『律、バレーやろうよ!身長高いし、運動神経良いし、絶対上手くなるって!』
『そうかな?』
『私、かっこよくスパイクを決める律が見たい!
 絶対私がトスをあげるから!』

 初めて出会ったのは幼い頃で、その記憶も薄くなる程いつの間にかずっと一緒にいた。
 私と同じか、少しだけ高い位置にある頭。ぱっちりした丸い瞳。頬は薄ら赤らんでいて、形の良い唇はいつも弧を描いていたのを今でも覚えている。
 まるで花が咲く様に朗らかに笑っていて、いつだって周りに人が絶えない様な私にとってはお姫様みたいな子だった。

『及川君よりずっと!律のこと大好きだからね!!』

 華と最後に会ったのは中学の卒業式。話したのは去年の夏に電話した時以来になるのかと思い返した。
 北川第一中学校は最寄駅から少し外れた住宅地の中心で、私と徹の家の中間地点にある。その区域の高校は青葉城西高校が一番近いことが大きくて北一の生徒は殆ど青城に行く。そして反対方向の山間部に烏野高校はある。通うには基本的にバスを使うけれど、私や影山はトレーニングついでに歩いて行くことだってできる距離だ。坂はきついけれど。
 そして、私の幼馴染みである華の家は私の家から青城に行くまでの道。行こうと思えば行けるけれど、住宅地だから目的が無ければ寄り付かない徒歩一分とかからない場所にある。
 ……少しだけ浮き足立っているのは会うのが久しぶりで緊張しているからなのかな、なんて思いながら白い外壁のあの頃と見劣りしない素敵な庭が見える家のインターホンを押した。
 華のお母さんはガーデニングが趣味で、冬の寒い時期でも手入れはされていて綺麗な菜の花が咲いていた。風が冷たいけれど春のポカポカした陽気が漂っているからか、柔らかい空気を感じる。
「お待たせ!」
「……華がしっかり準備してるなんて」
「酷い!私だって成長したんです!
 ……久しぶりだね、律」
「ん、久しぶり」
 時間にルーズなところがあるからいつも玄関先で待つことが多いのに、ドアを開けるとスーツの上からベージュのコートを羽織り赤いチェックのマフラーを巻いた華が立っていた。
 幼い頃は私と同じか少し高いくらいだった身長も小学校低学年になる頃には私の方が高くなり、バレーを始めてからは徐々に、それでいて顕著に差は開いていた。綺麗になったけれど、柔らかい雰囲気や笑顔なんかは全然変わっていない。
「律はやっぱりパンツスーツなんだね。かっこいいよ」
「スカートもいいね。可愛い」
「スーツって着てるだけで気が引き締まるよね〜!」
 わかる。なんて話しながら荷物が入ったリュックを肩にかけ直した。スーツにリュックってアンバランスだけど。
「あ、先に三百円渡しとくね」
「はぁい……うん、オッケー!」
 今日は中学校の終業式で、お昼前に離任式が行われる。
 在籍していた頃バレー部の顧問だった先生が退職するということで、梓さんが一年生の頃から今までの世代でカンパを行い、花束を渡すのだ。華は母の影響でそういうの詳しいしセンスも良い。連絡は梓さんや主将をはじめ後輩とも取り合っていた為、代表を頼まれたのだと。
 私は中学最後の大会が終わった後、卒業時自動的に引退するのを待たず退部したので除外されていたものの、梓さんと華の判断で春高後にそれを聞いて参加することになった。サプライズみたいなものだと華は笑っていた。
「来られる人は来るって言ってたよ。同窓会みたいになるね」
「そうなの?私昼から烏野行かなきゃだけど」
「何かあるの?」
「進路報告みたいなのを毎年後輩に話すんだよ。数人。」
 進学クラス以外にも進学する人はいる。大学だって四年制や短大などがあり、学ぶ内容によって学校の特色は変わる。専門学校に進む人もそのまま就職する人もいるのだ。
 卒業生がこれから進路選択をする後輩の指針になれば良いと、教師の中で推薦された数人が在校生の前で軽いスピーチをするのだ。
 私は偏差値の高い学校に進みこれから選手としてやっていくことから、スポーツ系の道に進む後輩の為にと武田先生に推薦された。こう言うのは澤村や菅原の方が、と思ったけれど、彼らのことを見てきた私がと言われて承諾したのだ。
「なるほどね〜律ってそういうの苦手なのに」
「ん、超絶めんどくさい。………でも、まぁ良いかなって。
 それに、明日から合同合宿に参加するから、そのまま練習にも混ざろうかって連絡取り合ってて……」
「、」
「どうしたの?」
 話している途中で華が立ち止まったからそれに合わせて私も立ち止まり華の方を向くと、少しだけ驚いたような、寂しそうな何とも言えない表情をしていた。
「いや……知ってたけど、改めて聞くと良かったって思って。
 合同合宿は烏野の?練習に混ざるって事は、選手として?」
 しかしそれも一瞬のことで。
 気にしないことにすると言ったもののそこまで連絡をするわけではないから実感がなかったらしい。華は少し目を輝かせながら聞いてきたので、教えられる範囲で話した。
「数校集まるんだけどね。白鳥沢の監督が中等部の選手を一人入れても良いなら認めるって」
「何それ。なんか上から目線すぎない?」
「私は実績がないし、女だからね。
 周りの目もあるからそう簡単に承諾はできないんだよ」
「そうは言ってもさあ………
 でも、数校ってことは烏野と白鳥沢以外もいるんでしょ?」
「うん、青城とか」
「じゃあ及川君と岩泉君がいるし大丈夫!」
 大きな花束を両手に抱えた華はあの頃と同じように朗らかに笑っていて、それを懐かしく感じながらも私は嬉しく思った。
 高校のことやバレーのことを話しながら中学校に到着すると、校門のところで当時の部員がキャッキャしているのが見えた。
「華!久しぶり〜!」
「あれ、律!?びっくりした!」
「こんにちは!お久しぶりです」
 久しく見なかったから同級生や後輩の顔と名前が一致しない。そこまで時間経ってないはずなのにな、なんて思いながら「久しぶり」と言った。
「ほらほら、早く行かないと不審者扱いされちゃうよ〜
 ……この場合ってどうすればいいんだっけ」
「事務室行けば大体わかる」
「なるほど!じゃあもう寒いしいる人だけ行っちゃおっか」
「連絡だけしとこ」
 数人で固まって事務室に向かうと、名前と卒業年を確認して名簿に名前を書いた。在学中お世話になった先生も転校するらしく、名簿の中に見知った名前を見つけた。
「なんか、自分たちも通ってたのに場違い感半端ない……」
「わかります!」
「サプライズだから、無事入れただけで嬉しい」
「何それ」
「パッと事務室〜とか出てこないよ」
「ああ………他校に行き慣れてるからかな………」
「何それ??」
 青城だったり伊達工だったり、夏合宿だったり。練習試合で他校に行くことは今までもあったけれど、こういった手続き関係はマネージャーになるまで全然わからなかった。
 体育館へ向かうと丁度いい時間だったらしく、在校生が入場していた。
 入り口にはスーツ姿の人が数グループ固まっており、意外に人が集まっているものなんだと思いながら辺りを見渡した。
 同級生だった子か、なんとなく見覚えのある子なんかは私をチラッと見てコソコソと話している。正直良い気分ではない。
「そういえば、律って今何してるの?」
「連絡先も知らないし!」
「………ああ、高校は烏野。
 卒業後は東京の大学で、梓さんと同じとこ」
「梓さんと!?偏差値エグいとこだよね!」
「え、一般?やっば」
「烏野ってどこだっけ……なんか聞いたことある気がする」
 梓さんの進学先は知っているのか、騒ぎ始める。
 烏野に進む人はそこまでいないけれど、同じ県内だし学校名は多少知られていても不思議ではない。春高まで進んだけれど、男子がそうであるように女子も男子バレーにそこまで興味を移すことはないのだろう。
「学科は?」
「スポーツ科………てか、その辺の話ちゃんとしてないね」
「律から言ったほうが良いかなって」
 根掘り葉掘り聞かれそうになっていると、名前を呼ばれた。
「幸、久しぶり………でもないか」
「春高で会ったしね」
「準優勝だったね、新山女子」
 烏野は敗退した次の日に帰宅したので会場で見られなかった試合は中継を見たけれど、決勝で幸がいる新山女子は泉がいる学校にフルセットの末負けていた。その辺あまり突っ込む気は無いけれど、ひとまずお互いお疲れと言った。
「まっっって……情報が追いつかない」
「春川先輩と櫻井先輩は会ってたんですか?春高で??」
「何も話してないんだろうなって思ってたけど本当に何も?」
「ん。連絡先知らないし」
 幸はなるほど……と呟いてステージの方を見た。そろそろ始まるらしい。
「律の近況、改めて考えるとツッコミどころ満載だからね」
「え、何それ何があったの」
 アナウンスを耳にして静かになると、離任式に意識を向けた。
 離任する先生方の言葉や在校生、校長先生の挨拶。最後に校歌を聞いて退場する先生を拍手で送る。体育館を出る際みんなで大きな声で先生の名前を呼ぶと、華が花束を渡していた。
 アッサリと式は終わり、体育館を出たところで先生を取り囲んでいるのが目に入った。私はそこに向かう気にもなれなくて体育館の中からそれを眺めていると、華が話しかけてきた。
「………行かなくていいの?」
「んー………そう感傷的な空気に浸るわけでもないし」
「律らしい」
 綺麗に装飾が施されたものの人気のない体育館は最後に見た時と代わり映えすることなく。それでも何かが違うと思えた。
 卒業式の日。いつも練習をしていた第二体育館まで私を探してやってきた徹の顔を今でも覚えている。
 何かを言いたいのに言葉が出てこないような、泣きそうな顔。………いや、泣いたか。私が。きっと私が泣かせてしまった。
「………別に、中学時代を黒歴史みたいに邪険に思ってるわけじゃない」
「……それで?」
「怪我して、あんな思いして。みんなは忘れたいみたいだけど、私は絶対忘れないし。陰口も、殴られたことも、嫌悪を込めた視線も、全部覚えてる。
 ………でも、あの出来事がなかったら、私は今バレーしてないだろうし」
「ふうん?
 ………それ、みんなに一番言わなきゃじゃない?」
 華は少し笑って私の手を引いた。
 私が「良いよ」って言わなきゃ、ずっととらわれたままだ。
「櫻井」
 来てたのかとでも言いたそうに驚いていて、言葉が出てこないみたいだった。何を言えば良いのか、わからない。そういう空気をひしひしと感じる。
 私が良いよと言わなければ後悔が終わることはきっと無いし、いつまでも傷が疼くのだろう。
 それでも、私は「良いよ」とは言えど許す気は全く無い。その後悔をいつまでも忘れずに生きてろとすら思う。
「……あの「謝らないでください。
 ………別に、私が今日ここに来たのはみんなに謝ってもらいたいからじゃないし。正直頭下げられても困る」
「律………」
「あの頃バレー好きじゃなかったし、怪我したこととか当時は色々考えたけど……それがないと今私はこうしてないし。
 それに、きっと昔に戻れるとしても、私は同じ道を選ぶ」
 アレがなければ選手として生きて行くことを決めなかった。きっと、烏野に行くこともなかったし、バレーを続けることも、全部なかった。
「何度後悔したって、私は今が大切だし昔をなかったことにはしない」
「………櫻井」
「……実は私、夏から選手に復帰したんです。
 だから、これからの私を見ていてください」
 コートを飛び回る私を見て、昔のことを思い出せば良い。
 あの出来事がなければ私は今もバレーをしていないけれど、それでもやっぱり苦しいのだ。もう昔のことをいつまでも気にしなくて良い。後悔して、飲み込んで消化して。………本当の意味で前向いて、そしたら。
 私の発言には先生だけでなく元のチームメイトも驚いており、唯一幸だけが呆れたようにため息をついていた。
「え、じゃあ高校でもバレーしてたってこと!?」
「だから春川先輩は知ってたんですか?」
「いや、予選で偶然会った。律が男子のマネージャーしてて」
「男子のマネージャー!?」
 なんか、説明するのもめんどくさいなぁと思いながらも近況を軽く伝えた。リハビリが終わり怪我が完治した高二の秋から男子バレーボール部のマネージャーをしていた事。三年の夏にきっかけをもらって選手として復帰を決めた事。
 連絡先を知らなかったとはいえ華や幸、梓さんとは話してたのだから伝えておけばよかったかと思ったけれど、ここで自分の口から話すことに拘らなければいけなかった。
 みんなは驚きながらも私の話を聞いてほっとしたように笑っていた。今ではバレーを続けている同級生は殆どいないみたいだけど、競技は好きでニュースなんかはついつい見るのだとか。だから白鳥沢を下して春高に進んだと聞いて烏野にピンと来た子もいた。
 そうこう話していると、ふとあの女の子の事が頭をよぎった。

「………そう言えば、前田さんって今何してるの」

 私のその一言で和らいだ空気が凍りついた気がした。
「絶対知りたいわけじゃないけど……知ってる人、いる?」
 何となく思い出しただけだからと前置きをして聞いてみると、同級生も後輩も首を横に振った。
「…さぁ。一年生も連絡先知ってる子いなくて」
「前田さん、二学期の初めに転校したんですよ」
「櫻井先輩のことで最終的にあの子が悪いみたいな雰囲気になっちゃったから、いじめられるって思ったんですかね?」
「九州?だっけ。そんな感じのこと聞きましたよ」
「まぁ………及川先輩にあそこまで言われたら、ねぇ?」
「前田さんて及川先輩のこと好きだったんでしょ」
 ここでも彼の名前が出てくるのかと華に視線をよこしたら、華は静かに、それでいて少し寂しそうに言った。
「ほら、電話で言ったでしょ。
 ゆかちゃんに及川君が『許さない』って言ってたって」
「………なるほど?」
 徹が皆の前で何を話したのか詳しく聞いたことはないけれど、この様子だと完全に前田さんを否定したらしい。基本的に自分を好きでいてくれる人や応援してくれる人、女の子に優しい彼だからそこまで思われるほどのことを彼は前田さんに言ったと思うとなんだか微妙な気持ちになる。
 どうしようもなく、嬉しく思ってしまう。徹の邪魔だけはしたくないのにな。
「及川君とは会った?」
「ん」
「………会うどころかだよ」
 幸は春高で梓さんと会ったのか、知ってるぞとジト目で私を見た。
「律、今及川と付き合ってるから」
「は!!!?!?」
 一斉に驚愕の声をもらって思わず後ずさる。
「え、本気!?」
「うん、春高予選で青城に勝った後に勢いで告白して……」
「え、律から!?及川からではなく???」
「律、どうしちゃったの!?」
「男の趣味わっっっっる!!!!!」
「何か弱み握られたとか?脅されてない?」
 先輩と後輩はともかく、同級生からの徹の印象がガッチリ固まってることに苦笑した。
「君らは及川をどう思ってるんだ」
「だって!あの及川だよ!?」
「何かされたら言うんだよ?」
「はいはい」
 苦い過去も置き去りにしない。全部終わらせて、本当の意味で前向いて…そしたら、コートに立ってる姿を見せつけてやる。
 名簿で見かけた彼はこちらを気にするように見ていたのか、視線が合った。それを私は特に気にする事なく背けた。
「もう、大丈夫」

 北一を後にした私は、バスで烏野へと来ていた。
 午前中に大掃除やホームルームを終わらせた在校生は体育館にて修了式を行い、その中で卒業生のスピーチを聞くのだと。
 今でも練習に混ざりにくるけれど、スーツで来るとやっぱり違うなとパイプ椅子に座り天井を見上げた。
 在校生の後ろには卒業生も集まっており、その中には澤村達の姿もある。合宿前だから練習に混ざろうと話していたので、体育館に部活目的で全員集まるのはあの最後の練習以来になる。
「櫻井さんトップバッターだね。原稿どんな感じ?」
 隣のクラスの女の子が「私、就活で苦労したこと話すよ」と作文用紙を見せてきたので私はスーツのポケットに入れていた小さな紙を取り出した。
「細かく考えてないよ。好きにして良いって言われたし」
「まさかのメモ帳に箇条書き……」
「え、二人ともそんな感じ?」
 在校生が並んで座るのを横目に私たちは三人でどんなことを話すのかと話はじめた。
「言いたいこととか伝えたいことだけ話すつもりだったから、二人が就活とか大学入試について話すのなら安心した」
「俺専門だけど」
「正直何話せよって感じだったけど、紙に書き起こしてみると中々すること多いよね」
「こういうスピーチって苦手」
「わかる!」
「櫻井さんはうまそうだけどなぁ」
「堂々としてるし」
「………『お前のスピーチは説教聞いてる気分になる』って、言われたことがある、から」
「oh…………」
 言わずもがな、繋心さんにだ。いつだったか、大学入試前の面接練習をしたところそんな事を言われた。
 私を含めてスピーチを行うのは三人で、クラス順だから私が最初だ。あまり緊張はしないけれど、こういうのは慣れないからと事前に話すことをまとめてきた紙を確認する。
 進路指導の先生から少しの言葉があると、私の名前が呼ばれたので横に並んでいた二人に視線をやって席を立った。
 ステージに立つとマイクの前でお辞儀をして体育館を見渡す。在学中は男子バレーボール部マネージャーだった事や、三年間クラスで図書委員をしていた事、卒業後の進路を説明された。
 多分生徒と身近に考えさせて話に現実味と信憑性を持たせることと、同じ進路を考えている人に興味を持たせるためだろう。
 先生からの視線をもらい、一歩前に出て静かに話はじめた。
「……只今ご紹介に預かりました。卒業生の櫻井です。
 意識は既に明日からの春休みに向いていると思うので、手短に話していきたいと思います」
 そう言うと、どこからかクスクスと含み笑いが聞こえた。
 スピーチは進路選択で体験した事や在学中するべき事なんかを自由に話して良いとのことでカンペを作ってきたけれど、それをそのまま読むなんてことをするつもりはなかった。
 だってこの場所は。
「……この体育館は、私が二年の秋から男子バレーボール部のマネージャーをすることになって、毎日通った場所です。この場でこうして後輩に話すことになるとは思っていませんでした。
 たかが一、二年先に生まれただけ。先生方が歩んできた人生の半分も生きていません。それでも、先輩として言いたいことを話すので、少しでも何かを感じていただければ幸いです」
 一息ついて、視線を後輩へと向けた。少し距離はあるけれど特徴的でよく知る彼らのことだから、真っ先に目に入る。これからもここでバレーをする彼らにとって、私が先輩として何かを教えられる最後の機会かもしれない。だからこそ、以前日向に話したことをここでみんなに伝えよう。

『いいかい?』

「………皆さんに質問です。
 学校の授業で、一番役に立つ教科は何だと思いますか?」
 シンッと静まり返った体育館だったけれど、周囲に視線を動かしたりするのが窺える。
「二年一組、田中龍之介。君はなんだと思う?」
「ファイッ!?
 突然名指しされたからか驚いた声をあげた田中は、同級生からの冷やかしをもらいながらも答えた。
「……現文っすかね。日本人だし」
「日本語は基本喋れるしわざわざ勉強する程でもないのに?
 ……じゃあ、隣のクラスに行こう。今田中を見て挙動不審になった木下久志」
 集会の時はついつい下を向いてしまうのだけど、ここで話してみると案外生徒の顔ははっきり見えるのだとわかった。
「はい!?あー……数学、デスカ?」
「仕事したり生活する中で二次関数とか聞かれることって無いし電卓あるから和差積商の暗算さえできればいらないよね。
 じゃあ次、一年三組影山飛雄」
「……俺は、体育ですかね。トレーニングになるし。競技選択全部バレーだったらいいのに」
「私も体育は好きだし体力は生きる上で重要だけど、いらない職に就く人もいるよね。
 学校で勉強することは殆ど将来使わないかもしれない。そこは人によって違うし、今が楽しければ良いって人も居る」
 何と答えれば正解なのかと誰もが思うだろう。そして、自分はこの教科だと思う、なんて周りと話しだす。そんな緩んだ空気を戻そうと、本題に入る。
「実は皆さんの中に一人だけ、この話を先に聞いた人がいます。最後、一年一組日向翔陽。私はあの日なんて答えた?」
「はい!答えは、『一貫して歴史』です!」
 日向が元気に言ったのは誰もが思い描いていた教科ではなかっただろう答えで、それに私は頷いた。
 話を聞かせたいと思うならば、まずは興味を引く事だ。完全に聞く体制を整えてから私が今伝えたい事を話す。
「歴史を勉強して何の役に立つか。考古学者や博物士になるわけでも無い。まして入試に必ずしも出てくる科目でも無いのにと思ってる人はいるでしょう」
 この場で教えたいと思った。学生である、未来があり伸び代がある。何にでもなれる彼らに。将来への不安が全く無い人はいないだろう。未来どころか、明日すらもわからないのだから。

「『過去を識る事は未来を知る事』、歴史とはこの世で最も実用的な教科です。
 人類は過去を学び今に活かす事で生き抜いて来た。先祖を想い生活を解き明かそうとする事は他の生物に真似できない人類の生存戦略……未来を切り開くための武器になる」
 歴史なんて勉強しなくても生きている限り時間は進むし未来は来る。でも、それは人の考え方次第で良い方向にも悪い方向にも進むのだ。
 一つ、例を挙げようと影山に話しかける。
「……影山は将来、何になりたい?」
「セッターとして世界で戦いたいです」
「うん、じゃあそのために今何をする?」
「練習、ですよね」
「どうして?」
「は?」
「どうしてセッターとして世界で活躍するためには練習が必要だと思う?」
「そりゃ、技術も何もかも足りないからで………」
「うん。じゃあ何の練習をする?」
「セットアップ……ディグとか…」
「それは、どうしてやろうと思ったの?」
「??」
「バレーボール選手になりたい。セッターとして活躍する為に、自分に足りないものを補わなければいけない。練習しなければいけない。
 ……それは、今現在世界で活躍するプロの選手が時間をかけてしているからだ。自分より凄い選手が沢山いるのは当たり前で、彼らがいるから目標ができる。
 影山はプロ選手の歴史からそれを学んでいる。自然に自分の進路選択に活かしている。
 影山の進路で上げたけど、これは部活にしろ勉強にしろ何にしろ言える事。進学したい学校に受かるために成績を上げたい。テストで良い点数を取らないといけない。どんな勉強をすれば良いのか。…参考書を解く、とか」
 ………これは決して、私たちだから大切と言う話では無い。
 生きて行く為に必ず誰もが自然に行なっている事で、自分の掴みたい未来のために学ばなければいけない事だ。

「一つの目標に向かってこれからそれぞれ進んでいくわけだけど、その過程で自分は何をするべきか、何が必要なのか大なり小なり必ず壁にぶつかる。そして、それを乗り越えようとする。それが当たり前です。
 じゃあ、壁を乗り越える方法は?どうすれば強くなれるのか、何をすれば道は開けるのか。
 それぞれいろんな考え方があって、進む道も方法も一つじゃない。その中から自分に合うものを選ぶのも、自分だけの道を探すのも手だからこそ先人の知識を得る事は大切です。
 先生や先輩、友人、親。周りに自分がなりたい形を体現している人がいなければ本でもいい。知識は人類が持ちうる財産です。自分より凄い人や優れているものは全部利用しろ。良い所を吸収して、学べ。
 将来、唐突に文豪の名前を聞かれたり戦の年月日を聞かれることはないと思う。でも、学生のうちはそういうことを勉強しなくちゃいけない。独り立ちしたときのために考える力を付けることが、学生が勉強をする理由だ。

 大昔だけが歴史では無い。歴史とは『人が何をしたか』。
 そこから何を学ぶかは千差万別で良い」

 人によって重要視される教科は違うけれど、歴史は一番活用されている科目だ。それがあるから、ここまで進化してきた。誰もが自然に役立てているのは先人達の歴史に他ならない。
「自分の進む道で先に生きている人を見て、学べ。自分に何が足りないのか、どうするべきなのか。常に考えて行動する。
 『考える事を辞めるなよ』と、私は今まで師匠にそう言われて来ました。負けは弱さの証明ではなく、自分の限界値の確認です。そこからどう動くのか、どう次に活かすのかが重要。
 そして、上に行けば行くほど技術も経験も上がる。だから、常に考え続けないと勝てない。
 他人の優れている点を特別扱いなんてしなくて良い。自分の力はここまででは無いと真っ直ぐに努力し続ける事は、諦めることよりもずっと難しくて苦しい道ではあるけれど。それでも、『自分は人とは違うから』と思う時点で、その先のチャンスは来ないと思え」
 言いたい事は全部言った。視線を向けると、少しだけ表情が変わった後輩が見えて嬉しく思った。
「……私は人と話すことが苦手です。自分の考えと相手の考えは違う可能性があると知っていながら、自分の考えを押し付けがちになってしまうから。だから、私の言葉をどう受け止めるのか、どう活かすのかも皆さんの自由です。
 それでは、就職にしろ進学にしろ大変だったことや絶対するべき事を次の二人が話してくれるので、先輩の言葉を聞いて、理解して、活かしてください。掴みたい未来を掴める事を願っています。以上です」
 一歩下がって礼をするとパチパチと拍手が上がる。
 全部、私が今まで行って来たことと烏野で気づいたことだ。
 選手の時はいっぱいいっぱいで見えていなかったものがここでは鮮明に見えて、自分に必要なことがわかった。怪我をして選手を辞めないと分からなかったことばかりだ。

「櫻井は相変わらずかっこいいこと言うな〜!!
 パクっていい?」
「いいよ」
「いいのか」
「菅原の進路的には使えそうだよね」
「少し難しい気もするけどなぁ〜」
 体育館が使えるようになるまで部室で喋ってようとスーツのまま部室でくつろいでいた。先ほどのスピーチや卒業後何をしていたかを話していたけれど、きっと頭にあるのは同じことだ。
「てかさ、明日から合宿だろ?チョー楽しみだな!」
「俺は練習についていけるかどうかが不安だなぁ」
「白鳥沢は設備がしっかりしてるし、人数多くて大変そうだったけどわりかし夏より平気そうだよね」
「私選手として参加するけど、時間ある時は手伝うよ」
「いいよバレーに集中して」
 そう話していると澤村がそういえば、と切り出した。
「明日からの合宿でさっき武田先生に言われたんだけどさ。
 一、二年と三年はすることが違うらしいんだよ」
「引退してるしな」
「で、三年は俺たちで何するか考えないといけないんだけど、どうする」
 監督やコーチは一、二年の方に付くからだろう。
 参加校の中で全員と顔を合わせているのは烏野だけだと思うし、その元主将である澤村が三年のまとめ役に選ばれたらしい。
「主将で決めればいいべ……つっても?
 まとまりなさそうだけどな」
「それなあ」
 一見まとめ上手そうだけど、一緒になって騒いだり水と油だったりする奴がいるから時間はかかりそうだ。
「でも、せっかくの機会だし普段できないことしたいよね」
「律は試合したいんでしょ?牛島君と木兎君」
 潔子の言う通りだけど、私はその二人以外にも倒したい相手しかいない。
「まぁ、普通の練習メニューこなすよりその方がいいよな。
 必ずしも全員がバレー続けるってわけではないだろうし」
「試合ってのはいいんじゃね?どうするか知らんけど」
「チーム分けとかな。初対面もいるだろうし」
「………それなら、初日は交流重視にするとか」
「お?」
 明日以降の事を話し合っていると後輩達が入って来たので私と潔子は体育館の更衣室に行くことになった。
「……楽しみだね」
「うん」
 練習メニューは縁下に任せて三年はこの短期間で落ちた体力と勝負勘を取り戻そうとボールに触っていた。
「やっぱ動き鈍るよな」
「……私思ったんだけど」
「おう?どうした清水」
 休憩中ドリンクを潔子にもらって澤村と菅原とさっきの話を進めていると、潔子が無表情で言い放った。
「……澤村、なんかデカくなった?」
「えっ横にか!?」
「うん」
「ブッフォ!!!」
「菅原吹かないで」
 突然何を話すのかと思えばそんな事で。でも澤村は元からよく食べるし存在感が増したし、なんて目を向けた。
「律と身長同じくらいなのに、体型に差が出るものか、と」
「櫻井身長伸びてるよな!春頃は俺と同じくらいだったのに」
「体力つけるメニュー中心にやってるから、身体絞ってるし」
「律の腹筋は割れてたよ」
「はぁ〜〜〜〜??負けん!
 俺も腹バッキバキにしたい!」
「ムッキムキの菅原とか私嫌だからね」
「いや、俺だってどこぞのボディビルダーみたいになってみたさはあるよ」
「無い無い」
「菅原は何を目指してるの」
 潔子の横に大きくなった発言にショックを受けた澤村がでもまぁ、と話し始めた。
「適度な運動は大事だよな。うん」
「お?大地、一緒にムッキムキになろうぜ!」
「そうではなく。律とか、これから先もバレーしていくだろ? 大人になってからもお前らとバレーできたらなって思うよ」
 その言葉にキョトンとしていると澤村はハッとして今クサいこと言ったな俺!?と騒ぎ出した。
「私も、そう思う。この先いろんな人とバレーしてても、烏野のみんなとしたいって思う日は絶対くる」
「律………」
「これはアレだな。同窓会は体育館だな」
「ヤバイね」
「うん。楽しみでやばい」
「それ」



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