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「や、焼きイカちゃーん!」
「ったく、始まるマエから落っこってんジャネーヨ」
呆れ顔でパブロを握りながら、ようやくリスポーン地点へと戻ってきた焼きイカちゃんの額をべしりとオロシちゃんが引っ叩いた直後に、バトルの始まりを示すスターターピストルがシオノメ油田の青空に高らかと響き渡った。
相手チームは奇遇にも顔の見知った知り合いばかり、しかも自分達より遥かに年上で、バトルに関してもキャリアの長いボーイばかりであった為どうしたものかと思わず頭を抱えた。元々このチームも二人組に分かれて参加していたのだが、これまた奇遇にも同じチームになったものだから拍子抜けをしてしまい、ここまで身内だらけのランダム編成もなかなかないような気はするが、こうなってしまったからには少しでも善戦出来るように連携をとっていくしかない。
「とりあえず、北をどうにかして先に確保しないと」
向こう岸で既に動き出している銭湯チームは若干怠そうにしているものの、悠長に話している間に既に自陣から地道に塗り始まっている。油断した途端に押され続け勝敗をひっくり返す事さえ出来なくなる可能性も大いにあり得る為、とにかく拠点となる北のエリアを占拠する事がバトルのキーポイントにもなりかねない。ぎゅっと握ったN―ZAP85を前へ掲げ、まさしく先へ進む第一歩となる右足を前へと踏み出した瞬間。
ぐいっとフクの裾を掴まれて後戻りするようにずりずりと体が後ろへ下がり、危うく転びそうになっては慌てて振り向くと、そこにはどこか嬉しそうににやついた焼きイカちゃんがいた。
「ど、どうしたの?」
「ほらほら、ねぇねぇ! 見てよ、パッチンくん。向こうみんなボーイだから全員女装してるみたいなんですけどぉ。プププ」
「俺もボーイなんですけど…」
「まぁ、ダーリンは…ナァ?」
「だな」
「ウンウン」
「その三人だけにしか分からない謎の意思疎通やめて! ほら、早く行かないと負けちゃうぞ!」
ボーイとしては全く嬉しくない言葉がガール側で飛び交わされる中、やる気があるのかないのか正直よく分からない三人の背中を押しながら無理矢理に北への道を進んでいく。
そもそも大会に参加する事になったのも三人が巷で噂のスイーツ食べ放題ショップに行ってみたいと言ったところから始まったのだから、参加するからにはやる気を出してもらわないと困る。とくに賞品に関してはハットさんが一番に興味を持ったらしく、広場で配られていたチラシを持って三人に見せてきたのも彼女だった。他の二人も、勿論自分も甘いものは別段苦手という訳でもなかったので、大会に参加する事自体は特に問題はなかったのだけれど、まさかギア限定でのナワバリバトルとは露知らず、あまりに着慣れていないイカセーラーブルーを結果的に着させられる事になるとは思いもしなかった。
(女装、ではないんだけど。やっぱりこう、一度意識しちゃうと、恥ずかしいな…)
当日、というよりは試合が始まる直前にそんな参加条件を提示されたものだから、当然ながら拒む事など許されず、にやりと口角を上げた三人に囲まれていつものように着ていたアーバンベストナイトを剥ぎ取られると、あれよあれよというままにイカセーラーブルーを頭から被されてしまった。
ようやく本来の目的を思い出したのか、転々ばらばらと行動を開始した三人を見て安堵しつつ、白のインクの海を泳ぎながら予定通りに北のエリアへと向かう。
今回は大会用の特別仕様という事で、何かとおめでたい紅白カラーのインクでバトルをするという決まりになっている(これも先程、大会が始まる直前に決まったようだったが)。相手チームは赤、こちらのチームは白だ。普段は見られないカラーリングに少しばかりテンションは上がるものの、辺りに赤いインクが広がっているのを見るのは正直なところあまり気分として良くはない。
自陣から真っ直ぐに進み、中央のエリアへ繋がる壁を上ってはその中心に降りる事の出来る高台へと登ると、既に辺り一面は赤く塗り潰されていて、まぁ遅れてきたのだから当たり前かと納得し、最低限のラインをぽつぽつと真っ直ぐに塗りながらさらに奥へと進んでいく。
(この跡は…ホクサイかな)
パブロよりも少し太めの筆の線がすぐ側で駆け抜かれており、恐らく山積みに置かれたコンテナの影のどこかでその持ち主は姿を隠しているのだろう。先程泳いできた手前のエリアからは、高らかなチャージャーとリッターの射出音が何度も響き始めており、しばらくは後戻りする事も出来そうにない。
「おっとっと、もう来た!」
「うわあぁ!」
中央のコンテナに背を貼り付け、簡易トイレが列をなしている角の方をそっと覗くと、意外にも目的の人物は目の前で突然イカから人型へと姿を戻し、彼の方も知らずに移動をしていたのか危なく衝突をする寸前にまで距離を詰めてきていた。
「あぶ、あっぶ! ちょ、タンマ!」
「タ、タンマもクソもないですからっ。う、撃ちますよ!」
N―ZAP85を咄嗟に前へと構え、二歩程下がったオクタグラスを身に付けたボーイへ銃口を向けると、自分のその動きに俊敏に反応した彼はすぐさまイカの姿へと再び戻り、赤いインクの海へと潜るとすぐさまどこかへ泳ぎ去ってしまった。コンテナの山の壁を塗り、頂上まで登って下の辺り一面を見渡すと一瞬だけ波打った場所を見つけ、ちょうどゲージが一杯に溜まったところで咄嗟にスーパーセンサーを発動すると、ばっちり直線が伸びたその先は意外にも想像していた場所とは違った方向を示しており、急いで振り向いたその真下には確かにその存在がぷくぷくと身を潜めていた。
「げっ、ばれた」
「あぁもう、見逃してあげればこれなんだから!」
今日初めて会ったばかりのはずなのに、どうやらどこかの誰かさんと同じような匂いがする。明らかに年上ではあるが、ナワバリバトルの最中にそんな気遣いをしている暇はない。今にもホクサイ・ヒューを振り上げようとしたその目の前にスプラッシュボムを置くと、急いでイカの姿になっては微かに広がる白いインクの海へぽちゃりと飛び込んだ。
***
(あれは、確か…)
顔は知っていた。普段から友人である焼きイカが彼らに関しての話題を出しては嬉しそうに話をしていた事もあり、最近になって初めて実際にアイスを彼に奢ってもらっている彼女に遭遇し、小さく溜息を吐きながらあまりの申し訳なさに軽く頭を下げた記憶はある。
既にパッチンにより塗られていた縦に伸びるパイプ管を登りインクの塗れない細い幅の上側通路を慎重に辿って、見晴らしの良い場所でしゃがみ担いでいたリッターを肩に担いでは腰を下ろしずっしりと構える。真ん中の合流地点ではフデオロシがばしゃばしゃとパブロを振り、そこから距離を置いた坂道の下の方でこっそり自陣を塗っていたバケットスロッシャーを持つ銭湯の店主がびくびくと怯えながら彼女を見上げていた。
「…来たな」
敵陣側の対照的である場所をスコープ越しに見遣ると、自分と同じようにスプラスコープを構えた彼の射線がすぐさまこちらへと向けられた。このような状況にいずれ陥るだろうと対戦相手が誰だか知ってから予感はしていた。赤く錆びた鉄鋼の部分と地面にクイックボムを投げつけインクに浸し、立ち位置を移動したその場所から再度彼へと狙いを定める。
「焼きイカ、頼んだ」
「はいよっとい!」
すぐ側で白に沈みインクを回復させていた焼きイカは、合図と共にイカの姿のまま飛び込みながらこっそりと下へ降りると、それを知らずに再び体勢を整え狙い打とうとする彼の真下へするりと潜り込んでいく。ノヴァブラスターの短射程でもジャンプしながら打てばその破裂と共に散らばるインクでダメージを負わせる事が出来るはず、と自身を囮にしてスプラスコープを持つ彼をリスポーン地点へ追い返そうとしたその時。その中央地点へと繋がる入口から滑るように駆け抜けるパブロ、それをはぁはぁと息を切らせながら追い掛ける銭湯の店主がクイックボムを投げながら二つの斜線の間を走り抜いていった。
「うわっ! 女装のおっちゃんきたー!」
「じょ、女装じゃないもん! 仕方ないじゃん、ギア限定だし!」
「うへっへっへ、おもしろい。ぷぷぷ、おもしろーすっごいおもしろー!」
「うわぁん! 面白がらないでよ、もー!」
その場で出会い頭にばっちりとぶつかった焼きイカと銭湯の店主は、果たして本当にバトル中であるのかと疑問を持つ程に腹を抱えて笑い始め、その一方は恥ずかしそうに顔を赤らめながらバケットスロッシャーを胸に抱えていた。やれやれと呆れ気味に肩を落としていると、二人の間に頭上からぽとりと落とされたスプラッシュボムがころりと転がり、呆然とそれを見下ろした焼きイカが、あ、と小さく呟いた瞬間に爆破すると、直後にぴぎゃあという金切声を上げてはふわふわとリスポーン地点へと還されていった。
「はぁ、これだもんな」
(予想はしていたが)どうやら作戦とも言えないような作戦は失敗に終わり、そんな自由すぎる彼女も勿論嫌いではないのだが、今はあくまでもスイーツ食べ放題ショップの招待チケットがかかった大事なバトルの最中であって、当然ながら負ける訳にはいかない。まさか、という顔で目を丸くしきょろきょろと下を眺めているスプラスコープの彼と、あらら、と気の抜けた表情でその様子を見届けた銭湯の店主はその場で見上げ、目の合った二人は困ったように頭を掻きながら微笑んでいた。
「た、倒すつもりはなかったんだけど…」
「あはは、ちょっとした事故だったね。…あ、ヒナタくん。多分、マサキくんそろそろ上がって来るだろうから、俺はもう少し自陣の方を塗ってくるよ」
「分かりました。それじゃあ、こっちは…彼女とタイマン張りますかね」
会話の蚊帳の外かと思い欠伸をかましていた自分へ突然話を振られ、慌てて抜いていた手に力を込めてブキを握り締める。スコープをそっと覗いてみると、同じように真っ直ぐ斜線を向けている彼の海色の瞳の輝きを垣間見たような気がした。
「…こいつは、やり甲斐がありそうだ」
胸の奥へと沈んでいた懐かしい気持ちの良い熱さに思わず鼓動が高鳴り、ごくりと唾を飲んでは握る3Kスコープにそっと息を吹きかけた。
***
いつの間にやら早速リスポーン地点へと還されていった仲間に重い溜息を吐きながら、ジェットスイーパーで下通路の地面を塗り返しつつ敵陣へと乗り込もうと足を踏み出すと、同じくとんぼ返りだったらしい彼の友人であるボンボンニットのガールが、ちょうど一番端の細い外側通路を少々恐ろしい破裂音を響かせながら足元を塗っており、その先の下へと降りる高台に立っているのを見つけた。向こうもこちらの存在を確認したのか、途端にはち切れんばかりの笑顔を振り撒きながら手にはおっかないノヴァブラスターを握り締め、もう片方の手でこれでもかという程に手をぶんぶんと振っている。
「やっほー! テン…ハットのニーチャン!」
「…どうした、さっさと降りて来い。タイマンでもするか?」
「えー、やだよう。そういうのアタシ、正直キョーミないもんね」
背の小さい割にはスタイルが良いせいか、体格のいい彼女はその見た目と裏腹に軽々とその場から飛び降りては颯爽と着地し、攻撃をする訳でもなく目の前をぱたぱたと走り通り過ぎると、階段にしては高さのある段差の壁を塗っては、スイスイと油田の中心へと泳いで登ろうとするイカの姿になった彼女の足を咄嗟に掴んだ。
「ギョエッ! な、なんじゃあ〜?」
「そう簡単にそっちへ行かせると思ったら大間違いだ」
「えぇ? なんでぇ?」
なんで、問い質したいのは寧ろこちらである。引き摺られるように戻ってきた彼女は、姿を変えるのも面倒なのかイカのままでぽちゃりとインクから飛び出し、何処へ行く、と声を掛けようとした直後、何故だか自身が着ているジップアップカモの中へと勢い良くすっぽりと収まった。突然のその重みに戸惑うも慌てて両手で抱えて、足を掴んで外へと投げ捨てようとするも、なかなかするりと逃れ続けるものだから早々と追い出す事は諦めてしまった。
「…おい。どういうつもりだ」
「ひとりで行っちゃダメなら連れてってよ」
「なんで相手チームのお前と一緒に北へ行かなきゃならん」
「えー、いいじゃん。どうせアイスのニーチャンところ、行くつもりだったんでしょ?」
一本の足でぺしぺしと頬を叩いてくる真っ白なイカに沸々と苛立ちが募るも、どうやら言う通りに動かない限りは彼女も自分から離れようとする気は更々ないと踏んで、面倒な事になったと不思議と重みを増した頭をぽりぽりと掻きながら、坂になっている通路内を自身の気配を殺しつつゆっくりと歩いて登っていく。イカを抱えながらの移動になる為、スーパージャンプで飛ぶ訳にも泳いで行く訳にも行かず、自陣のインクを確保し、途中でぶつかりそうになった物凄いスピードで駆け抜けるパブロに見つからないようバルーンの影に隠れると、安全地帯である事を素早く確認してから地面に塗りたくられた真っ赤なインクを蹴り上げ中心へと飛び出し、T字の障害物の死角へと隠れてすぐさま追ってきたリッターの射線から逃れた。
「お、おい! 危ないぞ、突然出てくるな!」
「仕方ないだろ、ちんたらしてたらいつまで経っても入れん」
「そうは言っても、おま、すぐそこに…うわぁ!」
日頃聞き慣れている、頭上から落ちてきた明らかに焦燥した声と慌てて差された指の先へと視線を移すと、そのたった数秒という短い時間、目を離した隙に頭上から悲鳴が聞こえて今まさに会話をしていたはずの相方は一瞬でリスポーン地点へと還されてしまった。
「…チッ」
仕留めたところで固い表情は変えぬまま、今度はこちらへと標的を変えてきたリッター3Kを構えるガールは、サファリハットの鍔の影から刺すような黄色の瞳を翳している。そして、照っていたはずの太陽の光が急に何かに遮られ、つられてT字の障害物の上を見上げると、そこには仁王立ちをした先程擦れ違ったばかりのパブロが堂々と立ち尽くしていたのだった。
「ヨォ〜女装のオニイサン。ンなとこでツッ立ってるとシんじゃうヨォ?」
ただでさえイロメガネを付けている上、怪しさが半端ではないカタコトの話し方で喋る彼女の激しいパブロの振りが躊躇なく襲いかかって来た。まだ辛うじて残っている赤色のインクを飛び交い、なんとか多数のコンテナが至るところに積まれている最北のエリアへ辛うじて辿り着くと、簡易トイレの影にそっと身を隠しては執拗に筆を振ってきた彼女の様子を確認する。
滑らせるように付けられていく曲線の跡で大体の場所を察知し、背後を回れるようにぐるりとエリアを反時計回りに走る。すると、そんな緊迫している最中にジップアップカモの中に潜んでいた彼女が思い出したかのように胸元からすぽんと顔を出していた。
「ふわぁ…着いたぁ?」
「とっくに着いてる」
「えへへ。ごめーん、めったや寝てた」
「…こんな状況で、よく寝られるなっ…く、そ」
まるで追いかけっこのようにぐるぐると回りお互いに背を取り合おうとしている中、絶えず欠伸を漏らす彼女に呆れて小さく溜め息を吐いた。これ以上接近されないよう、出来る限り通過できる細道を閉ざすようにスプラッシュシールドを張り続け、併せてパブロの走った細い線を消すように塗り進んでいく。
「アッーもう、いい加減イッペン帰れ!」
「それはこっちのセリフだ、イロメガネ」
何度塗れども塗り替えされ、シールドを張ればすぐさま壊されたと思えば邪魔なスプリンクラーが頭上から投げ込まれる。その隙を突くようにジェットスイーパーの長い射程で翻弄するも容易く回避され、届かない場所から撃たれるのが癪に障るのか、壊す度にスプリンクラーを投げつけてくるものだから腹立たしい。
そんな激しい攻防を繰り返していると、雲一つない青空の中から何か光るものが輝き、エリアの中心にぐるりと渦巻くマークが大きく表示された。まさか、と思いつつ、直後に落ちてきたのは想像していた通りに真っ赤なトルネードで、すぐ近くからはその飛来物に驚いたのか小さな悲鳴も聞こえてくる。広範囲に渡り円を描くような赤いインクが広まったものの、どうやら彼女を仕留めるまでは出来てはいないようで。しかし、ほぼ白のインクが潰れてしまった今となっては、彼女が潜伏している場所など一目瞭然だった。
「あ、オロシちゃん。やっほー」
「アァ? 何でオメェがンなトコに…って、オロ?」
「…そこか」
唯一トルネードを逃れた一番端に置かれたコンテナの壁。腕の中で蹲っていた彼女がようやく外へと飛び出してはヒトの姿へと戻り、手を振り駆け寄った先にそのイロメガネは確かにいた。相変わらずブレないキャラだな、と心の中で苦笑し、視線の先で揺れるように耐えていた、その一点の白に潜むイカに銃口を向け、小さく息を吐きながらジェットスイーパーで軽く数発撃ち込んだのだった。
「こンの…バカ焼きイカァー!」
「あははは、オロシちゃんゴメーン!」
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