「フンヌフーン」
試合の全日程が終わり学校へ帰ってきた。自主練もそこそこに明日も試合の為早めに解散し周りが次々と部室を出ていくと、いつの間にか岩ちゃんと俺の二人だけとなっていた。部室の鍵締めるの俺達だからいいんだけど。
隣のロッカーで帰る準備を進めていた岩ちゃんは俺が持っていたDVDが目に入った様で、相変わらずのお母さん気質を見せる。
このよくできた幼馴染は中学の一件からバレーに対して一直線すぎる俺が心配で仕方ないみたいだ。その優しさをもっと別のところにも向けてくれるといいのに。
明日の初戦は烏野と。
ウシワカちゃん率いる王者、白鳥沢を倒して全国に行くためには飛雄達を倒すことは最低条件だとわかってはいるし、勿論試合をすることは楽しみでもある。けれど、烏野に俺達が勝つということは律ちゃんのチームが負けるということと同じで、どうしてもそのことについて考えてしまい、少し憂鬱な気分になる。
勝敗にこだわりはなくとも、彼女は負けたことがないから。負けたと、悔しさに打ちひしがられる律ちゃんを見た時、自分が何をするかわからない。きっと俺は彼女が辛そうにしていたら何があっても駆け寄ってしまう。
勝った学校の主将としていられないかもしれない。
そのまま心のどこかでモヤモヤとした感情が渦巻いているのを感じながら、部室の鍵を閉めて学校を出てから少しずつ歩きはじめると、俺は岩ちゃんに声をかけた。
「明日……絶対勝つからね」
初めて会った時から憧れてやまない彼女が今最も信頼しているチームを、彼女を想い続けた俺のバレーで叩き潰す。
ぐるぐると同じようなことを考え続けたって、明日の今頃には結果が出ているのだ。手加減して喜ぶ律ちゃんでもないし勝ちを譲る気もさらさらない。
「もしも……」
「?」
「烏野との試合が終わった後、もしもお前が櫻井に駆け寄りそうになったら、俺が全力で阻止してやるよ」
少し言い淀んだかと思えばしっかりと前を見据えた目で口にした言葉。ああ、ほんとうによくできた幼馴染だな岩ちゃんは。俺の律ちゃんに対する感情もバレーにかける意気込みも全部わかってくれている。
「うん、殴ってでも止めてね」
「当たり前だろ」
「そこは殴らねぇって言うところデショ」
初夏を感じさせる冷たい空気に吹く暖かい風に、なんとなく昔のことを思い出した。
それはきっと、俺たちが公式戦で戦うのが初めてだからだ。
俺が初めて律ちゃんと話したのは、中学二年の春。
その日は、朝からあまり天気が良くない五月雨が降る日だったことを今でも覚えている。
その日は部活が無くて、体育の授業で使ったタオルを忘れて来たと家に帰ってから気づいたのだ。別に明日の朝練の時でも良いかと思ったけれど、曇りだし、これからランニングに行くついでに取りに行こうと思った。盗難に遭っても困るし。
女子バレー部が使っている体育館に部活が終わったのを見計らって取りに来た時、誰もいないはずの体育館から馴染み深い音が聞こえてきたのだ。
静かな体育館にタンッタンッと、不規則に床を跳ねるボールの音がする。たった一人でサーブを打ち続ける彼女を、本来の目的も忘れて見入っていた。
彼女の名前は櫻井律。岩ちゃんと同じクラスの至って真面目でおとなしい女子バレー部の子。モデルみたいに身長が高くて体格もスラッとしており、顔は整っている方だとは思うけれど特別美人というわけではない。元々バレーをしていたらしく、同学年の誰よりもユニフォームをもらうのが早かった。去年の夏の全国大会での活躍をキッカケに、三年生が引退してからすぐにスタメン入りしてエースになった天才。
一度だけ試合を見たことがあるけれど、それに納得がいった。スパイクもサーブも女の子らしくパワーはそこまで無いけれど、自由自在にボールを操って確実に決める。
そんな彼女の他を寄せ付けない圧倒的な強さに、同じ選手として嫉妬していた。
だから、決して良い印象を持っている訳ではなかった。
「さっきから、何?」
籠に入れていたボールがなくなったのか、俺を一瞥してボールを拾い始める。コートのエンドラインに置いた籠へ反対側に散らばったボールを正確無比に打ち込みながら俺に話しかけてきた彼女。そこで初めて声を知った。
「いや、一人?天才なのによくやるよね」
「天才………私が?」
ボールを拾う手を止めて俺の方を真っ直ぐに見る。俺はその瞳が嫌いなんだよ。恵まれてることを自覚しているにしても、していないにしても、決まって真っ直ぐに俺をその瞳に映す。憎らしくて仕方がなくて、しかも強い奴らに限ってさらに上を目指して努力をするもんだから嫌になる。
「そう。一年生からスタメンで、先輩差し置いてエースとか。これ以上強くなってどうすんの」
足元に落ちていたボールを足で拾ったかと思えば器用に指先で回す彼女を見て、我ながら性格悪いと自嘲した。
自分の顔は女ウケがいいのを理解してるし、同学年の周りの男子よりモテているのを自覚している。だからこそ女の子への対応に関しては慣れていて、普段ならこんなこと初対面の女の子に言わないのに。
「練習は必要に迫られてしているだけで、強くなってどうするかの答えなんてない。大前提として、私は天才じゃない。
私の事を知らないから仕方ないのだろうけど、そう呼ばれるのは好きじゃないから言わないで」
「じゃあ、何で練習してるの。そんなにバレーが好き?」
「好きとか嫌いとか、そうゆうのもどうでもいい」
「はあ?」
バレーが好きとかどうでもいいのに強いとか、何それ。
俺はバレーが好きだと、好きだから頑張れるし一生懸命になれるのだと即答できるのに、こんな奴が力あるとか、天才って呼ばれるのが好きじゃないとか。本当に意味わかんない。
「きみ、天才嫌いなんだね。私と一緒。
…バレーは、小学二年生の時友達に誘われて始めたの。私にとってはその子の事を親友だと、一番の友達だと思ってるんだけど、その子にとって私は沢山いる友達の中の一人としか思ってないみたいで………
だから、セッターである彼女にとって特別になりたくて練習してる。きっと誰よりも頑張れば、特別になれると思うから」
「ふうん……」
自分の一番大切な人にとって自分が一番大切な人になりたいという気持ちはなんとなくわかる気がする。バレーを始めた時からずっと一緒にいる相棒にトスを上げるのは、俺でありたいなんて思っていたりいなかったりするから。
「だったら、俺が上げてあげる。櫻井さんスパイカーでしょ」
「いいの?お願い。というか、私の事知ってたんだね、きみ」
「嫌でも目に入っちゃうんだよねぇ。てか、さっきから俺の事きみって呼ぶけど……まさか、俺の事知らない?」
「そんなに有名人だったの?なんかごめん」
「ゆっ…………まあいいや。
及川。櫻井さんと同じ学年で隣のクラスの及川徹です。男子バレー部でセッター」
ウィンドブレーカーの上着を脱いで放った。軽く腕を伸ばしながらコートに入る。数分前まで敵意むき出しだったのに、俺からトスを上げるなんて言い出してしまった。まぁ、さっきの非礼のお詫びだと考えればいいか。
それに、櫻井さんのスパイクを間近で見てみたいと思ってしまった。絶対に言ってやらないけど。
「櫻井律です。じゃあ及川、トスお願い。高めに上げてくれれば大体打てるから」
「ハイトス?苦手な子多くない?」
「私はそれが好きだから、いいの」
高めのボール、ハイトスは空間認識能力がものを言う。速度や距離感が少しでも狂うと、上手く打ちたい場所に打ち下ろせなかったりするからだ。それが好きとか、本当に彼女は天才なんだと。特別なのだと思う。
いや、特別って。
「まさか、周りが苦手だからこそ自分の得意にしてきたってこと………?」
「……まぁ、そんなとこ。
時間があるわけでもないし、別に無理して付き合う必要もないから」
ふと頭に浮かんだ考えはどうやら正解だったみたいだ。それでも表情も変えずに冷たい言葉を返すものだから俺は少しムッとして、セッター位置につく。
「別に、櫻井さんのためじゃないからね。俺の練習に付き合わせてるだけだから」
「はいはい。というか、なんでここに入ってきたの?
男子って今日オフだったんでしょう」
「あっ、体育の時に忘れてたタオル取りに来たんだった。まあ、大丈夫デショ。はやくやろ」
「…………及川って、本当にバレー好きなんだね」
「好き。だから、負けたくないんだよ。
俺天才嫌いだけど、取り敢えず櫻井さんの意見もわからなくはないと思ったし?
櫻井さんが努力で強くなったのなら、俺もそれにあやかろうと思ってね」
決して、最初から好きだった訳ではない、むしろ少し苦手。
それでも、強くなるためなら何だってしてやる。この子が俺と同じなら、俺だってこの子みたいに強くなれるはず。
そういう思いで、半ば強引に自主練の約束を取り付けたのだった。
「岩ちゃーん。俺、残って練習するから先帰ってて」
「は?俺も行く」
「あちゃー、やっぱり?」
いつも、何か言わずとも一緒に帰る岩ちゃんに一応と思って報告すると、想定していた答えが返ってきた。
同じ時期にバレーを始めた幼馴染は、努力家で負けず嫌いなところがあるから。俺が練習をすると聞いて黙って帰る彼では無いことはわかっていた。
でもなぁ。櫻井さんいるし、そもそも彼女が体育館を借りているのに混ざるだけだし。スパイカー二人になっちゃうんだよなぁと思いつつどう返答するか迷う。
「んだよ。何かやましい事でもあんのか?」
「いや、違うけどさぁ………まあいっか。行こ」
部室は締めると先輩が言うので荷物を持って体育館に戻ると、そこには既に練習を始めている櫻井さんがいた。昨日は数分間ガン無視決め込んでいたというのに、俺が現れた瞬間驚いたような、邪険そうな、微妙な顔をした。
「本当に来た………」
「櫻井さんは俺のことなんだと思ってたの」
「気が向いたから声を掛けた、一度限りの練習相手とか?」
「これからは毎日来るからね。櫻井さんは毎日いるんでしょ」
「毎日は流石にないよ。テスト期間と休みの日はしない」
「じゃあ平日は毎日だね!」
テンポよく言葉を交わしながら外していたサポーターをつけて靴紐を結んでいると、「それで」と櫻井さんに促された。
初対面から嫌悪感丸出しだったし、学校生活では目を合わせることもない。それでも、この場所でバレーをしている時だけは誰よりも噛み合う。テンポのいい会話ができていたから連れてきてしまった岩ちゃんの存在をすっかり忘れてしまっていた。
「あ、コレ俺の幼馴染の…」
「へぇ。岩泉と及川って幼馴染だったんだ」
興味なさげにしつつも岩ちゃんと目を合わせて「よろしく」と言う櫻井さんに驚愕した。
「エッ!?!?櫻井さん岩ちゃんのことは知ってたの!?
俺のことは名前すら知らなかったのに!?!?」
「うるさい。岩泉とは去年も今年も同じクラスだから」
「なるほどね!」
「及川ってなんていうか、自意識過剰じゃない?」
「ほら、俺顔が良いから」
「何そのかなりムカつく発言」
「櫻井さんに自意識過剰って言われるのもムカつくんだけど!?
てか、普段から自己主張しなさすぎじゃない?エースなんだし、もっとこう、アピールしなよ」
「必要ない」
「いや、あるね。スパイカーなのにスパイク練習しないとか、どうなの?今まで一人で何してたの」
「サーブ。サーブはバレーの中で唯一個人で点取れるから」
「じゃあ昨日は俺がトス上げたから今日はサーブ教えて?昨日も思ってたけど櫻井さんサーブうまいし。ジャンプサーブって中々思ったとこに行かないんだよね」
「わかった。岩泉もするんでしょ?サーブでいい?」
表情が変わらないというか、本当にバレー以外には無関心。いや、バレーに関してもどうでもいいと話していたから、この子が夢中になれるものなんてあるのかとすら疑問が浮かぶ。
それでも実力は相当なものだし、それこそ櫻井さんがバレーに夢中になってくれればいいのに。
コートに向かう櫻井さんの背中を見ながらそう思っていると岩ちゃんがあっけに取られたような顔でポツリと言った。
「突然残るなんて言い出したのは、櫻井がいるからか……?」
「昨日偶々、櫻井さんがサーブ練習してて。セッターだからね、付き合うことにしたんだよ。
それに、自分を『天才じゃない』って言う櫻井さんを見極めたくて?櫻井さんも俺と同じみたいだよ」
「始めるよ」とボール籠を脇にセットしてエンドラインに立つ櫻井さんに「今行く!」と返事をし「櫻井さんバレーうまいから、強くなれるかも!」と岩ちゃんに笑いながら言って櫻井さんの元に向かう。
それからは、俺と櫻井さんと時々岩ちゃんの三人で毎日のように練習をするようになった。
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