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「はぁ、お腹いっぱい」
「たまには外食もあり、だけど…」
イカスツリーの展望台から地上へと降りた後、昼から何も食べていなかった事に気付き途中のファーストフード店で簡単に夕食を二人でとった。久しぶりに摂取する高カロリーな食べ物に慣れない体が驚いたのか、そこはかとなく胃もたれをしているような気もする。そっと隣りを見下ろすと彼女も割と同じ状況なのか、眉間に皺を寄せ、なんとなくそわそわとした動きで落ち着かない様子である事に間違いはなかった。
「…トイレ行く?」
「あっ、うぅ、んぐぐぐ……」
「その間に俺はスクーター取って来るからさ」
「はい、分かりました! 行ってきます!」
ちょうど側を通った公園の中に公衆トイレを見つけたので、そこで用を足していくよう看板娘を送り出し、ドアがバタンと締まったのを確認してからすぐ裏の駐輪場へと早足に向かった。寂れた町の中にしては珍しく、デパートの立体駐車場のようななかなかご立派な建物の中へと踏み入れ、ポケットの中に入れていた鍵を握り締めながらスクーターを駐車している場所へと向かった。遅めの時間のせいか、周りに駐めてあったはずのたくさんの自転車や原付バイクはもう既にほとんど姿を消してしまっている。おかげで容易く自分のスクーターを見つけられ、すぐ側に佇んでいる精算機で駐車料金を支払い、前のカゴにバッグを入れてはハンドルを握って出口に向かい押しながら歩き始めた。
(…やっぱりイタズラだったのかな、あれ)
そういえば、とつい先程思い出してしまった、ある一点の気になる問題がふと頭に浮かんだ。一週間前に店に届いた差出人不明の謎の手紙。封筒の中には一通の手紙と、恐らく固まった血の雫の塊が混入されていた。内容はというと本当に短いもので、「いつもあなたを見ています。一週間後の土曜が運命の日となるでしょう」と、とても細くて綺麗な字で書かれていた。一週間後とは、つまりフェス開催日である今日であり、手紙を差し出した主が何かアクションを起こしてくるであろうと察する事ができる。しかし、今のところ何も変わった事は起きていない。あと数時間で今日という日ももうすぐ終わりを迎えてしまう。
「もしかして、狙いはリンなのか…?」
咄嗟にそう考えついた途端、彼女の安否が急に気になって少し早足になった。どうして今まで気付かなかったのだろう。看板娘の存在は客との交流が増えるに連れ、当初と比べて地元の者の他にも随分と知り渡っている。世話になっている客を疑うのはあまり気が進まないが、本当にもしもの事が起こってしまってからでは遅い。ようやく立体駐車場の外に出て、先程の公園へと慌てて一直線に向かう。人通りも車の通りもほぼ無い為、道路を横切り最短距離で突き抜けるようにスクーターを押しながら走っていくと、五分も経たない内に目印である大きな滑り台とその後ろに公衆トイレが見え、ちょうどトイレから彼女がぱたぱたと出てくるところだった。
「よ、よかった。おーい、リ…」
その瞬間に後頭部へがつんと強い衝撃が振りかかり、透明だった視界にブレが生じた。何が起きたのかわからないまま地面へと伏せ、そのすぐ傍にスクーターががしゃりと横たわり籠からバッグが雪崩れ転がっていくところを見た。眩み淀む意識の中で、微かに視界の隅に不安な表情が見え隠れしたような気がして、その名前を呼ぶ前に世界は暗闇へと落ちていった。
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目の前で見てしまった。誰かも分からない大人のインクリングが何か長いもので後ろからマゴを殴り倒しているところを。名前を呼ぼうとしたのにあまりの恐怖で頭の中が空っぽになり、固まった体は一歩足を踏み出す事も、声を振り絞る事さえも出来ないままに二人の姿はあっという間に消えてしまっていた。その場に残されたのは倒れたスクーターと横に転がったショルダーバッグ、そして手元に残されたマゴの携帯電話。ついさっきまで感じていたぬくもりも気付けばもう無機質な冷たさしか残っていない。真っ暗闇の中、ぷつぷつと点滅する古い街灯の小さな明かりの下で、寂しさで胸が押し潰されそうになりながら思わずその場で縮こまってしまった。
(どうしよう…! マゴにい、マゴにいがっ…!)
明らかに意識を失っていたマゴを胸に抱えた男は、ためらう事なくそのまま走り去ってしまった為、もう今はどこに行ってしまったのかさえ分からない。震える唇をこれでもかと言う程に噛み締め、がちがちの体に鞭を打ち、ショルダーバッグを抱えながら彼を助けようと闇の街の中へ一歩踏み出そうとしたその時。
「うわっ」
首からぶら下げていたクラゲ型のがま口が突然ぶるりと震えた。急いで金具を捻り、中に入っていたその振動の正体を取り出すと、明るく輝きを放った液晶画面に着信中の文字と見知った名前がそこには確かに表示されていた。
「も、もしもし!」
慌てて緑色の電話のアイコンをタップして受話口を耳に当てると、電話を掛けてきたのはやはり想像していた通りの人物で。
『おいマゴ! お前、店ほっぽってどこふらついてん…』
「ヨリち…ヨリちん、ですか!」
『…あ? その声、もしかして…幼女か? んな慌ててどう、』
少し不機嫌そうに話すその声は、確かに聞き覚えのあるマゴの友人の声だった。ようやく一人ではなくなった状況に安心して危うく涙が出そうになるのを我慢しながら、とにかく今起きた事を全て話そう、そう思い、ぐちゃぐちゃになった頭で必死に詰まっていたものを吐き出すように送話口へ向けて吐き出した。
「あたし、どうすれば…うっ、ううっ…」
『…おい、何があった。今、何処にいる』
「マゴにいが…マゴにいが、へんなひとに、連れてかれちゃった…!」
『へ、へん…? ちょ、おま、何言って…』
「ヨリちん、お願い…マゴにいを助けてっ…!」
涙が止まらなかった。ここで泣いてしまっては何も変わらないと分かっているにも関わらず、彼の温かい声が耳に触れただけでその一線はあっという間に決壊し、止まる事を知らずにぽたぽたと地面を濡らしていく。
『…今、そっちに行く。場所を言え。それから、俺が行くまで絶対にそこから動くなよ。いいな?』
「うん…うんっ」
聞かれた事だけを辿たどしい声で答え暫く話をした直後、事の大きさを理解したのか電話は乱暴にもぶつりと音を立て切られてしまった。いつもおちゃらけているヨリの声がどこか震えていたような気もして、募る不安が解けないままの胸の内は未だどくどくと鼓動を唸らせたまま、しばらく落ち着きを見せる事はなかった。
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店に勝手に入ってしまった事の罪悪感など、ついさっき掛けた電話のせいで一瞬にして消え失せてしまった。
自分でも驚く程に居心地の良さを感じるこの銭湯によく入り浸るようになって数週間。悪いと思いつつも良い避難場所になると幼馴染の知らぬ間に合鍵を作ってしまったものだから、こればかりはこっ酷く怒られてしまうと確信してとりあえず先手必勝で平謝りして許してもらおうと考えていたというのに、どうやら当の本人もそれどころではない状況に陥ってしまったようだった。
声を震わせながら訴えてきた看板娘の言葉はおそらく、いや確実に冗談を言っている訳ではないと電話越しにでもすぐ理解する事はできた。彼の身が、今まさしく危険に晒されている。それを聞いて、居ても立ってもいられない状態にあるのは自分も彼女もその気持ちに変わりはなかった。しかし、連れ去られてしまった上に逃げた先も分からない今のままでは探しようがない。
(何か…何か、変わった事はなかったか)
焦る気持ちを抑えて何かヒントはないかと店の中を乱雑に探したところ、ぐしゃぐしゃに丸められたある一通の手紙を居間のゴミ箱から見つけたのは、電話を掛けてから五分程経った頃だった。
「っ、あった…」
実のところ、何か異常な事態が起きるのかも知れないという予感は少なからずあった。ずっと気にはしていたものの、わざわざ漁ってまで確認する必要はないと思いつつも、珍しく動揺した彼の様子があまりにも不審だった為、頭の片隅にだけでも覚えておこうと密かに脳に焼き付けていた記憶が役に立ったという訳である。
ゴミ箱に未だ突っ込まれたままだった、封筒にも便箋にも何も書かれていない差出人不明の手紙は、内容も決して穏やかなものではなく、誰が読んでも気持ちの悪い一文には違いなかった。そして消印は一週間前のものとなっていて、イタズラか何かだと思いつつ、気持ち悪がって丸めて捨ててしまったのだろう。そして封筒の中の隅に細かく散る赤いもの。自分にとっては見慣れたこの赤が、今は実に吐き気を催す程の不気味な存在感を放っている。そしてそれ以外に一つだけ、よく目を凝らさなければ気付かないような細かい砂が付着しているのを見つけた。
(もしかして、これって…)
とにかく、時間がない。手紙を入れた封筒を掴んだまま外に出て停めておいたバイクに飛び乗った。看板娘が待っている公園はここから然程近い場所にある。もう夜が更け、あと数時間で日付が変わろうとしている中で、人気のない細い道のりを出せる限りのスピードで風と共に走り抜けた。
十分程で目的地である公園に到着し、急いで看板娘の姿を探すと、彼女がベンチに座って蹲るように小さく縮こまっているのが視界に入った。地面を擦る足音に気付いたのか、ぱっと顔を上げ揺れる視線が真っ直ぐにぶつかった。
「悪い、待ったか」
「あっ、あぁ…う、ヨリち…!」
「…泣いてる暇はねぇ。さっさと、あのバカを連れ戻しに行くぞ」
待っている間、ずっと泣いていたのかも知れない。冷えた体が勢い良く胸の中に飛び込んで、唸る心臓を落ち着かせるように両腕を回してそっと抱き締めた。片腕で後頭部を抑えながら優しく撫でてやり、防寒にと着ていたジップアップカモを彼女の肩に掛けそのままその小さな体を抱き上げては、エンジンを掛けたままだったバイクが停まっている場所へと早足で戻った。リアボックスに彼女が抱えていたショルダーバッグを詰め込み、慣れた手つきでシートへと乗り込む。勿論子供用のシートなど準備している訳がないので、看板娘を片手で抱きかかえたまま走る他ない。
「いいか、しっかり掴まってろ。落ちんなよ」
「場所、分かるの…?」
「確証はねぇ。けど、心当たりはある。闇雲に探すよりはマシだろ」
冷たい空気に響き渡るエンジン音が震える心臓を無理矢理掻き動かして、小さな手でフクをぎゅっと握ってくる体をしっかりと抱き留めながら浮かんだ白い息を切り裂くようにバイクを走らせた。
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意識を取り戻したのは随分と時間が経ってからのようだった。後頭部のズキズキとした痛みで目を覚ました時、既に視界は真っ暗闇に閉ざされていた。冷たい空気が流れているだけしか分からない、そして微かに香る塩の匂いが鼻を掠る。
今現在、何が起きているのかは見えずとも何処となく理解はしていた。自分を襲った犯人は恐らく一週間前に届いた手紙の主である事。その犯人に何かしらの目的で、意識を失っている間に何処かも分からない倉庫らしき場所へと連れ込まれ、後ろ手に拘束されてしまった事。そんな絶望的な状況の中ただひとつ不幸中の幸いであったのは、犯人の目当てが看板娘ではなかったという点だった。記憶が途切れる前に姿を見かけた看板娘が今どうしているのか、それだけがただただ心配で、こんな状況にまんまと陥ってしまった自分に気に掛けられる程彼女は抜けてはいないが、まだ小さな子供である事には変わりはない。こんな真夜中に一人ぼっちでいるなど不安にならないでいられる訳がない。
(怖くて、寂しくて、泣いていたらどうしよう。早く迎えに行ってあげないといけないのに)
どうか、どこか暖かい場所で寒さを凌いでいますように。そう心で願っている内に、かつかつと地面を削るような足音が何処からか近付いて来ているのに気付いた。無意識にずりずりと座ったまま後退り、ついに背に壁がついてしまったその時、目の前に感じるその威圧感にびくりと体が一瞬だけ震えた。
「あぁ…やっと、目、覚めたんですね」
「あっ…あの、どちら様……」
「心配ないですよ。ちょっと、動かないでください」
「へ? あ、の……うぐっ!」
いつの間にか目の前に落ちてきた彼の声に、後頭部の痛みに耐えながらその主の存在を確認しようとしたその時、唐突に頬を撫でるように触れられその手のひらが首筋へと向かった後、そのまま何か細いものが刺さった感覚に驚き身じろぐと、力任せに肩を抑えられ力いっぱい足掻くも抵抗も空しく生じた痛みに思わず声を荒げた。
「なっ、ちょ、何して」
「大丈夫です。すぐ、済みますから」
「や、めっ…やめろ!」
一体何が大丈夫だというのか。彼の言っている事が理解できないでいるうちに、体内へと熱いものが流れ込んでいくのが嫌でも分かった。躊躇った様子など一つもない。足を蹴り体を振って逃れようとするも、力の入らなくなってしまった今では壁に抑えつけるように上から覆い被さった体の重さを払う事は出来なかった。
スパッツ越しに触れられた指先がするすると滑っていく感覚にぞわぞわと体が震え、耳元で落ちる不規則な呼吸音が妙な温かさを帯びているせいか、催した吐き気を唇を噛んで必死に抑えた。
「うっ、うぅ、くっそ…カネが目的なら、さっさと持っていけばいいだろっ…!」
「おカネ…? へぇ、俺、そんなのが欲しそうに見える?」
「い、や、その…見えないんで、よく、分かんないっ…っく、うえぇ」
でろりとした重みのある声が脳を溶かすように流れてくるその感覚に気持ち良さを感じ始めている自分自身が信じられず、その悔しさに危うく泣きそうになる。カネ欲しさで襲われたのであれば、今となってはその方が断然マシだった。視界が遮られているのでどんな人物が覆い被さっているのかさえ分からずも、声を聞く限り明らかに同性には違いなかった。だと言うのに、薬まで盛られ怪しい手つきで足に触れ太ももを撫で、それがスパッツ越しとはいえ、少々デリケートな部分にまで行き渡ろうとしている為、どうにかこの場を脱しなければいけないと思いつつも、恐怖で真っ白になった頭では冷静になる事など不可能だった。
「ううっ…こわ、い…もう、嫌だっ!」
「…こわい? ふふ、そっか。大丈夫、そんなものが気にならなくなるくらい、たくさん気持ち良くしてあげるから」
「き、もちよく、なるって…何…うっ! あ、ああっ!?」
突然身が軽くなったと思えば、直後にスパッツの上から股間をぐりぐりと足で踏み付けられた。必死に足を閉じて拒否反応を示すも薬の力のせいか、抵抗する力さえも徐々に失っていき、ふにゃりとゆっくり開いていく両足に苦笑した声が落ちながら、踵で何度も押し込まれてくる痛みとそれに伴って流れてくる快感で、自分でも聞いた事のないだらしない甘い声が次々と口から止めどなく溢れ出てゆく。
「あ、あぁあっ…! や…やめ、ろ…あっ、あぁあ!」
「すごいねぇ、どんどん大きくなってく。俺、もっとマゴさんのぐちゃぐちゃしてるとこ、見てみたいなぁ」
「ひっ…あ、うぅ…や、だっ…!」
頭の中はもう淀む白で塗れ死んでいた。再び伸し掛る体重の刺激でさえも体はびくびくと震え、いつの間にか無理矢理スパッツの裾から突っ込まれた手がびりびりにその黒を破り捨てると、気付けば自身の性器は一糸纏わぬ状態になってしまっていた。冷たい夜風に晒された下半身をしつこく嬲られ、その度に自分でも聞いたことのない嬌声と熱い息が漏れては涙が溢れてくる。
「やっぱり、きれいだ」
「う、ぐ…離し、て…お願い、だからっ」
「俺ね、ずっと妄想してたんですよ。あそこの銭湯のおにいさん、絶対えっちな体してるだろうなって。ずっとずっと、あなたと繋がりたかった。だってこの世界で俺が一番にマゴさんのことを分かってて、心の底から愛しているんだもの。ふふっ…もう、絶対に離さないですよ」
じわじわと熱を上げていく体と頭にただ黒いだけの視界がぐにゃりと歪曲していく。
フクをたくし上げられ、露わになった胸元を弄られながら腐るような甘い言葉が囁かれ続ける中で、止まない刺激にただただ意識を飛ばさないようにするだけで精一杯だった。した事もされた事もないような行為にたった一本の薬で溺らされる事実が悔しくて泣きそうになる。血が出る程に唇を噛み、未だ終わりの見えない悪夢から早く目覚める事を願う事しか出来ない自分が情けなかった。
「…咥えてもらおうかと思っていたんですが…ふふっ。もう俺、我慢出来ないみたいです。いいですよね?」
「あっ…? な、に…う、ああぁっ!」
今までの愛撫が嘘のような乱暴さで両足を掴まれ腰が浮く。流れるように頭が落ちたと同時に目隠しの縛り目が地面へと当たり、緩くなった湿り気を含んだ布がはらりと横へ落ちていく。鮮明に映るかちかちと切れかけた蛍光灯と、それが光る一瞬に見えた自分に跨る下半身を露出した男の姿に抑えていた感情がぽろぽろと零れ落ちていった。
「い、やだ…やめて、くれ…頼む、からっ」
「痛いのは一瞬です。後は俺に任せてよ、マゴさん…」
「うあ、ぁ……ひっ! や、だ…嫌だ! っ……助、けて…!」
ヨリ。
その時、何故だか幼馴染の姿が薄く頭の中に浮かんでは気持ちが悪い程の快感に掻き消され、臀部にひたりと温かいものが触れた瞬間、悲鳴を上げそうになって荒れていた呼吸が止まったような気がした。ひ、と上げた吐き気が目の前の男の表情を歪ませ、冷たく微笑んだ笑顔に体をぶるりと震わせていく。
「たくさんたくさん、愛してあげますからね。今も、これからも」
「……誰が、誰を愛してあげるって?」
衝撃に耐えようとなけなしの力を込めて目を瞑る。そのせいで、この場にいるはずのない人物の声が落ちていた事にすぐには気付けなかった。その正体を考える間もなく、何か殴打されたような鈍い軋む音が聞こえ掴まれていた足が解放される。何が起こったのか分からないまま、枯れた涙で渇いた視界を開くと温かい馴染のある優しい匂いに力強く抱き込まれていた。
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