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看板娘をバイクの後ろに乗せてようやく辿り着いたその目的地は、訪れた時間帯が良かったのか想像をしていたよりも然程混雑はしていなかった。店の中の様子を窓の外から伺うとやはり客足そのものも少なく、奥の厨房で佇む調理師も汚れた皿やフライパン、その他の食器等を今のうちだとでも言うようにせっせと洗い流している。銭湯の常連客の噂ではここで昼間働いているらしい幼馴染の姿はどうやら見当たらず、やはり看板娘が聞いていた話は単なる噂であり、ただでさえ仕事に対して普段からやる気のやの字も見られない彼が、ましてや見知った客以外は少々顔見知りでもあるというのに、不特定多数の、しかも若者ばかりが集まるこの店で働こうとする理由やメリットは一つもなかった。
「ヨリちん、見て見てー! おっきいパフェ!」
「そんなの頼まねぇぞ」
「えー、ケチんぼ。これからヨリちんの事、ケチちんって呼んでやる」
それ、絶対に呼びづらくないか。そう反論をしようと思いつつも様々なメニューの食品サンプルが並べられたショーケースを眺めていると、本当に微かなものだったが外で誰かが揉めているのか、近くも遠くもない場所で騒ぎ立てている声がどこからか聞こえてきた。
「…お前、先に店ん中入ってろ」
「おしっこ?」
「ま、そんなとこ」
「早く戻ってこないと、勝手に頼んじゃうからねー!」
「別にいいけど、千エンまでだかんな! いいな!」
「はーい!」
面倒事には出来るだけ関わりたくない性分だったが、妙にその存在が気になっては仕方がなかった。とは言え、まだ小さい看板娘を危ない事に巻き込む訳にはいかず、彼女には先に店に入って待っていてもらうように促し適当にその理由をごまかしては、カウンターに座って楽しそうにメニュー表を眺める姿を見届けてから、一人その声の発信源となる場所を探しに店の側の細い路地へとそっと足を踏み入れた。
(確か、こっちの方から聞こえたんだよな)
新しく立てたと思われる店の割には周囲の手入れまでは管理できていないのか、背の高い雑草が無数に生い茂っており、腕で掻き分けるようにずいずいと体を前へと進めていくと、数十秒後にはそれなりに広い裏庭のような敷地に出て、しかしその一辺もぼうぼうと生命力の強そうな草達が土の地面を覆い隠していた。その中で唯一、小さな掘立小屋のような建物に繋がる小道だけはかろうじて存在し、道標のように伸びたその道を、様子を見ながら静かに辿って行くと、どうやら声の主はその中で何やら妙な騒ぎを起こしているようだった。
(…若いな。カツアゲでもしてんのか?)
そっと建物へ近寄り壁に背を預け、自分より高い位置にある少しだけ隙間の空いた窓へとそっと耳を澄ませては、中で交わされている数人の会話を盗み聞く。どうやら無理矢理にここへ連れてかれたボーイが一人、そしてガラの悪そうなボーイ二人でその一人を囲んでいるという状況だというのはすぐに理解した。今まで散々生きる為とはいえ、物を盗んだり体を売るような商売をしていた自分がどうこうしようなどと言う資格はないかも知れないが、弱い者いじめのように絡まれているのを見かけて放っておける程まで性根を腐らせたつもりはない。これ以上大事にならないうちに助けてやるのが筋というものだ(あまり気乗りはしないが)。
そう思い、気付かれていない今のうちに入口から奇襲をかけようと、そっと足音を立てないよう一歩その場から踏み出したその時。自分の耳を疑いそうになるくらいに想像もしていなかった名前が建物の中から聞こえ、思わず体を強張らせてしまった。
「…ねぇ、マゴさん」
「っ…!」
妙に蕩けた声でボーイが零したその人物の名前は、明らかに幼馴染の綽名であり今では恋人である彼に間違いはなかった。と言えど、さすがに聞き間違いではないかと自身の耳を疑うも、その直後に漏れた弱弱しい悲鳴のような泣き言に確信をする他なかった。
「…や、やだ…やめて、くださ……」
(ま、まさか…本当に…!)
カツアゲにしてはどうも雰囲気が甘すぎる。数ヶ月前の古い油田の中で目の当たりにしてしまったあの二度と見たくもない最悪の光景がふと頭の中に浮かんで、気付いた時にはもう勝手に体が動いていた。それでも穏便に済ませるつもりではいるものの、焦燥した心が油断をした途端に手を上げそうになるものだから、我ながら自制心というものが微塵たりともない。それでもなんとか、滾る思いを奥底へと無理矢理に抑え込みながら、ぐいぐいと踏み荒らすように建物の中へと侵入していく(ここでようやく、屋外トイレだった事に気付く)。そこに広がっていたのは洋式便器の上で涙目になりながら縮こまっている幼馴染と、そんな彼の肩を掴みながら真っ赤な顔で何かを告げようとしているボーイ、そしてもう一人、その傍で何やら背中を押している友人らしきボーイが狭い一室の中でぎゅうぎゅうと押し入っていた。その状況を視認した瞬間、自分でも驚く程に素早い動きで首に掛かったオーロラヘッドホンを掴み上げ、その勢いで一歩後ろに下がった彼の首に腕を回しては締め上げるように力を込めた。
「一体コイツに何をしようとしたのか、テメーにゃ洗いざらい吐いてもらうからなー!」
「ず、ずいま、ちょ、ギブギブ! 息、で、きな、うえぇえっ」
「ヨ、ヨリ! 死んじゃう死んじゃう、それ以上はヤバイよ!」
以上男四人、狭いトイレの中で建物そのものが崩壊するのではないかと心配になる程にドタバタ暴れ回ったのが今から三十分前の話で、現在は幼馴染に宥められ渋々看板娘の待つ店へと、前を歩く二人組に睨みを利かせつつ再びぼうぼうに生い茂った雑草の掻き分けながら重い足取りで向かった。ようやく帰ってきた店の中では、信じられない程に高く大きないちごパフェを黙々と食べ続けている看板娘がいて、こちらの存在に気付いたのか、ぷんぷんと頬を膨らませ文句を垂れながら、しかしアイスを掬う手は止めずに早く来いとでも言うように手招きをしていた。
「ヨリちん、遅いよー! もしかして、うんこ?」
「違ぇーよ、アホ! こっちはこっちで色々あったの!」
「あっ、マゴにいだ! ほんとに店員さんしてるー! かわいいー!」
「か、かわいい、とは…?」
そう叫びをあげながらきゅるきゅるとしたピンクの瞳で見上げる看板娘の向かいに、不思議そうに首を傾げる幼馴染が、そしてその隣りに自分が座り、そして一つ席の離れたテーブルに二人のボーイを無理矢理に座らせた。気まずそうに肩を震わせている彼らに早速尋問をかけようと思ったその時、店の奥からなんだなんだと様子を伺いにきた、これまた見覚えのあるボーイが気楽にも欠伸をしながら近寄ってきたものだから思わず目を疑った。
「なんでテメーがここにいんだよ」
「何でって、そりゃあ…この仕事、マゴさんにお願いしたの俺だもん」
「あぁ?」
看板娘の隣りに腰を下ろし、さり気なく笑顔でハイタッチを交わしながら(瞬間、幼馴染の表情が少し強ばったのを確かにこの目で見た)、意気揚々と未だ大量に残っているいちごパフェをちょいちょいとつついているのは確かに自分のよく知るボーダービーニーを被っている知人で、さぞ当たり前のように美味しそうに呆けた顔でバニラアイスを頬張っている。
「まさかセクハラされてたなんて知らなかったよ。言ってくれたら対処したのに」
「おい、今なんて」
「そ、そんなの言える訳ないじゃないですか…」
「ま、確かにね。俺でも恥ずかしくて言えないなぁ、同性の客に尻触られて困ってるだなんて」
「尻触られてただぁ!?」
「ひいぃ!」
「ヨ、ヨリ! 落ち着いて落ち着いて!」
そんな全く想像もしていなかった目に余る行動が他にも行われていたとは露知らず、ただでさえ幼馴染に無理矢理に迫ろうとした事にも怒りが収まらないというのに、それだけでなく、ここで働いていた数週間の間に何度もそんなセクハラを受けていたと知ってはさすがに居ても立っても居られず、勢い良く椅子をひっくり返す程に立ち上がっては身を乗り出して胸倉を掴もうとするも幼馴染に必死に引き止められてしまった。
「お前なぁ、サツに突き出されても仕方ねぇような事をしてるコイツらが悪いんだからな! 一発くらい、ぶん殴らせろ!」
「ま、待ってよ! その、彼も、悪意があって、した、訳じゃ」
「悪意以外の何があるってんだよ! くっそ…俺が、どれだけ、心配したと思って…」
「あっ…ご、ごめん…」
被害者であるはずの幼馴染が二人を庇う様子に自然と滾っていた気持ちがじわじわと消沈していき、どこか悲しみを帯びた胸の奥がゆっくりと再び腰を下ろさせては嫌になる程にげんなりと重い溜息をその場で吐いた。すると、同じく瞼を伏せながらしょんぼりと一言頭を下げて謝り座っていた席へと静かに戻っていった彼を黙って眺めていた、素知らぬ顔でいちごパフェを食べ続けていた知人が、呆れた顔で二人のボーイを覗きながらしんと静寂に包まれた店内で閉ざしていた口をそっと開いては言った。
「…君たち」
「は、はいっ」
「マゴさんにこれ以上付き纏わない事を約束してくれるのなら、このまま帰してあげる。ただ、次はないよ。二人も、それでいいですよね」
「あっ…はい。俺は、いいです」
「……チッ。二度と俺の視界の中に入るんじゃねぇぞ。いいな!」
「ご、ごめんなさい! ごめんなさいでした!」
ぎろりと力の限り若い二人のボーイに睨みを効かせ、慌てて持っていた荷物を纏めながら軽く頭を下げ早足で店を出て行こうとする二人を横目で眺めていると、隣りに座っていたはずの幼馴染までもがその背を追い掛けるように店を飛び出しては、既に逃げるように外へと掛けていく二人の肩を掴んでいた。
「お、おい!」
一体何をする気なんだ、と彼に続いて追い掛けようとするも首を横に振った知人に腕を掴まれ、舌を打ちながら渋々その場に留まっては仕方なく様子を見る事にする。すると、相変わらず体力のない視線の先の幼馴染が息を上げながら彼の名前を呼ぶと、振り返ったオーロラヘッドホンのボーイが恐る恐る声を上げた。
「アッくん。ちょっと、待って」
「ま、まだ、何かあんのかよっ」
未だ腰の引けている彼を前に、長身の幼馴染が少しばかり腰を曲げ膝に両腕を当てながら視線の高さを少し下げると、いつも首より下へ降ろしている一つに纏めた髪がだらりと胸元へと落ち、真っ赤に染まった頬を見詰めながら言葉を続けた。
「…さっき、君が言おうとしてくれた言葉。俺、まだ聞いてない」
「っ…もういいよ。散々迷惑掛けた上にそんな我儘、聞いてもらう訳にいかないし」
気まずそうに合わせていた視線を逸らし、隣りで心配そうにその様子をただ見ている事しか出来ないもう一人のボーイと、その二人を優しい灰色の瞳で見つめる幼馴染を少し離れた店の中からただただ無言で眺めていると、不思議とどこか古い記憶の中で確かに存在する温かさを思い出したような気がした。
「…後悔、しない?」
「え?」
「あそこまでして伝えようとした言葉を、もしかしたらこの先一生言えないままになってしまうとしたら、本当に君は後悔しないのかって、聞いてる」
「そ、それは…」
「俺は、怒らないよ。それに、迷惑なんかでもない。その言葉が、君の本当に正直な気持ちであるのなら、どんなものでもきっと嬉しいに決まってるもの」
少しばかり吊り上がった瞳が大きく開く程に丸みを帯び、つやつやの紫色の頭をそっと優しく撫でた幼馴染は微笑みながらそう呟いた。相変わらずの弱々しさが目立つ声だったけれど、その言葉にはどこか熱い意味が込められているようにも感じて、引き止めようとした心はいつの間にやらどこかへと消え失せてしまっていた。
「…マ、マゴ、さんっ」
「はい、なんでしょう」
体の脇に降ろされた、爪が食い込む程に握り締められた拳がぎりぎりと軋んで、ずっと俯いたままだった顔を勢い良く上げたかと思えば、その表情はつい先程までのあくどいものはひとつも浮かんでおらず、ただただ純粋なまま前を向き、がむしゃらに突き進む年相応の子供らしいボーイ以外の何者でもなかった。背伸びをしたがる年頃故の、下手くそでほんの僅かな力で剥がれてしまうような仮面を被っていただけだったのかも知れない。目頭に小さな雫を浮かべながら、その粒を弾くように力いっぱい目を瞑り、真っ赤に染まり流れるように頬を滑るそれをぶっきら棒に右腕で拭うと、肩を震わせしゃくりを上げながら奥底で沈んだままの言葉を一気に吐き出したのだった。
「お、俺…あの店で、アンタを見たあの日からずっと、いつか、きっと言おうって思ってて」
「うん」
「でも、こんな気持ち、迷惑だって分かってた。それでも、一度気付いちまってから歯止めが効かなくなって。どうにかこっちを向いて欲しくて、アンタに酷い事ばっかりして…」
「…うん」
「それでさっき、今日でいなくなっちまうって店長から聞いて、俺…いてもたってもいられなくて! どうしても、話、聞いて欲しかった。だから…!」
「アッくん…」
「ごめっ…ん、なさい…! お、俺っ…マゴさんの事、好き、でした…! でも、それは今日で終わりにします。だから、マゴさんも俺なんかさっさと忘れて、早くあの人んとこ、に…」
そこから先は、まるでスローモーションのように流れている時間の中で、幼馴染の一つ一つの行動がコマ送りで動いているように見えた。泣きじゃくりながら一生懸命に全てをぶつけようと必死に綴る一回り小さな体を胸に抱いて、しかし、すっぽりと収まって店の中からでは見えなくなってしまったその表情がどんなに驚きに満ちているかくらいは嫌でも想像が出来た。たった数秒の事だったというのに、何十秒、何十分にも感じたその瞬間は何故だか自身の中でも怒りが生まれる事は無く、寧ろ、人見知りのはずの幼馴染がよくもこんな大胆な行動が出来たと変に感心してしまった程に。
「アッくん、ありがとう」
「あっ…の、その…」
「…でも、ごめんな。こんな俺でもさ、好きな人…いるんだ。だから、君の気持ちには応えられない。でもさ、俺達って…なんとなく、不思議と気が合うような気がしないか」
「そ、それって…どういう」
「…おーい、ヨリ! 悪いけど、ちょっとこっちに来てくれないか!」
数メートル先でそう、にこやかな笑顔で突然呼ぶものだからしっかり吐き出したはずの返事もどもりが混じり、背後でにやにやと嫌な視線を刺しているだろう二人の悪魔(妙に気が合うのか、先程からこそこそと謎の会話を交わしている。正直怖い。恐ろしすぎる)を無視して、手招く彼の側へと逃げるようにすぐさま駆け寄った。
「あんだよ、急に。話終わったのかよ」
「あぁ、うん。いや、あのね…一応言っておかないとダメかなって思って」
「だから、何を」
「この子たちに、暇な時にでも店へ遊びにおいでって、今し方誘ったとこだったからさ」
「……はぁー!?」
あまりの予想外すぎる話の展開に、一体彼が何を言っているのかすぐに理解する事は出来なかった。さぞ当たり前のように衝撃的な事実を平然とした顔で零す幼馴染と、その横で自分以上に冷え切った汗をすっ飛ばしているボーイ二人が、そんな話はしていないし明らかにそれはまずいのでは、と言葉にせずとも分かってしまう程必死に血走った目で心配そうに訴えているのが分かった。
そもそもこの幼馴染はつい直前まで話していた契約を既に忘れてしまっているのか知らないが、彼らとはこれを機に縁を切るという話で交渉成立したはずだと言うのに、今度は自分の店にまで遊びに来るよう誘おうとしているその気楽さに思わず頭を抱えた。
「はぁ…ったく、お前ってヤツはよ。自分がコイツらにされてきた事、分かって言ってんだろうな」
「え、うん。分かってるよ。でも、もう大丈夫だから」
「大丈夫って…何を根拠に言ってんだよ!」
「んー…えっと、その…なんとなく、かな?」
握った拳を口元に当てながら、目線を逸らしながら首を傾げそう呟く幼馴染に心底呆れて、文句を零す気力さえ無に等しい状態になってしまっていた。至極当然と言ったように真顔でそう言い放った彼は、何故自分がそのような気持ちに陥っているのかさえ理解しているかどうか到底怪しいもので、変なところで頑固さを持っている事もよくよく身に染みて分かりきっている為、今更反論するつもりは微塵もなかった。
「…わかった、わぁーったよ。お前のしたいようにしろ。ただし、さっきも言ったが次はねぇ。いいな?」
「だってさ。ふふ、良かったね」
「あっ…ありがとう、ございます! ヨリちんさん!」
「誰がヨリちんさんだ、誰が! 生意気なんだよ、このこのっ!」
「いたた、いってぇ! あは、あはははっ」
相変わらずの調子の良さに腹が立ち、後ろから両脇で二人の首を締め上げると、苦しげな声を上げるもどこか楽しげで、もがきながらもげらげらと腹を抱えた彼らにつられ、口元を歪ませながらもみくしゃに頭を撫でてやると、ふと視界に入った幼馴染の自然に浮かんだ優しい笑顔に少しばかり痛みの生じていた胸の奥がゆっくりと和らいでいった気がした。
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