熱中症の話



『ごめん!本当にごめんなさい!』
「間に合う?」
『無理かもしれない』
「分かった。俺から北山くんに言っておく。基、あと頼んだ」
「わかった」

梅田が無理かもしれないって言うなら本当に無理かもしれないんだろう。
拓也から渡されたスマホの画面にはタクシーに乗ってる梅田が映ってるけど、その顔は不安そうに歪んでる。
滝沢歌舞伎ZEROが終わってから梅田の主演舞台とがちゃんの出演舞台『アナザー・カントリー』と並行してキスマイさんのツアーのバックにつかせていただいている。
今はナゴヤドーム公演の準備中で、あと数時間で公演が始まってしまう。
それなのにここには梅田がいない。
名古屋公演は『アナザー・カントリー』出演中のがちゃん以外の7人で出る予定だったけど、トラブルで梅田の個人仕事が長引いて間に合わないかもしれない。
かなりまずい。
梅田は直前まで舞台関連の仕事をしていて、がちゃんがいないフォーメーションの練習ができていない。
本来は早めに到着してリハする予定だったから、このままだと梅田はリハなしでライブを迎えることになる。
ただ、梅田が間に合わないともっとまずい。
今から梅田なしの6人のフォーメーションを組み立てる余裕はない。
タクシーは東京駅に到着して、梅田が必死に走るから画角がブレてる。

「梅田、iPad持ってる?」
『持ってる』
「OK。今からばっきーがリハ映像送る。ばっきー!送れる?」
「すぐやるわ!」
「お願い。あー、でも新幹線の中じゃ電話できないから、」
「梅田、俺ずっとスマホ持ってるからなんか分かんないことあったらLINEして?」
『ありがとう。助かる』
「とりあえずリハ映像でなんとか…、っあ!そうだ梅田!酔い止、」
『ごめん俊介!新幹線きた!またあとで連絡する!』

焦った顔のままブツってテレビ電話が切れた。
黒くなった画面には梅田と同じくらい焦った顔した自分が映ってて、その後ろには心配そうな顔した新と奏がいて。
皆、考えることは同じ。

「ねえ、新幹線でリハ映像見てうめめ大丈夫なの?」
「酔い止め飲んだのかな…」
「どうだろ、分かんない」
「大丈夫じゃないと思うけど、これしか方法ないから」

そう、これしか方法はない。
梅田が新幹線で酔ったとしても、その時間にフォーメーションを入れてもらうしかないんだ。






目の前に広がるペンライトの海。
たくさんの笑顔と愛が詰まったうちわ、空気が震えるような歌声に、いつかここの最前列に立ちたいと強く思う。
毎公演、一つでも多くのことを吸収しようと必死だけど、どうしても今日は気が散ってしまって。

「……」

ライブ終盤。
俺と同じ3塁側の花道で踊ってる梅田はちゃんと笑ってる。
ここに到着した時は乗り物酔いで顔が真っ白だったけど、わずかな移動時間でフォーメーションを頭に叩き込んだのはさすがの一言。
大河ちゃんが不在でも見劣りしないようにパフォーマンスできてる。
大丈夫、梅田本人が『無理』って言わなかったんだから大丈夫だ。
そう思ってたけど、そう思いたかっただけなのかもしれない。
滝沢歌舞伎ZEROが終わって休む暇もなく始まったキスマイさんのドーム公演、連日の主演舞台、休演日にはグループ仕事。
俺たちは何を見落としてた?
何を過信してた?
梅田は大丈夫だって言ったけど、思えばIMPACTorsでライブのバックにつくのは初めてだった。
“俺たち”の体力をあんまり知らない人に設定されたライブのバックは初めてだったんだ。

「っ、」
「もってぃ!?」

あと数秒で曲が終わる。
照明の色が変わる数秒で俺たちは花道から捌けないといけないタイミングで、もってぃが俺の後ろをものすごいスピードで走り抜けた。
ファンの前じゃ見せたことないくらい必死な顔して、まっすぐ、全力で。
その姿を見た人がどう思うかなんか気にせずに、ただ必死に梅田に手を伸ばした。

「梅田!」

ふらついた梅田が花道に倒れ込む前にもってぃの手が届いた。
ぐいって強引に引き寄せたもってぃが何をしようとしたのかわかって、気づいたら俺も走ってた。

「晴!?」
「よこ、とりあえず捌ける」

咄嗟に呼んでしまった名前に梅田は反応しなかった。
背中と膝裏に腕を通したもってぃが梅田を抱き上げると、異常事態はもう誤魔化せない。
近くのスタンドとアリーナは異変を感じてざわつくし、遠くからは演出に見えたのか叫び声が聞こえた。
今のもってぃに周りを気遣う余裕なんてない。
スタンドの最前列にいた梅田のうちわを持ってた呆然とする女の子に、俺が精一杯の笑顔で応える。
2人を隠せるわけじゃないけど、今俺にできることは少しでも不安を広げないように笑うことだった。
照明が暗くなると、スタッフさんの小さな懐中電灯を頼りにもってぃが梅田を抱いたまま暗幕の向こうに捌ける。
舞台裏でゆっくり床に下ろすと、梅田はぐったりしたまま立てなかった。

「梅田?梅田聞こえてる?」
「っう、…」
「…ごめん、開ける」
「けほっ、」
「よこ!水!」
「うん!」

舞台袖に捌けてからのもってぃの対応は素早かった。
苦しそうな顔してるのに汗かいてない梅田を見てすぐに衣装を緩めた。
熱中症か?他のなにかか?
分からないけど、言われた通りにその辺にあったペットボトルを渡すともってぃが梅田の首筋と衣装の間に突っ込んだ。
足りない、とにかく冷やさないと。
異変に気付いたスタッフさんが来ても俺ともってぃはその場を離れない。
こうなる原因はいくらでも思いつくし、考えたらわかることなのになんで考えられなかったんだって自分を責めてしまう。
“ジュニア8人”の体力をベースに設定されたバックのフォーメーションはただでさえ梅田にはきつい。
それに加えて主演舞台、乗り物酔い、この暑さ、大河ちゃんがいない慣れない人数構成。
体調が悪くなったっておかしくないのに、梅田は『無理』って言わなかった。
本当に“言わなかった”?
“言えなかった”の間違いじゃなくて?
IMPACTorsとしての初めてのライブのバックで、『無理』って言って梅田のパフォーマンスレベルがIMPACTorsの限界だと思われたくなかったんじゃないのか?

「基!衣装替え!」
「大丈夫です!まだ間に合います!」
「間に合わねえよ!」
「もってぃ!」
「わかってるってば!」

スタッフさんが叫んでももってぃは梅田の傍を離れない。
必死な顔して何度も何度も梅田の名前を呼んでる。
その気持ちが痛い程分かるのに、悲しいくらい共感できない。
大事な人が目の前で倒れた、心配に決まってる、無事だって分かるまで離れられない。
分かるよ、俺だって離れられない。
でも俺は同じことはできない。
俺は、約束を破れない。
梅田の名前を呼ぶことも、手を握ることもできない。

「……」

握りしめた自分の拳が痛い。
次の準備をしなきゃいけないのにその場から動けない。
この場を去ることも、梅田に駆け寄ることもできない。
そう思った時、

「っ痛!?え、痛!?」

俯いた背中を思いっきり2回も叩かれた。

「よこぴー!早く着替えて!」
「え、」
「基くん!衣装持ってきた!」
「新?なんで、」
「耳だけこっちに貸して!手止めないで!」
「今影山くんがスタッフさんに事情説明してて、この後キスマイさんにもうめめの事が伝わる」
「次の曲から6人で出るよ。椿くんが6人の立ち位置考えてくれてる」
「え、ちょ、え?」
「2人なら1回聞いたら覚えられるよね?」

口角を上げて得意気に笑った新と奏の表情に息を飲む。
なんだこれは。
梅田が倒れて動揺して周りが見えてなかった俺らとは正反対に、2人はしっかり現状を見て判断して動いてた。
叩かれた背中の痛みが全身に回って頭がクリアになる。
スタッフさんが貸してくれたインカムから聞こえてくるつばっくんの声が、この後の曲で俺らがどこに立って何をしたらいいのか教えてくれてる。
後から会話に入ってきた影山くんから、キスマイさんに事情が伝わったことを知った。
なんだよ、皆強いじゃん。
いつか皆が梅田に言った言葉なのに俺がそれを忘れてた。
俺たちは強い。
梅田が負けてもIMPACTorsが負けたわけじゃない。
それを証明できるのは、メンバーである俺らだけ。

「しゅん…」
「ん?」
「ごめんなさい…」
「…うん、あとは任せて」

もってぃの手を弱々しく握る梅田に、柔らかく笑った。






叱らなきゃいけないって分かってる。
でも梅田だけが悪いわけじゃない。
梅田が乗り物酔いするって分かってたのに新幹線でフォーメーションを入れるように指示したのは俺たちだ。
『無理』って言わせない雰囲気を作ってたのも俺たちで、がちゃんが名古屋公演に出られないことは分かってたのにギリギリにリハの時間を入れてたのも俺たち。
どうにもできなかったかもしれない。
どうせ防げなかったかもしれない。
それでも俺たちはプロだから。
先輩のライブで経験を積ませていただいているジュニアだから。
もう2度とあってはならない。

「……」
「熱中症だって」
「…うん」
「気分どう?どっか痛いところある?」
「…ううん」
「そっか」
「……」
「……」
「……」
「ティッシュいる?」
「……いらない。泣く資格なんかない。プロとして最低だよ」
「…うん。それはあとで拓也と北山くんから話があるから」
「…うん」
「無事でよかった」
「っ、」
「梅田が倒れた時、心臓止まるかと思った」

ライブ中だとか自分の立場だとか、考えなきゃいけないことは山ほどあるのに勝手に脚が動いてた。
梅田が危ない、助けなきゃって、それしか頭になかった。
ぐったりした梅田を抱き上げた感触がまだ腕に残ってる。
このまま起きなかったらどうしようかと思った。
ドームいっぱいに響く音響も、お客さんの叫びも、スタッフさんの指示も、横原の声も、なにも聞こえなかった。
ただ、梅田の傍にいたかった。
ベッドに寝る梅田の手を握ったら、瞳が潤んで眉間に皺が寄る。

「やめて、泣いちゃう」
「ごめん、無理」

離したくない。
離せるわけない。
メンバーを呼びにいかないといけないし梅田に泣いてほしくない。
それでも無理だ。
ここにいるって実感したい。

「基?…あ、晴起きた?」

コンコンって控えめなノックに握ってた手を掛け布団の下に隠すと、拓也が顔を覗かせた。
俺らが知らないところでいろいろ動いてくれたリーダーは疲れ切った顔で、言いにくそうに眉間に皺を寄せてた。

「影山、ごめんなさい、私、」
「うん、その話もするんだけど先に」
「なに?なんかあった?」
「さっき向こうの事務所からマネージャーさんに連絡来たんだけど、永岡さんがコロナに感染した」
「え…!?」

主演舞台、ライブのバック、夏の暑さ、感染症。
俺たちにはどうにもできない恐怖が梅田を蝕んでいく。
“勝てる”気持ちを削いでいく。




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