09
「おや、今剣さん。そんなに走ってどこに行くのかな?」
「そとでおさんぽです。まっかなゆうひをみてきます!」
「ああ、それは良い。今日は晴れてるから、きっと綺麗に見えるよ」
「はい! いってきまーす」
屈託のない無邪気な笑みを讃え、今剣が元気良く御殿を飛び出してゆく。石切丸はそんな短刀を穏やかに見送った。なんの疑いも憂いもない。むしろ、三条の大太刀は「今剣さんが明るさを取り戻して良かった」と、喜ばしさすら感じていた。
「はは、元気だなあ。遠出はしないようにね」
「はーい!」
名案を思いついた今剣。彼の天真爛漫な笑顔の裏には仄暗い「異常」が潜んでいて、それは一つの形になろうとしていた。
──はやく、はやく。だれもいないところに。
夕刻、沈む太陽が空を赤く染め上げる。庭の散歩、夕陽の観賞と称して庭に出た短刀は、人目を避けて敷地の外れへと駆けていった。赤い瞳が落陽に見入ることなどなく、彼はただひたすらに走り、事を為せる場所を目指した。
女の結界が及ばぬ一画へ足を踏み入れ、藪を通り、森へ入り、石切丸の言いつけを守らず遠くまでやって来た今剣は、辺りに仲間の気配がないことを確かめる。未開の森には自然しかなかった。刀剣男士はもちろん、離れの人間や彼女の連れの管狐もいない。
木々や土の匂いが立ち込める冬の森。ここに在るのは自然だけだ。神経を研ぎ澄まし、己が独りきりだと再確認した短刀は、まず地面に視線を落とした。枯れ葉、枝、蔓……これは違う、あれも違うと、柘榴のような色の瞳をきょろきょろさせ、やっと彼が見つけたのは、自分の掌ほどの石だった。
求めていたサイズよりも少し大きくはあるが、他に手頃な石はない。今剣はしばし理想の石を探し、やがて諦め妥協する。
硬く冷たい、ごつごつとした鈍色の石。不格好な楕円のそれを掴んで持ち上げ、どこか座れそうな所はないかと短刀は目を眇める。ちょうどよいことに、数メートル先に朽ちかけた切り株があった。
天狗の如く、朱い一本下駄がぴょんぴょんと跳ねる。今剣は切り株に乗る干からびた落ち葉を払い、逸る気持ちで腰を下ろした。
細く白い指が袴を握って一気に捲る。勢い余って太腿まで外気に晒されたが、短刀は気にしない。透き通った肌を夕陽の木漏れ日がオレンジに照らした。出てきた自身の膝を凝視し、今剣は片手の石を握り直す。
そして、「異常」な行いが始まった。
石を持った手を振り上げ、少しの躊躇いもなく一息に振り下ろす今剣。狙いは己の膝頭だ。
ゴツッ、と、大きくはない音がした。鈍い痛みがそこに生じるも、子供姿の付喪神は眉一つと動かさない。石を打ち付けた膝をじろりと眺め、これではだめだと息をつく。紅赤の双眸に揺らめく微かな狂気。品定めでもするかのような目つきだった。
皮膚に滲む血は微々たるもの。けれど、打撲の衝撃によって皮下では出血が起こっていた。時間が経てば青あざになるだろう。今剣からすると、それでは物足りなかった。
再び腕が振りかぶられる。今度は斜めから。膝の表面を擦るようにして、石がざりりと掠めていく。破れる柔い肌。じわじわと滲み出る血液。今にも滴りそうな赤を見つめ、短刀はようやく満足した。
……傷。紛うことなき傷ができた。生々しく痛々しい傷が。
人の好さそうな彼女は、必ずや治してくれる。言葉がなくとも、上手く話せずとも、これを見せれば、これを見せるだけで、あの審神者は。
なんて素晴らしい案なのだろう。きっと良いきっかけになる。
「治そうか」と言った女の顔を思い出し、今剣は口元を緩めた。昏く異様な昂ぶりに突き動かされ、彼は夕暮れの森を出る。次なる目的地は離れ。そこに、会いたい者が居る。