それから、繋心さんの指導のもと合宿は滞りなく進んだ。
 帰りの車の中で話す限り繋心さんはかなりセッターに迷っていたけれど、菅原に「一プレーでも多く一緒のコートに立ちたいから、試合に出られるチャンスが増えるなら何でも良い」と言われ、影山を正セッターとして使うことに決めたのだと。
 私は小学生の頃からバレーをしていたから、中学の時もスタメンに一年生の秋に選ばれていた。だから、こういうポジション争いはあまりピンとこなかった。それでも、菅原は影山のセッターとしての才能を羨むだけでなく認め、チームにとって自分がどうあるべきなのか。どうしたいのかを考えた上で言ったのだと思う。
 
 『あんたがいなければー……』
 
 ふと、そんな言葉を思い出してそれを振り払うように首を振った。でも、部内での歳の差、上下関係というものは割と大きく響くのだということを私は知っている。菅原が選んだ選択が本当に正しいのか、間違っていないのかは本人の心構え次第ということになると思う。繋心さんは私とあの先輩の間にあった事情を知っているわけだし、その上での判断だとは思うけれど。
 私と潔子も菅原の性格を考えてそう言うと思ってたし「影山もまだまだだから腐らず成長し続けなきゃね」と背中を押した。

 合宿四日目はお昼頃から清子が体調を崩してしまい、武田先生に家まで送ってもらった。熱中症気味だと言っていたから、少しだけ心配だ。
 私は毎年なるよ。涼しい部屋で水分補給しっかりして、塩分とって寝ててね。と見送った。

「その場でいいから、聞いてください。
 えー、清水さんは体調不良と言うことで、先ほどお家の方に送ってきました」
「ってことだから、明日試合だけどこれから私がマネージャー業務やる」
「おう、頼んだぞ」
 潔子が帰ったと聞き悲しみに絶叫する二年二人の声を聞きながらスクイズボトルをカゴに詰めていく。
「櫻井、清水体調不良って大丈夫か?」
「少し熱中症気味なだけだって。心配しなくても明日には戻ってくる」
「そっか、良かった」
「西谷!田中ァ!!煩い!!」
 そして練習に向かう選手に背を向けて、私も仕事をしようと体育館と部室を行ったり来たりする。
 私は基本体育館での仕事をしているから、こうして一人で全部しなくてはいけないのは大変だと思った。私は二年の秋に入部したから尚更、一人でやり続けていた潔子がすこいと思う。
 元々経験者というわけでも競技に詳しいというわけでもなかった。ただ、なんとなく少しの好奇心で。だから教室ではルールとかスコアの付け方を結と一緒になって教えたりもしていた。
 一年の頃を思い出して、なんだか懐かしい気持ちになりつつも今晩一応連絡しておくかと調子の悪い洗濯機にビブスを放り込んだ。
 
 そして、合宿最終日、音駒との練習試合当日。
 烏野総合運動公園球技場へと足を運んだ私たちは会場で音駒の面々と顔を合わせる。今日の日程は、ウォーミングアップ程度に練習をしてから所々休憩を挟みながら試合だ。私と潔子は交互にスコアをつけつつ選手をサポートする。それでも繋心さんが隣で見てろというので、多分ベンチからあまり動くことはできないんだろう。
「なんか、あっちもキャラ濃いね」
「確かに。うちもだけどモヒカンとか金髪が普通にいるし」
 潔子が音駒のモヒカンの子と目があって軽くお辞儀をしてから呟いた言葉にうなづいた。
「律もピアス開けてるしね」
「今日は一応透明なんだけど、バレる?」
 右耳に一つ開いた穴にはいつも繋心さんとお揃いの細い丸型のピアスがあるけれど、今日はシリコンの透明のピアスだ。「近づかなきゃ大丈夫じゃない?
 というか、少し前から気になってたんだけどそのピアス開けたのって烏養さん?」
「そうだよ。自分で開けても良かったけれど、なんか後から変なことになったら嫌だと思って」
 私的にはさっさとしてほしかったのだけど、繋心さんはかなり渋っていた気がする。体に貫通した時の痛みを思い出して、ふと耳に触れた。
「烏養さんが来た時から思ってたけど、仲良いよね。無いとは思うけど、付き合ってるとか」
「無い。繋心さんは………年の離れたお兄ちゃんって感じ」
 全然関係のない話に脱線している気がするけれど、女の子は皆オシャレと恋バナが好きな生き物だ。しょうがない。
 そう思いながら試合がどうなるのか気にして、音駒の選手に視線を移した。繋心さんはレシーブに特化したチームだと聞いたけれど、それも昔の話だし。
 
 そう考えていると、隣にいた潔子が私を見て呟いた。
「……なんか、落ち着いてるね」
「そう?」
「うん。今までは試合前でも何か深刻そうな顔してたのに……やっぱ、青城との練習試合から変わったよ」
「それは……」
 私も自覚はあった。及川と岩泉は私と練習を重ねてきた分の信頼感がある。昔から二人は知っていてくれるから、二人がいれば何だってできると思い続けている。音信不通になったのに突然現れることからの不安もあったけれど。
 けれど、今回はきっと………
「『私のバレーが好き』って言ってくれる人がどんなバレーをするのか、楽しみで仕方がないんだよ」
 澤村と笑顔を貼り付けて硬く握手を交わす彼を横目に準備へと向かった。

    *    *    *

 俺が彼女を初めて見たのは、中学一年の夏。全国大会の女子の準決勝だった。
 予選で負けた俺は練習の休みと丁度被ったことから、コーチに「人の試合を見て勉強するのも練習のうちだ」という言葉の通りに、チームメイトと試合を見にきていたのだ。全国大会にどれくらい強い選手がいるのか、そいつら全員倒せばこの舞台に立てるのだと知るために。
 男子の試合を見にきていたけれど、見ていた試合が終わって飯食いに行くかと席を立った瞬間に起きた歓声。そちらに視線をやればそれは女子の試合で、第三セット初っ端からサービスエースを決め続けているのだとか。
「昨日も見たけど、やっぱ宮城の櫻井さん凄いよね」
「ほんと!一度でいいからトス上げてみたい…!」
「アンタほんと櫻井さん好きな。話したこともないのに」
「アイドルと話す手段なんて握手会しかないでしょ」
「アイドルて!!」
「いや、アレは落ちたわ。推すしかない。
 いつか絶対、櫻井さんにトス上げるんだから…!」
 近場にいた女の子たちの会話に耳を傾けつつコートを見ると、ショートカットの長身の子が次々と点を取っていた。
 客席とコートじゃ顔まで判別することは難しいけれど、俺は彼女に視線を引き寄せる圧倒的な存在感があるように思えた。
 何となく、視線を外せない。次はどんなプレーをするのか。
「黒尾!ご飯どこ行く?」
 一緒に来ていたチームメイトの声にハッとして、でもその場から動こうとは思わなかった。
「あー……悪りぃ。俺もうちょい見てく」
「そ?俺ら外出てくからな」
「おう」
 入り口付近の手すりの端っこに体を寄せてジッと彼女がいるコートを見つめた。
 綺麗な、それでいて男子にも勝るくらい威力のあるサーブを決める姿。どんな体制であってもセッターからのトスに答え、確実に点を取る。サーブ権は渡さないと言わんばかりに攻撃的なバレーだと思った。背番号と学校名をパンフレットで見て、そこで初めて彼女の顔と名前を知る。
 櫻井律。俺と同じ歳の女の子で、先輩たちからも頼れる存在。彼女がコートでのびのびとバレーをする姿が見に焼き付いて離れない。俺は一歩もその場から動かずに彼女を見つめていた。

 ……カッケェ。いいな。凄い。俺もあれくらいできたらな。
 彼女はどんな景色を見ているのだろう。俺も、見てみたい。
 
 
 コートに立つ彼女と客席から見る俺の距離が今俺たちにある実力差なのだと思えてきて、俄然やる気が出た。
 実際に見たのはその試合だけ。それでも鮮烈に頭に残っていた。雑誌やニュースを見るたびに彼女の記事をチェックして。我ながら若干のストーカーらしさを自覚しているし、研磨にも「櫻井さんそんな好き?」って引かれるレベル。
 純粋な憧れでここまで夢中になれるもんなんだなぁと、彼女を思い出すたびにバレーに打ち込んでいた。
 そして、中学三年のインターハイ決勝。ニュースで見た最後の表彰式に彼女の姿は無かった。
 何があったのかとか、すごく気になった。興味本位ではなく、限りなく心配で。だけど俺は彼女と面識があるわけではないし、ただのファンみたいなもの。だから、高校では必ず会うのだと。絶対に勝ち進んでやると思っていた。
 それなのに、高校になってからはパッタリと彼女の姿を見ることはなくなった。今まで試合は見に行けずとも、時々どんなに小さい記事でも雑誌に載ったりしていたというのに。

 あれから三年。まさか、自分が通っている高校に因縁があるチームでマネージャーをしているとは。驚きと同時に言葉にできない興奮が胸の中で燻った。
 詳しいことは話せずとも、少しでも近づきたいんだ。お前に。
「クロ、張り切りすぎ」
「ははっ………まぁ、仕方ないだろ」
 憧れてる彼女の前だから。見ていてほしい。自分をアピールしたくて仕方がない。
 お前の瞳に、少しでもいいから俺を映してほしいと思ってしまうんだ。

    *    *    *

 音駒高校は繋ぐことを徹底している学校みたいで、繋心さんが言っていた通りしなやか。リベロ以外のポジションの選手でもボールを拾う。全員レシーブがとても上手で、中々点が決まらずに歯痒く思う。少しだけ決定打にかけるところはあるけれど、安定感があってじわじわと追い詰められている感じがなんとも言えない。気持ちよく点が入らない、ラリーが長いとストレスにもなる。
「ねちっこいな………」
「え、悪口?」
「褒め言葉。でも、日向と影山の速攻を破るチームと練習試合の時点で当たれたことは良かった」
「ああ。対策なら夏までに練ればいい」
 繋心さんの言葉にうなづく。ただ、これからもっと先のことを考えると、対策を練るだけじゃ駄目だ。新しい武器を作って、磨く。チーム全体として強くならなければいけない。

 第一試合はストレートで負け、それからも試合を幾度と続け最終的に六セットをしたものの烏野は一度も勝てずに終わった。何度も「もう一回」と食らいついていくものの一セットも取れずに終わり、公式戦の前で良かったと思うと同時にこのままでは駄目だと強く思う。
 攻守共に五分五分だけど、バレーの根幹である繋ぐという面は音駒の方が上で、チームとしても完成されていた。

 講評もそこそこに、体育館の後片付けに入る。音駒も新幹線の時間があるし、早く終わらせなければ。潔子は音駒のも含めてボトルを洗ってくるとのことだったので、私はボールでも片付けようと籠を入り口付近に置き上に羽織っていたジャージを脱いだ。
「櫻井」
「?」
 足元に落ちてあったボールを一つ手にとって軽くドリブルしていると、黒尾が話しかけてきた。
「お疲れさま。あともうモップがけくらい?」
「ん、まぁな。ボール直すんだろ」
「うん」
 最後に少しだけ時間があるということで全員でサーブ練習をしたから、まだ数個残っているのだ。体育館の整備の前に講評と各自クールダウンと言ってあったのでボール拾いを始めることにした。チラリと籠の方に目をやると、田中が名前を呼びながら手を振ってきたので軽くそれに返した。
「………黒尾は、私のバレーが好きって言ってくれたよね」
「おう」
「今の…選手じゃない私は、貴方にはどう見えてるのかな」
 人が射線上にいないことを確認して、サーブトスを上げた。放り上げたボールを目で追いながら腕を伸ばし、一気に振り下ろす。バシッという大きい音と共にボールはスピードを上げて真っ直ぐに田中が抑えている籠へと入った。全然なってない。
「……相変わらず、カッケェな」
「!」
「俺、中一の夏のインハイでお前見てから、ずっと話したいって思ってたんだよね。
 だから、ぶっちゃけ嬉しすぎてなんて言ったらいいかわかんねぇけど、昔から櫻井のバレーが好きで憧れてる」
 照れ臭そうに、それでも真剣だと黒尾の視線でわかってしまった。今も昔も、そんなに変わらないのかもしれない。
 私にはバレーしか無いのかもしれない。それでも、昔も今も知っている彼はこんな私に憧れてくれている。それだけで嬉しい。
「私は私、か……」
「ん?」
「いや………ありがとう黒尾」
「なんかよくわかんねぇけど、こちらこそ?」
 私って、幸せ者だ。

 体育館の掃除も終わり、お互いに仲良くなったらしい選手と話すチームメイトを潔子と眺めていると、黒尾が「櫻井!」と呼びながら走ってきた。
「連絡先、教えて。これっきりにしたくねぇし……
 気が向いたらでいいから、連絡して。俺もたまにすると思うけど、変に必ず応答しろとも言うつもりないし」
 スマホ?だったらトークアプリとか何か使ってるか?そう、黒尾は話しながら真っ黒のスマホを取り出した。私はついこの前の誕生日に機種変更したばかりのスマホを取り出す。
 小さい頃から烏養さんの家に通ったり部活だったりと何かと出かけていたから、ガラケーを持たされていた。けれど、それももう古いからと、誕生日に買い換えてもらったのだ。
「え、ああ……メアドでいい?普段使いしてるアプリとかも登録していいから」
「おう、わかった」
「あと、電話は苦手だからあんまり出ない」
 画面に表示されたアドレスに、名前と電話番号を打ち込んでメールを送信すると、「届いた」と黒尾は笑った。
「ん、サンキュ……へへ、ありがと。じゃ、またな」
「うん」

 またね、と黒尾に手を振ると隣にいた潔子がポツリと呟いた。

「いつの間にそんな仲良くなってたの」
「日向が迷子になった時から」
 
    *    *    *
 
 帰りの新幹線。車内で隣に座っていた研磨がスマホから視線を外すことなく呟いた。
「話せたんだね」
「おう!連絡先交換してもらった」
「ふうん。相変わらず、好きだね」
 今まで追いかけていただけだった彼女が俺の試合を見ていた。俺が見惚れたあのサーブを、目の前で上げてくれた。それがすごく嬉しかったのだ。
 何があったのかなんて知らないし、無理に知ろうとする気もない。今も昔も、俺にとって彼女は憧れであることに変わりはないのだから。
 それでもこのつながりをまた前みたいな希薄なものにしたくは無いと思ってしまった。
「まあな……」
 数日前と同じ返事をしつつも、以前とは少し違うような気持ちでいた。素早く流れる景色を見ながら上機嫌でまた会いたいとこぼす。
 ずっと憧れていた。俺にとってどこか神聖化していた彼女の人間らしいところに触れて。また一歩ゆっくりとそれでも確実にハマッていく。
 
 俺は、憧れ以前に櫻井のことが好きだ。
 きっと、初めて彼女を見た時から、櫻井律に落ちていた。



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