「俺、櫻井のこと本気で好きだ」
そう言った黒尾はいつになく真剣で、その熱い視線に火傷しそうになった。
始めて会ったのは数ヶ月前で、宮城と東京。大して顔を合わせるわけでも、同じ時間を歩いて来たわけでもない。それでも彼には沢山勇気を貰った。
『俺、中学の時一度だけお前の試合見たことがあって…ファンつったらアレだけど、まぁ、うん。
好きなんだよ。お前のバレーが』
『…相変わらず、カッケェな』
昔からずっと好きだったと、昔の私も今の私も、全部ひっくるめて受け入れてくれる人だ。
「私は、………」
夏休みに入る前の合宿も終わり、高速に乗って烏野に帰ると、既にあたりは真っ暗になっていた。次東京に行くのは再来週で、それが春高予選前に今のメンバーでする最初で最後の合宿になる。
「律、送ってこうか?」
「いや、バスで帰るからいいよ。ありがとう澤村」
いつも遅いと影山と帰るか繋心さんに送ってもらっていたけれど、今回ばかりは少し距離を置いておきたい。そしてそれは繋心さんも同じのようで、一人で帰ることに対して何も言わなかった。
「……ごめん、なさい」
「ん?」
「合宿中だったのに。自分の練習始めて、挙句暴言吐いて」
「………反省してるんなら、いい。律が言ってることも三人が言ってることも間違ってるって事はないだろ?
聞いてた側からすると…まぁ、少しはドキドキしたけどさ。いい刺激になった」
日向と影山、西谷や田中はよく騒ぐけれど、滅多に言い争うメンツでも無かったから逆に心に響いたのだと。澤村は困ったように笑いながら言った。
そのまま、バス停までは送ると歩き出した。
「……三人が間違ってるということでもないし、気持ちは分からなくもない。
日向は、スパイクもサーブもレシーブも技術が圧倒的に足りない中で持ち前の体力と運動神経と気持ちだけでついていってるから。
変人速攻が今の烏野の武器として目立って、それを軸に東峰のバックアタックとかツーとかで点取ってるじゃない?今は」
「うん、まぁそうだな」
「影山のトスについて来てくれる日向がいたからチームプレイがハマるようになった。でも日向は?日向から影山を離したら彼は何ができる?他のセッターだとあの速攻は使えない。
今のままでいいって、日向がしたい事をチームの為に本人が納得していないのに否定するのは違うと思うの」
「………」
「今の烏野にとって一番効率的な攻撃のために、日向の将来を犠牲にしてる。日向はエースを目指しているのだから、自分の武器を磨きたいはず。
だからせめて、本当にやりたいことは、否定したくない」
「……随分と日向の肩を持つなと思っていたら、そういうこと考えていたのか」
一人で争うその背中に昔の自分を重ねたなんておかしいかもしれないけれど。そう思いながら澤村にうなづいた。
「………合宿で、中学の先輩と会ったんだ。
その人はずっとスパイカーとして活躍していたけど、コートに立てるなら。笑って終われるなら何だっていいって言って、ブロッカーになったの。
……真っ先に日向が浮かんだ」
「……っ!日向は、ミドルブロッカーだから、か」
後悔しないように行動するって難しい。先のことなんて誰にもわからないから。でも、後悔してもいい。いつかこの時間が無駄だったって思う日がくるかもしれないけれど、全ての経験を価値のあるものだと信じなくても、昔を振り返った時無駄でもよかったって思えるくらい良い未来を掴んだらいいだけ。
この選択が正しいかどうかなんて、今は誰にもわからない。だから、せめて今だけは後悔のない道を進んで、たどり着いた先にどんな結末が待っていたとしても無駄じゃ無かったと笑っていたい。
「俺は、旭とぶつかった日向を見て実感したよ。このチームはまだまだ未完成で、このままじゃダメだってな。
だから、強くならなくちゃいけない」
「うん、期待してるよ。キャプテン」
「頼りにしてるべ、マネージャー」
澤村と拳を合わせ、帰路についた。市街地に近づくにつれてやけに人が多くなって来たなと思っていたら、浴衣を着た人に目が入った。
バレーやテストで頭がいっぱいになっていたけれど、夏だ。家から少し外れたところにある神社では夏祭りがあったらしく、その参加客が同じタイミングで帰路についていたのかと察する。
混み合うバスの中でキャリーもエナメルバックも邪魔にしかならず、少し気分転換に歩いて帰るかとバスを降りた。
「あっつ…」
バスから降りた途端、感じた蒸し暑い空気に顔をしかめる。もう終わった後のようで、店じまいを始めている出店も見える。昔はりんご飴が好きで、よく華と浴衣で走り回ったりしてたなぁ。もう数年浴衣は着ていないけれど。そう、小さい頃の記憶を掘り起こして懐かしく感じた。
目に映る、色とりどりの浴衣に身を包んだ女性とそれに寄り添う男性。私がバレーを辞めた時、隣に居てくれる人は、
「……馬鹿みたい」
真っ先に出てくる人なんて、彼しか居ないというのに。
ゆっくり歩きながら出店や街ゆく人々に視線を向けていると、ポツリと水滴が手を濡らした。
「通り雨!?」
「予報、晴れだったのに!」
そんな声に、傘も持っているわけではないからと大通りから少し外れたコンビニに立ち寄った。帰ったらすぐにお風呂に入るから別に濡れてもいいし、荷物が増えるから傘を買うわけでもないけれど。
適当に店内を物色し、最終的にコンビニのお菓子と水を引っ提げて出てきた。
「、」
何してるんだか、と思いながら自動ドアを潜ると、淡い桃色の浴衣に身を包んだ女性と目が合った。
「こ、んにちは」
「、どうも………?」
ここまで祭りの客が流れて来たのか、なんて思いながら女性に目を向けると、巾着を持つ手に鼻緒の切れた下駄を持っていた。あ、ひょっとしてこの人
「靴ずれ、」
ぽろっと口からこぼれ落ちてしまい、それは彼女に拾われてしまった。
「え、あ……はい。さっき、流されちゃって」
人見知りだけど、困っている人を見過ごす様な薄情者に育った覚えもない。エナメルバックからタオルを取り出して、キャリーを横に置いて乗せた。
「ここ、座ってください」
「え、そんな!大丈夫ですよ!」
「いいです。………私も昔、幼なじみとお祭りに来た時靴擦れ起こして…痛いですよね」
血の滲む足の指に「染みますよ」と声をかけて買ったばかりの水で濯いだ。絆創膏は財布に入れっぱなしにしてあるし、何なら練習帰りだから湿布まである。
「足捻ったとか、他痛いところ無いですか?」
「あ、無いです……」
「良かった。下駄を貸してもらっても?」
赤い鼻緒の下駄を受け取り、絆創膏と一緒に財布から取り出していた五円硬貨に紐を通す。それを下駄の裏側から穴に通して、鼻緒がズレないよう結んだ。それを手渡して履き直してもらう。
「凄い、ありがとうございます」
「私の師匠の受け売りだから。それじゃ、これで」
「あっ、待って!」
彼女は何と言えばいいか口を濁して、それでもどこか泣きそうな顔をしていた。
* * *
運動部の大会も殆どが終わり、三年生は揃って引退を迎えた。それはバレー部だって同じ筈だったのに。
「え?引退まだしてないよ?俺たちは一月の春高まで残るし」
あっけらかんとそう言い放った及川を彼の幼馴染である岩泉がどついていた。
「え、でも大学とか……」
「そこは迷い中だけど、何としてでも叩きのめしたい奴がいるから最後まで残ることにした!」
その無邪気な笑顔の裏に、一体どんな感情を隠し持っているのだろう。
及川徹という男は、学年問わず他校からも人気で、常に周りに人が絶えないような男だ。女子にモテるものの悪い噂は一つもなく、いつだって彼の周りは笑顔が咲いている。
そんな彼に私が落ちたのは、部活の時だった。
写真部の活動中気が向いた私は、普段行くことがない体育館へ足を伸ばした。そこで見たのは、教室で見る彼と違う目をした男で。
「、」
バレーのルールとかよくわからないけれど、それでも及川から目が離せず、シャッターを切っていた。
「え、俺の写真?」
「うん、次のコンクール出していいかなって」
撮った写真を加工して、先生に提出する前に本人に確認を取る。本当は撮る前にするべきことなのだろうけれど、あの一瞬はあそこでしか撮れなかったから。
「サーブ?打つ時の顔」
「へぇ、俺こんな顔してるんだ………」
写真を眺めた彼は私にそれを返して良いよ。と返事をした。
そしてその写真が入賞したから、少し良い気になったのだ。
どうだ、これが及川徹だ。カッコイイでしょ。私があの一瞬を切り取ったんだ。なんて。
その一件から及川を被写体にすることが増えて、会話をすると同時に好きになっていった。
及川徹は誰からもモテる。でも、浮ついた噂は一切ない。
『俺には好きな人がいるから付き合えない。たとえ二度と会えないとしても、多分その子以上に大切な女の子なんていないから。いつまでも探し続ける』
その断り文句に撃沈して来た女の子は、みんな清々しい表情をして振られちゃった、というのだ。
及川がそこまで思い続ける女の子に興味があって岩泉に聞いたことがあるけれど、岩泉も彼女のことを好きらしく「及川には勿体無いくらい良い女で、誰よりも隣に並んでるのがしっくり来るのが及川」だと。
ずっとどんな女の子なのだろうと思ってた。誰もが目を見張るような美少女なんだろうなって、その見知らぬ誰かを思うたびに、及川徹と出会わなければいいなんてドス黒い感情を持つようになっていた。
「ずっと好きだったの。よければ、付き合って欲しい」
そんな自分が嫌で、でもどうしてもこの恋心の終着点を見つけたくて告白した。テスト前、人気のない図書室で。
及川はポカンとして、でも少し考えるように目を閉じた。
「うん、良いよ」
「ー……え、」
「えって、なにさ」
「いや、だって及川、」
言ってたじゃない、その子以上に大切な女の子なんていないから。なんて。
「もういいんだ。もう………」
その視線の先に何があるのか知りたかった。輝く彼の隣に居たいと願った。待ち望んだポジションについたというのに、このやるせなさ。放課後勉強会をしたり、部活に差し入れを持っていったり、ずっとしたいと思っていたことをしてる筈なのに。
「見るな櫻井!」
人気のない校舎裏。突然聞こえた岩泉の声に、合わせていた唇を離して振り返る。そこには、モデルみたいに身長の高い、スラッとした女の子が立っていた。彼女は呆然としていたものの、呟いた及川の声に意識を引き戻された。
「、律ちゃん?どうしてここに……」
その子はすぐに走り去って、それを咄嗟に岩泉が追っていた。
ねぇ、今の子がそうなんじゃないの?ずっとあなたが探し続けていた誰よりも大切な女の子じゃないの?
「……徹、さっきの子って」
「気にしなくていいよ。
でも、もうそんな雰囲気もなくなっちゃったね。帰ろっか」
「え?う、うん……」
そこで漸く、気づいてしまった。彼が恋を諦めていたことに。
私を通して、別の誰かを見ていることに。
きっと、もう及川徹の中で彼女は一番大切な人として揺らぐ事はない。それなのに、思い続けることをやめないまま、自身の恋を諦めた。
この男にここまで想ってもらえる名前も知らない彼女が羨ましくて、憎らしくて仕方がなくて。もう自分が入る隙間なんて最初からなかったんじゃないかと落胆した。
それからは、何もなかったかのようにそのままズルズルと関係が続いていた。練習に差し入れに行くことも、そのまま一緒に帰ることも、全部辞めなかった。二人の関係がどうであれ、今及川徹と付き合っているのは、恋人同士なのは私なのだと実感していたかった。
だから、練習終わりの徹を誘って花火大会に行った帰り。通り雨にあって群衆に流され下駄の鼻緒が切れ、その場でどうすることもできず立ち尽くす中まっ先に助けてくれたのが及川徹の一番大切な女の子だなんて思わなかった。
彼女は私が徹の恋人だと気づいていないらしく、少しずつ話しながら手当もして下駄も直してくれた。
「私の師匠の受け売りだから。それじゃ、これで」
「あっ、待って!」
咄嗟に呼び止めて、何を言うつもりなの。
『徹に近づかないで』?二人の間に割って入ったのは私なのに。だって、あんなに素敵な彼を困らせるような女、許せるはずもない。それなのに、まさかこんな素敵な人だって、思ってもいなかった。
「?、えっと」
「……ごめんなさい」
話す内容も纏まっていないと言うのに、それでも何かを言わなければと口から本音がこぼれ落ちた。
「貴女の一番って、誰なんですか?」
「、それって」
「本当にごめんなさい。私、今及川徹と付き合ってるんです。今日だって、彼と一緒に居ました」
彼女は唖然として、それでも「そう」と小さく呟いた。
「その質問に私が答えるわけにはいかない。
でも貴女が及川の一番だというのなら、彼のことお願い。
私は、もう一人でも大丈夫だから」
「えっ……?」
もう何度呼んでも彼女が振り返ることはなかった。
でも、私の目にはあの顔がどこか悲しそうに見えて、なんだ。彼女も徹のことが好きなんだと理解した。
「及川、私と別れて欲しい」
『………うん』
彼は特に何も言わずに別れを受け入れた。
家に帰って、すぐに及川に電話をかけた。本当は明日も出かける予定だったけど、これが最後のデートになっちゃった。
大切だから離れたいなんて気持ち、私はわからない。でも、この二人が並んでいる姿がしっくり来ると彼をよく知る岩泉が言うのなら、私は邪魔者以外の何でもない。
こういうの、少女漫画では当て馬っていうのよね。きっと。
「本気で好きだったよ、及川の事。でもね、私以上にあんたの事を大切に思っている人が居るって知っちゃった。
……気づいちゃった。私は代わりにはなれないって」
だから、もういいの。この思いが怒りなのか悲しみなのかもわからないけれど、きっとこれが正しい道だ。どうせこのまま及川と付き合っていても、彼は一生私自身に目を向けて、心を開いてくれる事はない。そんなの、虚しいだけだ。
『ねぇ、それって……』
「良い人だね、とっても。
ねぇ及川。優しくするだけが愛じゃないと思うよ?私は思ってる事は教えて欲しいし、どんな言葉でも感情でも受け入れたいって思う。少なくとも私は、好きなら好きってちゃんと言って欲しいし、言いたい。このまま会いたくないなんて、思わないで欲しいよ」
『会ったの?ねぇ、何話したの、律ちゃんと』
律ちゃんが一番大切な人なんだよね、やっぱり。
「教えてあげない。せいぜい悩み抜くといいよ。
彼女にとらわれたままが嫌なら、ちゃんと話してあげて」
電話を切って、スマホをベットに放り投げた。
これで良い。大丈夫。だって、こうでもしないと、私が悪者みたいじゃないか。
一度だって私のことを見てくれなかったくせに、恋人は私のはずなのに、彼はいつだって別の誰かを見ている。それが悲しくて、悔しくて。
「フラレてしまえ」
ありえない希望に、薄く笑った。
* * *
「徹!サーブ教えてくれよ!」
「ちょっ!?まず呼び捨てやめようか」
甥っ子の付き添いでバレー教室に行っていた俺は、そこでの練習が終わってから帰ろうとしていた。すっかりバレーに興味を持った甥っ子は俺の言葉なんて全く聞かず、溜息をつきながら外に出た。
昨夜、成り行きで付き合っていた彼女に別れを告げられた。それどころか彼女はいつの間にか律ちゃんと話したみたいだし。
律ちゃんがユース合宿に呼ばれたという話は岩ちゃんに聞いた。牛島と付き合っているのも勘違いだと。でも、それでも今俺は律ちゃんと会うわけにはいかなかった。会えば自分が何をするかわからない。ブランクもあるはずなのに、俺の欲しい位置を手に入れて、彼女は今何をしているのだろう。
律ちゃんがバレーをしに戻ってきたとき、おかえりって言える俺でありたいと思っていたのに、それすらしてあげられない。
今何してるんだろとか、会いたいとか。考えてる事は探し続けた三年間と変わらないのに、いつまでも踏み出すことができない俺はどうしようも無い天邪鬼だ。
そう考えながら帰路につこうと外に出ると、目の前に現れたのは、そんな彼女のチームメイトだった。
「アッ?」
「ゲッ!!」
「及川さん!?」
「飛雄!!!」
固まっていた飛雄が恐る恐る口を開くと、俺は不機嫌に口を聞く。インターハイ予選以来の再会か、まさかこんなところで会うとは思ってもいなかった。でも、それと同じくらい彼女と会っていないということで。
「…お、及川さん何してるんスか」
「甥っ子のバレー教室の付き添い」
「オス!」
元気に手をあげた猛を見つめ、飛雄は納得したように頷いた。部活は…と言う彼の問いかけに仕方なしに口を開く。
「青城は基本月曜はオフなの」
「しゅ、週一で休みが!?もったいない…」
「休息とサボりは違うんだよ、じゃ」
こいつを見てるとどうも落ち着かない。前から嫌いだったってのもあるけれど、烏野は律ちゃんの大切なチームだから尚更、気に食わない。さっさとこの場を離れたい一心で飛雄の横を通り過ぎようとすれば、飛雄は俺を呼び止めた。
「あの…」
「嫌だね!!バーカバーカ!!!」
「…お願いします。話を聞いてください」
声をかけられて直ぐに否定したものの、飛雄はいつもより真剣に頭を下げた。嫌な予感はしていた。コイツが俺に話しかけるのなんてそういうことしかない。
律ちゃんなら、きっと話を聞いてあげるんだろうけど俺はそんなに優しくない。てゆうか、律ちゃんがチームにいるくせに、この及川さんにアドバイスをもらいに来るなんて、何様なんだコイツは。
「なーんでわざわざ敵の話聞いてやんなきゃいけないのさ」
頭を下げた飛雄に背を向けて歩き出そうとすればスゴイ勢いで彼は俺の前に移動してきた。額に手を当てて、溜息をついた。頭を下げる飛雄をどうしようかと頭を悩ませる。
コイツは中学の頃から、ウザいくらいにしつこいんだ。
目の前に下げられた頭を見ながら少しの間考えた後、携帯を取り出す。
「猛」
「何?」
「写真撮って。ここ持ってここ押して」
不思議そうに顔を上げようとした飛雄を止めてカメラにピースサインを向ける。
「イェーイ!飛雄、及川さんに頭が上がらないの図」
「徹こんな写真が嬉しいのか?ダッセー」
「はっううぐう!!?」
何で子どもってこうも真っ直ぐ言葉を向けてくるんだろう。
「…で、何?俺忙しいんだよね」
「カノジョにフラレたから暇だってゆったじゃん!!」
「猛ちょっと黙ってなさい!!」
猛を黙らせて飛雄に視線を向ければ飛雄は少し眉に皺を寄せていた。今のセリフでそんな表情になるなんて。俺とこいつの共通の知り合いの女の子なんて、彼女しかいない。
「………何、お前櫻井さんに何かしたの?」
認めたく無いけれど、中学の頃自主練に乱入してきたコイツに律ちゃんはトスをあげてくれと言ったことがある。それ以来飛雄は律ちゃんに懐いているというのに、その反応はいくら何でもおかしいと思った。
「俺………櫻井さんと喧嘩して……」
「は?」
詳しく話を聞けば、律ちゃんに胸ぐらまで掴まれたとのこと。バレーに関しては相変わらず鬼みたいに厳しい。でも、彼女の厳しさは愛情の裏返しだと俺は知っているから、やっぱり烏野は律ちゃんにとって特別なんだとイラついた。
「……今まで球を見ずに打っていた速攻を、日向が自分の意志で打ちたいって言いだしました」
「へー出来たらすごいじゃん、やれば?」
「そんな簡単に言わないでください!!日向に技術なんてないんですよ!!」
飛雄のそんな言葉に俺は笑った。天才だ何だと呼ばれているけれど、なんだかんだ言ってコイツはあの頃と変わっていない。
クソ生意気な俺の大嫌いな後輩だ。
「だから、『俺の言う通りにだけ動いてろ』っての?
まるで独裁者だね?」
「っ!!」
「お前は考えたの?チビちゃんが欲しいトスに百%応えているか、応える努力をしたのか。
現状がベストだと思い込んで守りに入るとは、随分ビビリだね?」
押し黙った彼に追い打ちをかけるように口を開く。
「勘違いするな。攻撃の主導権を握ってるのは、お前じゃなくチビちゃんだ。
それが理解できないならお前は独裁の王様に逆戻りだね」
「………櫻井さんにも、同じこと言われました」
「ふーん?でも、櫻井さんの故障のきっかけがセッターのトスなんだから、櫻井さんが怒るのはもっともだと思うけど?」
「ッ!!」
「バレーが好きで、でも怪我でできなくて。俺たちは怪我とかした事ないし、櫻井さんの考えはわからない。
でも、相当苦しんだと思うよ」
それこそ、触れることすら出来なくなった様に。
なんだよ、そんなことすら見えていないのかよ。俺より彼女に近い距離に居ることができるくせに、彼女の事がまるで見えていない。今の俺がとやかく言える立場にいない事はわかってるけど、それでも大切な子なんだよ。
「言ったよな?『律ちゃんを傷つける場所なら叩き潰す』って。
なぁ飛雄。もし律ちゃんを泣かしたら、一生お前を許さないからな。その時は覚悟しとけよ」
行くよ、猛。と声をかけて飛雄に背を向けて階段を下りる。
大切だから、傷つけたく無いから今の道を選んだ。律ちゃんが信じられると言ったチームなら大丈夫だろうって。寧ろ、俺と一緒に居た方が悪影響になると身を引いた。それなのにこんなことになるのなら。
鼻歌交じりに歩いていればゴキゲンカと猛が俺を見上げた。
「思ってた以上に飛雄がポンコツで嬉しいね〜!!」
笑いながらさっき撮った写真を、と携帯を開く。
「写真俺だけブレブレじゃんか!!」
「失敗した」
猛はそう言って笑った。
思えば、あれだけぶつかり合っていたのだから何も言わなくとも伝わる、なんて期待する方が間違っているのだ。それなら、一度本気で捕まえて囲ってしまうのも悪く無いのかもしれない。
「会いたいなぁ……」
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