りに漂う空気が変わった。
「俺はヤだね。愛されてるのに捨てられるなんてさ」
 赤い瞳は据わっていて、どことなく澱んでいた。
「花子」は女に捨てられたわけではない。陸奥守吉行に託されたのだ。加州清光の表現は語弊を呼ぶ誇張されたものであるが、どういう形であれ、女が「花子」を手放したことに違いはなかった。加州清光にはそれがどうしても心に引っかかる。
「まあまあ、加州。落ち着け」
「はあ? べっつに、落ち着いてるしー」
 宥めてきた長曽祢虎徹を一瞥し、爪をいじって手遊びを始める加州清光。
「あの人はそんなことしないんじゃない? ……でも、捨てられるのはちょっと──僕も嫌かも。なんだろう、変だよね。刀だった頃の僕らは、されるがままに人間の手を渡ってて、そんなの当たり前だったのに」
 下賜、献上、奪取に売買。いつの世も、刀剣たちは人の都合で動いていた。心もなければ意思もなく、ただただ人に身を任せていた。それが刀の常であった。
「……今のおれたちは『付喪神』だ。なまじ心を得てしまったせいかな。加州と大和守の気持ち、分からんでもない」
 冷静に分析する長曽祢虎徹の側で、和泉守兼定と堀川国広は想像する。女に「要らない」と言われる光景を。
 部屋の隅に沈黙が降りた。「花子」の周囲は賑やかに華やいでいたが、新撰組の刀剣たちはもやもやとした思いに口を閉ざしていた。

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