「勧誘?」
お昼休み。いつもの様に潔子とご飯を食べていると、下級生、それもなるべく一年生から新マネージャーを勧誘したいと潔子が話し出した。
「そう。春にした時は全然足りなかったなって思って。
これから烏野が強くなるためにも、マネの仕事ちゃんと引き継がなきゃって思った」
「………そっか」
「とりあえず一、二年生の教室回ろうかなって思うんだけど」
「うん。行ってらっしゃい」
「え?」
うん?と驚く声を上げた潔子に私は首を傾けた。何かおかしいことでも言ったかな。潔子は目を丸くして私を見て、小さく呟いた。
「律も、行くんだよ」
「何か用事あったとか?無理強いはしないけど」と言った潔子に心苦しくはあったけど「少し、職員室に用事」と嘘をついた。
プリントを手に持ち教室を出て行く潔子の背中を見送って、はぁ。とため息をつく。
みんなが前に進んでいる中で、私だけこんな調子で情けない。でも、進むといったって相談なんてできる人が思い当たらない。変に大事にしたくもないから、誰にも軽々しく言えないし。
「えー…オホン。取り敢えず当面のスケジュールを伝えます」
部活終りのミーティングでは、昨日話題に出た東京遠征の話が持ち出された。が、武田先生の様子はどこか違和感がある。昨日のような快活さは無く、教師の顔つきで真剣に話していた。
「ただ………この県内に僕らと同等、またはそれ以上のチームはまだまだあるワケで、そこを敢えて県外まで行こうとしてるワケだね。チャンスだからね」
東京の予選のことは時々やりとりをしている黒尾から聞いているから何となく知っている。今週末からだという予選は宮城同様中々強者揃いで不安も大きいらしく、日が近づくにつれて頻度が上がっている。
それもあって関東圏の予選が行われる日程は少し頭に入っていたので、合宿の日程については大凡の検討はついていた。
「で、来月になったら……
期末テストあるの、わかるよね?」
そこですぐさま拒否反応を出したのは、西谷、田中、日向、影山の四人だった。先生からの視線に顔を背けている。
向こうの参加校も同じ期間にテストがあり、合宿もそれ以降になる。テストで赤点をとった場合は補習があり、それは点数によっては夏休み中も行われるからもちろんのこと、遠征には行けない。
「俺達も部活と勉強両立するって言ったからには、それなりの成績出さないとな」
「大丈夫でしょ」
「赤点は無いデショ」
「無いね」
「俺はちょっと頑張らないと心配かな〜」
「俺もだな〜」
遠征前に大きな試練が立ちはだかったかのように思えるが、期末試験は今年度の予定表が配られた四月から時期は変わっていない。インターハイ予選で頭がいっぱいになっていたというのもあるけれど、見ぬフリをしていただけだ。
そもそも、学生である以上、部活と勉学では勉学優先というのは当たり前のこと。
「狼狽えるな!!!テストまでまだ時間はあるんだ…
このバカ四人抜きで烏野のマックスが発揮できるか!?
いや、できない!!」
「嬉しいような悲しいような」
「やってやる…全員で……東京行ってやる…!」
澤村の目が据わっていて、それだけで今回の合宿への気合いの入れようが伝わる。もっと強くなるために東京に行くのだから、こんなところでつまづいてはいられないのだと。
それでも私は、そんな熱にうまく溶け込めずに俯瞰してみんなを眺めていた。
「なんか、遠征に向けて気合い入ってきたね」
「だね。なんか、夏って感じ」
「あはは、なんとなくわかる」
「夏って不審者多くなるよね」
そんなこんなで、予選も終わったことだしこれから東京遠征まではなるべく自主練は無しでそれぞれの勉強へと時間を当てるようにと話があって解散になった。
女子更衣室で潔子と着替えていると、「律さ、」と少し低いトーンで話しかけてきた。
「何かあった?」
「え?」
「青城に負けた後から、なんか雰囲気変わった気がして。
……及川君と何か」
「いや、及川とは試合の後も会ってないし何も関係ない」
それじゃ、先帰るね。と行って更衣室を後にした。
「関係ないって、及川君と何もなかったとしても、律には何かあったってことじゃない」そう呟く潔子のことなんて知らず。
雰囲気が変わった、か。私自身は何も変わらず、というより少し昔を思い出したの方が合ってる気がするのだけれど。一人でも、大丈夫だと思っていた。私のことを理解してくれる人はいるから、彼らがいるなら平気だと。でも、バレーができなくなって絶対はないのだと知った。
そう悶々と考えながら歩いていると、一定の距離を保ち背後から足音がする事に気づいた。
『夏って不審者多くなるよね』
自分で何気なく発した一言が頭にこびりついて、嫌な気分になる。さてどうしようか。
走るか、なんて鞄を抱え直したところで、スカートに入れていたスマホが震えた。表示されていたのは一件のメッセージで、何気なく続いている黒尾との会話の続きだった。どうやら音駒も練習が今終わったらしい。
あ、そうだ。と思い立ち一言だけ送信する。
『今、電話していい?』
* * *
インターハイ予選が近づいてきたことでより一層練習に熱を入れる中、烏野は三回戦で県内トップクラスの学校に負けたと櫻井から報告があった。何て返信しようか迷ったけれど、櫻井は『私たちの分まで頑張って。それで、試合の様子を次会ったときにでも聞かせてね。』と言ってくれた。
夏のインターハイがどんな結果でも、俺たちは春まで部活に残ることに決めている。今年の夏合宿は烏野も参加するということを猫又監督に伝えられていたことで、そのまま何となしにズルズルと会話を続けていた。
連絡先を交換したとき電話は苦手だと聞いていたから、突然『今、電話していい?』なんて連絡が入った時は驚いた。
「研磨!先帰っといてくれ!」
「何か用事?」
「ちょっとな!」
主将だから部室の鍵は俺が管理している。家が隣で幼馴染の研磨といつも一緒に帰っているから咄嗟に声をかけて、雑談しながら着替えている部員に「お前らも早く帰れ」と言いながらスマホだけ握って部室を出る。
櫻井と電話なんて初めてで、少しだけ緊張で震える手で電話をかけた。三コール程度で『はい、櫻井』と電話に出た彼女は前に話した時のように淡々としていて、彼女らしいと笑った。
「『はい、櫻井』って、なんか事務的だな。
お前らしくていいと思うけど」
『電話って普段滅多にしないから何て声かけようか一瞬迷った。
……久しぶり、黒尾』
「おう。つっても電話だし、最近はやりとりはしてるけどな」
『それもそうね』なんて柔らかい声で話す櫻井は俺の知る限り普通のような気がするけれど、突然電話をしてくるなんて何かあったのだろうかと心配になる。
「で?何かあったのか。電話してくるなんて、珍しい」
『や、あー………ちょっとね』
言葉を濁した彼女を不思議に思っていると、メッセージが来た。
【後ろから誰かに付けられてるかもしれないから、保険。
黒尾から丁度連絡が来て助かったよ。】
まさか、不審者。そんな危険なワードが頭に浮かぶ。大丈夫だろうか。心配になったが、真っ先に頼ってくれた事に不謹慎だが少し嬉しく思った。
「危ないと感じたらすぐ避難しろ。なるべく人通りの多い明るい道通れ」
『うん、ありがとう』
とりあえず会話を続けようとしていると、ちょうど部室から部員が出てきた。
「あれ、黒尾さん電話っすか?」
「帰ったかと思ってた」
「荷物、ロッカーに置いてあんだろ。てか、静かにしろ」
先に帰路に着く奴らを見送っていると海が「俺で最後だよ。戸締りも確認した」と言ってくれた。流石しっかり者の副主将。
「サンキュ、海」
「うん、また明日」
「おう。あ、研磨!スマホいじりながら歩くな!!」
「うるさ……」
昨日だって帰り道でコケそうにしていたのに。そう言うと、まるで反抗期の息子みたいな反応をされた。
「黒尾さん、誰と電話っすか!?も、もしや女の子、とか…」
「そうだけど」
「エッ」
固まった山本を放置して誰もいない部室に入る。夏前だし、クーラーも何もない部室は暑い。すぐにここを出たらあいつらまだ居るかもななんて考えて、何もなしにそのままとどまることにした。扇風機をつけて櫻井に声をかけると、気にしてないと言われた。
『部活終わったばっかりだったんだ。お疲れ様。まだ学校?』
「まぁな。烏野は?」
『部活はあったけど、予選は終わったし。今度のテストで点数が悪かったら合宿に参加できないから、少し早めに終わった。
自主練する前に勉強しろって澤村が……』
「なるほどな。監督に今年は烏野も夏合宿来るって聞いた。
俺もまたあいつらと試合できんの、楽しみにしてっから」
『………うん。音駒とは公式試合でやりたいんだけどね』
「早いな。三年間、あっという間だった」
実際に櫻井と会ったのは今年の春で、まだ一ヶ月の付き合いしかないけれど。まさか憧れだった彼女と対面して、連絡先を交換して、電話までするようになるなんて思ってもいなかった。
小さい頃からバレーをしていて、高校三年の公式試合も残すところ夏のインターハイと春高だけ。そして、公式戦で烏野と【ゴミ捨て場の決戦】をするチャンスは一度になった。
ひとまず高校バレーを大きな区切りとして考えているけれど、俺は卒業した後もバレーを続けるのかまだよく考えていない。
でもそうか。インターハイ予選がどんな結果でも、どの部活も三年生は引退という空気になる。卒業後の進路を具体的に決めて、この夏それに向けて必死になり始めるというのもわかっている。それでも、辞める気はない。
そう、今までのこととこれからのことをなんとなしに考えていたら、電話先の櫻井から冷たい声が聞こえてきた。
『………私には、長い三年間だった』
「……ん?」
『ごめん、突然こんな。黒尾を困らせたいわけじゃないの』
………これは確実にバレー関係で何かあったのだろう。
俺は櫻井と仲良いつもりではいるけれど、やっぱり他校だし実際に顔を合わせたのも二回だけ。
話を聞きたいけれど、どう話しかければいいのかわからない。もし、これで櫻井に拒絶されたら…そう考えると下手なことは口にできない。
それでも、彼女の闇に触れそうな距離にいるのに何もしない俺にはなりたくなかった。
部室の壁にかけている時計を見てそろそろ出るかと思い立ち、部室を施錠してひとり帰路に着く。いつもは研磨や他の奴らがいるからこの静けさが新鮮で、でもそれが少しだけ寂しかった。
初夏とは言え時刻も遅くなりあたりは日が沈んで暗くなってきている。電話越しに繋がっている彼女も、この闇を一人で歩いているのだろうか。
「……電話」
『え?』
「していいかって連絡もらったとき、嬉しかった」
脈絡のない話に、櫻井が動揺しているのがわかる。
俺にとって彼女は憧れであり、初めて見たあの時から密かに想いを寄せている。会うまでは、今何をしているんだろうとか元気だといいなとかファンみたいに思っていたけれど、実際に話してその想いは確かな好意へと変わった。
少しでいいから櫻井の役に立ちたい。何もできないかもしれないし、余計なお世話かもしれない。けれど、何もせずにはいられないのだ。
「同じ学校でもない、たった二回しか顔合わせたこともない俺を頼ってくれて、嬉しかったよ。
澤村とか、マネージャーの…清水さんじゃなくて俺に電話してきたことが」
電話越しに櫻井が息を飲んだのがわかった。予選で負けて、チームの中で仲間割れができているとかか?でも、チビちゃんと連絡をとっている研磨からは何も聞いていないし、見た限り烏野はそんなチームだとは思えないけれど。
『……独り言だから、全然、聞き逃してくれていいの』
「おう」
それから櫻井はポツポツと、インターハイ予選の時やもっと、それ以上前から胸の内に抱えていた闇を吐き出した。
中学の時にあった事。右肩と両膝の故障。バレーを辞めた時の周りの反応。今の自分と昔の自分との違い。バレーに対する劣等感と今のチームに対する嫌悪感。
彼女は、どんな気持ちで三年間過ごしてきたのだろう。今、どんな気持ちでいるのだろう。
俺は手術したり、生活に響くような大きな怪我もしたことはないし、櫻井じゃないからわからない。それでも、聞いているだけで胸が苦しくなってくる。
櫻井は、バレーをやめたその瞬間からずっと時間が止まったまま、過去に囚われて立ち止まったままなんだと感じた。
『……インターハイ予選で負けて、試合の後に若利に会って。全日本の監督の名刺を受け取った。『その気があるなら』って。アイツは簡単に言ってくれるけれど、私、どうしたらいいかわからなくて。
バレーなんて好きじゃなかったはずなのに無茶して怪我して、ちゃんと自分のためにやってたんだって、好きだったんだって気づいた時にはもう遅くて……
割り切ろうとして全然割り切れないままここまで引きずって。
ほんとうに、腹が立つ。情けない自分がバカらしい』
少しずつ涙声になってくる彼女の話に、俺は耳を傾けながら相槌を打った。
長い三年間、か。中学の夏の大会で怪我をしてバレーを辞めたというのなら、確かに今頃で丁度三年になるのか。
『……ごめん。困るよね、こんな話聞いたって』
「俺に電話してしまうくらい思いつめて、不安だったんだろ。俺は全然気にしない。
寧ろ、櫻井の言葉でそれ聞けて嬉しいっつーか………うん。話してくれてありがとうな」
『何それ……』
少し落ち着いたのか、ふぅと息を吐く声が聞こえた。
でも、俺は聞いてばかりでまだ何もできてない。俺は、櫻井のことが好きだからいつだって背中を押したいんだ。少しでも、前に進めるようになってほしい。グッと拳に力を入れてスマホを強く握りしめて聞いた。
「……全日本の監督に、連絡取らないのか?」
『まだ、わかんない』
「でも、それだけひとりで抱え込んで迷い続けるってことは…もうそれ、答え出てるだろ」
どうでもいいことで悩む人間なんていない。
でも、櫻井は本気で考えているからこそここまで必死に悩んでいるんだろう。
「櫻井が昔のことを気にかけてて、それが決断にブレーキをかけてるってのもわかってる」
だから、俺が背中を押してやる。
俺は怪我した時の当事者でもなんでもない。だからもしかしたら拒絶されるかもしれない『何も知らないくせに』って。
それでも言わずにはいられないし、ここまで弱ってる彼女を見捨てる選択肢なんて無い。
「櫻井は、バレー好きか?」
『………うん』
「俺も好きだ。
ゴールデンウィークの時も言ったけど、何度だって言うぞ。
俺は櫻井律のバレーが好きだ。
この先何があっても、俺はお前の味方でい続けるからな。
お前がどんな選択をしても、道を踏み外さない様見てる。俺だけは、何があってもお前を応援してるから」
『……でも、もし前みたいに失敗したら』
「その時には、俺も一緒に堕ちてやる」
同じ痛みを背負って、それでも一緒にいる。
俺は今、櫻井の近くに居てやれない。だけど、また何かあったら絶対駆けつけてその手を引いてやる。
何度だって背中を押して、輝かせてやる。初めて俺が見た時のように、最高にかっこいいお前になれるように。
「失敗したから、苦しい思いをしたから、わかってるだろ。
次はうまくいく」
言いすぎたか?余計なお世話だったか?途端に無反応になった櫻井が心配になった。
『……ありがとう。黒尾がいてくれて良かった』
「!」
その言葉一つで、俺は救われる。俺もなんだよ櫻井。俺も、櫻井がいてくれて良かったって思ってるよ。
ずっと前から。
「ああ……クソ、同じ学校だったらなって本気で思う」
『黒尾と同じ学校だったら、毎日楽しいかもしれない。
でも、私の居場所は烏野だから』
「……答え、出たんだな」
『うん。ちゃんと話して、納得してもらう。
もし無理だったとしても、あなたは私を見捨てたりしないんでしょう?』
「勿論」
『良かった……あ、もう家見えたから平気。ありがとう』
「おう。また何かあれば連絡しろよ。いや、何もなくても待ってるから」
『それじゃ、おやすみ。…インターハイ予選も、応援してる』
「サンキュ。おやすみ」
電話を切り、ふうと息を吐く。
昔のことも今のことも、何があったのか、何を考えていたのか櫻井の口から聞けてよかった。これで彼女が少しでも前に進めるのなら……良かった。
「……好きだ」
初めて見た時からずっと。
この先お前に何があっても、俺はずっとお前のことが。
* * *
「話したいことがあるの」
黒尾との電話を終えて家に帰った私は、ひとまず自分の部屋で考えていることを纏めた。今までずっと考えていたことと、これからどうしたいのか。
そして、監督に電話をする前に話しておかないといけない人が二人いる。
夕飯を食べた後、テレビを見ながら談笑している両親を捕まえてそう切り出した。二人の目の前に若利から受け取った名刺を置いて、見るように促す。
「全日本女子バレーボール……?」
「ちょっと律、これどうしたの」
二人が戸惑うのも勿論で、試合の時に若利に言われたことを添えながら名刺について説明した。
バレーを辞めても全日本の監督の方に探されていた事、知り合いだと知って若利がずっと捨てずに預かっていた事。
そして、私が今でも昔よりバレーが好きだという事。
「私、もう一度最初からバレーに挑戦したい。
中学の時あんなことがあって、もう無理だって思ってたの」
でも、潔子や澤村に手を引かれて戻ってくることができて、また及川と岩泉に会えた。
孤立していたはずの影山が今のチームでバレーをしているのを見て、私もって。羨ましく思った。そして、若利がきっかけを持ってきてくれて、迷ってた背中を黒尾が押してくれた。
もう、それだけで私は充分前に進める。
「…この三年間、ずっと後悔してた。あの時ああしていればって思いながら過ごして、時間だけが過ぎていく感覚。
それに慣れたくないの。もう、一秒だって無駄にしない。後悔なんて、絶対にしない。
一生で最後の我儘です。行かせてください」
こんな話を突然すると思っていなかったのか、両親は戸惑うようにお互いの顔を見合わせた。だけど、それもほんの少しの時間で、姿勢を正してからまっすぐな視線で私を見抜いた。
「…高校三年生の夏は、将来を決める上でとても重要な分岐点です。律がちゃんと考えて話したって信じた上で話すよ。
俺には、この話が現実的だとは思えない」
お父さんの言葉が深く胸に刺さった。
いや、反対するってことは最初から予想がついていた。特にお母さんは、今でもずっと中学の時の怪我を気にしている。
「ずっと一生懸命に続けてきて怪我して、危ない目にあった。だから高校では息抜きさせたいって。烏養さんや俺の出身校である烏野に行くことを進めたし、マネージャーするって二年の中途半端な時期に言い出した時もそれが律のためになるならって何も言わなかった。けどな、それとこれとは話が別。
今から選手としてもう一度始めるってことは、この先一生を掛けてバレーに捧げるってことだ。プロの選手として、アスリートとして飯を食っていかなきゃならない。
律より上手な選手も、今まで辞めずにずっと続けてきた選手もいる。そんな世界に飛び込んで、幸せになれるとは、とても思えない。……背中を押せない」
それが普通だって知ってる。自分が一番わかってる。
気づくのが遅くて、怪我して、辞めて。私は天才では無いし、運動してこなかった分体力も技術も昔とは比べ物にならないくらい落ちていることだって、自分が一番わかってる。
だけど、それでも諦めきれないの。
どれだけ残酷な思いをしても、何度も絶望しても、それでもずっと捨て切ることができなかったから。
傷つくことも人を信じることも怖い。またそうなったらどうしようって考えてしまうから。それでも、きっと私は何度でも挑戦し続ける。
「……私の幸せを、お父さんたちが決めないで」
「!」
「確かに、私が言ってることは現実的じゃ無いかもしれない。将来、バレーの選手として活躍する未来は無いかもしれない。
でも、今動かなかったら絶対私は後悔する。
同じ後悔なら、自分が思うように動いて後悔する方がずっと良い」
「律、あのねぇ「私がバレーを辞める理由を、二人に押し付けることはしたくないんだよ」
全部自分でやったことだと、終わったときに胸を張りたい。
私のバレーを好きだって言ってくれる人がいるのなら、その人に顔向けできるように。決して誰かのためではなく、自分のためにする。
「お金とか、生活とか大きく変わると思うし迷惑もたくさんかけると思う。でも、絶対いつか返すから。
だから、挑戦させてほしい」
思っていることは全部言った。もう、頭を下げるしかない。でも、もう後悔なんてしたくないから。
「律が、そんなこと考えてるなんて……全然知らなかったの」
ポツリと、お母さんが小さい声で話し始めた。
「『するなら、中途半端は許さない』。『絶対に最後までやり遂げなさい』って。私の言葉であそこまで自分を追い込んで、あんな大怪我までして………
こんなことなら、させない方が良かったって思ってた。
でも、律はバレーを辞めるのが嫌だったのね」
「………うん」
そっか。…そっか。と頷いて、お母さんは真剣な顔で言った。
「律がそこまで言うのなら、私はもう何も言いません。
自分で考えて話したってわかったから。ここで私が止めても、律はきっと自力で踏み出してしまうのよね」
「うん」
「それなら、目の届くところで支える方がまだいい。
お金も生活も気にしなくていいから、思う存分やりなさい。
無茶と無謀は若者の特権だけど、心配だけはさせないこと」
「……うん」
「………怪我だけは、絶対にしないで」
「わかってる」
無事に両親に承諾をもらって、深呼吸をして名刺を手に取る。
やっとだ。やっと、これで私も前に進める。
ボタンをタップして、コール音を聞きながら早る心臓を落ち着かせる。
『はい、』
「はじめまして、櫻井律と申します。
牛島若利君から名刺を預かったのですがー……」
今日の選択に自信を持って間違ってなかったと言えるようになりたい。
次の日。この日は土曜で、午前中だけ部活だった。
朝から更衣室で合流した潔子に今までのことを含め昨日の事、また最初からバレーを始めることを伝えた。
バレーをするみんなを応援すると同時に、歯痒い思いをしていたことも。
「……それで、最近様子が変だったのね」
「御迷惑をおかけしました」
「迷惑なんて思ってないよ。
でも、一つ言うとするなら……うん。一言くらい言ってほしかった」
「潔子、」
「仕方ない状況だったっていうのはわかってる。これから春高に向けて動き出す時にって。
でもね、私だって背中押したかった。相談にのって、大丈夫だって、応援したかった。
私、律のこと親友だって思ってるからね」
「うん、ありがとう」
「黒尾君と仲良いっていうのは知ってたけど、黒尾君に相談したって………私の方が近くにいるのに」
「、妬いてる?」
「………そうかも」
少しだけ照れながら答えた潔子に、私は嬉しく思った。
そして、繋心さんと武田先生にも潔子に話したように伝えた。二人はとても驚いていたけれど、笑って応援してくれた。
「電話で、夏にあるユース合宿に招集したいと言われたので、近々学校宛に書類が届くと思います。まだ監督の方に直談判しただけなので無しになる可能性もありますが、正式に可決されたらみんなに伝えたいなって」
「わかりました。ところで、マネージャーの方は」
「それも、続けます。春高まで……最後まで、みんなのことを支えたい。選手として活動を再開するので、迷惑をかけることもあるとは思うのですが……」
「いえ!全然、嬉しいです」
あ、そうだ。とジャージのポケットに入れていた小さな袋を繋心さんに渡した。
「これ、もういいのか?」
「自分の身体を大切にしなくちゃいけないんでしょ?」
「はは、そうだな」
繋心さんに渡したのは、開けてもらったピアスだった。自分を痛めつける理由も、もう無い。
私の頭を軽く撫でた繋心さんはそれをポケットにしまって「捨てといてやるよ。もう戻ってこれねぇようにな」と笑った。
そして部活が終わり、私は少し帰路から外れて青葉城西高校に来ていた。
及川と岩泉には色々迷惑をかけたし、当事者でもある。直接伝えたいからと足を運んだのだ。
土曜ではあるものの部活動が盛んに行われているのか、人がいる気配がそこかしこからする。今バレー部は練習中なのかな、と体育館を探した。練習試合の時に使った体育館の中を覗くと、そこは違う部活動で使われていてひょっとして学校にいなかったか?なんて思う。
「あれ、櫻井さん?」
「……花巻君」
背後から声をかけられて振り返ると、花巻君がジャージ姿で立っていた。
「何してんの?こんなところで」
「及川と岩泉探してて」
「なるほどね。ここで待ってて、呼んでくるから」
「ありがとう」
烏野と同じで午前中で部活が終わりだったらしく、ちょうど後片付けを終えてクールダウンしていたとのこと。練習中だったのならスマホは見ないだろうし、やっぱりきて良かったなと安心した。
「櫻井、」
「岩泉。……及川は?」
「アイツは少し外してる。で、どうしたんだ?」
今更だけど、岩泉も花巻君も練習着だとということは、春高まで残るのかもしれない。及川が居ないのは少し残念だけど、タイミングが合わなかったのならしょうがないと思い返すことにした。
「突然ごめん。少し、二人に話したいことがあって」
「ああ、そのことか……おう」
岩泉は何か心当たりがあるみたいだった。インターハイ予選決勝の時、若利と私のことで話したのだろうか。若利がそんなことする人には思えなかったけど。
「知ってたの?……まあいいや。二人には直接伝えたかったし。
私ね、また最初からバレーを始めることにしたよ」
「………は?」
ポカンと口を開けて驚く岩泉に、なんだ。知らなかったのかと思ったけれど、そのまま説明をする。
「インターハイ予選の後、若利と話して色々あって……全日本の監督と連絡を取って「ちょっと待て。お前、は?」
岩泉は少し考えたいと目を閉じたけれど、すぐ様私の手を取った。
「櫻井お前、牛島と付き合ってんのか?」
「………は?」
自分でもビックリするくらい低い声が出た。いや、それよりも何でそんなことになってるんだ。
「違うんだな?よし」
「え、何。突然……」
突然私の手を引きながら走り出した岩泉について行く。青城なんて体育館以外は知らないからどこに向かっているのかもわからないけど、岩泉がどこか焦っていることだけはわかった。すると、校舎の曲がり角で急に立ち止まった。
「ちょっと、岩泉?どうしたの……」
「、見るな櫻井!」
人気のない校舎裏。そこに居たのは、見たこともない女の子の肩に手を置いてキスをする及川だった。
見間違えるはずなんてない。二人の唇が合わさっていたのが、目に焼き付いて離れない。
岩泉の声に気づいたのかバッとこちらを向いた二人。及川は目を丸くして私を見ていた。
「及川……」
「、律ちゃん?どうしてここに……」
続く言葉が見つからない。頭が真っ白になって、私は「ごめん」と呟いてその場から立ち去った。
私の後を追いかけてくるのは岩泉だけで、どれだけ及川から離れたのか知らないけれど、ようやく立ち止まった私はさっきの光景を消すかのようにグッと目を瞑った。
『向こうの主将が、律にとって特別なんだって思ったよ』
潔子の言葉が頭に残って離れなかったのは、自分自身が強くそれを実感していたから。
ああ、そうだよ。私にとって、及川だけが特別な人だった。
『櫻井さんが居てくれるなら何処でも、大丈夫な気がする』
『このまま、ずっとこの時が続けばいいのに』
私もだよ。私も同じ気持ちだったよ。
『俺が櫻井さんを嫌うことなんて、ありえない。
櫻井さんにずっと会いたかったから。
………律ちゃんは、俺の一番大切な人だから』
ああ、本当に気付くのが遅い。
いつだって私は、失ってから気付く。
「櫻井、」
岩泉は知ってたのかな、及川に彼女が出来たって。
及川にとって一番大切な人がいつの間にか変わっていた事に。
それでも私は、
「……ああ、私。及川の事、好きだったんだ」
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