「はい、これ。バレンタイン」
「ありがとう」
一月中旬に行われた大学入学共通テストの結果を待ちつつ一般入試にむけて勉強を進める中、二月に入ってから三年生は仮卒期間に入った。
梓さんは推薦で行ったと話していたけれど、だいたいスポーツ進学をする子はAO入試だったり自己推薦入試だったりするのだ。即ち、選手を志す人は今まで公式試合で高い評価を受けてきたということ。
私が受けるのは大学入学共通テストを利用した入試で、ここでの成績が良く書類選考で通れば、一般入試をする必要がないというものだ。スポーツ科学部は共通テストの成績のみと、競技歴方式の二パターンがあり、私は小学二年生から続けていたことと中学の頃成績を残していたこと、それから夏にユースの合宿に参加したこともあって後者で受けることになっている。だから、受かれば終わり。落ちれば……と思いながら勉強を続けていた。
基本的に烏野の仮卒期間は毎週一日、それも半日だけの登校になる。今日二月十四日は高校生活最後のバレンタインデーだからなのか、先生たちの計らいで登校日になっていた。
朝から教室に向かうと潔子に小さな紙袋を渡されたので、私もお返しに、と作ってきたものを渡す。面倒だったからアイスボックスのクッキーにした。
「共通テストの合否、明後日でしょ?」
「うん。ネットで開示されるけど、受かれば書類が届く」
テスト自体は難しかったけれど、手応えはあった。自己採点した結果合格圏内だと思う。だから、受かっていると信じたいけれど、油断はできない。このドキドキが嫌だ。
結果は家に封筒で届くらしいので、落ち着かない。落ちていたら、一週間後の一般入試に賭けるしかないのだ。
「潔子は車校、どう?」
「別に、普通。割と楽しくやってるよ」
「結は夏に取ったって言ってたし、私も取りたかったけど」
「大学で時間見つけるしかないよね」
そう免許について潔子と話していると、梓さんを思い出した。夏に車とか大学生活の話を聞いたから、今のうちにできる事はしなければいけないと思えてくる。高校と違って時間割が人によって違うから、自分に一番合った方法で成長できるという事だ。当然バレーの手を抜く事はないけれど、金銭的に余裕がないからバイトもする予定ではいる。
普通免許を一番に取りたいけれど、私は大型二輪も欲しい。お金かかるけれど、フットワークが軽い分、車よりも小回りが効いて原付よりも長く走れる大型バイクが欲しいのだ。
「清水!律!」
迷いどころだと思いつつ潔子の話を聞いていたところ、廊下に澤村が来ていた。良いタイミングだと思い、バレンタインのお菓子を渡す。結はもう澤村に渡したのだろうか。
「何?」
「今日の放課後、職員室に集合って武田先生から伝言」
「……!」
それって、前に話していた合宿の話なのでは、と瞬きをする。
「何か知ってるのか?」と澤村に聞かれたけれど、余計な気を持たせるのもいけないと思い「何でもない」と答えた。この前徹達と勉強会した時に話してしまったけれど、それは四人から入畑監督の元に話が行かないかなと思ったからだったりする。
放課後に会うのなら、バレンタインのお菓子はその時に渡せば良いかと教室に戻っていく澤村の背中を見送った。
「………で、何か知ってるの?」
「検討はつくってだけ」
「そう」
話が出たあの日から一ヶ月。残り半月で、私たちは烏野高校を卒業するのだ。今日もそうだけど、登校日は卒業式の練習となっているから余計に時間が経つのを早く感じる。
きっと、どこの学校も同じだ。このメンバーで試合をする事も練習をする事も、もう二度とない。
「おっすおっすー!お疲れ」
「なんか、部活も引退すると会うのも久々に感じるなぁ」
「東峰は卒業式の練習の時目を引くから久々に感じない」
「存在感あるよね」
「旭、当日は腕と足同時に出すとかやめろよ」
「おいおい、一番ありそうじゃんソレ!」
「お前ら何なの!?そこまで俺をいじる!?」
放課後になり潔子と職員室に行こうと廊下に出ると、三人が階段のところに立っていたので全員で向かうことになった。
澤村に渡したものと同じものを菅原と東峰にも渡して、最近どうよと会話を続ける。東峰は都内の専門学校へ入学が決まり、最近は荷造りしたりゆるく過ごしているらしい。澤村と菅原は私と同じく大学受験でまだ勉強漬けらしいけれど、二人は進学クラスで元々成績もいいからと心配はそこまでしていない。
「おや、お揃いで。なんだか、久々に感じますね!」
「武田先生!」
職員室に向かうと武田先生はお昼を食べていたようだった。一、二年生は通常通りの授業だから、先生も午後からその準備があるのだろう。ここでは何だからと、教材準備室に移動することになった。五人並んで武田先生と向き合ってパイプ椅子に座ると、夏のインターハイ予選が終わってから部活を続けるかどうかの話をしたことを思い出した。
「突然呼び出してしまいすいません。
澤村君と菅原君、櫻井さんは受験勉強もあるでしょうが、次の登校日を考えて今後のことを話しておこうと思いまして」
「今後……ですか」
「引退試合とか、ですか?」
バレー部の恒例行事として、卒業前の日曜日は朝から最後の部活として引退試合を開催している。所謂三年生追い出し試合と言うやつで、主に試合を中心にしてお昼までバレーをするのだと。そしてお昼ご飯を食べたら、本当に部活に参加するのは最後ということになる。
「はい。プリントを作成したので、目を通しながら説明させていただきますね」
机の上に置いていたA4サイズのプリントを武田先生に一人一枚手渡され、それに目を通す。
「まずは引退試合の日程なのですが、今月二十四日の日曜日に行うことになりました。内容は殆ど昨年と同じですが、縁下君達に任せる形で大丈夫です。集合時間は書いてある通り、烏野高校体育館に朝九時集合です。十三時に学校を出てご飯を食べに行きそのまま解散、という日程になります」
想像はしていたのだろう三人は、久々にバレーをしに体育館へ行くのだと少し表情を柔らかくしていた。その頃には受験も終わり、結果を待つだけになっている。軽い気持ちでバレーをすると思うと、笑顔になるのも当然だった。
烏野の新主将は縁下、副主将は木下になり、新しいチームとしてスタートしているらしい。四月に新入生が入学してくる前にまた戦い方を探っていかないといけないから、繋心さんも大変そうにしつつ何だかんだ楽しそうにしていた。
「そしてもう一つ話すことがあります。プリント裏面です。
櫻井さんは既にご存知ですが、三月二十日から五日間、白鳥沢学園高等部体育館にて大規模合同合宿が開催されます。
参加校の一、二年生を主体としておりますが、今後もバレーを続ける三年生も参加可能とのことです。
ですが、そうすると練習内容も限られてくるということで、引退して時間に余裕がある三年生なら参加を可能ということになっております。清水さんに関しましても、人手は多い方がいいからと……」
「白鳥沢で、合宿……!?」
「強制ではありませんが、最後ですので、是非どうかと。
櫻井さんも選手として参加して大丈夫だそうです」
「良かった。ぜひ参加させてください」
「はい!四人はどうしますか?勿論、受験の結果が出てからでも返答は構いませんが…」
武田先生のその言葉に、私たちは視線を合わせた。
梟谷グループの面々は夏合宿でピンチサーバーとして一回だけ混ぜてもらったからわかるけれど、まさか鷲匠先生から参加の許可が下りるとは思わなかった。若利の顔が浮かんだけれど、彼はそんな手を回すことはしないと思う。きっと、繋心さんと武田先生の力があったからこそだ。
私は隣に座る四人に視線を向けた。私と違ってバレーを引退している身だ。行く理由は無いようにも思えるけれど。
「行きますっ!!」
「良かった!
それでは、全員参加で話を進めていきますね。詳細は連絡しますので、ひとまず受験勉強、がんばってください」
そう言って、今日はこれで解散となった。
一、二年生は三月十九日に終業式があるから、その次の日からということだ。三月二十日が春分の日だからか殆どの学校が同じ日程らしく、急ながらその日になったとのこと。それは、三年生の参加のことも考えているのだろうとわかってしまった。
続ける人もいて実力者も多い。私たちがそうであったように、きっと今頃後輩も先輩のありがたみが身に染みているのだろう。
こんな機会はもう無いかもしれないからこそ、学べるものは学んでおきたいし、教えられるうちに教えておきたい。
「律、驚いてなかったね。知ってたんだ」
「……まぁ、丁度連絡が来た時職員室で日向と話してたから」
「マジかよ言えよな〜!」
「確定じゃなかったし」
「にしても、スッゲェ面子が揃うな……」
「夏合宿の梟谷グループに加えてこれだろ?どうなるんだか」
「少し、楽しみになってきた」
「だべ!」
プリントに目を通しながらそれぞれ思い思いに話す。春高で終わりだという思いが強かったから、ここにきて合宿というのは有り難い。夏のアレが最後だと思っていたから、まだ彼らとバレーができることを嬉しく思う。
大学入学までしっかりとトレーニングをしなければいけない。
部活に混ざったり烏養さんの家に行くことはできるけれど、体育館でちゃんと練習したいと思うのだ。男子と女子では同じ競技でも試合のリズムや流れが違う。自分に何ができるのか、探しながら走り続けなければいけない。
強くなるために今まで練習してきたし、私はこれからもそうだけど、きっと澤村達は心からバレーを楽しむことができる。遊び、というわけでは微塵もないけれど。
「でも、他の学校の三年生はどうするんだろうな……」
「あ、俺この前茂庭君達に会った」
「え、そうなの?」
「おう。まぁ、特に何かを話したわけじゃないけどな」
「でも、これからもバレーを続ける三年生が主な対象なら若利と木兎と徹は確実じゃない?あとは、夜久君も……かな」
「黒尾は?」
「わかんない。最近連絡取ってないし……」
鉄朗とは春高前に連絡取りあうのやめようと言ったこととか、それから受験で忙しくなったこともあり音信不通になっていた。でも、この機会に会えたら良いなとは思う。
岩泉達も来る気はあると思うけど、三年生は誰が集まるのかわからない。それぞれが別々の道に踏み出しているわけだし。
それでも、今まで戦ってきた同学年のすごい人たちだから倒したいと思う。
「ちょっと、楽しみ」
「だね」
受験の合格発表といえば、掲示板に張り出される合格者の中から自分の受験番号を探すのが鉄板だと思う。でも、全国各地から生徒が集まる学校なんかは、ホームページにて受験番号を入力し閲覧できるのだと。そして、当日中に入学に必要な書類なんかと送ってくるとのこと。
元々偏差値が高い学校で、それからスポーツと留学など海外交流に力を入れている分それらの推薦枠もある。その為、本当に狭き門だという自覚はあった。
「う、受かった……」
「あら、本当?良かったじゃない」
スマホの画面を確認しながら呟けば、お母さんは嬉しそうにしつつもあまり驚いてはいないようだった。その様子を不思議に思ってなぜだと聞くと、「だって、ユースにまで行った成績優良児、普通落とす?」と言われてしまった。
「律の『実績がないから頑張らないといけない』っていう思考が悪いわけじゃないけれど、運も実力の内。縁があって、日本代表監督に見初められたってのはいいことだわ。それに、実力がないとそもそも見染められないし、話もこないでしょう」
「……確かに」
でも、私は霧島監督と面識なんてなかった筈。彼女はいつ私のことを知って、目をつけていたんだろう。
「今晩は何が食べたい?」
「え〜………だし巻き卵?」
「お祝いだってば。だし巻き卵はお昼に作ってあげるから」
肉と魚、どっち?と聞かれて肉だと答えると、じゃあ焼き鳥ねと言われた。お母さんはお酒が好きだから、絶対に呑みたいだけだと思う。まぁ、好きだから良いけど。
二人で必要書類を確認して、早いほうがいいからとその場で準備を進める。ついでに学費や生活費を見ておいた。奨学金があるとしても決して安い金額ではないし、それも返さなければいけない。今までもそうだったけど、これからも迷惑はかける。だから、最低限私に使われた金額分の恩返しは、したい。
「……寮には、入るのよね」
「うん。夏に大学の案内をしてもらった時、先輩に言われた」
「妹のとこに下宿ってわけにはいかないの?」
「入部するなら、入ったほうがいいんだって」
お母さんの妹夫婦は東京でカフェとバーを営んでおり、私が上京するとこぼしたところ下宿するかという話が出ていたのだ。そのほうが安心だし、どの道そこでアルバイトもする。
でも、梓さんの話によると部員が使用できる寮があるらしく、入部希望者はそこに入寮できるらしい。学校の近くにあり、寮生活で一層チームワークも良くなるのだとか。
「荷造りも進めないと…段ボール三つまでって書いてあるわ」
「そこまで持っていくものもないと思うけど」
幼少期からずっと住んでいた家だ。幾らフットワークが軽く旅行が好きでも、愛着もあるし生まれ育った町を出ていくのは少し思うことがある。期待の方が大きいけれど、少しも不安が無いというわけでは無い。
「………ま、受験勉強も一段落ついたんだし、最後の高校生活を楽しみなさいな。
律が誰と卒業旅行に行くのかも、聞かないでおいてあげる」
「……ドーモ」
ニヤニヤと目を細めて笑うお母さんの視線に気まずくなって顔を背けた。
お正月にアメリカに行った両親は、私だけ日本に置いてきたことが心残りだったようだ。なんだかんだ今までは海外旅行に行くときはついて行ってたし、春高や受験で忙しい時期にと。
それでも、滅多に行けるものでも無いし、両親の仕事の都合もある。だから私は、ついて行かない代わりに友達と卒業旅行に行きたいと言い出したのだった。
上機嫌でお昼の準備をし始めた母を見て、一度部屋に戻る。
大学関係で私がしなくてはいけないことを考えつつ、明後日の月曜日に結果報告に学校に行くけどせめて友人には連絡しておくかとメールを送った。
「……烏養さんにバレーを教わることってなくなるのかな」
ふと思い浮かんだことをそのまま呟くと、静まり返った自室の中でその言葉は嫌に響いた。
今までずっと、私の一番の師だと慕ってきた。これから先もそうだと断言できるけれど、気軽に会える距離ではなくなる。
アルゼンチンに徹が行くと聞いて、寂しく思った。だけど、離れるのは徹だけでは無いのだと、今になって強く思う。
生まれてからずっと私を育て、見守ってくれた両親にバレーと繋げ続けてくれた烏養さん、兄のように世話を焼いてくれた繋心さん。
お母さんにご飯ができたと呼ばれ、それに軽く返事をしながらスマホと一緒にコートとマフラーを手にとった。
「あら?どこか行くの?」
「繋心さんのとこ」
「ああ、受験報告ね。
お父さんの仕事が終わるの、夕方だと思うから今日は早めに帰ってきなさいよ。何なら、迎えに行くから」
「ん。いただきます」
だし巻き卵とうどんを食べて、私は家を飛び出した。
真っ先に向かったのは烏野高校で、練習していたら良いなと思いながら体育館に向かう。馴染みのあるスキール音が聞こえてきて、それに大袈裟なくらいホッとした。
練習する気はないからシューズも練習着も持ってきていないけれど、と思いつつ体育館の扉を開ける。
「こんにちは……」
「!律さん!!」
真っ先に私の名前を呼んだのは西谷だった。その声に反応して挨拶をされる。
澤村と東峰が抜けた穴は大きく、そのため最近はレシーブの強化に努めているらしい。校内でたまに会うことはあったけれど、久々に全員と体育館で顔を合わせたなとしみじみと思った。
「どうしたんだ?急に……」
「繋心さんに一応連絡したけど、見てないでしょ」
「合格通知が来たから来た」と言えば、隣に立っていた武田先生と仁花ちゃんにおめでとうございます!と笑顔で言われた。それにお礼をしながら体育館の扉を閉める。
「で?受験勉強が終わったから早速混ざりに来たってか」
「いや、今日は混ざらない。何も持ってきてないし」
散歩だよ、と言いながら繋心さんの隣に立つ。
私服で、シューズも履かずに体育館に立つのは男子バレー部に初めて顔を出した日以来だ。あの日は夏真っ盛りで、烏養さんに無理やり連れてこられたようなものだけど。
「なんか………寂しくなって。来ちゃった」
「………そうか」
特に口を出すこともなく練習している様子を見つめていた。
繋心さんと初めて会ったのはこの体育館で、烏養さんが練習に行くと言ったのについて行ったのが始まりだった。その時は嶋田さんと滝ノ上さんもコートに立っていて………それが、今。少し前まで私たち三年生を中心に回していたのに、もう一つ下に変わってしまった。時間が進むのって、早い。毎日ゆっくりに感じても、ふと過去を振り返った時そう思える。
心から、良かったって思える。
夏は不安だったし、進路を決めるにあたって卒業することを考えていたから。
「櫻井先輩!今日は混ざらないんですか?」
休憩になり仁花ちゃんを手伝ってタオルとドリンクを配っていると、日向にそう声をかけられた。マネージャー一人は大変で慣れないだろうけれど、日向や山口も手伝ってくれるらしく割と平気なようだ。
「何も持ってきてない。家飛び出してきちゃっただけだから」
「ハッ………!櫻井先輩が、家出!?」
「え、櫻井先輩家出してきたんですか!?!?」
「いや、違う違う待て待て………」
あらぬ誤解をされてしまったけれど、言い方が悪かったのか。
「……自分で決めた進路に後悔は無いけれど、やっぱり寂しさは変わらないから。多分、落ち着きたかったんだと思う」
「?」
バレーも受験も、何か一つのことに熱中しているのはとても心地よい。だけど、それが終わってしまえばその分ぽっかり穴が空いたように感じてしまうのだ。
「大学受かって、一月後には宮城を出て行くって確定したから、落ち着かないのかも」
「!それなら、バレーします?」
「いや、何も持ってきてないって言ったでしょ。
………少し、足が向いたから来たんだ。月曜から練習に参加させてもらうけど、今日は帰るね」
もう、この場所は私たちの体育館ではないのかもしれない。まだ在校生で、練習には参加するけれどそんなことを思った。
「あ、合宿も参加するから」
「!!楽しみにしてます!
俺、まだ櫻井さんに聞きたいこといっぱいあるんで!」
「俺も、日向の今後の使い方について話したいです」
「チョット。櫻井先輩は帰るって言ってるデショ」
相変わらず元気で、雰囲気は変わったようでもあまり変わらないなぁと後輩達を見た。
「私も、日向にやってほしいこと思いついた」
「やってほしいこと?」
「うん。多分すぐには無理だけど、いつかちゃんとした最強の囮になれるように。……じゃあ、明後日。また来る」
そう話すと、日向は目を輝かせて頑張ります!と元気よく叫んだ。
繋心さんがコーチになることを渋っていた理由が、何となくわかった気がする。思い出が詰まっているからこそ、よく知る体育館ではない気がして落ち着かない。塗り替えられている事を不快に思ってしまう。でも、形は変われど何も変わらない。
どれだけ時間が流れようと、想いは引き継がれて繋がっているものだと知っている。
それから、私はそのまま烏養さんの家に来た。
烏養さんは今月初めになってから入院生活が終わり、実家で過ごしているとのことだった。それでもまだ体調が良いというわけではなく、油断はできないとおばさんは話していた。
「ふふ、ゆっくりして行ってね。律ちゃん」
「ありがとうございます」
お茶菓子をお盆に乗せて持ってきたおばさんは、それを炬燵に座っている私と烏養さんの間に置いていった。私たちが話すのはもっぱらバレーの話だからと、気を遣ってくれているのだ。
「ったく……余計なこと喋りやがって」
「心配してるんですよ」
「知ってる。……で、大学受かったんだってな。おめでとう」
「ありがとうございます」
今日は快晴だから換気の為に障子をあけているからと、誰も立っていない少し緩んだネットが揺れるコートがよく見える。
華に誘われて部活に入って、それからお父さんの紹介でここに来た。それからずっと、休みの日はここにきて練習していた。
烏養さんが烏野で監督をしていたから見学に行ったり、試合を見に行ったりもした。強くなる為には練習しかない。でも、できないことをできるようにするには、何ができないのか何をすれば良いのかを知る必要がある。だから、人の試合を見ることも勉強のうちだと。オーバーワークだと怒られる事もあったけれど、通い続けることは辞めなかった。
「お前が行く所は、サーブとブロックが強いとこだったよな」
「はい。今の自分に一番合ってるかなって。
スパイカーとして今までやってきたけど、私の一番の持ち味はサーブだと思うので」
「おう。合ってんじゃねぇか?でもそうだな……東京か。
もう、お前に教えることもなくなるな」
「………っ!」
私が思っていたことを、そのままアッサリと言い放った烏養さんを見る。
優しげな、懐かしむかのようなその表情に涙が滲んだ。
「わ、たしは………私は、烏養さんに教えてほしい。ずっと、ずっと……」
バレーを始めてからずっと、この人だけは私から離れる事はなかった。私が怪我でバレーを辞めても、繋がりだけは絶やさないとでも言うかのように連絡をくれていた。
キツいことを言われたり、投げ飛ばされたりもした。上達が遅くて、人見知りして。でも、それ以上の楽しかった思い出と感謝がある。
「……俺は、自分が今までやってきたこともやりたかったことも、全部お前に教えた。もう、何も思い残す事なんてねぇよ」
「でも…」
それでも、私は。
「だからこそだよ。お前に俺が教えられることは全部教えた。
サーブもレシーブもスパイクも。技術的なことから精神的なことまで。お前の身長は女子のスパイカーの中じゃそこそこだが、体が弱い分がんばった分だけプッツリ切れるからな。
でも、お前は多分…お前が思ってる以上に何でもできるぞ」
「?」
「何だってできるさ。やろうと思えば。
………あとは、何に気付いて何をしようとするかだ」
これから先もバレーを続けることに決めた。また、あの頃に戻るのだと。でも、チームメイトも監督も、戦う人も同じじゃない。ずっと一緒だなんてこと、生きている限りはありえない。
「でもまぁ、寂しくなるけどな」
「!」
「見てるからな」
「はい」
「いつでも、帰ってこいよ」
「………っ、はい」
私にずっとバレーを教えてくれた敬愛する師匠だ。この人が居るなら、私はどこまでも強くなれる。
でも、この先の道はそれは叶わない。
「それではこれより、三年生引退試合を始めたいと思います」
「フゥーーーーーッ!!!」
受験戦争も終わり、結果を待つだけとなった。最後の登校日である卒業式を数日後に控えた私達は、久しぶりに全員揃って烏野高校の体育館に来ていた。
私は受験が終わると混ざりに来ていたけれど、三人は違う。菅原は受験が終わった開放感もあるのか、テンションがいつも以上に振り切っている気がした。
引退試合は、一時間ほどウォーミングアップ替わりの練習をして、試合だ。
チーム割りは事前に決めていたのか、スムーズに行われる。
普段行っていたAチームとBチームだったり、それもごちゃ混ぜだったり。
「旭さん動き悪いっすよ!」
「サーセンッ!!」
「緩みすぎだぞ旭〜」
「そうだそうだ〜〜!」
みんなのやりとりに笑みを零しながら、ボールを繋ぎコートを飛び回るみんなを眺めていた。
「にしても、相変わらずと言うか何と言うか………
三年は安定してるな」
「一、二年は少しばたついてるけど、成長著しいね」
三年生がいなくなってどういう練習をしているのか知らない。最近は混ざっているけれど、彼らは既に私たちが知る烏野とは別物だ。きっと、今までの私達もこんな風に他校から見られていたんだろう。
………負けてらんないって、強く思う。
「うっし!律も行ってこい!」
「うん、見ててね」
そう言うと、繋心さんはカラッと笑った。
何度も試合を繰り返し、コートを駆け回る。
澤村が対角にいると安心するし、東峰の力強いスパイクは私がどう頑張っても決して得られないものだ。影山の精密なトスとはまた違った菅原の虚を突くようなセットアップは面白い。田中のジャンプサーブは春高の時より成功率が上がってるし、西谷はよりコートの中での動き方を考えるようになった。木下と山口のジャンフロは試合中必ず大切になるし、成田もどんな時だって普段の実力が出せるようにと励んでいる。
仁花ちゃんと潔子が居て、マネージャーの大切さを知った。選手じゃないからコートに立つことはないけれど、同じチームの一員として自分の方法で戦っている。そして、そんな選手を全面的にバックアップする繋心さんと武田先生。二人にはここにいる全員が感謝していることだろう。
『僕は純粋に疑問なんですが、どうしてそんなに必死にやるんですか?』
『行ってきます』
日向と月島とは、夏合宿で一気に関係性が変わった。毎日同じコートで練習して、多分影山と同じくらい色んなことを教えたと思う。二人とも性格は全然違うのに勝ちに貪欲で、できるのラインをグングン上げていく。
影山は人に恵まれてると思ったけれど、私もそうだ。
私がマネージャーとして過ごした《選手じゃない》三年間は、決して無駄なんかじゃない。
「…………私、烏野に来て良かった」
それから数日後、卒業式。
「ありがとうございましたっ!!!!」
見慣れた黒いジャージに身を包んだ彼らは少しだけ涙ぐんでいて、その気持ちが嬉しくて私たちは笑顔で烏野を卒業した。
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