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「ヨリちん、なんも冷蔵庫入ってない」
「肉は?」
「こないだカレー作ったときに残った鶏肉あるよ」
「あぁー…じゃあ、それでいい」
ほとんど空っぽの冷蔵庫を眺めながらぶつぶつと文句を垂れる看板娘を余所に、ありったけの使えそうな食材を掘り出してはシンク台の上にずらりと並べる。ずらり、という程多種多様ではないものの、オムライスだけならばなんとか形には出来そうだった。
「あっ、あたしは何をすれば!?」
すぐ隣でぴょんぴょんと飛び跳ねながら手伝いたいという気持ちを全面に出しつつ、フクの裾を引っ張りながら真剣な眼差しでこちらを見上げている看板娘に手に持っていた玉ねぎを一つ投げ付ける。おっとっと、と体勢を崩しながらも上手くキャッチした彼女は、それでもピンク色の瞳をきらきらと輝かせながら両手でそれを握り締めている。
「それじゃあ、玉ねぎの皮でも剥いとけ。冷やしてあるし、剥くだけだから目痛くならねぇと思うけど、一応気を付けろよ」
「はーい!」
そう指示を出してやると、台所の端に置かれているダンボール箱で作られた質素なゴミ箱の前まで駆け出し、律儀に一枚一枚ぴりぴりと茶色の皮を剥がしてはぽろぽろと水色の袋の中へと落としていく彼女に苦笑した。自分はというと、その間に細切れの鶏肉とバターをフライパンへ放り投げ、油の撥ねる音を掻き立てながら木べらで乱雑に混ぜていると、少しばかりでこぼこになった玉ねぎが脇から差し出され、一言礼を溢し頭を撫でては受け取ったそれをまな板の上に乗せた。
「お前はフライパンの混ぜてろ」
「ラジャ!」
一歩横に場所を移動し、壁に寄せてあった踏み台を両手で運んできた看板娘は今し方自分が立っていたガスコンロの前にそれを置き、上に飛び乗ってようやく頭が飛び出すほどの背丈までに視界が高くなった彼女にフライパンの中身を任せる事にする。焦げないように気を付けるよう注意をして、その隣で玉ねぎを慣れた手つきで細かく四方に切り刻んでいく。
「ヨリちん上手〜」
「だろ〜?」
「…なんで? 変なの…」
「どういう意味だ、それ…」
まな板の上で散りばめられ細かくなった玉ねぎを包丁を使ってするすると流すようにフライパンへ落としていく。水分の含まれた白が唸る油を更に引き立てて、じゅわじゅわと白い煙が昇っては換気扇の中へと吸い込まれていった。
「よーっし。米入れんぞ、米」
炊飯器を開けると炊き上がったばかりの白飯と煙のようにもこもこと天井へと浮かんでいく水蒸気が辺りを包んで、その湿度の高い熱気の中でしゃもじを掻き回した。適当に掬いだした白飯をボールに入れて、待ってましたとばかりに焦げ目が付き始めた鶏肉と飴色になり始めた玉ねぎの中へ豪快に突っ込んでやる。
「きゃー! ご飯ダム決壊だー!」
「焦げちまうから踊ってねぇでさっさと混ぜろ!」
きゃっきゃと木べらを振り回しながら踏み台の上でくるくると回っている看板娘にスパンと額を引っ叩き、それが不満なのかぶつくさ文句を言いながら再び混ぜ込みを始める彼女を他所に、冷蔵庫から取り出したケチャップの蓋を開け、均等に交じるように全体的にケチャップをフライパンの中身の上からぶっかけた。じんわりとオレンジ色に染まってゆく白飯を眺めながら、ふと、後ろの部屋から呻く声が聞こえてきている事に気付き、疑問に思いながらもそっと視線を居間へと向けながら聞き耳を立てた。
「…おい、幼女。ちっとマゴの様子みてくる。一人でできるか?」
「うん! へーき」
「焦げそうになったら火止めろよ、いいな?」
「ほーい」
汚れた手を水道水ですすいで適当にフクへと擦りつけては水分を拭い、そっと居間へと繋がる襖を引き開けると、つい先程まで静かに寝ていたはずの幼馴染が荒く息を上げながら何かに耐えるように布団の中で丸く縮こまっていた。
「…おい、どうした。呻いてないで黙って寝てろよ」
「うっ…喉、からからで、き、きもちわるい…」
「乾いたら水飲めっつったろ!」
「ん…ぐぐ、めんどくさい…」
「アホか、お前は! ったく…ほら、飲ませてやるから。起き上がれるか?」
「う、ん…」
だらりと項垂れた体を抱きかかえるように両脇に腕を差し入れ上半身を持ち上げ、なんとか持ち上がった体に蓋を開けたペットボトルを押し付けた。はぁ、と溜息を吐いては(看病してあげているというのに大変失礼極まりないと思いませんか、この男)、顔を赤く染めながらごくごくと水分で体内を潤してゆく。ぷはぁ、と見事に全てを飲み切ると前よりは幾分か呼吸も落ち着き顔色も良くなっている気がする。
「次、面倒臭がったらオムライスお預けだからな」
「えぇ〜そんなぁ」
「そんなぁ〜じゃねぇよ、ボケジジイ。もうすぐ出来るからそれまで自己管理くらい一人でしろっ」
「はーい…ごめんなさーい」
厳しい口調で強く言いつけると、幼馴染はしょんぼりと俯きながら再び横になっては背中を向けて頭から布団を被った。それを見届けてから今頃フライパンと奮闘しているであろう、看板娘のところへ戻ろうと立ち上がったその時、ぐいっと何かに掴まれた腕が引っ張られ、予想外の展開に足がもつれた途端そのままひっくり返るように体勢が崩れた。
このままでは下手をしたら幼馴染の体を押し潰す形で倒れる、そう瞬時に理解し、なんとか立て直そうと慌てて振り向き彼の顔の真横に肘を突き立てなんとか最悪の事態は避ける事が出来た。一瞬だけ全体重がその肘に集中した為、じんわりと帯びた痛みに思わずぐぐぐ、と力の篭った太い声がまだ火照ったままの彼の表情へと落ちた。
「お、ま、このっ…何の、つも、り」
「行かないで」
「は?」
「頼む、から…」
気付けば包まっていたはずの布団の中からひょっこりと上半身を出していた彼を跨るような体勢に陥り、数ヶ月前に久々の再会を果たしたあの日の夜に起きた出来事と似ているせいか妙な既視感を覚えた。一度あった事は忘れた頃に二度三度やってくる、とは上手い事を言ったもので、過去に起きてしまった事と同じような状況が今まさに起きてしまっている。
見下ろしたその目と鼻の先には少し呼吸が乱れてほんのりと頬を染め、実に直視できそうにもない(個人的な視覚による)あられのない幼馴染の姿が視界に広がり、どうにも目も当てられない状態になっていて、慌てて視線を逸らそうとそっぽを向くように首を横に曲げた。
(なりたくて、こんな事になってる訳じゃねぇんだけどっ)
次第にびりびりと痺れ始める未だ掴まれたままの腕と、無茶な体勢だったせいでじわりじわりと沈む上半身と同時にお互いの顔がゆっくりと近付いていく様子にごくりと息を飲んだ。
「ちょ、待、おい、マ、ゴ…いい加減、離せよ!」
「ごめ…なんか、人肌、恋しくて…。変だよな、今まで散々、ひとりだったのに…」
胸の奥の心臓がこれでもかという程に激しく鼓動している自分に対し、あまりにも冷静に受け答えをしている彼が恐ろしくもあり内心を見透かされているような微睡む瞳に喉を鳴らせた。
今まで平気だったものが平気でなくなる。それを恐れていたのは彼だけではない。勿論、自分自身も同じ気持ちでいた事には変わりなかった。だからこそ、腹の底に沈んでいた消してしましたい、出来る事なら無かった事にしてしまいたい程の憎らしい感情を忘れたいが為に、二人が籍を入れたあの日からもう二度と顔を出さないと決めていた、そのはずだった。
「…悪い事じゃねぇとは、思うけどな」
「え…? あ、そう…かな」
「そうなの」
一人で全てを背負う事など出来ない。分かっているつもりでも、一人でいる事で沸々と湧き上がるものが鎮まってくれるその安心感が心地良く、もう二度と誰かの隣で生きていく日など来ないと確信していたのに。
「……もう少しだけ、いてやるから。さっさと寝ろ。幼女にうつったらどうすんだ」
「え、へへ…あ、それじゃ…手、握っててくれるか」
「はぁ? コドモか、お前は…」
「今日だけ、今日だけだからっ…お願〜い」
「はぁ…ったくよぉ」
ふにゃりと微笑んだ幼馴染の柔らかい表情を見下ろして、深い溜息を吐きながら額をぺしんと引っ叩き、体の上からゆっくりと退いては布団掛け直してやると、静かにその裾から手を差し入れては高い体温で温められた空間の中でそっと、少しばかり細い手を包むように握り締めた。
***
「白身は崩せよ。焼く時うまく広がらなくなる」
「う、うん。これくらいで、大丈夫かな」
「あぁ。よし、じゃあさっさと焼け。今すぐ! ほら!」
「は、はい!」
ケチャップの甘酸っぱい匂いが辺りに散らばる中、フライパンを握る横で意外にも的確にアドバイスをしてくれる幼馴染のおかげでチキンライスまではなんとか上手く完成させる事ができたものの、一番の問題はそのチキンライスを包み込む柔らかく半熟とろとろの布団のような卵を作る事だった。
一人で練習している時は理想としているレシピの写真通りに上手くいった事など一度もなく、不味くはないけれど特別美味い訳でもない。独学で練習をしているせいか、何度やっても上達する様子もなく、どうすればいいのか分からない状態で悩んでいた時に声を掛けてくれたのが調理場のおばさんだった。
彼が意外にもオムライスを作る腕だけは天下一品である事を教えてくれて、初めて彼との共通点を見つけたような気がして一人身勝手にも胸が踊っていた。これはもしかしたら、もっと仲良くなれるチャンスなのかも知れない。そう思い、ちょうど上手くいっていなかったオムライスの作り方を教えてもらおうと、勇気を出して声を掛けてみたところ以外にもその作戦は想像以上にうまく事を運んでくれた。。
「中心の部分は火が通りにくいから…菜箸で軽く混ぜろ」
「ぐちゃぐちゃになっちゃうけど、いいの?」
「空気を含めた方がふわふわになんだよ。いいから言われた通りにやれ」
「はーい」
腰に手を当てながら横目に見遣る彼の視線を感じる度に変に緊張をしてしまっているらしく、いつもの力を発揮できないのか上手く手を動かす事が出来ない。それを見かねたのか、貸してみろ、と手を差し出されたので大人しく持っていた菜箸を渡して邪魔にならないよう一歩横に移動した。
「…いいか? 火付いてんだからぱっぱとやらねぇと固まんの。時間との勝負なんだよ。半熟になったなって思ったらすぐ止める。で、飯! こうやって…下半分に上手く入れて…」
片手にボール、片手に菜箸を持ち、半熟に焼けた卵のカーペットの下半分に山になるようにチキンライスを乗せる。慣れた手つきで手際よくそのオレンジを包み込み、フライパンを持つ左腕の手首をぽんぽんともう片方の手で叩いては、形を整えていくその腕前にいつの間にやら喋る事を忘れて無言になってしまう程に目を奪われていた。
「で、このまま流すように皿に乗せ…って結局全部俺がやってんじゃねぇかよ!」
「まぁまぁ、まぁまぁまぁ」
「チッ…くっそ。まぁいいか。ついでに味見してみろよ。自分のやつどう違うのか」
準備しておいたスプーンを無理矢理押し付けられ、真っ白な皿の上にどかりと盛られた、焦げ目の一つないその綺麗なオムライスになんとなく穴を開けるのを躊躇しつつも、背中を押されてようやく一口分掬っては自分の口の中へゆっくりと運んだ。
その瞬間に広がる卵とは思えないふんわりとした軽い食感と均等に混ぜ込まれたチキンライスの仄かの甘酸っぱさに、思わず彼の目を真っ直ぐに射抜いては満面の笑顔で無意識にも叫んでいた。
「おいしい!」
「だろ?」
「なにこれ、すごい」
「オムライスに関しては俺の右に出るヤツはいねぇよ」
「本当にすごいよ、ヨリ。すごく感動しちゃった。もう一回、もう一回教えて!」
「は? あ、お、ちょ、バカ、抱き着くな!」
含んだ口からじわりじわりと体中に伝わっていく温かさに満たされた感動でつい勢い余って彼の胸元へと飛び込むと、慌てた彼の拳が真っ先に頭上へと降りてきて、殴らなくてもいいじゃないかと一つ文句を零してやろうと見上げるも、そこには顔を真っ赤に染めて照れ臭そうに目線を逸らす、あまりにも珍しい表情をした幼馴染を目の当たりにしてつられるように自分の顔も熱くなっていった。
***
「マゴ、出来たぞ」
キッチンに立ち始めてから三十分程が経った頃、ようやく一人分のオムライスが完成したところで、水と一緒にそれを乗せたお盆を看板娘が居間へと運んでいく。しばらく作る事もなかったので昔と同じように上手く仕上げられるかどうか自信は無かったものの、記憶は朧気でも体は覚えているのかどうにか形にはする事ができた。
彼女がケチャップ掛けを自分に任せて欲しいと言ってきたので、好きにしろと言い捨てては勝手にやらせたところ、オムライスのど真ん中に大きく描かれた彼らしき似顔絵(帽子を被っているボーイ、という事実しか判断は出来ないが)がなんとも微笑ましかった。
「マゴにい! これ見て、すごいでしょ!」
「おぉ〜さすがリンちゃん。器用だねぇ」
「いや、ほとんど俺が作ったんですけど」
幾分睡眠を取る事が出来たのか、ひとりで上体を起こす事くらいは可能になったらしい幼馴染は看板娘から受け取ったオムライスの皿を膝の上に乗せ、スプーンを手渡されるとこんもりと山になっているそれを掘るように掬い、そのままゆっくりと口の中へと運んだ。
「どう? どうかな!?」
「ん〜…うん、ウマイ」
「やったー!」
万歳をしながらすぐ横でにっこりと喜んでいる看板娘と、病人とは思えないレベルでどんどんオムライスの面積を減らしていく幼馴染に、心配した分何故だか損をしたような気もして、素直に現状を受け止められない自分自身だけがなんとなく居た堪れなくなった。
「はぁ…んだよ、割と元気じゃねぇか」
「そりゃこんな愛情こもったリンちゃんのオムライス食べたら元気になるのは当たり前だよ。ねぇ?」
「ねー!」
「あっそ…」
「もしかして拗ねてる? 勿論、お前の愛情も感」
「あぁもう、そういうのいらねぇから! 口に出すな!」
「はぁ…そうですか」
相変わらずこの幼馴染は予想外のタイミングで予想外の台詞を、しかもど天然のせいか無自覚無意識で投げつけてくるものだから実に質が悪い。ただひとり、顔を真っ赤にしているのも恥ずかしい上馬鹿らしかったので、飲み物を取ってくる振りをして居間を出ようと立ち上がると、不意に名前を呼ばれてその動きを止めた。
「ヨリ」
「な、なんだよ…」
「懐かしい、この味」
「は…?」
「…また、食べたいな」
うっとりとした甘い、しかしどこか切なさの含まれたその声に、危なく持っていた湯呑を落としてしまいそうになる。既に空っぽの皿を両手で抱えてにっこりと微笑みながらこちらを見上げる幼馴染に、沸騰した頭から危うく湯気が昇るところだった。
(卑怯だろっ…それは!)
また今度な。
冷静に告げたつもりのその言葉を置き捨て、どたどたと逃げるように台所へ出ては暴れる心臓を落ち着かせるように深呼吸をする。全くもって体に悪い。今頃不思議そうな顔で首を傾げているかも知れないと思うだけで妙に居間へと戻りにくくなってしまった。
「また、って。なんだよ、くそ…」
咄嗟に出た自分の言葉に、疑問ばかりしか生まれない。
いつまでこの店に居続けるつもりなのか。一緒に住んでいる訳ではない。時々ふらっと店に寄っては寝泊りをして、裏稼業である人には言えない仕事をこなしてはカネを稼ぎ、また少しずつ癒された心が黒く染まって沈んでいく。彼の厚意に甘んじてはその不純の繰り返しである生活をいつまでも続けてしまう自分に酷く嫌気が差した。
(…何やってんだよ、俺は)
時々見失いそうになる自分自身が怖いと思った。今まで散々互いに一人でいる事が、自分にとっても彼にとっても正しいの事であると理解していたつもりだというのに。
その誓いさえも忘れてしまう程に、三人で過ごす時間が幸せでもあり恐ろしくもあるのかも知れない。いつかまた、消えない気持ちが溢れないうちに必ず暗闇の中へ帰らなければいけないのを分かっているのだから。
「いっその事、記憶が飛んじまえばこんな思い、しなくてもいいのにな…ははっ」
店を出るのを名残惜しくさえ感じてしまう程に既に重症である事は自覚している。溜息を吐いている間にヤカンの暴れるような抜ける音が響き、慌てて安物の茶葉を入れた急須にお湯を注げば、ふんわりと浮かんだその湯気の中で自分自身をぼやかすようにそっと瞳を閉じた。
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