***


「…あぁ、うん。話は聞いてる。一応、彼女の家も調べてはあるから、もしもの事があっても大丈夫だと思う…が。あんまり頼りすぎるのはやめてくれよな。絶対、なんて事ぁ保証できないぜ。それじゃ、また後で」
「もう動いたんか?」
「どうやらそうみたいだ。マゴさん、結局号泣だったって」
「…ま、そうじゃろねぇ」

 暗い路地裏で響いた高らかな電子音、ワンコールで取った電話の相手は予定通り昔からの知人であるヨリだった。約束していた時間の通り、銭湯の看板娘こと、リンちゃんを迎えに来た母親と別れ、聞かされていた計画の通りに仲良く手を繋いで家へと帰る親子の後をこっそりと追う事に成功した、との旨の連絡であった。今し方電話越しで話していた、以上の事柄を隣りで真剣な顔つきで聞いているボンボンニットのガールに説明をしてやると、その顔色を窺ってみればどうやら未だ彼女の心は晴れないままのようだった。

「…ダビデのおっちゃんは、どう思う?」
「どうって…それなりには調べてはあるけど、あの子の母親はどうやら黒い繋がりも特にないようだし、心配する事もないと思うんだけどなぁ」
「そう…」
「寧ろ、俺は焼きイカちゃんの事を聞きたいくらいだよ。今回の件、正直なところ無関係としか思えない君が、一体あの親子の何を気にしているのか、ね」

 そうさり気なく疑問を本人の目の前で落としてみるも、どうやら自分の声が聞こえない程に深く考え事をしているようで、その回答が返って来る事は残念ながらなかった。
 今現在、暗い路地裏の中で昨夜のうちに立てられたというある即興計画の元、自分の隣りに待機している彼女は、ヨリとその幼馴染のマゴさんの友人であり、つい先日も彼らと自身を含む三人が危うく大変な事になりそうだったところを助けてもらった命の恩人でもあった。

「ねぇ、焼きイカちゃん」
「あ、えっと…めんごめんご。何の話してたっけ」
「…ひとつくらいは、教えてくれないかな。どうして俺と一緒に行動しようと思ったの?」

 色々と借りっぱなしの借りもある為、あまり深くまで問い詰めるつもりはなかったがどうしても気になっていたその一点だけは、少々悩みはしたものの彼女の口から聞いておきたいと思ってはいた。その気持ちが伝わったのか、真剣な眼差しで彼女へ視線をぶつける自分に対し、一息をついてから仕方なしにとこちらを見上げピンク色の瞳を覗かせると、澄まさなければ聞き逃してしまいそうな小さな声でぼそりと呟いた。

「……知りたい事があるの。とても、大切な事」
「大切な、事?」
「確信はないから、断言は出来ないよ。でも、アタシ自身の目で確かめたいの。ただ、それだけ」

 そう話す彼女の表情は確かに嘘偽りなく、ただの面白半分で自分に付いて来ている訳ではない事ぐらいは誰にでも分かるものだった。そう簡単に詳しく話せるような内容ではない事をすぐさま察知し、そろそろ目的の親子二人の姿が見えてくるだろうと思いひょっこりと表の大通りを覗いてみようとした時。右手に握っていた携帯電話がぶるりと震え、咄嗟に画面を確認してみれば発信者は先程電話で話したばかりの相手だった。やれやれ、と小さく溜息を吐きながら、五回程コール音が鳴ったところで緑色の通話ボタンを指先で触れる。

「はい、もしもし…うわっ! なんだよ、うるさいな。仕方ないだろ、色々と取り込み中だったの。それで何? …あぁそう、分かった。じゃあしっかり見張ってるから、とにかくこっちで合流し…な、なんだって? 電車に乗った!? ヒラメが丘団地の方…って、全然真逆の方向じゃないか。くっそ…分かった。こっちの方がまだ近いから、二人で向かうよ…あぁ、オッケ。それじゃ」

 淡々と話を終え、あっさりと通話を切ったその直後。崩れ落ちるように腰を下ろし、しゃがんでは俯き落胆する自分の傍で心配そうに言葉を掛けてくれる焼きイカちゃん(ただし、慰める声は軽い)を余所にがっくりと肩を落とした。

(まさしく文字通り、してやられたってヤツかぁ)

 ヨリとその友人であるマゴさんの追跡はどうやら看板娘の母親に上手く撒かれてしまったらしく、その際逃げるように乗り込んだ電車がヒラメが丘団地行きのものだった、という。
 今現在彼女が住んでいるはずのアパートの近くで張っていたつもりだったのだが、どうやらこちらの住まいはこういう場合を想定した時の為のフェイクだった、という事である。

「はぁ…どうやら、嘘情報に引っ掛けられちまったみたいだな。プライドが粉々どころか擦り潰しって感じだよ」
「ほあぁ…まぁ、そういう時もあるって。それに、今から行けばなんとか間に合うべ! アタシ、よくあそこ行くから近道知ってるし」
「おっ、ほんと?」
「ムフフ〜。そこの団地、パッチンくんが住んでるところだからよく遊びに行くんだぁ。ケツに乗っけてやっからよ、とりあえずバイク取りに行くべ!」

 ふふんと腕を組みながら仁王立ちでそう告げる彼女の言葉を煽てながら、ぱちぱちと乾いた拍手で適当にお褒めの言葉を掛けてやる。どうやら思ってもみていなかったアクシデントは、このまま上手い事ご機嫌取りをしていればなんとか回避できると察し、大通りではなく路地裏の更に奥、人一人通れるか通れないかという細い道を我先にと辿っていく彼女の背中を追ってはほっと胸を撫で下ろしながら早足で駆けた。

「後でアイス奢ってもらうかんなー!」
「えー、そんなカネ俺ないぞ〜」
「じゃー、おっちゃんが仕事ミスった事、色んな人にバラしちゃうもんねー!」
「は!? あぁもう、分かった! 分かったから、それだけはやめて!」

 意外にも策士な取引を要求してくる彼女に思わず苦笑しながら、道添に佇むゴミ袋と段ボールの山々を器用に避飛び越えつつ、物凄いスピードで走り抜いていく彼女を見失わないようその小さな背中を必死に追い掛けた。


***


「…ったく、あのバカ! 話が違うじゃねぇかよ!」
「まぁまぁ、そうぷんすか怒らないの」

 幼馴染である彼の知人、ダビデさんから伝達されていた情報の通り、このまま真っ直ぐ向かうであろうと思われていたアパートとは正反対の方向へと歩み出した看板娘とその母親は、想定外にもヒラメが丘団地行きの電車に乗って姿を眩ませてしまった。かと言って、こちらが後を付けている事に気付いたという訳ではなく、元々そのつもりだったかのように足は迷いを知らず、ずんずんと看板娘を連れてはまるで初めからそのつもりだったかのように前へ進んでいるようにも見えた。

「いつから引っ越してたんだろう」
「さぁ。一応、情報屋やってるアイツを騙す程だ。こいつは何か裏があるとみて間違いないと思うぜ」
「…う、うん」

 今から三十分程前。約束していた時間ぴったりに店へと訪れた看板娘の母親は、自身の娘の顔を見た瞬間に涙を溢れさせながら駆け寄っては力いっぱいに抱き締め、それはさぞ嬉しそうにその再会を喜んでいるように見えた。看板娘自身もわんわんと泣き崩れ、ママ、ママと何度も呼びながら綴っている様子を眺めては、やはり本当の母親の元で生きる事が正しいのだと知らしめられたように感じて、二人に掛けるべき言葉はもう何も思い浮かぶ事はなかった。
 結局、永遠の別れという訳でもないのに互いに号泣しながら二人を見送った後(隣りに立っていた幼馴染は少し引いていた)、その姿が小さくなりつつある頃合いを見計らっては、向かい合った幼馴染と無言で頷き合い慣れない尾行作戦が始まった。
 初めはこそこそと秘密裏で誰かを嗅ぎ回すような行為に対し罪悪感があったものの、母親である彼女が看板娘と二人で住むというアパート(ダビデさんが既に調査済みではあったものの、別れる直前に本人の口から直接教えられ、いつでも会いに来ていいと言われていた)と全く別の場所へと向かおうとするものだから、さすがに疑問を持たずにはいられない。もしかしたら、どこか途中で買い物へ行ったり二人にしか分からない思い出の場所を巡ったりする予定があったのだろうか、とも考えてもみたけれど、迷いなくヒラメが丘団地への電車へ乗り込んだ瞬間にその可能性はほぼなくなってしまった。

(どうして彼女は、そこまでして他人からの接触を避けようとするんだ…?)

 看板娘と銭湯で住むようになってまだ間もない頃に、彼女は確かに言っていた。年齢的にはもう相応の友達がいて、そんな子達と一緒に遊んでもいい年頃だというのに、自分に会う前は部屋から出る事はおろか、一人で外を歩いた事も買い物へ行った事も、ましてや友達一人作った事も無いと。近くのスーパーへ買い出しに二人で行った時も、ここは何を売っているお店ですか、と問い掛けられたものだから心底驚いたのを今でも覚えている。つまり、彼女は両親と暮らしていた頃までは確実に、常に部屋の中で幽閉まがいの事をされていたと言っても過言ではない。

(箱入り娘…にしては、あまりにも酷過ぎるだろう)

 看板娘自身、身体に傷があったり何かトラウマを持っていたりしていた訳ではなく、ただただそれが当たり前だったという認識があるだけのようだったので、恐らく虐待の類はなかったと思われるものの、やはりその異常とも言える軟禁生活は誰の目から見ても不審に思えるものだった。
 肩に掛けたショルダーバッグを握り締めながら、そんな事を考えながらふと隣りを見遣ると、どうやら同じく頭を悩ませながら目を閉じ腕を組む幼馴染がいて、こちらからの視線に気付かない程に思考を深めている彼の名を恐る恐る呼び掛けた。

「…なぁ、ヨリ」
「……あ? どうした」
「いや、その…ごめんね。色々、巻き込んでしまって」

 真昼間の無人の駅のホームで二人、数分後に辿り着くヒラメが丘団地行きの電車を待っている中。ふわりと優しい風の流れる見晴らしの良い景色を背後に、自分でも聞こえない程のか細い声で胸の奥に落ちていたものをぽろりと零した。

「なんだよ、急に」
「…あの日から今日までずっと、散々迷惑ばっかり掛けてて。何一つ、俺はお前に返せてないんじゃないかって…時々、不安になる」

 とても遠い場所から高らかに空へ響かせている警笛の音が聞こえる。視線も合わせずに雲一つない空をじっと眺めながら、無言のまま動かない彼を気にも留めず、ぼんやりと頭の中に浮かんでゆく言葉をそのまま続けた。

「ヨリがいなかったら、俺はここにこうして立っている事さえ出来なかったのかも知れない。あの子の傍にいる事も、じいちゃんから引き継いだあの銭湯を守る事だって、そうだ。だから…」
「だから?」
「へ?」

 唐突に疑問符を挟んだ幼馴染に思わず隣りに目を向け、じっとりと不機嫌そうな細い目で睨みつけてくる視線に思わずどきりと体を震わせると、ずいずいと一歩ずつ距離を縮め始めた彼にたじろぎながらも答えた。

「だから、なんだっつーの」
「いや、だからぁ…」
「それで俺が不幸だと思ってる、なんて思ってんじゃねぇだろうなぁ。あぁ!?」
「ひぃい! ごめんなさい、その通り、で…」

 威圧されたせいでゆっくりと後退さった先、ついにホームの支柱に背がぶつかり突風と共に回送電車がすぐ側を駆け抜け、瞬間、見上げた先で彼が口にした言葉を一つも聞き取れず慌てて聞き返そうとしたその直後。

「んっ…!」

 被っていたエゾッコメッシュを手に取られ、重なった二人の顔を隠すように立てては影を作ったその中で、彼の腕に腰を抱き寄せられながら柔らかな唇同士がそっと口付けを交わした。力ずくでもなく、浮ついた風のように軽い、まるで触れるだけの優しいその口付けに頭の中はぼんやり蕩け、危なく腰が抜けてずるずるとその場に沈んでしまいそうになるのを、力の入らない足で必死に食い止める。

「…もう、言わなくたって、分かるだろ」
「あ、う…もう、ばかっ…!」

 口角を上げながら器用にも指先でくるくると回していた愛用のエゾッコメッシュを投げるように返却され(飛ばされたらどうしてくれるんだ)、頬を膨らませながらぶつくさ文句を言いつつ被り直せば、ようやく乗る予定だった電車が到着するアナウンスが流れ、苦笑を漏らす彼の背中をぱんと音を立てて叩いた。

「いでっ」
「外でそんな事するなんて、信じられない」
「うっせー。分からず屋に分からせてやる最大の方法だろが。文句言うな」
「……ちぇっ。アホヨリの癖に」
「何か言ったかよ」
「いいえ。なんでもございませーん」

 がたごとと線路を辿りブレーキを掛けながらゆっくりと目の前に止まる電車の扉が開き、中から降車する客を避けて一気にがらりと空いた車内の端っこに二人、詰めるようにちょこんと腰を下ろした。昇る太陽の日差しが窓から差し込み、通路を照らすその光のぬくもりがまるで小さな頃包まれた事のあるような温かみに思わず瞼を下ろす。その中で握られた手に笑みを零しながら、そっと開いた先で彼の顔色を窺えば、そっぽを向けるその表情はほんのりと赤みを増していて、結局目的の駅に着くまで絡み合った指は離さないままでいた。

(…ありがとう、ヨリ)

 微睡みさえ感じる長いようで短い、たった数十分の時間が長らく自身を不安にさせていた悩みを浄化してくれているような気がして、あまりにもちっぽけすぎる、あまりに調子のいい自分自身に声にならない声で小さくこっそりと苦笑した。


***


 これが自分達にとって、一番の幸せなのだと疑った事は一度もなかった。

「おいで、リン」

 銭湯の店主から迎え入れた娘の表情はどこか寂しげで、別れを告げた後も後ろを振り返ってはもう遠すぎて見えない彼らの存在を何度も探していた。
 そんな彼女の行動に気付かない振りをしたまま、つい最近住んでいたアパートから引っ越していた、まだ誰にも教えていないヒラメが丘団地の最上階、一番端の部屋まで長い長い階段を上り、向かう途中彼女が背負っていた小さなリュックサックを代わりに持ってあげると、直後にありがとうと零しながら掲げた笑顔があまりに眩しく堪らずその視線を外してしまった。
 ようやく辿り着いた部屋の鍵を開け、ドアノブを捻り二人奥へと足を踏み入れると、中にはほとんど物は置かれておらず、娘が生まれる前から使っていたダイニングテーブルと椅子だけが三つ、キッチンの前で寂しそうに佇んでいる。

「今日から、ここがおうち?」
「…そうよ。今まで、苦労を掛けてごめんなさい。もう、楽になれるから」

 そう小さな声で呟けば、はい、と元気な声で手を上げ頷く娘につられて少しずつ帯びていく胸のぬくもりがを感じて自然と口角が上がる。
 襖を開け、もう一つ奥に広がる小さな居間へ入り、肩に掛けていたショルダーバッグと小さなリュックサックを真ん中へ置いて、畳が敷き詰められた床にそっと腰を下ろす。ふう、と大きく息を吐きながら体を転がすと、見上げた天井を背にこちらを見下ろす娘が何故だかおかしくて、心の中でずっと思い悩み続けていたものがちっぽけなもののようにも感じた。

「ママ…どうしたの? 調子、悪いの?」

 上半身を持ち上げ、すぐ傍で心配そうに見上げる娘の頭をそっと手のひらでなでると、それが嬉しかったのか腰元へと両腕を伸ばしぎゅっと体を寄せてきた彼女に応えるよう、その小さな体を包み込むように抱き返した。懐かしいその温もりと、未だ消え失せていなかった彼女の母親という自覚。それに対しての滲むような罪悪感が確かに自身の何かを蝕んでいくようにも思えた。

「…ねぇ、リン」
「なに?」
「今から、本当の事をあなたに話します」
「ほんとの、こと…?」

 本当の家族なのだから、隠すべき事など何一つない。もう二度と話す事はないと思っていたけれど、彼女の存在が目の前にあると分かっている今、これから実行するべき事柄を行う前に全てを話すのが正しい順序だろうと覚悟をしていた。腕の中で不安げに縮こまる娘を抱いたまま、その耳元に口を寄せた直後、恐らく彼女が知る由もなかった事全てを、戸惑う事なく吐き捨てるように綴ったのだった。

「…あなたのお父さんは、私のせいで死にました」
「えっ…?」
「親が子へ与える愛情とは明らかに違う、危険な愛情をあなたに注ごうとした彼からリンを引き離す為には、私は無理矢理にでも離別するしかないと力ずくで全てを押し進めました。それでもしつこく異議を申し立てる彼から逃げるように、身も心も疲弊した私があなたを連れて海に身を投げたあの日が、今から数ヶ月前の事になります」
「マ、マ…何、言って…」
「消息不明になった私達に絶望したあの人は、自分の今までの行いが全て原因であると考え、三人で暮らしていたあのアパートの中で首を吊って死にました。その死体が発見されたのは最近の事だったけれど」

 淡々と流れていく言葉に理解が追い付いていないのか、目を見開き何度も瞬きをしながら自分の話を聞く娘の律儀な姿に、危なくとっくの昔に決めた覚悟が崩れそうになった寸前で唇を噛み締め、腹の底から浮かびかけた何かを飲むように押し込んでは、力ない微笑みを掲げながら溜息交じりで何も言葉が出なくなった娘を見下ろしてはゆっくりと告げた。

「…本当は、お別れなんてしたくなかった。でも、私を捨ててあなただけを一人のヒトとして愛そうとしたあの人だけは、どうしても許せなかった。あの人の心を奪ったあなたを、一度だけ…恨んだ時もあった。最低、だよね。酷い、母親だよね…。みんな、血の通う家族だったはずなのに、どうしてこんな事になっちゃんだろう…もう、分からない。私、分からないのっ…!」

 気付かない間に瞳に浮かんだ涙が頬を伝って娘の額にぽろぽろと落ちては弾け消えていく。何度も何度も拭っても止まる事の知らない涙を受け止め続ける彼女はとても寂しげに俯き、しかし何かを考えているかのように自身の着るエゾッコパーカーアズキの胸元を強く握り締めていた。その不思議な光景に堪らず、リン、と名前を呼ぼうとした直前、その声を遮るように場違いな程に明るく逞しい声が居間の中でぽつりと零れ落ちたのだった。

「ねぇ、ママ」
「っ…な、に…?」
「…パパのところ、行こうか」
「えっ…?」
「今日も、本当はそのつもりだったんだよね。あの日と、同じように」
「リン…」
「…二人なら、怖くないよ。一緒にごめんねって、パパに謝ってあげるから。そしたらママは、あたしの事、許してくれる…?」

 寂しげに微笑んだ娘の瞳から感じる強い意志と、弱弱しくもしっかりと手を握り、自身に全てを託そうとしてくれる彼女の訴えはあまりに辛く悲しみに帯びていた。
 共に海へ身を投げ自殺未遂を起こし、一向に目を覚まさずたった一人で旅立たせてしまったと思っていた娘を置いて一人、どこか人目のないところで今度こそ楽になりたい、急いで後を追わなければ、そう何度も思い、行動に移そうとするも背負い過ぎた罪の重みに一歩踏み出す事も許されず、放浪するように転々と街を彷徨っては同じ事ばかりを繰り返していた。そんな自分を未だに母親と慕ってくれる、今まで酷い扱いばかりしてきてしまったというのに、最期まで傍にいるとこの手を取ってくれた、あまりに出来過ぎた目の前の娘の優しさが嬉しくもありどこか酷く悲しくもあった。

「…ママこそ、ごめん。ごめんねっ…こんな、生き方しか出来なかった私を、許して…。リンッ…!」

 居間の隅に置かれている茶色のダンボールの中に詰まった、真っ黒の木炭の山と小さな古びたコンロ。ふと振り返った先の潤んだ視界の中へ映った二つを見据え、痩せ細った自身の体に小さく震えながらも力一杯に抱き着く愛おしい存在を見下ろしては囁くように小さく呟いた。




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