帰りのバスはいつになくシンと静まっていて、かすかに聞こえてくるのは皆の寝息だけだった。そんな中で烏養さんと武田先生が話していることを聞きながら、私は窓の向こうの流れる景色を見ていた。

 『取るに足らないこのプライド。絶対に、覚えておけよ』

 先ほどの会話を思い出し頬が少し緩んだけれど、明日のことを考えてすぐに気を引き締めた。
 明日。遂に県内最強のチーム白鳥沢との決勝戦だ。若利とはお互い試合を見ることはあったけれど、こうして試合をするというのは初めてで。でも何故か、負ける気なんてしなかった。このチームだからここまで来れた。そして、まだ先へ行けると信じている。
 澤村と潔子が誘ってくれたおかげで、また戻ってくることができた。その事を思い出し、目を閉じた。

 烏野高校に到着し、バスを降りた私達は荷物を部室に置いて体育館へ入った。
「ちょっといいか。狙うのは、全国大会優勝だ」
 澤村は何かを決意したようなキリッとした表情をして私達に向かって言った。それに対して皆の反応は人それぞれで。
「え、それ以外に何かあんスか」
「まあたお前はそォいう言い方アアア!!」
「お前バカだな!改めて言っただけだろ」
 それでも、見てる景色も気持ちも、皆同じなのだとわかって笑った。
 決勝前の最後のミーティング前に言った言葉は、全員が本気で目指しているものだった。きっとこれが、私が澤村達の可能性に掛けたからこそ見れる景色。
「モチベーションは申し分無し。
 それじゃあ、目の前の強敵の話をしよう」
 繋心さんが白鳥沢の話をはじめ、それをいつものように楕円形に座って聞く。私はそこに、知ってるだけの情報をその場で付け加えながら話した。若利のことは選手として一番尊敬している。影山に『一番身近に居る凄い人』と言われたけれど、私にとって若利がそれだった。
「じゃ、明日のためにも帰るか」
「その前に、いいですか」
 繋心さんが立ち上がろうとしたところを引き止め、話を続ける。
「今日の青城戦、お疲れ様でした。
 一人一人輝いたプレーが出来ていたし、あの試合から吹っ切れていたと思う。ベンチから見ていて、とても嬉しかった」
 視線を少し落として表情を変えてみんなを見つめると、既に浮かんでいるのは次の相手のこと。でも、これだけは言っておきたい。

「でも、明日ベンチに入るのは潔子だ」
「、律……」

 どうして私が青城戦でベンチに入ったのか。その理由を正しく理解しているからそこ明日は潔子が入るべきだと思う。
 潔子は私と及川のことをずっと近くで見守ってきてくれたから、最後の試合だと気づいていたのだろう。だから、繋心さんに言われた時少し動揺した後了承した。そして繋心さんはコーチとして。勝ちたいからこそ、青城のゲームメイクをする及川のことをよく知る私を近くに置いておきたかった。
「このチームを影から支えてきて、ずっと見ていたのが潔子だから。
 それに、今日見てて思ったよ。皆が自分達で考えて、行動に移せるだけの力がついたということを。
 後は、気持ちの問題……今日の青城戦は、私にとって大切だったから承諾した」
 及川と岩泉との勝負で、公式戦でこのチームと試合ができるのは最後だったから。
「明日、私はギャラリーで仁花ちゃんと応援してる。
 絶対勝てるって信じてる」
 潔子は私の気持ちを汲み取ってか、何も言わないで微笑んでいた。



「澤村!応援来たよ!」
 決勝当日。昨日まで通常通り授業があったものの、今日は土曜日ということもあり、女子バレー部を筆頭に学校の人が応援へと駆けつけてくれていた。
 澤村へと話しかけている結を見て、「私達は先行ってるよ」と部員を先導する。
 途中、日向が中学の頃試合の助っ人に来てくれたバスケ部とサッカー部の友達もいて、流石は決勝戦…と少し顔をこわばらせる。
「律は誰か呼んでないの?」
「一応呼んだけど、来るかどうかはわからないよ」
「誰呼んだんだ?」
 菅原が聞いてくるが、「秘密」と言って前を向く。
 及川は敗者だから、普通は見に来ないと思う。昨日の試合が最後のバレーだったから。でも、及川ならなんだかんだ言って来てくれそうだ。
「………」
「どうしたんですか?櫻井先輩」
「何でもない」
 不思議そうな顔をする仁花ちゃんに答え、荷物を置いた。
 集中しなきゃ。白鳥沢に必ず勝って、全国へ行くんだから。パシッと両頬を叩いて、気を引き締める。
 下にアップの為に降りると、白鳥沢の応援が会場中に響く。そんな中で、烏野の面々は至って普段通りだった。
 そうこうしているうちに、相手が入ってきた。
「来たな…」
 昨日のミーティングで話したことを思い出しながらアップしている若利を見る。
 繋心さんが言うには白鳥沢は県内最強であり、最も未完成なチーム。個々の能力を掛け算ではなく足し算しているため、チームスポーツでありながら個人プレーを主体にしている。
 でも、実際それで勝てているのだから個人の技術もパワーも、今までとは比べ物にならないほど高いというわけだ。
「ゆったり打ってる感じなのに触ったら腕もげそう…」
 コートを交代する時、すれ違い様に若利と目があった。

「今日倒してみせろ」
「、」
「お前の、チームだろ」
 まるで「俺が負けるわけがない」と言われたようで、相変わらずだと思った。
「……私のチームじゃなくて、『私達のチーム』ね」
「及川は、取るに足らないプライドの為に道を間違い、もっと力を発揮できる場所を選ばなかった。
 それはお前も同じだろう、櫻井」
「……取るに足らないプライド、ねぇ」
 若利らしいと言えば若利らしい言葉に、私は少し目を細めた。昨日の試合が終わった後、二人の会話を聞いていた私は、すぐにでも二人の間に割って入るつもりでいた。
 けれど、若利の言葉に答えた及川は私が思う以上の人だったから、足を止めた。
「………バレーができなくなった私に、のうのうと他の奴らを見てろって言いたいわけ?そんなことする筈がない」
「どんな目に遭おうとも、進むのを辞めないのがお前だろう」
 若利の言いたいこともわかる。昔はそうだと思っていたし、自分一人でも大丈夫だと思っていた。でも、限界だった。
「……貴方にとっては、私も及川も間違った選択をしているように見えるのかもしれない。白鳥沢に行くべきだった、新山女子に行くべきだった。確かに県内どころか全国でも上位に入る。
 でも、私はあの時の選択を間違いだなんて思ったことはないし、後悔もしない。烏野に来れて良かったって心から思う。
 それに、及川も……アイツは、そうしてでも、アンタを倒したかったんだよ」
 中学時代からずっと、その背中を追い続けては涙を零していたんだから。
「若利にはきっとわからないと思う。
 だから、今日………私たちが教えてあげるね」
 体格もパワーもスタミナもあって……才能があって。全てをそれでねじ伏せることができて、羨ましくて妬ましい。
 ずっと一人で努力をしていた私は、中学一年の時彼と出会って、嫉妬した。
 『私にもあんな力があれば』って。
「………俺は負けないぞ。お前にも、誰にも」
「知ってる。だから、倒す」
 
 随分と話していたからか、アップをする選手からの視線が少しだけ痛かった。
 それも終わると、仁花ちゃんと一緒にギャラリーへと上がり、冴子さんたちと応援をする。
「あれ?律ちゃん今日はこっちなんだ」
「はい。応援よろしくお願いします」
「まっかせといて!!」
 バチッとかっこよくウインクを決めながら言う冴子さんの手にはメガホンが握られており、嶋田さんと滝ノ上さんが用意してくれたのだと言った。
「それにしても、アレだな。りっちゃんがこっち側にいると、戦略的にもこっちが劣るかもな」
「そんなことはない、です。
 いつも通り、潔子が一番適役なんです」
 選手の紹介も終わり、試合が始まろうとしていた。
「うぅ…アイツらの緊張うつってきた…」
「アップん時の日向の一発見た時は、割といい雰囲気かなと思ったけどな」
「むこうにとっては何度も踏んだ道、対してこっちは初めての決勝、初めてのセンターコート。
 平常でいられないのも無理ねぇよな…」
「決勝が初ってことは五セットマッチも初ですか」
 初めて見る人だな、と思っていると月島の兄貴だよ、と嶋田さんが教えてくれたので名前を言って頭を下げる。
「今までは二セット先取の三セットマッチだったけど、決勝は三セット先取の五セットマッチ。
 テレビとかで見るトップレベルと同じな」
「ええ!?めっちゃ疲れるじゃん!!」
「それな…スタミナも心配だ…」
 少し空気が重くなったものの、コートへと視線を移す。
 みんなはまだ若干硬い気がするけれど、それもきっと今だけ。
「アタシらが暗くなってどーする!?ねぇ律ちゃん!!」
 そらご声援!!と、アナウンスに従ってエールを送る。
「……若利が凄いってことは、全員充分承知で、それで試合に望んでいると思います。
 青城が何度も試合をして勝てなかった相手だけど、私達は青城とは違う。
 今回だって、勝つために沢山負けてきたんですから」

 そして、試合が始まった。



 私が牛島若利を初めて見たのは、中学一年の春に行われる新人戦だった。
 その頃の私は強くなりたい一心で、毎日ひたすら練習していた。小学校の部活動とは違い、私が進学した北川第一は強豪校で、強くないと試合には出られない。華の隣には、立てない。
 同学年にどんな選手がいるのか。気にならないわけがない。
 男子の試合は女子とは何処か違った面白さがあって、アップや応援などする事がない時は試合を見ていた。体格もパワーもさることながら、一番違うところは思い切りの良さだと思う。躊躇無く飛び込んで、ボールを繋ぐ様子は見ていて面白い。

 それでも彼は、一際周りと違う存在感を放っていた。
 同じ一年とは思えないその風格と技術は素直に尊敬した。
 
 『私もあんな風になりたい』
 
 力尽くで全てをねじ伏せられるようなエースに。そうなれば、きっと特別になれる。
 それからは一直線だった。男子の白鳥沢の試合は時間があれば見ていたし、牛島若利という人物そのものに興味があった。左利きだからフォームは参考にできないかもしれないけれど、スパイクを打つ際の空中姿勢や、試合の中での立ち位置。見れば見るほど彼の凄さがわかって、だからこそ「私は牛島若利のようなスパイカーにはなれない」と受け入れることは早かった。
 調べあげ、研究して実行するものの、どうしてもうまくいかない。何度やってもできない。それを自主練習で実感出来たのは幸いだったのだろうが、それなりにショックだった。

『お前は体も弱い分スタミナも筋肉も中々つかない。
 それに加えて物覚えもいいとは言えないからなぁ』
『おいジジイ、律泣いてんぞ』
 
 性別の違いだけでは測れないようなこの決定的な差が才能とセンスの違いだと、私にはバレーの才能なんてないのだと、改めて実感した。
 
『だから、練習しかねぇんだ。いいか、律ー……』

 私は何もできなくて、だから努力以外にできることはない。
 練習しかないと烏養さんに言われてから今までずっと、時間をかけて繰り返せば、できないはできるに変わると思っていた
 だけど、できないと思ってしまった。それでも諦めるなんてできる筈もなく、ひたすら一人で練習を続け、夏の大会が終わり三年生が引退して一年の秋とゆう早い時期からスタメンとして出ることが出来たのだ。
「、櫻井律」
「牛島若利……?」
 スタメンとして試合に出ている一年は少なくはないけれど、それでも強豪校のレギュラーに選ばれ、全国大会まで進んだとなるとほんの一握り。
 私が彼の試合を見るのと同じくらい彼も私を見ていたのだと。ずっと話してみたかったのだと彼は言った。
 試合会場でバッタリ会って、声をかけられたのが初対面。そこで実際目の当りにして、話して感じた。
「お前のことはよく見ていた」
「……私も、あなたのことはよく知ってるよ」

 駄目だ。
 私はこんな、カッコイイ人にはなれない。

 試合やバレーについて、交わす言葉はお互い下手くそだったかもしれない。それでも若利はとてつもなく眩しくて、キラキラしてて、本人もバレーが好きだということが見て取れる。
 才能も、体格も、体力も、性別も、技術も、全部全部全部、妬ましくて………羨ましいと思った。
 それから、試合の度に会場では若利の姿を探すようになり、試合を見ては感想を言い合って、改善点を話して。お互いの事を良い友人と呼べるようになった。

「若利は、かっこいいね」
「?何だ、突然」
 
 強さを体現したかの様な彼を練習中に意識することばかりで、どんな事をしても真似をしているようにしか考えられなくなった頃、彼と出会った。

「さっきから、何?」
「いや、一人?天才なのによくやるよね。」

 牛島若利の強さに憧れている。でも、私が彼と直接対決をする機会はない。性別が違うのだから。でも、及川は……。
 及川徹は、ずっと若利に負けてきた男だった。
 試合を見る度に同じ学校の男子と当たって、その度に勝敗を目撃する。私が男だったら、及川みたいになっていたのだろうかなんて考えて、それから岩泉を含めなあなあで始まった三人での自主練習にも力を入れるようになった。
 二人が強くなって若利に勝つことができたのなら、きっと私だって若利に勝てる。そう、思いたかったのかもしれない。
 良い友人であると同時に牛島若利は、私にとって強大な敵。どうしても、叩き潰したい相手だった。
 私は、牛島若利にどうしても勝ちたかった。
 
「女子の賞。スパイクとサーブ、櫻井律だってよ」
「え、二つとかアリなの!?」
「天才、だからか」
 
 勝てないのに。負けっぱなしなのに。
 私は女で、彼らは男。その決定的な差が腹立たしい。若利の紹介で聖臣とも知り合った。聖臣も若利とはまた違った才能の持ち主で、そして彼もまた同じだった。

「律さんと若利くんはよく一緒にいるよね」
「そうか?」
「うん、そう見える」
「………はは、」
「?」
「どうしたの律さん」
「私たちって、天才なんだってよ」
 聖臣も若利も凄いけれど、決して練習をしていないわけではない。どれだけ周りに天才だと言われても、評価されても努力している。
 だったら私は。
 練習しても彼らのようになれない私はどうしたらいいの。
 決して試合で勝ちたいわけではない。華にとって特別になりたいだけ。ずっと前を向き続けて、強さに直向きでいなくてはいけない。
「……努力し続けることがどれだけキツいか、苦しいか想像した事も無いくせに」
「、律さん………」
「櫻井?」
 上に行けばさらに上がいる。私たちはただの人間で、上に行くためには進み続けるしかない。それを怠っているくせに。
 自分には才能がないのだと諦めることは簡単だ。それでも、彼らにとって夢というのはその程度のものなのだろう。
「気楽だね。………そんな半端な気持ちで、本気で上を目指してるなんて言ってんじゃねぇよ。クソが」
 私は、絶対に諦めることができないものが夢だと思う。
 
 そこまで努力《わたし》を蹴落としたいのなら、いくらでも相手になってやる。

 どんな相手にも勝たないといけない。
 どんなボールも打たないといけない。
 特別に、ならないといけない。
 
 次は何をする?今が限界なんて思っていない。まだ、先がある筈だ。次、次、次!次は………
 
 
 そして、中学校生活最後の夏、私はとうとう飛べなくなった。
 私には才能が無いから、これは強くなる為に無茶をした代償なんだと肩を抑える。エースナンバーを背負っていても、一人の人間。一般人。無敵ってわけではない。
「……っ、畜生…」

 やめろ。
 私の努力をかき消すな。
 私は|お前ら《てんさい》とは違うんだ。

 私は、

「……なんで、必死にバレーしてたんだっけ」
 好きだと、終わってから感じたことに泣いた。
 それでも思う。華に誘われてバレーを始めてからずっと、私が最初に捨ててきたものは気持ちだ。強くなるためには、好きなんて想いも楽しいなんて感情もいらない。
 特別になる為に必要なのは、強さのための練習だけだと信じて疑わなかったのは、私だ。
 一人で真っ白な病室にいる時、いつだって彼らの顔が浮かぶ。

 若利と聖臣のように、恵まれているものがあれば良かった。
 スタミナもパワーも柔軟性も、彼らのようになるためには全部足りない。
 及川と岩泉と一緒に練習していたのは私がどれだけ努力しても若利とは性別が違うから、願いを託していただけだったのかもしれない。アドバイスに応えるのは私のエゴで、彼らが若利を引きずり落とすことで私の強さを証明したかっただけかもしれない。
 及川も岩泉も友人。だけど、私は二人を利用している。
 
「そんなことないよ」
「え、」
「そんなことない。律は、そんな思いで及川君達から離れない道を選んだわけない」
 
 華がお見舞いに来てくれた時、自分の最も汚い部分がぽろっとこぼれ落ちてしまった。でも華は、それは無いと否定する。
 
『……それは、嫌だなぁ』
 及川と一緒にバレーができなくなることが嫌だと、繋がりがなくなることを寂しいと感じたあの瞬間を思い出す。 
 どれだけ上を目指しても、いつか越えられない壁は現れる。それを超えてもまた、次もって。周りの期待にも自分のルールにも応え無いといけない義務感と、血の滲むような努力。
 それを【天才】という言葉で片付けられる現実。
 
「だって、優しい顔してたから。
 いつだって律は自分を殺して生きてるから、表情を変えたのを見るのも久々だったし」
 
 でも、結局こうなった。
 そう言えば華は悲しげに微笑んだ。
「全部、無駄じゃない。律が今までしてきたことは、必ず未来に繋がる。だから今は……少し、落ち着こう」
 華はそう言い残して、何も言わずに病室を後にした。
 その背中を追うこともできず、誰にも顔向けできず。
 ずっと追いかけていた夢も目標も失って、自暴自棄になった。ピアスを開けて髪を染めて、でも、そうしたところで私は私の本質が何も変わらないことを知っている。
 これからどうすればいいのかも、自分がどこに進めばいいのかもわからなくなってしまって、及川にも別れを告げた。
 道標もない。どこに進めというの。私は何もできない。
 そう、思っていた。
 

 ー……私は、これから何者になれる?
 
 第五セット、白鳥沢のマッチポイント。ここで繋げなければ、負ける。そんな負の感情が大きくなって来た時、体育館によく知った声が響いた。
「下を、向くんじゃ、ねええええ!!!!
 バレーは!!!常に上を向くスポーツだ!」
 いつだって、彼に支えられて来た。
 そんな時、月島の手当てに同伴していた仁花ちゃんが帰ってきた。
「………伝言、伝えてくれた?」
「バッチリです!!でも、うまく伝わってるかどうか……」
 大丈夫。こんな所で終わらないよ、私たちは。
「………徹、私達はコイツを今日越えるよ」
 若利が嫌いというわけではない。寧ろ好きだし、昔と変わらず尊敬している。
 それでも、私はこの思いを知ってしまったからそれ以上に、倒したい。
 辛いことも悲しいことも沢山あった。そして、それはこれからもずっと続いていくと思う。今まで以上に辛いことが有るかもしれない。それでも、それ以上の好きがいつだって私の中にはあるから。

 『昔から変わらず、憧れてるよ』
 『困らせる。お前が戻ってくるまでは』
 『応援してるからね』

 『律ちゃんのバレーが好き』
 
 出会った人たちが背中を押してくれるから、もう私は二度と迷わない。進む道も、方向も。
 すぅっと息を吸って、叫んだ。
「日向!!!」
「!?」
 滅多に大きい声なんて出さないし、こんなこと普段の私ならしない。それでも、私は日向ならと信じている。
 日向は、私と同じだと思ったから。
「紛れろ!!」
「っ、?!」
 最終セットは十五点先取であるものの、デュースが続く。そろそろ体力の限界で日向でさえも足に負担が掛かり、ブロックに飛べなくなってきている。
 それでも、どうしても勝ちたいという気持ちだけで体を操り、点を取る。
 遂に烏野のマッチポイント。西谷が抜けて日向のサーブ。月島・東峰・澤村が前衛で、影山・田中・日向が後衛の、攻撃に特化したローテが今。
「月島君、序盤より反応速くなってるような…!?」
「リードブロックの速攻に対する目的は止めることより触ること。眼鏡小僧はボールを追う事だけを貫いてきた。慣れてきてもおかしくない」
 月島のワンタッチによりチャンスボール。ここで日向のマイナステンポのバックアタックが決まったかと思ったけれど、それに反応したのは若利だった。すぐさまストレートのスパイクが飛んでくるが、日向の体にあたり戻す。
「日向っ……!!」
「ああ、もう。クソカッコイイな相変わらず……!」
 突然ストレートを絞められても寸前でクロスへ打つ。体格も技術も全てが上で、多分一人だったら敵いっこない。けれど…バレーは、チームスポーツだから。
「澤村!!!」
 影山が咄嗟に反応したボールを澤村が東峰に繋げる。十二番がブロックするものの、田中が広い、攻撃へと返す。
「………」
 影山のセットで日向が来るぞと思っていたのだろうが、日向もしっかり考えることをやめてはいなかった。仁花ちゃんに頼んだ月島への伝言。新速攻の使い道について。
 
 わざとテンポを遅らせ、フォロー無しの全員でのファーストテンポのシンクロ攻撃。
 それでも影山がトスを上げたのはやはり日向で、ブロックも追いつけずスパイクが決まった。

 バレーボールは高さの球技で、大きい者が強いのは明確。
 個を極めるのも強さ。新しい戦い方を探すのも強さ。
 だからこそ今、多彩な攻撃や守備が生まれている。
 強さとは、実に多彩。
「………未来に、発展も変革も無いと信じる理由はない」

 試合終了の笛が鳴り、コートは静寂につつまれた。
 セットカウントは三対二。……勝者は烏野高校。
 突如として歓声が会場を飲み込み、コートにいる選手は勿論ギャラリーの観客も泣いていた。
「烏野、春校全国出場だ…!!」
 最後に礼をして、私達も下に向かう準備をする。
 階段を降りる前にもう一度ギャラリーを見渡すと、誰もいないベンチに二人だけ腰をかける姿があって、ふと笑った。
「………やっぱり、来てくれた」
「どうしました?櫻井先輩」
「なんでもない。行こう」

 表彰式の準備の間、それぞれクールダウンをしていた。
 白鳥沢もつい先程までは整理運動をしていたみたいだが、私が荷物をまとめた頃体育館を除くと、既にそこに白鳥沢の選手の姿はなかった。最後かもしれないから、若利と話したかったんだけど。

「櫻井」
 っ!バッと振り向くと、若利の後ろに日向と影山がいた。
「………若利が、あんなムキになってるの初めて見た」
「……」
「何も言わなくて良いよ。今の気持ちも、教えなくて良い。
 だけどこれだけは聞かせて……今日の試合、楽しかった?」
「……ああ」
「そっか……そっか!」
 それでも負けたことは悔しいのか、いつも冷静な顔やはり腑に落ちないといった表情で若利は答えた。
「日向翔陽に影山飛雄………
 俺はお前より強いと、幼稚だろうが言いたかった」
「………」
「櫻井の事もあの頃から見ていた。だから、何があったか知っていた。それでもお前にバレーをやめて欲しくはなかった。
 例えお前が、試合をあの二人に掛けていたとしても。
 俺達が勝って、次はまた櫻井の実力で上がってきて欲しいとも………思った」
 若利が言う二人は、どちらを指しているのかわからなかったけれど、彼も私のバレーを見ていたことを知っているから過去の私に囚われていたのかと思った。
「だから、困らせたんでしょう」
 私は、中学のあの試合が終わってバレーを嫌いになったわけじゃない。信じることが怖くなった。
 それでも心にあったのは、あの頃みたいに徹と岩泉とバレーをしていたかったということだけで、離れられなかった。
 だけど恐怖で足がすくんで、動けなかった。そんな腐ってた私をこのチームは変えてくれた。チームなんて色々あるけど、烏野が私の求めていた本当のチームってやつなんだと思う。
 私は若利の顔をしっかりと見て笑った。
「今日は本当にありがとう」
「………」
 無言を貫く若利をらしいなと思った。
「今まで、私が強くなれたのは貴方がいたからなんだよ。
 ずっと、尊敬してる。牛島若利」

 そして、

「私のバレーを信じていてくれて、ありがとう」
「………、」
 そう言うと、若利は心底驚いたような顔をした。
 及川徹がそうであったように、牛島若利もまた、私のバレーを好きでいてくれたんだ。だから、「あんなつまらないことで辞めるとは思っていなかった」だと思う。
「好きだから、困らせる」確かにその通りだ。
「もう、この先こんな機会無いと思う。だけど、これからも貴方は私の道だ。……必ず追いつくけど、ね」
 そう、拳を突き出すと若利は少しだけ困惑して、それでも嬉しそうに微笑みながら拳を突き合わせて言った。

「待ってる」

    *    *    *

 整列してコートから出ていく牛島を見て、俺は皮肉を込めて言った。
「ウシワカ野郎はもっと悔しそうな顔しろっつーんだよ」
 隣で見ていた岩ちゃんも前かがみになっていた体制を起こして話す。
「…影山、良い仕事しやがるな」
「…岩ちゃんも気づいた?」
 試合中、あのチビちゃんと位置を変わったことについて話していた。
「恐らく、戻ってきた眼鏡君から何らかのブロックの指示が出た。多分、対ウシワカのストレートを締めろとかかな?
 だから飛雄はサーブ後クロスに居たチビちゃんと咄嗟に場所を代わった。西谷君がいなかったからね」
「あと、土壇場での嫌な返球な。さすがお前の弟子だわ」
「弟子じゃねーし!!
 そんで極めつけ…いつもと違うことをやりに来たチビちゃんにちゃんと合わせた。ムカツク程見えてやがる」
「ーまぁ、その良い仕事の前提にあるのは一年眼鏡のブロックだけどな」
 ベンチを立ち、コートに視線を向ける。
「それにしても、チビちゃんはトスを上げてみたくなるスパイカーだね…飛雄が振り回されるワケだよ」
 集合するオレンジの頭に視線を向け、烏野の応援席を見たら律ちゃんはもういなかった。
 
 中学の頃から、彼女のことが好きだった。そしてこれからもその気持ちは変わらない。
 試合中チビちゃんに向かって叫んだ彼女を思い出してフッと笑う。
「……中学の時、あの体育館に一人で黙々と練習してた律ちゃんはどこに行っちゃったんだろうね」
「……今の櫻井が嫌だってのか?」
「ハッ!まさか!!」

 嫌になったことなんて一度もない。
 俺が嫌なのは、彼女を傷つける自分だ。
 
「嫌どころか、大好きだよ。
 律ちゃんを変えたチームが、どんなところか気になるだけ」

 さー、さっさと帰んべ帰んべ!!と岩ちゃんの背中を押しながら会場から出る。
 大丈夫だよ。もう、大丈夫。嫌うなんてありえないし、今日だって会いに行く。だから、その時いっぱい褒めてあげるんだ。

 昨日の試合終了後。ちゃんと二人で話したことを思い出して、心が暖かくなった。

    *    *    *

「忠告だ及川。もう道を間違えるな」
 今日の試合の全日程が終わり、バスに戻る前に荷物の確認をしようとギャラリーの方へ戻っていた私は、曲がり角の手前で及川の名前を呼ぶ若利の声を聞いた。
「お前は道を間違った。
 もっと力を発揮できる場所があったのに、取るに足らないプライドの為にお前はそれを選ばなかった」
「それは青城じゃなく白鳥沢に入るべきだったって事でOK?
 成功が約束されたチームなんか無いだろ」
「少なくとも今ここでは、俺の居るチームが最強のチームだろうが?」
 いつものように淡々と、それでいて自信に満ちた勝つことを疑わない若利の発言に、私は目を見開いた。今までの経験と己の力を信じて疑わないからこそできるその言葉に、明日戦う身としては不満を持たずにいられない。
「ハッ!!!相変わらず面白いくらいの自信だな!」
 及川は皮肉を込めて笑い、少しの間を開けて言った。
「…『取るに足らないプライド』……確かにね。聞けよ牛島。
 俺は自分の選択が間違いだと思った事は一度も無いし、俺のバレーは何ひとつ終わっていない。

 取るに足らないこのプライド
 絶対に、覚えておけよ」

 出ていこうとした足が止まり、そのままの位置で話を聞く。
「ああ、それとね。俺ばっか注視してると思ってもみない方向からブッスリ刺されるからね」
「?どういう意味だ」
「俺の後輩、頭悪いしまだぜーんぜん俺に敵わないけど。それでも独りでなくなったあいつは、強いよ。
 それに、俺が尊敬して焦がれてる律ちゃんだっている。
 ……カラスは、群れで大きな白鷲さえ殺すかもね」

 及川の言葉に、思考が止まる。
 『俺のバレーは何ひとつ終わっていない』
 私が、岩泉と及川のバレーを終わらせていた気になっていただけだった。全然、まだ終わっていない。その言葉に少しホッとして、今及川を追わないと絶対に後悔すると足を動かした。
 勝者が敗者にかける言葉なんて無いかもしれない。見下してるのかって。貶してるのかって余計嫌われるかもしれない。それでも、私は。

 及川は、明日の為に片付けられた体育館をギャラリーからジッと見ていた。

「及川、」
「…!……櫻井さん…」
 及川の名前を呼ぶと彼は振り向いて、何て話したらいいか分からないといった表情をした後、へらりと笑った。

「負けちゃった」

 その表情がとても悲しく見えて、辛い。
 最初から分かっていた事。どうせどちらかがこうなると、分かっていたんだ。
「…何で、泣かないの」
「泣けないよ。櫻井さんの前ではもう絶対泣かない」
 弄られたりして涙目になってるのは見たことあるけれど、あの冬以来、及川は私の前で決して弱さを見せない。それが私は心底嫌だった。
「明日の白鳥沢戦、頑張ってね。牛若ちゃんとどんな試合するのか、楽しみにしてる」
「及川、」
「櫻井さんは牛若ちゃんとも仲良いみたいだったし、きっと今お互い色々考えて「徹」
 名前を読んで、真っすぐに目を見つめた。
 あの日の公園では、視線を合わせて話すこともそういえば無かったな。なんて今更になって気づいた。

「………徹は、私のことをどう思ってるの?」
 
 仲良くなるにつれて、お互い本音を話さなくなっていた。
 そんな状況を作り出してしまったことはもう仕方ないかもしれない。
 
 もう、二人で話す機会なんて来ないかもしれない。
『落ちるところまで落ちてるんなら』気にしてもしょがない。
 
「私、若利のことなんて考えてない」

 このまま、徹とすれ違ったままなら、何言っても同じじゃない。この先のことを考えて悩むくらいなら、もう今全部言ってしまえ。

「………徹のことばっかりだよ」
「、え」

 昔から人付き合いが苦手で、自分の思ったことをうまく伝えられなくて。それならいっそ、と表情を殺して生きてきた。私が我慢すれば全てがうまく回ると。だから、どうでもいい人にはなんでも話すのに仲良くなってからは一定の距離を、壁を作ってしまって。嫌われるのが怖い。変化が怖い。
 だけど、私はもう徹と壁を作りたくない。

「………貴方が私のこと嫌いでも、私は貴方の事が好きです」

 『及川がいなくても大丈夫』なんて嘘。大丈夫なんて、微塵も思ってない。
 バレーを辞めても、及川の事だけをずっと気にしていたから。だから、貴方は特別なのよ。
 中学を卒業してから合わせる顔もないのに、心のどこかで会いたいって思っていたのも、及川とバレーができないと思うと寂しく思っていたのも、全部彼のことが好きだったから。特別だったから。

「私が次にバレーを辞める時、隣にいるのは及川徹がいい」
「!」

 じんわりと浮き出てきた涙もそのままに、及川を見つめる。
 嫌われたかな。こんなの、気持ち悪いに決まってるよね。
 でも、私は二度と彼を譲りたくない。誰かに彼の幸せを託したくない。
 彼と一緒にいたい。

「…………俺ばっかりって、思ってた」
 及川は糸が切れたようにポツリと話し出した。

「俺ばっかり、りっちゃんのこと、好きなんだと思ってた」

 零れ落ちた及川の言葉に、目を見開く。
 そのまま小さな声で話し始める彼の言葉を静かに聞いた。
「………律ちゃんがいままでどんなバレーしてたのかずっと見てきたから、全部わかってるのは俺だって思ってた。
 でも、牛島と話す律ちゃん見て、その思いにヒビが入って…

 世界で一番大好きだから大切にしたい。幸せになってほしい。
 でも、俺はそう思うと同時に、律ちゃんを滅茶苦茶にしてやりたいって思って……大切にできないって思って」
「………だから、初めて会った時に言わないでって言った言葉を言ったんだね」
「……うん」
 『大前提として、私は天才じゃない。私の事を全く知らないから仕方ないのだろうけど、そう呼ばれるのは好きじゃないから言わないで』
 私のことをよく知っていた及川だからこそ、適格に容赦無く私を傷つけることができたんだと思う。
「何それ。私のこと凄い好きみたいじゃない」
 なんか、笑えてきてしまった。あの時は、そんな余裕無いくらいだったのに、私はいつから及川のことが見えなくなっていたんだろう。

「好きだよ。ずっと前から。
 世界で一番、律ちゃんのことが好きです」
「うん。私も」

 恋はするものではなく落ちるものだというけれど、私はいつから彼に落ちていたんだろう。
 私は徹に近寄り、グッと徹の頭を自分の胸に引き寄せ、抱いた。
「律ちゃん………?」
「面倒くさいよね。長く一緒にいると、言わなくても伝わるなんて思っちゃって」
「………ほんとだよ」
 悔しい気持ちも嬉しい想いも、全部わかる。だから、少しでも分け合いたい。
 『及川君みたいになりたかった』、なんて華は言っていた。彼女の特別にずっとなりたかったけれど、彼はそんなんじゃない。

「徹は最初から、私の特別な人よ。
 ……随分遅くなったし、遠回りしたけど。ただいま、徹」
「!……おかえり、律ちゃん」



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