櫻井さんは幼少期からバレーをしていただけあって同年代の子と比べられないくらい強い。
でも、やはりそんな彼女をよく思っていない層は一定数いるのだと知るのに時間はかからなかった。
いつも同じくらいの時間に部活が終わるとはいえ、男子の方が早かったり逆に女子の方が早かったりと差は出る。同じ一つの体育館を半分に割って使っているからこそ、彼女が周りからどう思われているのか感じとることができる。
そろそろインターハイ予選が始まる初夏。その日は、いつも櫻井さんに突っかかってくる一人の先輩に足止めをされていたみたいだった。
「遅ぇな、櫻井」
「だねぇ。ま、仕方ないんじゃない?櫻井さんて周囲に溶け込めないタイプだと思うし。岩ちゃんは去年から同じクラスなんだし、その辺俺よりわかってるんじゃないの?」
「………まぁ」
岩ちゃんにトスを上げつつこの場に居ない櫻井さんの話をしていると、珍しく制服姿の彼女が体育館に入ってきた。
「あれ、今日は練習休み?」
「ん、見てるからしてていいよ」
部活後に体育館の使用許可を取っているのは櫻井さんだから、彼女が鍵の管理をしなければいけないのだ。
元々櫻井さんがしていたからと始めたのに、まさか彼女が見ているだけだなんて初めてだった。ステージに荷物を置いて、鞄を枕に横になってぼーっとしている姿も見たことがない。
「………何かあったのか」
「少し、疲れただけ。気にしないで」
岩ちゃんが声をかけるも、無表情にいつもと変わらない声で返事をする櫻井さん。いや、そうしている時点で
「櫻井さんらしくないね。今日は中野先輩にいつも以上に突っ掛かれてたみたいだけど………」
そう、先輩の名前を出しても特に反応は無く、俺はボールに視線を移した。
「まぁ、櫻井さんが良いなら別にいいんだけどサ」
俺たちの一つ上の中野梓《なかのあずさ》先輩。
俺は直接話したことがないから詳しいことはわからないけど、身長が高く頭上で揺れるポニーテールが特徴的な美人な三年生。櫻井さんや岩ちゃんと同じウィングスパイカーで、スタメンの副主将。
そして、これは完全に俺の憶測だけどきっと誰もが思っていること。
【櫻井さんが居るからエースになれない三年生。】
「……及川も珍しいね、私のことには基本無関心なのに」
「そうなのかも。今日はやめにしよっか岩ちゃん。明日土曜日だから朝早いし」
「お前……おう」
岩ちゃんは放っておけないのか、口を挟みたそうにしていたけれど、結局これは女子バレー部の問題だからと何も言わなかった。
今日の部活の後中野先輩に何言われたかなんて知らないけど、チーム内のいざこざなんて無い方が良いに越したことはないことくらい櫻井さんも知ってるでしょ。
部外者が下手に口を挟むこともできないんだからさ。
俺は彼女のことが苦手だ。それでも、いつもと様子が違うと俺の調子も狂う。
「はぁ〜〜〜あ」
「んだよウゼェな」
「え?今一番うざいのは櫻井さんでしょ」
「あ?櫻井は何も悪いことしてねぇだろうが」
「そうだけどサ。
……櫻井さんは自分が思ってる以上に周りへの影響がある事、自覚していない所あるから。何でもかんでも自分で溜め込んで、一番しょうもない結果になりそうで馬鹿らしいね」
「しょうもない結果?」
体育館に備え付けられている男子更衣室で着替えながら岩ちゃんに答える。
「櫻井さん、バレー辞めるかもね」
* * *
「あんたがいなければ、私がエースだったのに!!」
部活が終わった後、一人部室に残されて中野先輩に言われた言葉がずっと頭をグルグルと回っていた。
中野先輩より私の方が強かっただけのことで、私は悪いことなんてしていない。実際、主将や他の三年生は「あまり梓の事は気にしないようにね」と言ってくれる。同じスタメンでミドルブロッカーの春川幸《はるかわゆき》だって、気にしなくてもいいんじゃないと肩をたたかれた。
イヤイヤ、気にしないわけないだろ。三年生だから、来月の中総体で引退なのだ。
私がこの部に入って真っ先に話しかけてくれたのが中野先輩だった。彼女は誰よりもバレーに詳しくて、誰よりもバレーが好きなのだと、話したことがある。
去年の夏に当時の三年生が引退して、私がスタメンに上がってきて、エースだと呼ばれ始めて。今年の春頃には突っかかられる事はあれど以前のように言葉を交わす事はなくなっていた。
良い人なのだ。本当に。少し気が強いところもあるけれど、仲間思いで気が利くみんなの憧れ。けれど、誰にでも嫌いな人の一人や二人いるものだし、それが私だっただけ。
三年生だから、小さなことでも進路に影響してくる。
中野先輩は、宮城県内で女子バレーボールの強豪である新山女子高から推薦入学を取れなかったのだと。確実にバレー推薦で行く予定だったのに。誰かに言ったら刺すとまで言われた。いや、言う人なんていませんけど。
私は幼なじみの華にとって特別になりたいという思いだけでバレーを続けている。それさえ捨てれば、別にいつでもバレーを辞められるのだ。好きでもなんでもないのだから。中野先輩や及川のようなバレーに対する熱も持ち合わせていない。
「中途半端にするぐれぇなら帰れ」そう烏養さんに言われ続けてきた。それでも私が辞めなかった理由は。
「………バレーを辞めるなんて選択肢は、無い」
明日は一日休みだし、烏養さんのとこ行こ。そこで繋心さんがいれば、少しそれっぽく相談してみよう。
「………なんとも言えねぇな」
「………そう」
烏養さんのとこに練習に行ったものの繋心さんはいなかったので坂ノ上商店に来た。烏野高校の通学路の途中にあるそこは普段なら生徒さんを中心に近所の人で少人数ながら賑わっているけれど、朝の中途半端な時間帯だからか一人もお客さんがいなかった。
中野先輩とのいざこざを話しても、繋心さんは微妙な返事をするだけで明確な答えは言わなかった。
「律はどうしたいんだ」
「どうしたいと言っても、別に。仲が良いとも言えなかったし、バレーを辞めるつもりも無い」
「じゃあ、俺に何を言わせたいんだお前は」
何をって、そんなの。
商品の陳列をしている繋心さんの背中に飛びついて、彼が着ている黒のTシャツをグッと掴む。
「っ!おい、り「私は、間違ってないよね?」
私は悪くない。でも、悪い雰囲気にしているのは紛れもなく自分。バレーを辞める必要なんてないけれど、居ない方が先輩のためになるのかもしれない。そればかり考えてしまうから、私は私を肯定してくれる人の言葉が欲しかった。
「………間違ってるかどうか、最後まで続けて確かめりゃ良いじゃねえか。お前が今のままじゃダメだと思ってんなら辞める以外の行動を起こせ。話さないとわかんねぇだろ」
「……うん」
繋心さんに雑に頭を撫でられ、明日部活が始まる前に先輩と話そうと決意した。
中野先輩はとても良い人。最初から、うまく溶け込めなかった私に真っ先に話しかけてくれた。だから、ちゃんと伝えたい。
「………何?放課後の自主練習だけじゃなくて、これから早朝練でも始める気?」
「いえ、中野先輩と話したくて待ってました」
「……まだ七時だけど。練習始まるのは九時でしょ。何時から居たの」
「六時ちょっと前……です」
それを聞いた先輩は顔色を変えて、部室の鍵を開けて私の手をひっつかんで部室に入れた。
「馬鹿でしょ!!早すぎ!手、めっちゃ冷たいし!!
櫻井はもっとこの部のエースとしての自覚持ちな!?大会前に体調崩したらそれこそ末代まで呪うよ!?」
「す、すいません………」
「まったく………相変わらず手のかかる」
なんとも言えない脅し文句に呆然としつつ私が棚にエナメルバックを置いたら、先輩は静かに話し始めた。
「……違うんだよ」
「え?」
「いや、違わない。私間違ってないし、きっと誰でも思ってると思うよ『エースになれなかった三年生』って。
でもね、櫻井のこと本当に認めてるの。実力も私より上で、全国制覇のためには櫻井の力が必要だって」
先輩はグッとシャツを握り締めて私の方を見ずに話す。
「ただ……あの日は三者面談があって、担任と母親にバレーの選手目指すって言ったら『本気で言っているのか』なんて顔されて頭にきてたからなの。
生徒と娘の夢を応援できないとか、クズかよ!って。でもね、本当は自分が一番自信なんてないってわかってる。
去年の秋に櫻井がスタメンに選ばれて、主将と顧問と監督に自主練頼み込んでるのとか、いつも休憩中だってボール触ってたりするの見て、私そういうのなかったなって思ってた。
自分がしてこなかっただけなのに、櫻井のせいにしてた。だから、八つ当たりしたの」
そこで先輩は私の顔を真っ直ぐに見た。続く言葉はなかったけれど、きっと先輩も謝る気は無い。八つ当たりだろうとなんだろうと、櫻井律がいなければと本当に思っているから。
「………先輩は、間違ってないです。でも、私も間違ってない。
私はコミュニケーションが苦手で、周りからも浮いてるって自覚してます。だから、最近部の雰囲気を悪くしてても何もしてきませんでした。先輩の言うようにエースとしての自覚がなかったんだと思います。
私は、バレーなんてどうも思ってない。華にトスを一度でも多く上げてもらえればいいって。
でも、それだけじゃダメだって知りました」
及川と、岩泉と練習をして。
心の中に、ある日突然ズカズカと入り込んできた彼は、翌日連れてきた幼馴染と一緒に居座り離れない。最初は苦手意識しかなかったのに、最近はそれが心地よく思えてきた。
「だから、今年は絶対に勝ちます。私に才能がなくても誰より努力して、どのチームより試合をできるように」
「………ん。私は謝らないからね」
「私もです」
先輩とにらみ合った後、プッと吹き出したのは先輩だった。
「まさか、櫻井がここまで言う子だったとは!
入部してきた時から大人しいお人形さんだと思ってたのに」
そんなこと思ってたのか。でもまぁ、確かに必要以上に話さないし人形と言われれば確かにそうなのかと思わないでもない。
「ごめんごめん。でもね、嬉しかったよ。
勝ちますって言ってくれて。
………櫻井を変えたのはどこの誰なんだろうね。山下?」
「華は、私をバレーに引きずり込んだ張本人ですし」
幼稚園からの私の幼なじみである山下華《やましたはな》。小学生の時に誘われた影響で私はバレーをしているし、彼女は控えセッターだから中野先輩にトスを上げることも多い。
「張本人なら……いや、山下は違うな。あの子はいい子だけど周りに流されやすいし」
「?」
「まぁ、誰でもいいや。その子が櫻井にとっての特別なんだ。
…どんなに特別でも、一定の距離感は持たないとダメだよ」
私にとっての特別は華だけのはずなのに。少しだけ不服に思いつつ中野先輩と自主練習を始めた。部活の開始時間が近づくにつれて部員が集まってきたけれど、揃いも揃って不思議そうな顔で私たちを見るからなんだかおかしく思えた。
その日の練習から、中野先輩とのやりとりは増えた。周りからは何かあったのかなんて言われたけれど、先輩が何も言わないので私も特に何も言わなかった。
* * *
「中野せーんぱい!もういいんですか?櫻井さんのこと」
昼休み。職員室にノートを届けに行ったら丁度中野先輩が出てきたので話しかけてみた。昨日の部活や櫻井さんとの様子から、なんだかんだ事態は丸く収まったみたいだ。
「男バレのセッターの……及川だっけ」
そうです。と返すと中野先輩はめんどくさそうに結んでいない肩にかかった長い髪をはらった。
「なにその質問、あんた性格悪いね」
「酷いですね!」
「顔がいいのに私の後輩から全然モテない理由がわかったわ」
「まぁ、反対側でのびのびやってますし」
他校や違う部活の女の子にはそこそこモテる俺だけど、女子でバレーをいつも見ているとどうしても本性がバレてしまうのだ。だから同級生の中でも女子バレー部にだけはそういったことは一切ない。
「で、櫻井のことだっけ。………そっか、及川がそうなんだ」
「え?」
「櫻井を変えたのはアンタなんでしょ?」
「俺が?」
全然身に覚えがないことを指摘されて疑問符が浮くけど、中野先輩は勝手に判断して軽く笑った。
「………どっちも無自覚なのね。
みんな何か勘違いしてるけどさ、私櫻井みたいな子好きだよ。誰に流されることもなく我が道を行く子」
「あれ、そうなんですか?」
「アンタがどこまで知ってるのかも、櫻井のことどう思ってるのかも知らないけど、ごめんね。私、アンタのこと嫌いだわ」
「奇遇ですね、俺も今そう思ったところです」
「多分同族嫌悪ってやつ。だからさ、及川。
アンタの存在が櫻井にとって悪影響にならないように、引き際のこと考えておいたほうがいいよ」
「え………?」
櫻井さんにとっての悪影響?俺が?
「何言ってんだあの人………」
櫻井さんと中野先輩がどうなったのか。中野先輩が櫻井さんのことをどう考えているのか知りたいだけだったのに、何もわからないまま中野先輩の背中を見送った。
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