***


 小さい頃から友達を作るのは苦手だった。初めて会った子と顔を合わせる事さえ出来なくて、楽しく話をしたり一緒に外で遊んだりなんて以ての外、次第に誰からも誘われなくなってしまって、父はもうおらず母は働きに出て、兄弟もいない自分はいつも一人で外をふらふらしていた。田舎だったけれど、それなりの賑わいを見せる街の大通りや裏路地に入れば柄の悪いボーイやガールがわんさかいて、腕っ節だけは自信があったので憂さ晴らしのつもりで喧嘩を吹っかけては苛々を募らせながら帰路を辿る日々を送った。

「へェー…ケンカ強いなぁ、アンタ」
「…どうです? 俺達と組みませんか、アネさん」

 ある日、そんな自分の事を気に掛けてくれる同い年の二人のボーイがいた。片方はクールな雰囲気を醸し出すクロのイカライダーのシオン、そしてもう片方は少し弱気で不良にしては弱腰のシロのイカライダーを着たカエデだった。正直、初めのうちはどうでも良かった。自分は自分のやりたい事をする、その後ろで誰が何をしてようが構わないと思っていて、無表情のまま声に出す事もなくただ二つ返事で頷いた。そして彼らは、いずれ共に不良グループとして大暴れする事になる自分の右腕となる二人となっていく。

「俺が連れてってやりますよ、アネさんが望むところなら何処へだって」

 信じられない程にあっという間だった。流れる時間と共に彼らと打ち解けて、一緒にいる時間に心地よさを感じるようになったのは確かで、ようやく自分にも何でも話す事の出来る友達が出来たのだと心の底から喜んだ。もう一人ぼっちじゃない、そう思えるだけでずっしりと重かったはずの心は、ぱたぱたと浮くように軽くなっていく。
 それからというものの、毎日毎日飽きずにバイクを乗り回しながら他のグループと暴力沙汰の喧嘩をしたり、危なっかしいカーチェイスで死の危機に瀕したり、今思い返せば馬鹿な事ばかりしてきたと思うけれど、一人だった頃に比べればとても充実してそれは自分にとってそれまでの人生で一番に楽しい日々だったのだ。しかし、それでも奥底に残っていた寂しさを感じ続けていたのは、ただの我儘だったのかも知れないけれど。

「アネさんさえいれば、怖いモンなんてないッス」

 しかし、グループの一員が増え全体の活動範囲が大きく膨れ上がり始めた頃、仲間だったはずの彼らとの距離感が次第に遠くなっているような気がした。否、初めから自分だけが勘違いしていただけなのかも知れない。見えない所で密かに行動がエスカレートしている者もいた。平気で弱い者をリンチして金を巻き上げる、グループから抜けようとする仲間を袋叩きにする、どんなに理屈が適っていなくとも力で捻じ伏せ無理矢理にも思い通りにする。

(こんな事をする為に、仲間になったんじゃない)

 ただ、馬鹿みたいにくだらない事をして笑ったり楽しんだり、喜びを分かち合って心の底から信じ合える友達になりたかった。それだけで自分は十分に幸せだったはずなのに。

「俺達、もっと上へ行きましょう。アネさんがリーダーとしてコイツらを引っ張ってください。大丈夫ですよ、抵抗されたら全員この手でぶっ潰せばいい」

 何も、言葉は出なかった。夢に見ていたキラキラと輝いた楽園のような世界は見るも無残に崩壊していく。
 彼はさぞ嬉しそうに笑いながら確かにそう言った。笑っているはずなのにその表情からは冷たい何かが漂い、見た事のない黒い影に恐怖のあまり身を捩らせて自身を抱いた。
 真っ黒に染まった心を締め付けつけるかのような苦しみから、ただただ逃げ出したくて、皆の制止を無視し愛車のバイクに乗り込むと、誰もいない海沿いの道路を規定外のスピードで頭が真っ白のまま走って走って走り続けた。来た事の無い道で、頭の中がからっぽになるまで涙を風に乗せ、ようやく落ち着きを見せた深夜の頃、日付が変わり今日が十四歳の誕生日だった事に今更気付いた。それが余計に悲しみを増幅させて、肩を落としながら長い時間をかけて家へと帰る。
 再びひとりぼっちになってしまった今、もういつまでも故郷に留まっている必要はなくなった。部屋に戻ったら荷物をまとめて、そのまま誰にも告げずに皆の憧れの街へと旅立とう。そう、心に決めていた。物音を立てずにそっと玄関の扉を開ける。きっとまた、誰もいない。そう思っていたのに、その先で待っていた温かいぬくもりと懐かしい匂いが夜風で冷たくなった体を優しく包んでいた。

(おかえりなさい)

 久しぶりに聞いた母の柔らかな眼差しと優しい声が頭の中に響いて、眠っていた意識が少しずつ覚醒していった。埃の被ったグランドピアノに寄り添うように座り込んでいた体はぎしぎしに固まっていて、無理に動かそうとすると軋んで節々が痛み上手く動けない。混濁した記憶を一つ一つ頭の中で整理してようやく自分が直前まで取っていた行動を思い出した。

(そうだ…アタシ、頭くらくらして、ここで疲れて寝ちゃったんだ)

 久し振りに見た悪魔の姿。囁かれた言葉の数々に忘れたままでいたかった昔の記憶が少しずつ再び色付き始めている。しかし、現実味のある夢の中にあったはずのぬくもりが、その生まれようとしている恐怖をせき止めていた。

「ハットちゃん…?」

 左手を包む確かな体温。ピアノの側の壁に背を預けて足を延ばしながら隣りに座っていたのは、何度見ても間違いなく先程別れたばかりの友人であるサファリハットのガールだった。

「…やっと起きたか、このネボスケ」
「っ…な、何で…」
「あんな別れ方して心配しない程、私は薄情なヤツじゃない」
「あ…そ、そうだよね…あは、あはは。やだなぁもう…アタシ、隠し事下手すぎんね」
「全くだ」

 深く被ったサファリハットで隠れた表情は見えずとも声色ですぐに分かった。微かに震えた暗さと悲しみが帯びた感情が混じっている事にすぐ気付いて、重なる手の平に答えるようにしっかりと握り返した。

「ごめん、なさい。心配、かけて」
「……もういい」
「アイツに…会った?」
「あの不良二人組か」
「うん…。怪我、してない? 平気?」
「…あぁ、何もされてない」
「そっか、良かった…」

 人を人とも思っていないような彼らに大切な人を傷付けられる事だけは嫌だった。自分は身を持って知っている。特にシオンは誰かに危害を遭わせる事に疑問さえ持たず、自分の行く手を阻む者を躊躇なく力で捻じ伏せる。未だに分からなかった。どうして彼がわざわざ自分の側で、頂点ではなくその下についていたのか。元々支配する力も人を引き寄せる魅力さえもあったというのに。

「…昔から、ああだったのか」
「初めて会った時は、そんな事なかったよ。でも、その時も隠してただけだったのかも知れない。アタシ、怖くて…いつか同じ事を自分も誰かにしてしまいそうな気がして、でもそんな話が出来る人なんて誰もいなくて、最低だと思ったけど一人でこっちに逃げてきちゃった」

 握る手に力が籠る。あの日の夜は忘れようにも忘れられない。今でも時々夢に見る。シオンの裏切り者を見下すような伏せた瞳とびりびりと全身に伝わる威圧感に、一度背を向けた後は恐怖で振り向く事さえ出来なかった。

「今も昔も、嫌な事から逃げてばっかり。きっと罰が当たったんだ、アタシ、悪い子だから」

 弱音ばかり吐く、今の自分も嫌い。そう続けて零しそうになった時、それを遮るかのように彼女は恐る恐る自身に言い聞かせるように口を開いた。

「……私は」
「え?」
「それでも私は、その時お前が逃げてくれて良かったって、思ってる」

 てっきり怒られると思っていた。自分の弱さが結果的に彼女を危険な目に遭わせてしまった事に変わりはなかったのだから。頭ごなしに罵られてもおかしくはないはずなのに、目の前の友人はただただ優しく握っていた手を取り引っ張ると、そのままその胸の中へと自分を抱き留めていた。自然と、彼女の胸に頬を、心臓の上に耳を寄せる。いつもより、どくどくと早い鼓動が脳内に響き渡る。それにつられるかのように自分の心臓までもが慌てて震えていた。

「ちょ…ハ、ハットちゃ」
「お前が、私の事をどう思ってるかなんて知らん。それでも、お前と出会えて良かったって、心の底からそう思ってる」
「で、でも、アタシっ……」
「だからまた、怖いと思ったら逃げちまえ。そこから先、どうするかなんてまた二人で考えればいい」

 見上げたすぐ目の前に、彼女の綺麗な黄色の瞳が見詰めた視線とがっちりとぶつかった。いつの日にか見た、柔らかくて優しい笑顔が確かにそこにあって思わず顔が熱く火照っていく。溢れる程の感情がじんわりと体全体から滲んで次第に視界がぶれ始めていた。

「だから…その、頼むから、これからもずっと私の側で笑っていてくれ。何だか知らないが調子が狂うんだよ、お前がいないと」
「うっ…うぅ、ハットちゃん、っ、ひぐっ…ありがとっ…」
「…ったく、小さい脳味噌の癖にうだうだ悩むな」
「ご、ごめん…ごめんよぉ…。だって…ハットちゃんが、そんな風に思ってくれてるなんてアタシ、知らなかったんだもん」

 バケツをひっくり返したように止まらない涙の粒は、ぽたぽたと地面を濡らしては水溜りを作っていく。背中を擦ってもらいながら呼吸を整えて、ぐしぐしとフクの袖で涙を拭き大きく深呼吸をした。彼女はその間も何も言わず、落ち着くまでずっと静かに待っていてくれた。そして、ぼうっとしていた頭もようやくすっきりとしてきた頃、不意に小さな声でそっと呟いたのだった。

「…なぁ」
「な、なした?」
「私だってクッソ恥ずかしい事、正直に話してやったんだ。お前もそろそろ白状しろよ」
「えっ、あ、うっ、な、何か、アタシ隠してたっけか!?」
「今更とぼけても遅い。ほら、さっさと吐け」
「いだっ、いだいいだい! ハットちゃ、やめ…ほっぺた引っ張らんといて!」

 あだだだ、と悲鳴を上げてはようやく痛みから解放される。といえど、白状しろと言われても一体何を白状すればいいのか全く見当が付かないままで。

(…心当たり、無い訳じゃ、ないけど…)

 彼女の気持ちを全部知った上で、ほんの少し前まで確かに感じていた違和感を説明するのは実に恥ずかしい。我ながら抜けているというか鈍感というか、勘違いも甚だしいレベルの話を白状したところで結局のところ怒られてしまうような気がして非常に気が重い。それでも自分を見遣る視線がとにかく痛くて仕方がないので、覚悟していっそ自分の為にもすっきり全部吐き出してしまう事にした。

「わ、分かった! 言う、ゼーンブ言うよ。でも、その…お願いだからアタシの事、絶対嫌いにならないでね! 絶対だよ! 絶対!」
「へいへい、なりませんよ…。面倒だから言うならぱっぱと言え、ぱっぱと」
「は、ハイ! スイマセン! えと、その…どこから話せばいいのか、よく分からないんだけど…」

 つんつんと人差し指同士を突っつき合いながら、恐る恐る呆れた表情の彼女に思い当たる限りの一連の出来事を話し始める。ハットちゃんの隣りに自分以外のインクリングがいる時とても胸が痛くなる事。知らないところで優しく笑っている彼女を見ると何故だか悲しくなる事。いつか見捨てられてしまう時が来るんじゃないかという不確かな不安。たどたどしいながらも本人の目の前で全てをぶちまけた。半分目を閉じ下を向きながら話をしていたので、今彼女がどんな表情をしているかは残念ながら分からない。一通り説明が終わった頃、恐る恐る顔を見上げてみたその時、意外にもあたたかい何かがぽんと頭の上に乗っていた。

「ハ、ハット…ちゃん…?」
「…はぁ。お前は、本当にバカだな…」

 大好きな匂いに包まれたようだった。子をあやすように、彼女は自分の頬に手を当てて優しく撫でていた。しかしそれとこれとは話は違う。真面目な話をしているのに、慣れてはいるもののバカ呼ばわりは頂けない。頬を膨らませながら身を乗り出して、いつもの無表情に向かって夢中になって叫んでいた。

「ア、アタシ、確かにちょっとバカだけど、し、真剣に悩んでたんだからね! ハットちゃんが知らない子と楽しそうにしてるのみると、すごく…悲しくて、辛かった。何か変なの。ハットちゃんが楽しいとアタシも楽しいはずのに、ちっとも楽しくない。でも、どうすればいいか分かんなくて…それで、その」
「分かった、分かったよ。もう十分だ」
「……変でしょ? アタシ」
「まぁ、変だな」
「あーん、やっぱり変なんだー!」
「お前がそんなに嫉妬深かったとは、なぁ」
「………し、嫉妬?」

 意外なキーワードが彼女の口から洩れ、ついつい素っ頓狂な声を上げてしまった。思わず自分の耳を疑う。誰がそんなに何が何だと言うのか。

「い、今、なんて…」
「私と話してた自分じゃない誰かに、お前は嫉妬してたんだろう、って言った」
「ア、アタ…アタシ、アタシが? え、あ、う、おぉっ…うおおおおっ!?」

 今更になってようやくその意味も理解もして、反論する余地も全く無く、あまりの恥ずかしさに頭を抱えて地面に突っ伏する。勢い余って額をがんがんと何度も何度も打ち付けていると、さすがにまずいと思ったのかハットちゃんは慌てて体を押さえつけ落ち着くように自分を促してくれた。そうは言っても落ち着いてなどいられないのだが。

「な、な、なん、なんで、アタシ、気付かな…気付かなかった!?」
「何度も言わせるな、バカなんだから仕方ないだろ」
「びえええくやぢいいー!!」
「フフッ…面白いヤツ」

 寄りにも寄って無自覚に嫉妬をしていたなんて思いもしなかった。我ながらそれに気付けない鈍感さにもうんざりする。しかし、その時垣間見えたありのままの自然な笑顔を見た瞬間、そんな後悔など次第にどうでもよく感じて、腹を抱えているハットちゃんにつられて一緒にけらけらと笑ってしまったのだった。

「安心しろ。さっきも言ったろ、お前を絶対に、一人にしないって」
「うん…うん。もう、大丈夫。アタシ、本当は分かってた。きっと、自分に自信がなかっただけだったんだと思う。でも、もう平気」
「…そうかよ。あ、そういえばこれ、お前に返しておく」
「わっ! おっ! ちょ! ナイスキャッチ!」
「だから、自分で言うな」

 不意に投げられた小さなものを慌てて空中で手に取ると、それは直前まで落としたままだったホッコリーの缶バッチだった。夢中でここまで走って来てしまったので、宝物だというのにすっかり存在を忘れていた。

「あ、ありがとう。えへへ、よかった…」
「…それじゃ、さっさとこんな所からはオサラバするぞ。アイツらも心配してる。とにかく、ここから出…」

 二人で静かに笑い合って、先にその場に立ち上がった彼女に手を引かれて腰を上げた瞬間だった。とてつもない破壊音が辺りに響き、同時に脆くなったレンガの壁に一瞬にして大きな穴が開き、その瓦礫があちらこちらへと辺りへ散らばった。あまりの急な出来事に現状を理解するだけで精一杯で、硬直した体は棒のように全く動かない。
 砂煙が広がったその中に一つ、そして瓦礫に埋もれた中に一つ人影を見た。必死に目を凝らすと、一歩一歩こちらにゆっくりと近付く影が誰なのかはすぐに分かった。ただし、地に倒れるもう一つの正体が分からない。嫌な予感がして、彼女の制止を振り切って急いでその影へと駆け寄りながら勘違いであって欲しいと心から願った。距離が縮まるにつれて心臓が唸る。

「パッチンくん!!」

 横たわる体を抱えて目を閉じたままの彼の顔を撫でる。瞼が微かに動いた、まだ意識はある。しかし頬には大きな青い痣が出来ていて、明らかに拳で殴られた跡が驚く程綺麗に残されていた。そしてその原因となったであろう、目の前で厭らしく嘲笑い立ち尽くす彼が細く切れた目で二人を見下ろしていた。

「シオン、あんた…」

 不条理に友人を傷付けられた以上、もう我慢など出来るはずがない。抑え切れない程の強い怒りの矛先が、確実に前を向いて彼を刺し貫いていた。




‐ ‐ ‐ ‐ ‐ ‐