「烏養さん!律が倒れました!!」

 そう言いながら体育館に文字通り飛び込んできたのは清水で、突然のその声に驚きつつも「やっぱりな」と何処か落ち着いていられたのは、これが一度や二度ではないからかもしれない。
 だから隣にいた谷っちゃんが落としたバインダーを拾いながら一息つけた。
「たお……え?」
「少し行ってくっから、先生チームのこと頼むな」
「エッは、はい!!わかりました!!」
「言っても無駄かもしんねぇけど、二人とも落ち着け」
 何処か浮き足立っている清水も珍しいと思いながら急かす様に導かれたのは隣の体育館で、三年の人だかりの中に律はいた。
「あ、繋心さん……」
「コーチ!」
 倒れたのは本当らしく、心配する様に集まっていたのだろう。
 律は床に座り込んでいるものの落ち着いていた。周りの奴が慌てていると逆に落ち着くってゆうのもあるだろうが、こいつがここまで普通ということは大ごとでも無いのだろう。
「鼻声になってんな」
「耳、通んなくて……」
「吐き気とか、ムカつきとかは?」
「無い」
「起き上がれるか」
 サッとその場に立ち上がった律にふらつきは見られないし、立ちくらみは一瞬だったらしい。
 澤村が言うには、ものの一分くらいで上体を起こしたらしい。
「多分いつもの貧血だな。今日は気圧も低いし、尚更だろ。
 とりあえず昼まで寝てろ」
「はぁい………」
「清水、一応付き添ってやってくれ」
「わかりました」
 体育館を出る二人を見送って、騒ついていた選手に「お前らも無茶すんなよ」と声をかけた。
「だ、大丈夫なんですか?櫻井……」
「数年前から一年に一回は突然ぶっ倒れる日があるんだよ。
 通院してるし、薬も飲んでる。本人が大丈夫って言ってんだから大丈夫だ」
 そう言うと、澤村はほっとして肩から力を抜いた。
 貧血と偏頭痛は小学校高学年から中学生になるにつれて発症したものだ。律のお母さんも酷い貧血持ちだからきっと母親の遺伝なのだろう。
 怪我で入院した時痛い目を見たから、体調に関してだけは隠すことはしなくなった津だ。精神的なあれそれはまだまだポーカーフェイスがうまいことがあって見抜けはしないけれど、体調に関しては隠していいことでは無いと痛いほど身に染みている。だから、こればっかりは嘘偽りなく平気なのだ。
「………烏養さんがそう言うなら」
「夏にも鼻血出してたしな!律は」
「あ〜……確かに貧血で立ちくらみ起こすとか言ってたな」
 菅原が不服そうにしながらも納得し、夏に律と練習していた木兎と黒尾も実際に見たからか心配そうにしつつも練習に戻るよう周りに視線を向けていた。
 なんだかんだ信頼されているのだと安心して俺もチームの方に戻ろうとすると、一人俺に不満げな視線を向ける奴がいた。
「………どうした?」
「いえ………別に」
 彼、及川はそう素っ気なく返答して俺から視線を逸らした。
 それを少し邪険に思いつつも体育館に戻れば、先生に容体を聞かれたので大丈夫だと言っておいた。
「一応あいつの両親に連絡入れるが……俺から言っとくか?
 木曜だし、多分仕事中だろ」
「あ、よろしくお願いします」
 おじさんとは偶に連絡を取り合っているが、母親の方がいいものかと思いながら電話をかけると、双方出ることはなかった。一般職だし平日の午前中だ。忙しいのだろう。概要をメールして返信を待つことにした。
 入院したことから律の体調に関して敏感になっているから、これで強制送還になることはないと思いたいけれど。

 今まで距離の近さから一緒に練習している時なんかは体調を確認することだってできた。メールだって試合の事や選手について連絡する際に通院結果を聞いたりもしている。そんな、俺と律の間にあった些細な日常も今後無くなっていくんだろう。そう思うと、これからの選手生命が心配だと余計に強く思う。
 そう頭の片隅で手のかかる妹分の心配をしながら、目の前の選手に思考を移した。

    *    *    *

 俺、自分がこんなにも性格悪いなんて思っていなかったな。

 律ちゃんと恋人同士になって、そう感じることが増えた。
 デートしたり旅行に行ったりと、順風満帆で不満なんてない。バレーしている姿だけが好きなんてこともなく、彼女の全てが大切で好きだからこそ、全部独り占めしたくて………だから、烏養さんやクロちゃん、ぼっ君みたいな輩が気に食わない。
「櫻井さんっ!」
「大丈夫か!?」
「律!!」
 朝からどことなく心ここに在らずというか、上の空というか。顔色も悪かったもののストレッチをしっかりやってランニングも走りきっていたから、心配しつつも大丈夫だと思っていた。異変が起きたのは対人パスをしている最中だった。
 倒れてすぐに駆け寄った俺は目を半開きにして頭を押さえている彼女を見て血の気が引いた。
 春高予選の時に蘇ったであろうトラウマとかそういうんじゃなくて、きっとこれは中学三年の夏の時と同じ感じの……と、動きが止まる。ああ、怖い。
 元から女子一人と視線を集めていただけはあって、人だかりができるのにそう時間はかからなかったけれど、そんな騒めきが大きくなる頃に彼女はパチッと目を見開いた。
「櫻井さん!」
「大丈夫か!?」
「あ、うん………平気」
「平気って……!本当に?朝から顔色悪かったよね?」
「大丈夫だから。及川の方が落ち着いて」
 倒れたにもかかわらず目を覚ました彼女はけろっとしていて、逆に俺たちの方が気が動転していたのかもれない。
 清水さんが連れてきた烏養さんと話すと、そのまま彼女は昼まで休憩しているということになった。午前中はアップをしてチームごとに練習、お昼を挟んで午後から試合だったからそこまでの支障はないけれど、心配だ。付き添いたい。
 ………いや、それよりも。
「……………はぁ」
「櫻井さん、大丈夫かね?」
「ああ、うん。そうだね…………」
 同じチームになったマッキーが話しかけてきたのに生返事をしながら練習を再開するようにと言う。
 心配だし、不安だ。だけど、一番はそれじゃ無い。
「………やだな」
 胸の内に燻るどす黒い感情を隠すようにバレーに打ち込んだ。
 チーム練習はコートを広く使いたいからと、階段ダッシュ、外でのラダーと三チーム三十分交代で行うことになっていた。それらの練習が終わると十二時頃で、一時間のお昼休憩の後は三チームで試合だ。一、二年生が行っている一セットマッチのデュース有りで、雨が降っているからとペナルティはコートをフライング一周。
 お昼は同じチームの人と食べる予定だったけど、マッキーとまっつんに断って律ちゃんの元に行くことにした。昼以降は、合宿への参加は平気なんだろうか。大丈夫なら同じチームだし色々話したい。そうだよ、せっかく同じコートに立てると思ったのに。
 添川君に保健室の場所を聞いてそこに向かっていると、烏養さんもビニール袋を片手に向かおうとしていたようでばったり廊下で鉢合わせた。
「及川?………あ、律のとこ行くのか」
「です。烏養さんもですか?」
「まぁな。そういやお前ら付き合ってるんだっけ………」
「はい」
 そういやって。付き合ってますけど。
 先程不躾な態度を取ってしまったから、それを出さない様にと思いながら相手をする。烏養さんは律ちゃんにとってとても大切な人だから俺も親しくなりたいし、関係は良好でいたいと思っている。だけど、それだけじゃない。
 律ちゃんが真っ先にアドバイスを求めたり、倒れた時いつも手を伸ばすのはこの人で。俺はそれが嫌だった。

『小さい頃から一緒にいて、兄みたいだと慕っている。』

 それは理解できるけれど、頼るなら、その手は真っ先に俺に伸ばしてほしいと思ってしまう。
「………烏養さんは、律ちゃんと仲いいですよね」
「まぁ、俺が高校でバレーしてた時からの付き合いだしな」
「聞きました。お兄ちゃんだって」
「!!………なぁ及川」
 一瞬見開いたかと思えば、少し笑って烏養さんは真剣な表情で俺を見据えた。
「律のこと、よろしくな。
 アイツは意地っ張りだし頑固だし。そのくせ甘えるのが下手くそで、何でも背負い込む所があるから」
 手を焼くだろ、なんて笑って話す烏養さんはとても律ちゃんが大切なんだと思った。血が繋がっていない兄だと律ちゃんは話していたけれど、きっとこの人にとってもそうなのだ。
 小さい頃の律ちゃんって、どんな感じだったんだろう。彼女のバレーを側で見続けてきて、どんな気持ちでいるんだろう。
 この人は、俺が知らない彼女がバレーに打ち込んできた時間をよく知っていて、いつでも彼女の前を走っていた人だ。
「……烏養さんは、ずるい」
「あ?」
「俺が知らない律ちゃんのことをたくさん知ってる……」
「────、」
「ごめんなさい。変なこと言って………」
 嫌だな。子どもっぽく、どうしようもなく拗ねているだけだ。それでも、溢さずにはいられなかった。
 俺は今までもこれからも、彼女にとっての特別になりたいと思っている。どんな表情でも俺だけが知っていたいし、俺以上に彼女のことを知る人がいて欲しくない。それは、律ちゃんとの距離が『櫻井さん』だった頃から抱えている想いだ。
 恋人同士になろうと、どれだけ近くにいようと、積み重ねてきた時間には到底敵わない。律ちゃんのバレーに烏養さん達はなくてはならない存在で、確固たる絆で結ばれた子弟関係だ。
「全然……心配いらなかったな」
「?」
「今でこそ想像できねぇと思うけど、何かと手のかかる奴で。怪我とか体調不良とか。さっきみたいに倒れたり鼻血出したり、とにかく体が弱いんだよ。
 技術を磨いて、体格もできてきたから出来る事の幅は増えた。でも、怪我して手術して………体調だけは、どうにもならない。
 律はもう俺達の手を離れるからな、律を思ってくれる、隣で支えてくれる奴がいるってのは頼もしいよ」
 そう烏養さんは笑った。見てきたからこそ心配で、安心したと言った。俺に。
「これ、律に渡しといてくれるか。もうすぐ起きると思うし、目冷めたときお前がいてくれた方がいいだろうからな」
「………そうですか?」
「おう。律は面倒臭いからな。どうせバレーしてる時は対等でいたいからって冷たいんだろ。
 でも、結構可愛いところがあるって……知ってるんだろ?」
「はい」
 それは勿論。烏養さんの知らないところまで、全部知ってるという自信がある。
 俺の返答の速さに烏養さんは笑った。
「律のこと、離さないでいてくれ。……大切にしてやってくれ。
 俺と祖父は小さい頃からバレーしてる姿ばかり見てきたから、何処までも強さに貪欲な律を引っ張ることしかできなかった。
 ………俺たちの間には、バレーしかない」
「、」
「だからこそ、あいつが怪我しようとバレーから離すことだけはしたくなかったんだよな、ジジイは。なんだかんだ言って、可愛い弟子だから」
 烏養さんは彼女が入院したあの日病院にはいなかったけれど、確かに烏養さんらしき人は見た。律ちゃんの両親、特に父親と話していたようだったし、きっとあの後もずっと交流があったのだろう。
 俺と岩ちゃんはかける言葉もろくに見つからないまま病院を飛び出してしまったので、あの姿を見た彼女に烏養さんは何と声をかけていたのか少しだけ気になった。
 律ちゃんがバレーを辞めてしまえば師である必要もなくなり、それこそ関係は切れるのだろう。
 でも、きっとそれだけじゃない。
「バレーしかないなら、多分律ちゃんは静かに消えていますよ。
 人のことを利用するだけ利用して、用済みになったら捨てる様な女の子ですから」
「へぇ?よくわかってんな」
「本人は隠してるつもりでしょうけどね」
 恋愛に自分の生活を引っ掻き回されて、バレーを守るために俺たちの前で泣いた冬。あれは、俺のことが好きだからとか、じゃない。あの頃律ちゃんは山下さんばかり見つめていたから、恋愛感情なんて、気づくどころか考えてもなかったのだろう。
 俺達に技術や考え方を教えて、牛島に勝って欲しかったんだ。俺たちのいいところを学んで、吸収したかったからだ。
「………まぁ。俺も最近色々話して思ったんですけど。
 律ちゃんが烏養さん達に向ける感情はきっと、家族に向けるようなもので、簡単に切り離せないんだと思います」
 俺はそれが嫌だと思ってしまったんだけど、とは口に出さなかった。
「感謝してます。………中学の時までは、俺がそうだったから。
 律ちゃんがバレーをどんな形であれ続けていてくれてよかったです。もう一度会えたし、やり直せた」
「………はは。なんか、可愛がっていた妹が知らない間に大人になっていた気分だ」
 その言葉に俺はしれっと視線を外した。大人にしましたとも。ええ。
 烏養さんはそんなあからさまな態度の俺にもう一度笑って、背を向けて歩いて行った。
 大きな背中だ。
 俺はあなたみたいになりたいとは思わないけれど、あなたと同じか、それ以上に彼女のことを大切にしますよ。そう思い、預かったビニール袋を持つ手に力を込めた。


 保健室の扉を開けると、消毒液の匂いが鼻についた。
 静かに扉を閉めたら閉じられたカーテンの方へ足を進める。そこを開けると、いまだに目を閉じている律ちゃんが居た。
「………起きて、律ちゃん」
「……んぅ、」
 寝起き悪いんだよなぁ………これも体質なのかな。母親からの遺伝だと話していたけれど、俺も姉がいるから女の子特有の体調には少しだけ気を使っているつもりだ。
 俺はベッドの淵に腰掛けて、ゆっくり髪を撫でた。柔らかい。何度もこうしているけれど、いつもそう思う。目が見えないと寂しいし、声を聞きたい。でも、眠っている律ちゃんを眺めるのも好きだ。
 ずっとこうしていたいけど、合宿の途中だし起こさなければ。ご飯を食べて薬を飲んで、調子が戻ったならバレーしていいんだっけ。ふらついて、崩れるように倒れた姿を見たから不安になる。でも、ちゃんと病院には通っているし、数回やらかしていると言っていたからこれも彼女にとっては日常なんだろう。
 恋人同士になって、彼女にとっての一番になったはずなのにもっともっとと求めてしまう。まだ、俺が知らない彼女がいる。そう思うとどこか寂しく感じて、より一層ドス黒い感情が深くなる様に感じた。
 体も心も頭脳も生活も、全部俺が暴いてやりたい。
 もう一度静かに名前を呼ぶと、ゆっくりと目蓋を持ち上げた。
「おはよう。律ちゃん」
「ん………と、おる」
「もうお昼だよ。具合は平気?」
「………喉渇いた」
「水ならあるよ。烏養さんがくれた」
「ちょうだい」
「ハァイ」
 ペットボトルのキャップを開けて手渡すと、上体を起こした彼女はすごい勢いで水を飲み始めた。
「………大丈夫?なんか、元気ないよ」
 ペットボトルから口を離したと思えばそんなことを言って、俺はどうしようもない気持ちを誤魔化すかのように毛布を強く掴んだ。
「俺より自分の心配してよ。
 倒れて………死んじゃうかと思った」
「……ごめん」
「………俺も、ごめん」
「、何で徹が謝るの」

 それは、だって………俺は、最低だ。
 死んじゃうかと思った?律ちゃんじゃなくて、俺が、だろう。

「律ちゃんが倒れたとき、心配しなくてごめん」
「………、」
「烏養さんが真っ先に律ちゃんに駆け寄って、それが嫌で仕方なくて。
 俺、ほんと最低だな……」
 律ちゃんはキョトンとした後、優しく笑って俺の頭を撫でた。
「でも、こうして来てくれた。
 私は起きた時徹が居て安心したよ」
「ほんと?」
「うん。いつも落ち着く。
 ………それに、今更そんなことで最低なんて思わないよ」
「それは、耳が痛い………」
 言い訳をするように視線を逸らせば、昨夜の会話を思い出したのか珍しく彼女の方からすり寄ってきた。
 まだ合宿中なのに。白鳥沢の保健室なのに。家でリラックスしている時にしか見せない仕草をして、どうしたんだと視線を向けると、薄く笑っていた。
「………不安?」
 嫌なことは言って欲しいと話してたから、この際ぶちまけてしまおうと口を開く。
「烏養さんに、少し妬いてた。あとは………クロちゃんとか、ぼっ君とか牛島とか」
「ああ…………」
 夏合宿で散々練習してたらしいし、仕方ないのだろうけれど。そう思っていると、そっと右手に触れた。
「………そんで、徹は悲しくなってんの」
「うん。『俺のだから、取らないでよ』って思っちゃって」
「ははは、かわいいね」
 子ども扱いされている気がしてムッとしていると、律ちゃんはまた笑いながら俺の頭を撫でた。
 ………本当に珍しいな。上機嫌じゃないか。
「機嫌いいね」
「うん?言ったでしょ、徹がいたからね。
 ………私とあいつらの間には友情とか対抗心とか、バレーに関するあれそれしかないけど、徹がそこまで不機嫌になるとは思ってなかったから、嬉しい。
 私も大概性悪かもね」
「じゃあ、お互い様ってことで」
「うん。………徹」
「ん?」
「おいで」
 両手を広げて俺を見る律ちゃんに二度瞬きして遠慮なく抱きしめる。お互いの肩口に顔がくるように強く抱きしめあって、いくらかそうしていると何を思ったのか俺が着ているシャツの襟元をグイッと引っ張った。
「、りっちゃん?」
「痛かったら、私の肩噛んでていいから」
 そう言った彼女は肩、鎖骨の付け根あたりに強く噛み付いた。痛いという言葉を飲み込み、許してもらえてるからと俺も同じようにして目の前の柔肌にかぶりつく。
 いつもは俺がキスマークをつけるからこんなことしないのに。
 薄らと血が滲んで歯形がつくと、そこを舐めて口を離した。痛いけど、心地良い幸福感で胸がいっぱいになる。
「………よかったの?」
「いいよ、徹の不安が消えるなら。
 何か言われたら、私のものだから取るなって言っといて」
「はは、逆じゃない?」
「お互い様なんでしょ?」
 それもそうかと俺が笑うと、ベッドから足を下ろした。
 
「無茶も無謀も、これから何度だってするし心配させる。でも、それを徹と乗り越えていけたらなって思ってる。……重い?」
「いや、嬉しいよ」
「よかった。
 それに、どんなに苦しくてキツくても、どうせ私たちは前に進むのを辞められない。挑戦せずにはいられないでしょう?」
「それは………まぁ」
「同じ。私は普通の人間だからね。だからこそ努力して、強い奴ら倒して一番になってやる」
 その笑顔が眩しくて、誇らしい。戻ろうかと言えばそうだねと返してくれる。
 食堂まで手を繋いでいいかと聞けば、差し出してくれたので離さないように捕まえた。
「行こうか、及川」
「そうだね、櫻井さん」

    *    *    *

「今更ですけど、なんか意外っすね」
「ん?」
「及川さんと櫻井さんが付き合ってるの。
 もっと可愛い系が好みだと思ってたんすけど」
「まぁ、言っちゃあれだけど元カノの方が表情豊かっつうか、差し入れとか持ってきてくれたりしたしな」
 昼食を食べていると同じテーブルに矢巾達後輩がやって来た。
 櫻井が及川の長年に渡る想い人だと練習試合で知ってからは話題が度々上がっていて、自然と及川と櫻井に視線が向くのも仕方がない。
 櫻井が倒れたというのは一、二年も周知の事実だったけれど、普通に及川とバレーの話をしてるし平気そうだと安心した。
 そう言うのもわからなくはない。考え方は人次第だ。でも、俺にとって二人は今まで見てきたカップルより一緒にいて自然だと思える。大切だからってだけではなく、一緒にいて自然な空気を作っているのだ。見ていて嫌な気持ちにならない、それが当たり前だと思える空気。
「………そんなこと、ないと思うけど?」
「え?」
 そこに声をかけたのは花巻だった。珍しい、そう思ってれば松川も「まぁ、当人達の問題だしな」と話す。
 友人として喜ばしいけれど、干渉するようなものでもない。そういうスタイルでいるのは楽だ。
「何つーか、恋愛してるって感じじゃねぇんだよな」
「は?」
「岩泉さん?」
「上手く言えねぇけど………
 言葉を借りるなら、櫻井がいないと生きていけないし及川がいないとバレーなんて辞めてた、だからな」
 そんな発言に「ゲロ甘いな」と舌を出した花巻だったけど、その表情は嫌悪ではないとわかった。面白がっているだけだ。友人として、喜ばしいと。
 お互いがどれだけ傷ついても離れない。隣にいる道を選んだ。櫻井と及川が話している様子をまた見てふっと笑う。
 あの冬の日に目に焼き付いた二人の表情を思い出して、この二人はきっと一生このまんまなんだろうと思った。随分遠回りしたしままならないことだってあった。この先もそういうことはあるのだろう。それでも、もうきっと大丈夫だ。何かあれば俺だって背中を押してやれる。
「つーわけで、あんまああいうこと言うなよ」
「……っス」
 午後からはどうするのだろう。普通にいるということは混ざるのか。昨日櫻井にはコテンパンにやられたこともあって目の前の二人にボッコボコにしてやると意気込んで言った。
 青城だと俺だけ別のチームになってしまったから、普段同じコートに立っていた奴を叩きのめせると思うと気分が上がる。
 花巻と松川も負けねぇ!と目をぎらつかせていた。

    *    *    *

「……で、俺はこう思ってるんだけど」
「んー………いいんじゃない?
 強羅君はジャンプサーブ強力だしピンサーとして起用できる。松川君と花巻君は三年間一緒にやってきたからこそ及川も使いやすいだろうし、うまく連携できるでしょ」
「海君と東峰君と小見君は昨日試合でやったし、午前中も結構合わせた。櫻井さんとのセットアップも言うまでもないね」
 お昼を食べた後午後からの話をしつつアップをしに体育館へ行くと、既にボールを触ってる人がいた。私を視界に入れると「あんま無理すんなよ」「大丈夫か?」などと心配されたので、迷惑かけて申し訳ないと謝っておく。
 寝てたから体を温めないと、とシューズを履いてストレッチを始める。これからぶっ通しで試合になるからしっかりと準備をしなければ。
「………一セットマッチだし、若干不安だけどっ………まぁ、なんとかなるでしょ」
 壁際で逆立ちをしつつコートでセットアップを確認している菅原を見る。菅原のチームには木兎と夜久君がいるから攻守共にハイレベルだし、澤村がいるから連携も安定しているだろう。
 そして私たちが青城で固まっているのと同じように、若利のチームは白鳥沢で固まっている。
「サーブは私たちが一番強いかもね」
「はは。わかっちゃった?」
「うん。ジャンプサーブで一気にもぎ取っていくの大好き」
 セッターが及川っていうのも大きいけど、なんて調子に乗らせるようなことは言わない。
 ゲームプランを組み立てていると「あ!」と体育館に入ってきたのはかおりと雪絵だった。
「律、倒れたって聞いたけど大丈夫?」
「平気」
「なんで逆立ちしてるの……」
 運動前にこれしてたら少し体が軽くなるんだよ。血行促進。そう説明するとははん。と二人は納得した。
「………お腹見えるよ」
「うぎゃあ!!!見ないで!」
「及川君が叫ぶんだね………」
 そういえばシャツをパンツに入れてない。タンクトップ着てるから気にしないのだけど、及川はそういうわけにはいかないと私の腹部を隠すように腕を伸ばした。
「肌が大部隠れてるのにさ、こう……パンツとロンサポの隙間が際どい」
「わかる〜」
「女の子がそういうこと!」
「男子的にはそんな視線を向けたりしないの?え??」
「櫻井さんのカッコよさは言葉にできないからサ」
「こじらせてんなぁ」
 本人の前でこの三人は何を話してるんだと、頭に血が上ってきたので逆立ちをやめた。
「とにかく、平気。昼以降もまぁ……様子見ながらだけど練習には参加する」
「潔子ちゃんがめっちゃ不安そうにしてたよ」
「保健室から消えた!って言ってたけど、連れ出したのは及川君ですか」
「チューでもした?」
 んんっ!!と及川が咳き込むのを見た二人が目をきらめかせながら真相を聞いてくる。及川は肩についた噛み跡を思い出したのか、少しだけ顔を赤くした。
「残念ながら、キスはしてないよ。
 ………そろそろ全員集めて試合するかな」
「ん、だね」
 二人に断ってボールを取りにコートの方に向かった。
「キスは、だってよ〜?」
「………ですってよ」


「で?櫻井さんは体調平気なの?」
「大丈夫。ご迷惑をおかけしました」
 花巻君に言われてチームのメンバーに頭を下げると、口々に「平気ならよかった」と言われた。
「でも、一応様子見ながらの参加になるから基本のスタメンはさっき言った通りで行く」
「おう」
 及川が率先してチームをまとめているものの、まとめ上手が多いから雰囲気は落ち着いている。騒がしい連中が全くいないって新鮮だな、なんて思った。
 はじめに若利達と木兎達がすることに決まり、審判に回る。先に他のチームの試合を観れるのはいいことだな。体力も温存できるし。と、試合展開を眺める。
「…………」
 もちろん今日も負けるつもりはないけれど、守備が若干弱いのかな、と思ってしまう。
 若利のチームは大平君、山形君、瀬見君と白鳥沢が多いから連携も取りやすいだろうし、鉄朗がいる。ブロッカーは彼だけだけど、徹底したリードブロックをする鉄朗と茂庭君は相性もいいだろうし、攻撃に絡んでくるから厄介。スタメンに茂庭君をセッターとして起用しているのはきっとそれを狙っているのだろう。小鹿野君と猿杙君も柔軟に対応してくるし。
 対して木兎達は、菅原が木兎、木葉君、澤村を使い分けての攻撃。天童君はゲスブロッカーとして確実にドシャットを狙いにくるから得点に絡んでくるし、鎌先君の動きに合わせコースを絞って夜久君が確実に拾うから気持ちよくスパイクを打たせてもらえていない。岩泉と添川君もいるし、パワースパイカーとオールラウンダーが半々でいるっていうのは安定している。

 そうして一試合目は若利のチームが勝利に終わった。
 ペナルティが終わると十分開けて私たちと若利達のチームだ。初戦は出ないからベンチで見ているけれど、どうしようか。
 先程及川がゲームプランについて話していたし、まぁ大丈夫だろう。改善点とか、何か助言があれば口出しすればいいか。
 私たちのチームは東峰、強羅君のパワースパイカーと花巻君海君のオールラウンダーを及川が使い分ける。でも、ネット側の駆け引きが上手いからこそ当たり前の様に及川も攻撃に参加してくる。鷲尾君と松川君というミドルの壁があるしリベロは小見君だからある程度安定感はあるのだろう。及川は、そんな『こいつらならこう動く』という予想を私との速攻で打ち壊した挙句数点かっさらいたかったというのもあるだろう。
 スコアをつけながら試合を観ていると、午前中に何をしたかとかどんなやりとりがあったのかと気になる。体調に関しては仕方がないと割り切っているけれど、やっぱり今後のためにもある程度覚悟しないといけない。
 いつでも完璧なコンディションで試合に臨めなければ、可能性だって潰してしまうだろう。
 そんな自分を歯痒く思い、これから先のことを考えていた。
「一セットマッチだから普通の試合よりは短いけど、強羅君がピンサーで入るのもいいかもね」
「変わるとしたら、誰とになる?」
「んー………試合によると思うけど、花巻君か海君、かな」
 同じく試合に出ていない強羅君にそう話しかけると、青城の話になった。私たちのチームって私と東峰と青城の三人以外はみんな東京勢だから白鳥沢と伊達工がいない。
「練習中も思ったが、及川は凄いな。ものの数回で打ちやすいトスを上げた」
「、」
「昨日も思ったが、誰とでもすぐに合わせられるっていうのは強みだよな」
 そんな強羅君の純粋な褒め言葉に嬉しく思いつつも「それ、本人には絶対言わないでね」と釘を刺す。
「セッターとしてトップレベルだけど、県内でも個人の総合力は上だと思うよ」
「昨日後輩に青城とした試合の話を聞いたが、サーブを簡単に挙げられたと言っていた。きっと、及川のサーブをずっと見て相手をしてきたからなんだろうとすぐに分かった」
「青城は及川中心に回ってきたところがあると思うし、この先大変だと思うけどね」
「ゲームプランを考えたりチームをまとめたり。軽薄そうだがそんなこともないよな」
「普段と試合中の差は割と激しいんだよね」
 及川徹は凄い選手だと知っているし、周りもそれを強く実感していた。特に影山は。
 でも、強羅君のように今まで及川を知らなかった選手にまでそう言われているのを聞くと、嬉しく感じると同時に少し妬いてしまう。
 今までだって試合中女の子に黄色い歓声をあげられる様子は見てきたけれど、そんなことを思ったことはなかった。県内ではトップレベルだったけれど、上にはいつでも若利がいたから全国に行ったことはない。でも、この先プロになったら春高で一躍有名になった影山の様に人前に出る機会は増えるのだろう。
 及川徹という選手が広まるのは友人として誇らしいし嬉しい。それでも、恋人としては少しだけ複雑だ。
 私が好きだと思った顔をこれから大勢の人間が知ってしまうんだろうなぁなんて思ってしまう。
「………お互い様、か」
「?」
「いや、なんでもない」
 どんな徹も好きだけれど、やっぱり好きなことに打ち込んでいる彼が一番好きだから、私も大概どうしようもないな。



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