放課後になり、武田先生の運転で青葉城西高校へやってきた。一歩踏み出して体育館とそこで練習をしている選手に挨拶をし、青城の練習風景を見渡す。体育館も広く、そこで練習をしている選手のスペックも高い。雰囲気が、烏野《ウチ》とはまるで違う。
「それでは櫻井さん、行きましょうか。
 澤村君はみんなをお願いしますね」
「はい」
「わかりました」
 平日とゆう時間が無い中での練習試合なので、一試合だけだ。なので、早く準備をして始めようと、武田先生が挨拶に行くのに私も同伴することになった。本来ならば澤村が行くところなのだろうけれど、今の烏野は圧倒的に人手不足で問題児も多いからチームをまとめるのは主将でなくてはと、マネージャーが行くということでジャンケンで負けた私が武田先生に付き添うことに決めていた。
 青城のジャージを着た大人の方の元に向かい、挨拶をする。
「無理を言ってしまい申し訳ありません。烏野高校バレー部の顧問をしている武田です。本日はよろしくお願いします」
「監督の入畑です、よろしくお願いします。そちらは……」
「マネージャーの櫻井です。主将はチームの方に居るので代わりに。本日はよろしくお願いします」
「コーチの溝口です。こちらも主将が席を外しているので……
 
 岩泉!!」
 溝口コーチが大声で呼んだのはやはり知っている名前だった。副主将が岩泉なら主将は及川のはずなのに。何かあったのかな。彼は遠目で私を目視していたのか、落ち着いて「青城副主将の岩泉です」とだけ言った。相変わらずの仏頂面だと思いながら、右手を差し出した。
「一試合だけですが、今日はよろしくお願いします」
「……お前のそういう所、ほんっとうに変わらねえな、櫻井」
「そう見える?…久しぶり、岩泉」
 私の手を両手で強く掴んで握手を交わした岩泉は、少しホッとしたように笑った。
 中学時代仲が良かったと言えど、あんなことがあったのだ。岩泉も私と同じで少し緊張していたのかもしれない。
 私達の様子に驚いたのか、青城の入畑監督が話しかけてきた。
「なんだ、知り合いだったのか」
「岩泉と私は中学三年間同じクラスで、友人です」
「俺達はお前が烏野に行ったとか全く知らなかったけどな」
「先生には秘密にするよう言ってたから。
 ………後でちゃんと話すから、今は何も聞かないで」
「………おう、」
 それじゃあ、とチームの方に戻った。
 私が今まで何をしていたのかは、今何故かいない及川が来てから三人で話そう。その方が、私たちの間に何かがあっても岩泉に止めてもらえる。何かは無い方が良いけれど。
 
    *    *    *

「…………珍しいな。岩泉がそんな顔するとは」
「え、どういう顔っすか」
「安心したような、複雑そうな顔?
 お前が特定の女子と仲良さげにしてんのもまともに見たこと無かった気がするしな」
 溝口コーチは、金髪で強面なのに選手の顔は本当によく見ていると思う。烏野の選手と話している櫻井にもう一度視線をやって、案外元気そうだったなと安心した。
 櫻井とはまさかここで会えると思っていなかったから、何も教える気は無かった。櫻井と及川の間に知らなくていいことは沢山ある。だから、俺が今言えることだけ伝えた。
「櫻井は、北一が全中で優勝した時の女子バレー部のエースで。中学卒業して姿を消していたので何で烏野でマネージャーしているかは知らねえっすけど……でも、本人の実力は相当っスね。
 サーブもスパイクも、当時は右に出るものがいないって程で、及川のサーブを徹底的に鍛え上げたのはアイツですし」
 まさか。と続くような驚いた顔で二人は櫻井の方を見た。櫻井は背の高い眼鏡と何か話しているようだったけれど、相変わらず無表情だ。一見普通の女子マネージャーに見える。
「……あの子が?」
「はい。とゆうか、及川が櫻井の真似をしたりアドバイスしてもらって今の状態って感じです。
 ……あの二人、中学の時色々あったので及川が病院から戻ってきた時が心配っスけど」
 学校が終わってすぐ病院に向かった及川に連絡を入れる術はない。だからこそ、櫻井を見た時及川が何をするかわからない。二年間櫻井を探し続けたアイツの事だから、絶対泣きはするだろうけど。
 
 どれだけ多くの女子からモテても、たった一人の本気で恋をした女とは中々うまくいかない。どころか本人は結ばれると信じてもいない。いつだって心の中心に置いているくせに、自分は櫻井の障害にしかならないと考えている。
 そしてそれは櫻井も同じだった。
 及川と櫻井の間にはバレーしかないからと、及川との接触を避けたがる。何もそこまでしなくてもと思うけれど、それだけ昔のアレは櫻井にとって重い出来事だったということだ。お互いのバレーを邪魔したくないと距離を置きたがるくせに会いたいと思い続けるなんて。いったい何処の漫画だよ。
 しょうがねぇな。と思いながら、また一悶着ありそうな二人の間に入ることをめんどくさいと思うと同時に嬉しく思った。
 なんだかんだ、俺だってあの二人が好きなんだ。

「烏野高校対青葉城西高校、練習試合を始めます!」

    *    *    *

 第一セットは日向の緊張から来るミスでグッズグズだったけれど、それもなんとか持ち直して第二セット。影山と日向の速攻は思った以上にうまく機能している。
 こうしてベンチから試合を見ることが中学時代はほとんどなかったから新鮮で、みんなの動きがはっきりとわかる。
 それでも中ではいっぱいいっぱいで、あの頃の私には周りを見る余裕も無かったんだろうなと思えてくる。

 ああ、いいなあ。

 中学時代の影山を知っている子が、信じられないようなものを見るような目で影山を見ている。それくらいチームメイトと影山の間にできた溝は深かったのだろうと思うと同時に、些細でもきっかけさえあれば人は変われるのだと教えてくれる。
 だけど、私があのコートで輝やくことはきっとない。本気でチームの一員になりたいと思えたのは、烏野《ここ》しかないから。
 あの頃は一ミリも考えたことがなかった『バレーがしたい』という感情が、出来なくなってから強くなっていく。
 心の整理ができないまま、時間だけが進んでいる感覚。
 沢山の『もしも』を思い浮かべては否定して、そんな自分が嫌いだと自嘲気味に笑う。ああダメだ。少しキツくなってきた。奥歯を噛み締めて、目を伏せる。
 
「おっしゃあああ!このまま最終セットも獲るぜええ!!」
 第二セットは烏野が取り返し、これから最終セットが始まる。県の四強相手に一セット取ったことや日向と影山の速攻が通用したことでチームのボルテージは上がっている。このまま上手くいけば、勝つことだって出来るだろう。
 
 うまくいけば。……青城が本気を出さなければ。
「油断、ダメです。多分ですけど向こうのセッター、正セッターじゃないです」
 影山の言葉に周りは驚くが、彼のことをよく知っているから私は頷くだけだった。
「喜ぶのは勝ってから」
 岩泉の様子からして、及川は試合には間に合うのだと思う。話したいことがあるから、そうじゃないと私も困る。
「……律、大丈夫?」
「………ん、ごめん潔子」
 そっと背中に手を添えてくれた潔子に寄り添って、呼吸を一つ置く。
 嫌だな。好きであるはずのバレーに気分を悪くして、嫉妬して。どんどん自分が酷く醜くなっていく感覚がする。
「今日がダメなら、きっと私はもうニ度とバレーを見ることは出来ないんだろうね」
 心の底から信頼できる友達も仲間にいるのに、コートを見ることすらキツイなんて。
 そうこうしていると、体育館のギャラリーにいた女の子たちが途端に騒ぎ出した。

「アララッ一セット取られちゃったんですか!」
 
 第三セットが始まる着前。久し振りに聞こえた声に、不思議なくらい安心した。
 同じ歳の男の子よりも少しだけ高い声は明るく弾んでいて、聞きようによってはイラッとすることもあるだろうけれど、何よりもこの状況を楽しんでいることがわかる。
 一人の選手の登場に騒ぐ女子と、チームメイトに急かされながらもその女の子たちに手を振りながら笑顔を向ける彼の背中を見つめる。
「及川さん……超攻撃的セッターで、攻撃もチームでトップクラスだと思います。
 あと、凄く性格が悪い」
 多分月島以上かも。と呟く影山に、及川を知らないメンバーは知り合いだったのかと及川に視線をよこす。
 その隠すことがない視線に及川はこちらを向いた。
「やっほートビオちゃん、久しぶ、り………」

 目があった。
 絡み合う視線とともに一瞬で消える及川の笑顔。
 やっぱり、怒ってるかな。嫌われたかな。
 
「……中学時代の先輩です。俺、サーブとブロックはあの人と櫻井さん見て覚えました。実力は相当です」
「てことは、櫻井とも知り合いなのか………」
「ん、自主練とかよくしてた」
 菅原の声に反応しつつも、及川から視線を外さない。
 ギャラリーにいる女の子からどんなに名前を呼ばれても、動かないのは及川も同じだった。

「律、ちゃん……?」

 久々に、私の名前を呼ぶその声を聞いた。今までいろんな声で呼んでくれたけれど、こんなに悲しくて嬉しいと思うのは初めてかもしれない。

「久しぶりだね………徹」
 
    *    *    *

 ようやく病院から戻ってきたかと思えば、案の定櫻井を見て絶句し歩み寄ろうとする及川。
 こいつがずっと櫻井を探し続けていたことを知っている俺は、その反応は仕方ないが今は体育館で練習試合の最中だと青城の副主将として主将である及川を連れ戻しにかかる。
「おい及川、気持ちはわかるがとりあえずアップ「岩ちゃんに、俺の気持ちなんてわかるはずないよ」あ?ッ、」
 ジャージの襟首を引っ掴んで櫻井から視線を外させた及川を見ると、目に涙を浮かべていた。それもそうだ。コイツはずっと櫻井のことを考えてきたのだから。
「だが、それとこれとは別だ。今は試合中で、あいつは烏野にいる。今していい話でも無いだろ。
 …後で話すって言ってたから、ひとまずアップ行ってこい」
「………うん、ありがとう岩ちゃん」
 
 こぼれ落ちそうになっていた涙を乱雑に拭ってアップに向かう及川の背中を見送っていたら、様子をうかがっていた松川と花巻が話しかけてきた。普段見ることのない及川の様子に驚愕したらしく、少しソワソワしている。
「及川、どうしたのアレ」
「あー……烏野のマネージャー。髪結んでる方と面識あって」
「エッ、じゃあまさか噂の及川の好きな人ってまさか…」
「ああ、アイツだ」
 眉目秀麗で気さくな性格の及川は、非常に女子からモテる。
 だからこそ及川の特別になってしまった櫻井はああなったのだろうし、それについては及川も思うところがあるようだが、それでも容姿については仕方がないと受け入れている。

 けれど、高校に進学して櫻井と会えなくなってからは、女子からの告白に隠すことなく言っている。
『俺には好きな人がいるから付き合えない。
 たとえ二度と会えないとしても、多分その子以上に大切な女の子なんていないからいつまでも探し続ける』と。
 聞いた時はまた中学の二の舞いになる事を危惧したが、そうはならなかった。
 不思議に思って、及川絡みで俺に相談してきた女子にそれとなく理由を聞いた。すると、それを話す及川の表情が、切なくなるくらいに悲しいから、何も言えなくなるのだと。
 どうやら及川に想いを寄せてきた彼女達は、一度も見たことが無かったその表情を見ると、及川からそんな表情を引き出す女子に敵わないと思ってしまうのだと潔く諦めるらしい。
「岩泉さんも及川さんも、烏野のマネージャーと知り合いだったんスか!?」
「ん?ああ、まあ片方だけな」
 金田一と国見も北一出身だが、櫻井の名前は知っていようとまともな面識はなかったはずだ。
「矢巾さん、烏野のマネージャーは両方美人だって言ってましたもんね……というか、櫻井さん。及川さん、大丈夫ですか?確か、二人って仲悪かったんですよね」
「は?及川がその、櫻井さん?髪結んでる方の子の事が好きで、会えるかわからないのに探し続けてたんだろ?」
「え。及川さん、櫻井さんのこと好きなんですか」
「おい岩泉……」
「金田一と国見がそう思ってんのは中学時代の噂を聞いたからだろ。櫻井が及川に暴言を吐いたっていう」
「え、何それすっごくワクワクするんだけど」
「噂っていうか、実際に見たんですよ俺。及川さんが櫻井さんに手を振ったら『作り笑顔がキモい』って言われてるところ」
 国見が花巻に話しているのを、あ、あったな。と思いながら聞いていた。
 自主練以外では滅多に話すことが無い。寧ろそう見せるよう櫻井が徹底していたというのに、何故か及川はファンに接するかのように櫻井に手を振ったのだ。それに対しての櫻井の反応がそれである。及川が落ち込むことはなかったし、放課後練習に向かうと至って普通にしていた。だから、二人にしかわからないやりとりでもしたのだと思う。
 俺は及川の幼なじみで、長年アイツと一緒にいたから大抵のことは手に取るようにわかる。けれど、櫻井だってそうだ。
 日常生活では本当に話すことなんてなかった二人だ。自主練を一緒にしていたことなんて一部の限られた人しか知らないのだから、国見や金田一が勘違いしても仕方がない。
「とりあえず及川と櫻井のことは置いておいて、試合に集中な。
 あと、櫻井に関して及川はめんどくせぇから、あんまり話さねぇ方がいいぞ」

 これだけ、二人の側《そば》からみても『何かある』と思わせるのに、当の本人達はこの関係が普通なのだと思っている。
 世界で一番大切な人だと。大好きだと言い切ると言うのに、付き合うとか、恋愛と交えて考えることが一切ないのだ。
 いや正確には、恋愛を交えて考えてしまったら絶対にダメだと二人とも思い込んでいる節がある。
「今度こそ、上手くいってくれよ………」

    *    *    *

 烏野のマッチポイントでピンチサーバーに及川が戻ってきたものの、最終セットは烏野が取り勝利で終わった。
 それでも青城はベストメンバーじゃなかったわけだし、烏野《ウチ》もまだメンツが揃っていない。
 現時点での能力を確かめはしたけれど、快勝と言えるような気分にはなれなかった。

「律、大丈夫?」
「うん、全然大丈夫。心配かけてごめん」
 試合が終わり、選手に礼をした後で潔子が話しかけてきた。青城の選手に武田先生が話をしている時、外からそれを見ていた私が少し暗い顔をしていたから気にしていたのだと。
「………彼が来てからだったね、顔色が戻ったのは。
 中学の頃の話を思い出して、向こうの主将が律にとって特別なんだなって思ったよ。サーブも凄かったけど、それ以上に打つときのフォームが律に本当にそっくりでビックリしたかな」
「………特別、なのかな」
「私にはそう見えたってだけ。話してくるんでしょ?呼びに行くから、行ってきたら?長くは居られないんだし」
「うん、ありがとう」
 潔子に背中を押されて青城の方に一歩踏み出すと、すぐさま及川が私に気づいて手を引いてくれる。彼のこうゆうところが良いと思うし、少しほっとする。及川に続いて岩泉もこちらにきたことから時間はないものの立ち話をすることになった。
「、久しぶりだね、櫻井さん」
「そうだね。どう?調子は。遅れてきたのは、怪我?」
「軽い捻挫だよ。そう酷いものじゃないし、見ての通り絶好調です」
「どうだか。安静にしとけって一週間別メニューだったろ」
「岩ちゃん余計なこと言わない!」
「……良かった。あんまり心配させないで」
 いつも通りの軽いやりとりに懐かしいと思いつつ安心した。来た時及川の姿が見えなくて、少し不安になっていたのだ。本当に良かった。無事だということも、ちゃんと普通に話せていることも。
「えっと……時間もないし。何から話せばいい?」
「全部教えて。櫻井さんの言葉で。櫻井さんが話したいように、そのまま全部」
 手に持っていたボールを差し出して及川は言った。それを受け取って、掌で転がす。及川は真剣な表情でまっすぐ私を見る。
「完治に二年だったよね。あれから三年経った。
 ……もう、完全にバレーから離れちゃった?」
 最後に顔を合わせた時のことを思い出して、手に持ったボールに力を込めた。及川の笑顔も泣き顔も、全部見ていたから。
「……あれから、色々考えて。最初は離れる気満々だったの。だけど、どうしても離れられなくて。
 できなくなってから気づくなんて本当にバカだなって思うんだけどね、及川。

 私、バレーが好きよ」
「……うん」
 ああ、やっと言えた。私は及川にずっと伝えたかったんだ。
 バレーなんて好きじゃないなんて嘘だと。私はちゃんと自分の意思で自分のために努力していたと。
 言った時の及川と岩泉の表情が少しだけ柔らかくなって、この二人も私が見ていた分だけ私のことを見ていてくれていたんだろうと嬉しく思った。
「リハビリしながら続けるってこともできたんだと思う。でも、私はそうしなかった。ずっと一人でバレーしていたから、私が心から信頼できるチームなんてないんじゃないかって考えて、また裏切られるんじゃないかって、怖くて。
 でも、潔子が……同級生の友達が背中押してくれて」
「…烏野に行ったのは?」
「それは、私にバレーを教えてくれた人が烏野の監督をしていたから。行きたいところも特になかったし、私のことを知っている人がいない場所で、ゆっくり考え直したかった。
 やり直したかったんだ。……だから、誰にも言わなかった」
「そっか………うん、ありがとう話してくれて」
「にしても、マネージャーか」
「指導者がいないから、少しだけ混ざったりはしてる。面倒見てやれって言われてるし。本当に滅茶苦茶だけど、その言葉がなかったら私はここにはいない」
「ん……俺としては飛雄と同じチームに櫻井さんが居ることが不満だけど。でも、よかった。
 櫻井さんと会えて嬉しい」
 そう笑った及川に持っていたボールを渡した。
「……私は、及川と岩泉に会うのが怖かった。私たちの共通点はバレーだけで、私がバレーを辞めたら今まで通りにはいられないんじゃないかって」
「ありえないけどね」
「そうみたいで良かった」
 及川は優しげな顔で言い切った。
 
「俺が櫻井さんを嫌うことなんて、ありえない。
 櫻井さんにずっと会いたかったから。………律ちゃんは、俺の一番大切な人だから」
 だから、本当に良かった。そう、少しだけ鼻声になって言う及川はどんな思いだったんだろう。
 私と同じ気持ちだったらいいなと少しだけ思った。
「本当は、今でも試合を見るのは少しキツイんだ。公式試合は特に、色々思い出して…気分悪くなって。
 でも、今日来て良かったよ。及川と岩泉が居るなら大丈夫って思って、実際大丈夫だった」
 そう言うと二人は顔を見合わせてフーッと長く息を吐いた。
「……お前、本当にそういうところだぞ櫻井」
「そこは俺だけって言って欲しかったけど、岩ちゃんなら仕方ないか」
 少し照れている岩泉と、若干不服そうにしているものの嬉しそうに笑う及川に私もつられて笑った。



「いくら日向と影山のコンビが優秀でも、正直周りを固めるのが俺達じゃあまだ弱い。悔しいけどな」
 今日の反省を話しながら帰りのバスに向かって歩いていると、校門に寄りかかる及川が目に入った。
「おお〜!さすが主将!ちゃんとわかってるね」
 田中が敵意剥き出しで及川に寄ろうとするのを引き止めると、それを見た及川が嬉しそうにニコニコしながら話を続けた。
「そんな邪険にしないでよ、挨拶に来ただけじゃ〜ん。
 俺は今日殆ど試合には出てないしね。
 インターハイ予選はもうすぐだからちゃんと生き残ってよ?俺はこの、クソ可愛い後輩を公式戦の舞台で同じセッターとして正々堂々叩き潰したいんだからサ」
 影山を指差して話す及川は、このチームの事が見えていないのか、逆に煽っているのか。まるで、
「『影山以外は敵じゃない』って言ってるの?バレーはチームスポーツなのに」
「……さっきはそういう空気じゃなかったからあんまり態度に出さなかったけど、やっぱり櫻井さんと飛雄が同じチームにいるのが気に食わないんだよねぇ。
 ほんと、今からでも俺のとこに来て欲しいくらい」
「行くわけないでしょ。何言ってるの」
「知ってるよ。……気に食わないって思うけど、それと同時に興味も湧いたんだ。
 
 櫻井さんが心から信頼できるって言ったチームにね」
 エッ、と身を硬くする皆を一目見て、及川は私に手を伸ばした。そのまま私の手首を強く掴んで、引き寄せる。
「もしも………もしも。ここが律ちゃんを傷つけるような場所なら、俺が叩き潰す」
 及川は普段のおちゃらけた雰囲気からは想像もつかないような声で、表情で言った。
 私が何をしていたのかは話したけれど、結局及川が何を思っていたのかを聞くことは出来なかった。今、彼はどんな気持ちでそう言っているのだろう。
「そうはならないから大丈夫だよ。律は渡さないから」
 私の肩をぐっと掴んで澤村が言った。及川は少し微妙そうな顔をして、パッと手を離した。
「その言葉、信じるからね。
 大会までもう時間はない。どうするのか楽しみにしてるね」
 言いたいことは全部話したのか、及川はそのまま学校に戻って行った。
 緊張した空気が一気に解けたのか、ふぅと息を吐くと菅原が騒ぎ出した。
「なんなの及川!あいつって中学からあんななのか影山」
「まあ、引っ掻き回すのとか得意ですし」
「というか、櫻井先輩とどんな関係なんですか。驚きましたよ、突然あんなこと言われて」
「どんなって、友人だけど」
「ただの友人にあんな顔してあんなクサイ台詞言います?」
 月島にそう言われると、私でもなんて答えれば良いかわからないのだけど。そう思って苦笑いを浮かべていると、影山が口を開いた。
「えっ、及川さんと櫻井さん。中学の頃から付き合ってると思ってました」
「エッ、」
「……まあ、恋人同士にしては独占欲半端ない気がするけど」
「寧ろ、櫻井先輩のスペックで今まで恋人がいなかったというのも………」
「確かに。及川、さん?めっちゃモッテモテだったよな」
「許せん」
 及川と私の関係について話し出しているところ悪いけれど、微塵もそんなことはない。それどころか、恋人同士でも何でも無いというのにそういった色恋沙汰の噂ばかり立ってしまって普通の友人にもなれないのだ。
「いや、待って。影山、私と及川のことそう見てたの?」
 影山は「はい」と即答して、仲よかったですよね。と続けた。
 私は及川とそう見られないようにしていたところがあるから、岩泉は置いておいてまさか影山にそう思われていたなんて。
 潔子に言われた『及川が特別』と言う言葉が頭の中をループした。

    *    *    *

「影山、なんか凄くなってたな」
 烏野との練習試合が終わり、普通のメニューに切り替わってから休憩中。俺は岩ちゃんと怪我の具合とさっきの練習試合について話していた。
「つか、及川さっき烏野追いかけてっただろ?告った?」
 唐突にまっつんにそんなことを言われ、思考が停止する。
 告る??告るって、告白?俺が律ちゃんに?
「え、何で」
「?櫻井さんのこと、好きなんだろ」
「うん」
 世界で一番、心から大切な人だと胸を張って言える。多分、俺には彼女以上に大切な女の子が現れることなんてもうない。
「櫻井さん以上の女の子なんて、多分一生現れないかな」
「……コイツ、これで告白しようとか考えないんだぜ」
「勇気がないとかではなく?」
「付き合うとか、恋愛の意味で捉えようとしていないってことだな」
 まっつんとマッキーに岩ちゃんが話しているのを聞きながらボールを拾って指先で回した。休憩中でも常にボールを触るようになったのも律ちゃんの影響だったりする。
 この話を岩ちゃんにしたのは中学生の頃だったっけな。好きだなって思って、でも付き合いたいかと聞かれれば別に、今と何か変わることがあるの?と。今の距離感で丁度いいと思っている。今の距離感じゃないとダメだと思っている。
 律ちゃんのことが好きだから、もう俺は二度と間違えない。告白なんてできるわけがない。俺が、壊した様なものなのに。
「でもさ、それってちょっとキツくないか?
 及川は櫻井さんのこと好きでも、付き合ってないのなら櫻井さんは彼氏とか作っちゃうこともあるだろうし」
「ええ?櫻井さんにそんな人いないと思うけど」
「それはお前がそう思ってるだけの話だろ。俺は櫻井さんのことよく知らないけど、あんだけスタイル良くてバレーにも理解があるなら普通に靡《なび》くけどな」
 ……確かに、まっつんが言うことはわかる。中学の頃は友人関係が希薄だったからそういう噂とかなかったし、仲がいい男だって岩ちゃん以外はほとんど居なかったけど。
「律は渡さないから」とまっすぐな視線で言う澤村くんを思い出して少し背中が冷えた。
 俺は人前で名前すら呼べないのに、彼はそれを気にすることなく呼べる。同じジャージを着て、ベンチに彼女がいるのを見られるのはズルいなって思ったのは本当だし。
「及川は、櫻井さんが自分以外の男とキスとかセックスするの見ても平気?」
「平気、じゃないかな………」
 彼女のことが誰よりも好きだ。幸せになってほしい。俺は律ちゃんを傷つけてばかりだから、そんな資格はないかもしれない。それでも、手を伸ばしたいと思ってしまう。
 言われて気づくとはこのことだ。想像しただけで気が狂いそうになる。俺が律ちゃんを一番だと思うくらい、俺も律ちゃんにとって特別になりたい。
[#改段]
 おまけ
 
 
「てか、及川ってなんで櫻井さんとか律ちゃんとか呼び方変えてるの」
「櫻井と及川が仲良く見せないようにっつうか、及川にとって櫻井が特別だと思わせないようにだな。
 ……中学の頃はそれで色々あったし」
「徹底できてなくね?及川」
「昔は徹底してたけどな、多分久々に会って舞い上がってるんだろ」



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