あの日から、絶対に諦めないと心に決めていた。父が亡くなっていたこと、母が自分以上に辛い思いをして今までを過ごしていたこと。子供ながらに両親の抱いていた気持ちを一日でも早く理解したいと思い、和解した母と毎日を過ごすようになって数年が経った今、自分は今ようやくスタート地点に立つことが出来たのだと感じる。いつかきっと、自分を守ってくれた大切な存在を守れるような強い自分になりたい。そう祈りながらパブロを握る手に力を込めた。
 ある日をきっかけに出会ったマゴとヨリは命の恩人であり、家族同然の父親のような、はたまた年の離れた兄のような二人と一緒に過ごした日々は今でも、そしてこれからも忘れられない思い出のひとつだった。あの頃と比べれば少しばかりは成長し、姉の焼きイカと共にナワバリバトルに励む毎日を送っている。愛用しているパブロも昔マゴが使っていたという代物で、今では大事な宝物の一つになっている。そして今、それを贈ってくれた皆と共に肩を並べて戦えることが誇らしく思えた。

「チッ、うっぜえ動きするぜ!」
「何してんだ、挟み撃ちでボコすぞ!」

 敵陣、テントの上から降りてきたエラブリースマスクのボーイが操るシャープマーカーネオのインクの連射をパブロの筆先で叩き落すように防ぎ、インク切れを狙ってその攻撃を必死に耐える。今にも彼が背負うインクタンクが底をつくタイミングで懐へと入り込もうとした直後、スロープを飛び越えたイカバッテンガードのボーイが後ろに回り自身の背にノヴァブラスターネオの銃口を当てられ、まずい、とインクの海へと逃げるべくイカ状態になろうとした瞬間。

「バ〜カ〜め〜」

卑しい声を耳にして、突如として現れたコースロープからなんとか逸れようとイカ状態で出来る限りの距離を真横に飛んだ。そっと振り返ると今までにない程のにやりと口角を上げた焼きイカちゃんが大きなサメの形をしたフロートに乗り込んで、壁へと激突する勢いで二人の方へと飛沫を上げながら物凄いスピードで突っ込んでいった。破裂音と共にふにゅうと抜けた二つの魂を見上げて堪らず笑ってしまう。

「さすがお姉ちゃん!」
「おーっほっほ! ブイブイ言わすモンならアタシに任せとけい! ほれ、今のうちに塗るんじゃ!」
「オッケー、ラジャ!」

 振り向くと中央にはアナアキスクエアグラスのボーイと牽制し合うヨリ、少し離れた自陣からサポート射撃をするマゴ、残るは復帰したケルビン525が何処かに潜んでいるのは間違いない。

(一度戻ってヨリちんに加勢した方がいいかも)

 焼きイカちゃんと二手に分かれ、脇道のナワバリを確保しながら自陣へと帰り、グレートバリアを展開されて不利の状態に追い込まれていたヨリの元へと向かった。パブロは超近接ブキのため、同じく近接ブキのローラーに近付いてしまうと返り討ちに遭う可能性が高い。そのため、スプラッシュボムでバリアを壊すか、もしくはヨリが引き付けている間に背後へと回りたいところだったが、彼の警戒心はかなり強く同じ場所へ留まっている時間が短いため、後者は難しい。

「っ、おい幼女後ろ!」
「へ?」

 移動をしながら必死に打開策を考えていると、背後でぼちゃりとインクが溢れる音がした。すぐさま向けられた二つの銃口に気付いて急いで頭を伏せるも、先を読まれスライドしながら距離を詰めてきたフェイスバイザーのボーイが放つ速射をどうしても避けきれない。右脇腹に響くびくりと痺れる相手インクのダメージに堪らず視界が霞む。

「リンちゃん、下がって!」
「無駄無駄、ついでに全員これでも食らいやがれ! おら、おめーらナイスしろ!」
「ゲッ! やっば……」

 注意を反らしてくれたマゴのサポートでなんとか逃れられたのも束の間、眼の前でふわりと宙に浮いた身体、ナイスの声が飛び交い球状のインクの塊が次第に大きくなっていき、これはまずいとテントの上でスプラスコープを構えていたマゴも慌てて後退する。するとその時、同じくインクを体に纏った、しかしその姿はナイスダマを放とうとしている彼とはまた違う誰かが伸びた触腕に引っ張り上げられるように空へと舞っていく。

「……させるかッ!」

 既に解き放たれようとしている巨大なナイスダマから仲間を守るように飛び出した影、その影が宙に浮く彼を空から叩き落とすようにジムワイパーを振り下ろした。パキンと割れるような音と共に弾け飛ぶインクアーマーと静かに消えていくナイスダマはどこか寂しそうに無に還ってゆく。そして、タイムアップを迎え中央へと飛んで戻っていったヨリは何を言う暇も与えられないまま、しっかり着地地点で帰りを待っていたアナアキスクエアグラスのボーイにスプラローラーで叩き潰されていた。

「すっげーカッコ良かったんだがな、すまん」
「これは仕方ないよ、おにいさんのせいじゃない」


***


 見た目よりもずっしりと重く、しかし握る手にしっくりくる太い取っ手は刀のように構えを取ると不思議と隠れていた闘志が湧き上がっていくようにも感じた。ジムワイパーというブキは近距離ブキのように思える見た目だが、重い一振りに込めたインクを放出する際は他の中距離ブキにも劣らない射程で大きな刃を飛ばすことが出来る。機動力に関しては身体の鍛え方によっても変わってくるような気がして、今後の筋肉トレーニングのスケジュールを組まなければとふと考えてしまった。
 後方自陣でマゴがステージ全体を見回しつつ状況を報告、その情報を基に攻め込もうとしている相手チームの侵入を阻むべく、慣れないブキを振り回しながらもどうにか役目を果たしているとは思う。サブウェポンのクイックボムは牽制か溜め撃ちで倒しそこねた始末をつけるのにちょうど良く、最悪振りが相手の動きについていけずとも足止めくらいならなんとか対応できる、といったところだった。

「おいオッサン! 姑息な手ェ使ってねえで突っ込んでこいよ!」
「うるせえ! 誰のせいで俺の大事なホクサイぶっ壊れたと思ってんだ、畜生!」
「テメーが勝手にめちゃくちゃしたんだろーが、バーカ! ウチのケルビンに謝れ!」

 試合開始から二分が経過しようとしている今。見事にスプラローラーでぺしゃんこにされ怒りを募らせながら復帰し、リベンジと称して改めてアナアキスクエアグラスのボーイに勝負を挑む。売った喧嘩は必ず買う主義だと当然のように申し出を受け入れた彼との近接ブキ同士の戦いはどうしても距離を取らざるを得なくなるため、五十歩百歩、互いに分かってはいても譲る気配はなく、ついに奥で大人しく見守っていたエラブリースマスクを着けたボーイが痺れを切らしたのか、ゲージの溜まったスペシャルウェポンを開放し直後に現れたカニのような乗り物へと乗り込むと、凄まじい速さと勢いで大量のインクがこちらへと降り掛かってきた。

「時間がねえ、待ってられっか!」
「あ、こら! 手出すなっつったろ!」
「へ? うわ、うお、おひょ〜!」

 慌ててトロ箱の影に隠れ、どうにか攻撃の隙を伺うも一向にインクの雨は止みそうにはない。それどころか放つカノン砲は攻撃範囲が広く、被弾を避けるためにも後ろに下がらざるを得ず、その勢いに押されて前衛で敵陣を荒らしていた二人も慌てて引き返してきたものの、連射力の高いショットの海に巻き込まれてあっという間にイカスポーンへと戻されていく。

「ごめーん、マゴにい! やられたっ」
「オッケー! 慌てず戻っておいで」

 味方二人、相手は四人。体勢を立て直すまでどうにか二人で彼らを抑え込まねばならない。どうにかカニタンクの猛攻に耐えながらインクの海ですかさず回復を図り、おそらく回り込んでくるであろう右側を警戒するもその間にアナアキスクエアグラスがこの勢いに乗って自陣へと突っ込んできた。ローラーの飛沫を必死に避けながら距離を縮まれないように足元にクイックボムを叩きつける。すると刹那、ジャンプで躱したままブキを縦に構えた彼は見上げた先、逆光を受け黒く滲む姿に思わず目を細めた。

(……マゴ!)

 背後では脇道から抜けていたフェイスバイザーのボーイと交戦中であるマゴの焦燥した声が聞こえる。焼きイカとリンはまだイカスポーンから飛び出したばかりで、しかもここまで攻め込まれている中ではスーパージャンプで飛んでくることも出来ない。残り時間もあと僅か。汗まみれの両手で握るジムワイパーを思い切り振り上げた直後に鈍い金属音が響き渡り、ブキ同士が火花を散らすかのように交錯しては重みに耐えきれず腕が落ちそうになる。ままならず、体全体で押し込むも相手も諦める様子はない。ようやく戻ってきた焼きイカとリンがナワバリを確保しつつ残り二人に応戦していたが、どうしても見えない場所から聞こえてくるマゴの苦戦する声が気になって仕方がない。

「っ、く! 狙いづらいな」
「アンタを潰せばそっちの統率が崩れるのは分かってんだ、ここから一気に逆転してやるぜ!」
「ああもう、今更モテ期に来られても困るんだけどぉ!」

 先程スペシャルウエポンを使ったばかりでまだゲージが溜まっておらず、どんどん自陣の奥へと追いやられているマゴを助けるには今すぐスーパージャンプで彼の元へと飛んでいくしか方法はない。しかし、今まさにスプラローラーで己を再び力で潰そうとしている彼がそれを見逃してくれるとは到底思えず、何よりこちらもピンチであることには間違いないのだ、なんとか押し返そうするも腰を落とししゃがみの体勢で攻撃を受けている分、かなり分が悪い。

「このままワイプ取って俺らの勝利だ!」
「調子に乗んな! まだ勝負はついてねえ!」

 それでも諦めるわけにはいかない。食いしばる歯に力が籠もり、太陽の光に照らされて輝く左腕のブレスレットがきらりと光るのを見た。今にも震えたその腕が胸元へと押されていったその時、再び空高く飛び上がる小さなイカが視界の中に映った。それは明らかに他の三人とは小柄な彼女のもので、きっとマゴのピンチに駆けつけて慌ててスーパージャンプをしたに違いない。しかし、このままでは着地の際に狙われてしまう上にそれを守ろうとするマゴの負担も増加してしまう。

「あのバカ! このままじゃ……」

 一気に仕留められてナワバリを塗り替えされたら全て終わる。そう思った、その時。リンが勢いよく地面へと着地した瞬間、一人の悲鳴がヤガラ市場の中に高らかと響き、魂が抜けたボーイの声を確かに耳にした。そして。

「なん、で、うわあッ!」

 目の前で爆裂四散するアナアキスクエアグラス、そして続いて焼きイカが交戦していた残り二人も次々と射出されたインクが彼らの急所を射抜き、ついにはワイプアウトを知らせる音声が鳴り響き、一体何が起きていたのか理解できない、あまりの一瞬の出来事に誰もが動けずにいる。

「す、すっげ……何じゃ今の!」
「ほら、ぐずぐずしてないでさっさと塗りな!」

 自陣テント上、同じく呆然と横目で隣りに立つリンを見据えているマゴも声が出ていない。そして、その隣りで彼から奪い取ったスプラスコープを構えながらぎろりと皆を見渡す彼女はいつものリンではなく、あれは確かに見覚えのある声といつの日かみたあの凛とした姿を見間違えるはずもない。それでも、あまりに非現実的なことが今まさに起こっているのだ。どうしても脳の理解が追いつかない。例え彼女が、それが本当であると申し出たとしても、きっと。

「……そのバカ面、大人になっても変わんないわね」
「っ、おま、何……」
「年食ったから、なんて言い訳聞かないわよ! ほら、全員塗りに走れ!」

 奪ったスプラスコープをマゴに投げつけ、地面に置いたパブロを片手に颯爽とテントの上から飛び降りる。そのまま走り去るように自身を横切った彼女はやはり、何度見ても自分の知っている幼馴染のニヤついた表情が浮かんでいて、残り時間十秒、うっそ、と力なく呟いている間にもヤガラ市場のほとんどはチームのインク色であっという間に染まりきっていった。




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