春高と共に冬休みも終わり、三学期が始まった。
路肩に積もる雪にうんざりしつつ寒さに身を縮こませながら通学路をいつもより遅い時間に歩く。朝のランニングは続けているから起きる時間は変わらないけれど、部活を引退して朝練がなくなったから余裕ができた。そんな些細な事に、烏野高校に通う最後の冬だと今更ながらに実感が湧いてくる。
それでも、後ろなんて振り向いていられない。
自分の将来の為に、これから当分の間は自分の進路に向けて受験に力を入れていかないといけない。私が第一志望にしている学校は偏差値が高く、都内では名の知れた文武両道の四年生の私立大学だ。
「……うん。櫻井はA判定だったし、小論文も大丈夫だと思う」
英作文の添削を小野先生に頼んでいたので、それを返却してもらいに職員室に来ていた。
今までバレーに専念していた分周りとの差は開いているので、例え良い判定を貰っているとはいえ油断はできない状況だった。
赤本を見ながら過去問を繰り返し解いて、それでも分からないことは調べたり先生に聞いたりする。この時期はどの学年の先生も大変そうで、三年生もどこかピリピリした空気が漂っている。就活が終わった人や進学先への入学が決定した人だって、受験前の緊張感を崩さない為かはしゃぎ回っている様子はない。
「失礼しまーす!一年の日向です。
小野先生にノートを届けにきました!」
良く通る耳に馴染んだ声につられて私もドアの方を見た。彼は両手一杯に積み重なったノートを持ちながらも私の姿を捉えていたのかいつもの屈託ない笑顔を向けた。
「櫻井先輩!チワス!」
「うん、日向は日直?」
「そうです!」
机の上にノートを置いた日向に小野先生はお礼を言って、「そういえば」と話し出した。
「日向は櫻井の後輩だったな。
櫻井は選手志望だから、つい女子のと勘違いするんだよ」
「櫻井先輩はバレーが凄くうまくて、教えるのも上手で。
いつもお世話になってます!」
「へぇ……バレー部、全国ベスト八だったよね。おめでとう」
「ありがとうございます」
「来年も、頑張れよ」
「っ、はい!」
日向は笑顔で返事をしたけれど、一瞬返答に詰まったことに気付いた。
『悔しい。まだバレーをしたい。コートに立ちたい。』
そういう思いをしながらの退場だったから、あの最後を気にしているんだろうか。夏のように、日向だから前向いて走ってくれると思っていたけれど……そう、少しだけ心配になった。
彼がただの楽観主義ではない、責任感があって明るく引っ張っているということを私は知っている。
「…受験終わったら、大学の練習始まるまでは部活に顔出すし、烏養さんのところにも行く。から、また次に向けて走ろう。
下向いてる暇、ないよ。まだ、これからでしょう」
小野先生は突然どうしたのだと首を傾げていたけれど、日向は少しだけ表情を暗くして言った。
「………でも、俺は大地さんや菅原さん、旭さんとバレーしていたかったです」
「、」
「清水先輩にもお世話になりっぱなしで、櫻井先輩にも、まだバレー教えてほしい」
そう、春高最後の試合を思い出して苦虫を潰すように言った日向はハッと表情を変えた。その顔には「やってしまった」と書いているように見えた。
「あ、ご、ごめんなさい………!お、俺「日向が」
影山と同じことを、この子は。
そのふとした瞬間に零れ落ちてしまったであろう言葉は私にとってとても嬉しいもので。
まだ私たち三年生とバレーをしたかったと言ってくれる後輩がいて、嬉しい。きっとそれはあの四人も同じだと思う。後輩にここまで慕われている事は今までなかったからこそ誇らしい。
だから、立ち直らせないといけない。立ち止まってるなら、背中を押して前を向かせないといけない。先輩だから。
「…日向が熱にならなければ、鴎台に勝てたかもしれない」
「!」
「でも、準決勝で負けてたかも知れないし、決勝で梟谷とやってたかもしれない。井闥山が勝ち上がってきて、勝って……
全国で一番強いチームになっていたかもしれない。
でもね、私たちは負けたの」
「………っ」
「たった一度、負ければ終わる。もう一回なんて、無い。
だからこそ、挑戦し続けるんでしょう?
過去には決して戻れないのだから、もしもなんて考えるだけ無駄。絶対勝てる試合も、絶対勝てない試合も無い。
負けは、弱さの証明じゃない」
武田先生が私たちに言ってくれた言葉は、きっとこれから何年先も私たちの指針になる。一生懸命やった。全力で、全てをかけて、勝ちたいと。それで負けたとしても、それは今の私たちの実力であってその分未来があるということだ。
挑戦者は、経験という名の武器を得ることができる。自分の実力を確認して、また進むために何をしなければいけないのか、何をすべきなのか考え直すことができる。
努力し続けることがどれだけ大変なのか、努力してない人は知らないだろう。でも、誰だってそうだ。勝敗も試合内容も、自分だけの経験値になるのだから。
「………なんだって、できますよ。君たちなら」
話を聞いていたのか、笑顔で話しかけてきたのは武田先生だった。最後のミーティングに日向はいなかったからか、伝えたかったらしい。
「皆、日向のずっと先にいる。努力し続けることは簡単じゃないし、人より小さい分、費やした時間が短い分進むのは茨の道かもしれない。
それでも私は、人より小さくて技術も拙い。何もできないからこそ、日向は誰よりも伸び代があると思ってる」
「………っ、おれ、頑張ります!
サーブもレシーブもスパイクも、影山がいなくても戦えるようになりたい。全部、できないとダメだ……!
影山ありきの俺のままじゃ、一生アイツに勝てない…っ!」
「………うん」
一番のライバルで相棒だと思っているからなのか、日向の目の前にはいつだって影山がいる。自分は劣っていると自覚しながらも凄い人の背中をそう真っ直ぐに追い続けることができるのも、日向の凄いところだ。
そう話していると、電話のコール音に呼ばれて武田先生が受話器を取った。そろそろ出ようかと日向に言うと、小野先生に「全国に出場する生徒は言うことが違うな」と日向と揃って揶揄われた。すると、武田先生の驚く声が耳に入ってきた。
「?」
「なんだろうね」
メモを取る武田先生の手元を覗き見ると、話し相手は白鳥沢の鷲匠先生らしく、春に練習試合をしたいとのことだった。
「白鳥沢と……!」
「ほら、下向いてらんない」
白鳥沢と試合だなんていいなぁと思っていると、武田先生はスケジュール次第と言うことで……と、少し曖昧な返答をした。
そういえば、春高の時に猫又先生と春合宿したいって話しているの聞いたから、合わせるのが大変らしい。
「……でも、俺は全部とやりたい」
「!………私も、参加したい」
「あ、ちょ…すみません。
日向君と櫻井さん、声入ってます」
「スイマセン!!!」
「出よっか」
イソイソと職員室を出て、そのまま廊下で話していた。
「白鳥沢も体育館広いんすよ!あと、洗濯機も立派!」
「ああ、ボール拾いしてたんだっけ……」
「はい!牛島さんに、レシーブとかのこと聞いてきました。
白鳥沢の三年生が試合の相手してくれて、天童さんとか瀬見さんも、めちゃめちゃ参考になりました」
「そう。よかったね」
若利や木兎と戦うことは一生無い。だけど、同じ競技の選手として、同じポジションとして負けたくないと思う。参加できると言うのなら、練習試合にも合宿にも参加したい。
「あ、二人とも………いましたね」
「武田先生」
職員室のドアを開けたのは武田先生で、そのまま先生は静かに語り出した。
「君たちがバレーに一生懸命なことはとても良いことだと僕は思っています。ですが、時と場所は考えましょう」
「はい…」
「すいません」
「……少し、大変なことになりました」
「エッ、な、何かモンダイが……!?」
「大きな声では言えませんが……三月に予定していた東京遠征ですが、無くなりそうです」
「!?」
「え、」
「……春休みが始まって、開催予定だった梟谷高校の体育館が使えなくなりそうと聞いていたのでそれを鷲匠先生に伝えたところ………」
「ま、さか……白鳥沢で?」
驚きながらそう聞くと、武田先生は嬉しそうにまだわかりませんがと答えた。
「他の皆さんには秘密にしておいてくださいね!
あと、そろそろお昼休み終わりますよ」
確かに、大変なことになったと思いながら日向を見ると、目を輝かせていた。
「めっちゃくちゃ楽しみですね!」
「受験勉強、頑張らないと」
「確定ではないのですが、期待はしておいて大丈夫!なんとかします!!だって、こんなに良い機会………絶対に無い」
武田先生は、生徒の気持ちを汲み取った上で行動してくれるとてもいい先生だ。自分たちのやりたいように、ではなくこうした方がいいのではと選手やチームのことをよく考えている。
でも、梟谷グループの合宿に白鳥沢まで加わるとは。梟谷は春高準優勝のチームだし、強者と練習したいと言うのもわかるけれど、鷲匠先生にも気持ちの変化があったのだろうかと考えつつ、そこまで集まるのなら、全員としたいと私も思った。
「………徹と、バレーしたいな」
「俺も……!大王様のサーブ、取れるようになりたいです!
あと、俺ミドルブロッカーなので伊達工とも試合したい!」
「……だよね」
「ですよね!」
そうと決まれば、と私たちは視線を合わせて頷いた。そして、武田先生に笑いかける。
「それは、まぁ……聞いてみなければいけませんね」
武田先生は少し冷や汗をかきながらも笑っていた。
大学入学共通テスト前の休日。最後の追い込みだと、いつも以上に机に齧り付いて勉強していたら、珍しく岩泉から電話が入った。『今から、駅前のファミレスに来れないか?』と。
受験勉強に力を入れるようになってからは岩泉と連絡をこまめに取っており、それこそ得意科目を教え合うことをしていた。だからこそ、一緒に勉強しないかというお誘いの電話だった。
「………ああ、うん。だと思ったよ」
息抜きだと親に伝えて家を出れば、徹と岩泉、花巻君と松川君が集合していた。バレーを引退した後もこの四人は日常生活から仲がいいのか、よく集まっているらしい。
「お、櫻井さんじゃーん」
「髪短くなってる!ショートも可愛いネ!」
「ちょっと!?律ちゃん口説くのやめてくれる!?」
「あけましておめでとう」
「あ、おめでとうございます」
「今年もよろしくお願いしま〜す!」
花巻君と松川君は顔を合わせるのは代表決定戦以来だったけれど、二人とも笑顔で挨拶をしてくれた。
「何か頼む?」と花巻君がメニューを差し出してくれたので、岩泉の隣に座りながらそれに目を通す。お腹も空いてないし、紅茶でいいや。そう思いながら「メニューありがとう」と花巻君に伝えると店員さんを呼んでくれた。
「悪いな、突然」
「いいよ。私も家で勉強してたし………で、どこ?」
店員さんに紅茶を注文して、岩泉の問題集を隣から覗き込む。岩泉を挟んだ窓際には、徹が座っており、英語だからと一緒に説明を聞くようだった。
花巻君は就活が終わっているらしいけれど、学年末が近いからと一緒に勉強しているのだと。松川君と岩泉は受験勉強で、及川は英語。それも主に日常会話を勉強しているらしい。
岩泉とは中学三年間同じクラスで仲が良いこともあり、勉強を教えることは多々あった。
単語はなんとか覚えているものの、長文問題の応用で躓いてしまうのだと。
「………これで大丈夫そう?わからなければまた聞いて」
「おう、サンキュ」
「発音が綺麗すぎてしんどい」
「及川に櫻井さんの志望校聞いて察してたけど、やっぱめちゃめちゃ頭いいんだね」
岩泉に一通り教えて一息つくと、ポツリと松川君が言った。
「……したい事がなかったから、何も分からなくて。
でも、それが見つかった時スムーズに事が運べるようにって、勉強だけはやってたから」
「………そっか」
「あと、入学初日から教頭に目つけられてたから、成績で黙らせてたの」
ピアスの事は再会した時もしてたし知っていただろうけど、卒業してから入れたインナーカラーはその頃には消えていた為、写真を見せたら謎の呻き声を上げていた。
「インナー染めてる律ちゃんもかっこよくて好きだけどね?」
「ありがとう?」
「櫻井がこうなったのって、烏野のコーチの影響だったりすんのか?」
「………かもしれない」
言われてみれば、繋心さんも高校卒業してガラッとイメチェンしてたし。
手っ取り早い変化は外見を変える事だ。別人になりたい、自分を変えたいという意志の現れだというそれはとても簡単にできる。ピアスも染髪も、繋心さんがやっていたからということも確かにあるかもしれない。
私が春高が終わってすぐに肩あたりまで伸びていた髪をバッサリと切ったのは、マネージャーは引退だから、という気持ちの現れでもあった。選手だった頃は髪をずっとショートにしていたし、戻そうと。
「烏養さんと律ちゃん、ほんと仲良いよね」
「血の繋がらないお兄ちゃん、だからね」
「………『お兄ちゃん』」
あ、言ってしまった。そう思ったけれど、大して問題もないとスルーしておいた。
「元々私の師匠のお孫さんで、彼が烏野に通っていた頃からの付き合いだから……十一年?」
「長い」
「そりゃお兄ちゃんだわ」
「そう言えば、春高三回戦……見たよ」
笑いながら言った徹に、私は少しだけ固まってしまった。
電話した時は稲荷崎戦の熱が冷めなかったということもあるけれど、鉄朗と……音駒と初めて戦う公式戦だったから不安もあった。私達の関係に後ろめたさは無いけれど、なんとなく伝え辛かったから。見てと言ったのは私だし、言ったことを実行してくれたことは嬉しいけれど。
「三回戦……って、どこ?」
「東京代表の、音駒」
「どうだった?」
「腹立つくらい全員イキイキしてて、俺達がそこに居たかったって思ったね!!」
何それ。そう少し笑って、音駒との試合を思い出した。
猫又先生と烏養さん。直井コーチと繋心さん。そして、鉄朗と澤村。昔からの因縁の相手とあのコートで試合をして、勝ったなんて今でも思い出すだけで震える。
「……全部、見てたよ。
律ちゃんが音駒のキャプテン君とハグしてるところも、ね」
徹のその言葉に、怒っているのでは、と表情を伺った。
案の定だった。
「ね、彼とはどういう関係なの?」
どういう、と聞かれると全部話したほうがいいのかなと思ってしまう。鉄朗には悪いけれど、私は徹以外を選ぶ気は無い。
「………夏に、告白されて」
「ふうん………で?」
「即フったから今は普通にいい友達……?」
だと、私は思っているけれど。
鉄朗は、私のことをまだ好きなのだろうか。春高ではちょいちょい気持ちが前に出ていたけれど、鴎台との試合の後に会った時は少しだけ吹っ切れたように感じた。
『お前がいたから、ここまでこれた。
ずっとお前の背中を追ってきたよ俺は……!
律に会えて、本当に良かった!!』
純粋に友達として、真っ直ぐにその言葉を聞けて嬉しかった。ファンだと追ってきてくれたから。背中を押してくれたから。何度も好きだと言われて、振られても諦め切れないのだとなんとなくわかってしまう。だって、私もそうだったから。
でも、あのハグから気持ちの整理はついたのだろうか。
そう考えていると、私と徹の間に座っていた岩泉が問題集から視線を離さずに「少しいいか」と言った。
「及川、お前自分が同じことしてきたってこと忘れんなよ」
「え、」
「何調子乗って束縛してんだ。馬鹿か」
「ちょ、岩ちゃん!?馬鹿って何さ馬鹿って!!」
どうやら岩泉は私が一方的に攻められているのが気に食わないらしく、お前も大概だぞ。と注意をしたようだ。
「そうだそうだ〜!ちょっと顔がいいからってすぐに彼女作りやがってー!」
「女子をあれだけ泣かせておいてー!!」
「誤解を生む発言はやめてよね二人とも!!」
いじられつつも、その自覚があったのか何も徹は反論しなくなった。
「……お前はあの時から櫻井以外あり得ないって思ってきたし、最低なことしたけど櫻井はお前に答えてくれた。
その男がどう思っていようが、もうお前らは大丈夫だろ」
「岩ちゃん…………
そこまで真っ直ぐに俺達のこと思ってくれるのは嬉しいけど、律ちゃんがめちゃめちゃ照れてるからやめてあげて」
何でそこでそれを言ってしまうんだ。これだから徹は。そう思いながら紅茶を飲むと、目の前に座っていた松川君と花巻君が「照れて……る?」と疑問符を浮かべていた。私表情変わってないはずなのに、何で徹はわかったのだろう。
「鉄ろ…音駒の、主将だった彼は中学一年の時に私の試合見た事があって、その時からファンなんだって。
ゴールデンウィークの練習試合で話して、そこから仲良くなったんだよ。サーブ教える代わりにブロック飛んでもらったり。
ミドルブロッカーで、月島の師匠」
「ふうん?ファン、ねぇ……」
夏に孤爪君と話した限りじゃ、そうとしか言えない。鉄朗自身もそう公言しているし。
「烏野のメガネ、ブロック上手くなったよな。牛若のブロック止めた時も思ったけど」
「飛ぶタイミングとか腕の出し方とか、ブロック上手いから教えてたんだよ。夏に散々やったから私もブロック飛んでもらったりしたけど、目の前に立たれるとすっごいムカつく」
「そんなに?」
「練習になるけどね」
音駒の話をしていて先日のお昼、日向と武田先生と話していたことを思い出した私は、あぁ……やっぱりまだ彼らとしたいなぁと思った。
「律ちゃん、どうかした?」
「……受験が終わったら、バレーしたいなって」
「体育館借りて、とか?」
「それでもいいけど…下旬に、白鳥沢で合宿するみたいだから。
若利と試合するの初めてだし、この機会に潰しておきたいんだよね………」
在校生でなくとも、卒業してすぐなら問題なく参加できるはずだ。実際やるかどうかは武田先生の頑張り次第だけど、実現したらいいなぁと思っている。
「それ、俺らに話すってことは青城も参加すんの?」
「わからない。実際するかどうかもグレーみたいだから」
「………へぇ、いいね。俺も混ざりたい」
「だな」
「引退試合にはいいかもねぇ」
「不確定だけどね。青城に声かけるかどうかも、私がやりたいですって先生に言っただけだし」
そう言うと、及川と岩泉は二人揃って私を見た後、どこか嬉しそうに笑った。
「え、何」
「いや?別に」
「ふっふっふ!」
「なんだよ気持ち悪いな及川」
「え、俺単品!?」
「櫻井が、俺らとバレーやりたいって言ってくれて嬉しい」
「!」
岩泉が優しくそう言うものだから、私はまた照れてしまった。
最後の日を、最後だと思わずに終わってしまったから。そんな思いは、二人と同じみたいだった。
それから勉強会は雑談を挟みながら進み、そろそろ帰ろうかと言い出す頃には辺りは暗くなっていた。
そのまま松川君と花巻君と別れた私達は、ゆっくりと家までの帰路を歩く。話すのは勉強のことやバレーのことばかりで、なんだか中学生の頃に戻ったようだった。
「それじゃ。俺、律ちゃんを家まで送ってくるから」
「え、いいのに…」
「いいから。今日は大人しく及川に送ってもらえ」
徹と岩泉の家の近くで別れようとしたところ、そう二人に言われてしまった。確かに少しだけ距離はあるし真っ暗だけど、送ってもらうほどではないと思うのだけど。
徹が私の手を取ったのを確認した岩泉は、「今日はありがとな。助かった」とだけ言って背中を向けて行ってしまった。
「……何、どうしたの」
「俺が、もう少し律ちゃんと二人でいたいって思ったの。
岩ちゃんが律ちゃんに勉強教えてもらいたいって呼び出したこと、多分気にしてるんだと思うよ」
岩泉は相変わらず義理堅いなぁと思いながら、徹の手を固く繋ぎ直した。
「……それなら、お言葉に甘えて」
所謂恋人つなぎというやつで帰路を二人で歩く。中学校からの通学路は正反対だから、今までこうしたこともなかった。閑静な住宅街に私達の声だけが響く。
バレーを引退したにもかかわらず、勉強一色になったこともあり前にも増して二人だけの時間は取れていない気がする。
「そう言えば、この前電話で言ってた話オッケーだよ」
「ほんと?良かった」
「俺も不安だったけど、寧ろアルゼンチンに行く前の良い経験になるだろうからって」
徹は四月にアルゼンチンに行くのだと話していた。それまで準備とトレーニング、英会話に力を入れているのだと。
「お金とか、色々不安だったんだけど」
「んー…まぁ。でも、それなりに節約すれば、平気。
律ちゃんの受験が終わるの、いつだっけ?」
「一般の合否は三月三日。でも、二月の先行で受かれば大丈夫かな」
明々後日の共通テストの結果次第で、勉強を続けるかどうかは決まる。滑り止めは受かっているけれど、第一志望の学校に行きたい。
「スポーツ学科って聞いたから、岩ちゃんと同じだって思ったんだよね」
「まぁ、学校は違うけど。岩泉も関東だから割と近いよ」
「律ちゃんが頑張らないといけない偏差値の学校に、岩ちゃんが受かるわけないじゃん!でも、そうだね……
岩ちゃんとは、会おうと思えば会えるんだよね」
徹が岩泉をおちょくるのはいつものことだけど、ここまでトゲがある言葉を言うのは初めて聞いたから驚いて徹を見た。
「……ごめん、酷いこと言った。
でも俺……多分、岩ちゃんが羨ましいのかもしれない。
なんだかんだ今と同じ距離感で居られるから。
それに……まぁ、うん」
「?何、」
何を言い淀んでいるんだと視線を向ければ、「これは俺の予想だけど」と前置きをして徹は言った。
「岩ちゃん、大学でスポーツ学勉強して、将来はコーチになりたいんだって。
明確な理由とかきっかけとかを聞いたわけじゃないんだけど、中学三年の秋頃に進路を話したことがあって。高校は青城に行く、そんで白鳥沢を倒すって俺は言ったんだけど、岩ちゃんはそれよりもずっと遠い未来の話をしてたから……」
「、中学の頃から将来はコーチになるって考えてたの?」
「うん」
岩泉の性格から、スポーツの道に進むだろうと思っていたけれど、選手として続けると思っていてもおかしくない年頃のはずなのに。
「……多分だけど、岩ちゃんがそう決意したのは律ちゃんがきっかけだと思う」
「え、」
「律ちゃんが怪我でバレーを引退して。
それからその話したってのもあるけど、岩ちゃんは律ちゃんと同じクラスで、ずっと近くで見ていたから。
だから、選手を支えたい。助けになりたいって、思ったんだと思うよ」
全部勘だけどねと言うけれど、誰よりもお互いをわかり合っているのだから、きっと大きく外れることはないのだと思う。私の怪我がきっかけで、なんて思いもしなかったから驚いたけれど、それよりも嬉しさが勝ってしまった。
岩泉って、いつもそう。一歩後ろからいつも見守っていてくれる。でも、それを聞いたらますます、私の怪我だけがきっかけではないと思えてくるけれど。
「徹もじゃない?」
「俺?」
「ずっとバレーしてきた一番の相棒でしょう。徹がいつも無茶するから、放っておけないんじゃないかな」
「………そう、かな」
「勘だけど。でも、私だけがきっかけではないと思うよ」
私と岩泉は友達だけど、進路を決めるほど大きい存在だとは思っていない。
徹が目指すから、岩泉も進むんだと思う。
「岩ちゃんに『お前は一生幸せにはなれない』って言われたんだよね。どんなに辛い道でも進んでいくからって。
俺はこの先もバレーを続けるけど、岩ちゃんはここで止まる。大切な幼なじみで、今まで一番多く、長くボールを上げてきた相棒だから、それは少しだけ寂しいけれど、立ち位置が少しだけ変わるだけだ。
……戦うことになれば、必ず倒す」
『全員倒す』には、岩泉も含まれているのかと少し笑った。でも、それが二人の距離感なんだろうなと羨ましく思う。私の幼なじみは、隣にいるようで全く違う景色を見ていたから。
「………なんか、岩泉が羨ましいな」
「え、俺がそう思っていたのに!」
羨ましいよ。だって、岩泉はきっと私よりも徹のことをよくわかっているから。
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