home works update

カシスジャムを塗ったガーベラ

 空をすこし煙ったい白で覆う冬が終りそうだ。蓮向かいの店で植えた木は帰り花が静かに咲いている。ゆらりとあまやかに芽吹く匂が、細い窓の隙間からただよう。カフカは緊張から窓を閉じた。鍵までぴっちりと閉じきらないのは、やはり閉じこもってしまうことに抵抗感があったからだろう。
 すんと腰を下す。円い机をはさみ、マチと斜めに対座した。マチは机の下に手を伸ばし、カフカの指先に触れると、唇をわななかせて、くしゃりと強ばらせた。そのまま、そのまま触れたまま、強ばりが痙攣的に続くのを耐えるように待つと、うなじを天に見せるように俯いてから、空いている左手で胸を押さえた。
「カフカ」
 どきどきと、今にも割れてしまいそうな音が皮膚の下で長く続く。名前が呼ばれている。そう思っていても、
 耳の内側から裏側に熱が迸って限界まで来た両眼はじんわりと潤む。そこでようやく、マチは名残惜しそうに指先を離した。布の擦れ音だけを残して立ち上がると、厨房まで歩き出し、生活音。三つの空ける音。置いた音。ととととと、と水が流れる音がした。流れる音と共にポットを稼動させるときのうぅーっとひくく唸るような音がして、カフカはその優しさが心地よくて、潤んだ眼をじんわりとほぐすように瞑った。

 とんと置かれた、ぽってりとふくらみを帯びたカップ。マットなオフホワイトの縁がきゅっと窄まって、襟のようにくっきりとしたデザインの摘まみは格式高そうにも見えた。それでもマットな感じが全体的にかわいらしく中の湯気だつココアがふわりふわりと芳しい匂を漂わせる。

「飲みな」
「マチ、」
「いいよ」

 なにが、いいのか。カフカとマチの間に訪れる沈黙と、ココア。間があって、おそるおそるカップに手を伸ばした。
「あのね、マチ」
 すんと、鼻をすする。あまい匂は隣の店にあるチョコレート店のものだ。数日前にここのココア美味しかったのよ、と云った覚えがあって、それが記憶の共有としてあったことに飲む前から温まっていく。ガーベラが一輪飾っている窓を見ると、外はまだ明るく、それほど時間は経っていないのだろうと思った。外からただよう匂は感じられない。それでも、先ほどより落ち着いたカフカは今度こそゆるくなった唇で告げた。
「好きよ、マチ」
「……あたしもだよ」
「嫌いじゃないの」
「ああ。知ってる」
 マチが肯いているのを、カフカは確認して、それから、ほっとするように微笑みを浮かべた。もう少し、もう少し、少しだけだから。見た目丈夫に見えてもやっぱり繊細で、やさしく摘まむことさえいけないといわれたガーベラに日差しが当たっている。

201909/28

ALICE+