約束を守る話01



「ごめん、もう出るね!」
「晴、iPad忘れてる」
「あ、ごめん!ありがとう!」

バタバタと事務所を出て行く晴の背中に『大丈夫?』って声をかけそうになって堪える。
他のメンバーも極力明るい声で『いってらっしゃい』『頑張ってね』を繰り返すしかない。
俺がいなかったキスマイさんの名古屋公演の時、晴は熱中症で倒れた。
それと同時にダブルキャストを務める主演の永岡さんがコロナ感染。
カンパニーメンバーは全員PCR検査を受けて数名のスタッフの陽性が確認されたけど、晴も、一緒に名古屋公演に出てたメンバーもキスマイさんも陰性だった。
晴の舞台が中止になったのは数日だけで、今日から晴を主演に公演が再開されることになった。
千秋楽までの公演、永岡さんはもう舞台に立てない。
残りの公演は全部晴がやることになった。

「…大丈夫かな」
「がちゃん、それ言わない約束」
「ごめん」

コロナの影響を考えたダブルキャストだから1人が出られないならもう1人が出る。
それは当たり前のことで、運営側だって晴だってどんな形であれ最後まで走り切りたいはずだ。
でも、怖く感じる。
晴の体調とか気持ちとか、そういう大事なものが置いてきぼりで周りだけが進んでるみたいだ。

「心配しないで、って無理な話だよね」
「無理だけど晴がするなって言うんだからしょうがない。それに、晴も大人だからさ。ちゃんと考えてるっしょ」
「そうだけど……。永岡さんも熱出てるって聞くし、そっちも心配」
「千秋楽いつだっけ?」
「明後日」
「あ、俺ドラマだ」
「俺もその日仕事なんだよな」
「俺も福島。基くんもその日は宮城だよね?」
「うん。…まあ、俺は空いてても行かないけど」

基が眉を下げて自嘲するように笑ったから、晴が同じ顔で笑った時のことを思い出した。
永岡さんが舞台に立つ予定だった公演に晴が立った日、SNSは少しだけ荒れた。
当たり前だけど永岡さんのファンは永岡さんが出ないからチケットを払い戻しして、公演は空席が多くて、来てくれた人も永岡さんのファンで圧倒的にアウェイな空気の中晴はなんとか舞台に立って。
それでも永岡さんと比べて批判する人がいたり逆にそんな永岡さんのファンを晴のファンが攻撃したり。
晴と永岡さん、当人同士は仲が良くていい舞台を作り上げようとしてるのに周りの反応はそうではなくて。
きついSNSの書き込みを見て、晴は眉を下げて笑ったんだ。

『大丈夫だから心配しないで。今皆に甘えたら甘え過ぎちゃう。だから無事に千秋楽迎えられたら、思いっきり甘えさせてほしい』

そう言って俺らの返事も聞かずに舞台に立ち続けた。
細くて脆い緊張の糸がピーンって張ってるような空気のまま、晴はグループ仕事もミスなくこなしてた。

「…はぁー」
「心配しない約束じゃなかったの?」
「何も言ってないよ」
「大丈夫かな?って顔が言ってる」
「……」

深いため息と暗い顔。
基はタイミングがあえば晴の舞台を観に行こうとしていた。
少しでも空席を埋めたい、少しでも大きく拍手したい、少しでも守りたい。
そう思ってることはメンバー皆分かってるけど、迂闊に基が観劇に行ける状況ではなくなってしまった。
SNSが荒れたのは永岡さんのコロナの件だけじゃない。
名古屋公演で基が晴を抱き上げたことが変に拡散されてしまった。
俺は直接見てないけど、基が晴を助けることなんてIMPACTorsのファンや2人を知ってる人ならなにも不思議に思わない。
でもあそこにいたのはキスマイさんのファンで俺らをよく知らない人だ。
ただでさえよく知らないジュニアのグループの紅一点がライブ中に倒れて、それをメンバーがお姫様抱っこして助けた、なんていろんな尾ひれがついて拡散される。
これ以上変な噂が立たないよう、基は舞台に行かないことを決めている。
事務所に言われたわけでも俺らメンバーが言ったわけでもなく、基の判断でそう決めている。
基がそんな状態だから、正直俺らもどうしたらいいのか分からない。
昔から、晴が弱ってる時に助けるのは基だったから。

「じゃあ、俺帰るわ」
「え、よこぴーごはん行かないの?」
「寄るとこあるから帰る。まだ開いてる時間だし。じゃ、おつかれ」
「横原おつかれ!」

この後仕事ないメンバーでごはん行こうか、なんて言ってたのに、横原はあっさり帰ってしまった。
しきりに時計を見て、時間を気にしてるようだった。






最高気温が40度に迫る夏。
なんでもいいから誰かの話し声が欲しくて流してるテレビでは、お天気お姉さんが柔らかい笑顔で残酷な気温を伝えてる。
夏が暑いのか、私の脳内が熱いのか。
とっくにキャパオーバーを越えた頭の中はぱんぱんでむしろ溢れかえってる。
千秋楽公演が始まる緊張感と席が埋まっていないかもしれない不安感。
ボーっとして楽屋の天井を見つめる私の手の中で、スマホが震えた。

「…もしもし?」
『晴ちゃん?』
「ながにゃん!?」
『うん。ごめんね?本番前に』
「ううん、電話嬉しい。ながにゃん体調大丈夫?」
『やっと熱下がったよ!まだ喉痛いけど、結構元気』
「え、電話大丈夫?」
『大丈夫。…晴ちゃんと話したかった』

その震えた声に私まで泣きそうになってしまう。
公演が始まった時、『はんぶんこしよう』って話した。
2人でぎゅっと手を握りしめて最後まで走り切ろうって約束した。
今日は私が舞台に立つけどながにゃんも一緒だ。
一緒に、走り切るんだ。
私達は時間が許す限り話して、笑って、ちょっとだけ涙が出て。
ながにゃんが言ってくれた言葉は、私を強くしてくれる。

『晴ちゃんとダブルキャストでよかった。だから絶対走り切ってね』

不安がないって言ったら嘘になる。
本来であれば私の千秋楽は昨日で終わりで、今日はながにゃんの千秋楽だった。
会場にいるのはながにゃんのファンばかりで、私に批判的な目を向ける人もいる。
それでも立つ。
それでもやりきる。
私1人じゃなくて、私とながにゃんとカンパニー皆の作品だから。

「…あ」

ながにゃんとの通話を切ったら俊介からLINEが来てた。
通知で読めるギリギリの一文に『終わってから読んで』って出ていて、俊介の配慮を感じてまた泣きそうになってしまった。
私が『大丈夫、心配しないで』って言ったことを一番尊重してくれてる。
過剰な心配はしない、でも私が話したい時は話を聞いてくれて、こうやって終わってからすぐに甘えられる場所を作って待っててくれる。
なんて優しい人。
早く会いたい。
会って、ぎゅうって抱きしめてほしい。
本音を言ったら今すぐ会いたかった。
ここへ来て、私の千秋楽を見届けてほしかった。
でもだめだ。
今会ったら、大丈夫?って聞かれたら、私は正直に『無理、怖い、大丈夫じゃない』って弱音を吐いてしまうんだろう。
俊介は、弱さを見せても受け入れてくれる人だから。
私が弱くても絶対に味方でいてくれる人だから。

「梅田さん、そろそろ時間です」
「っはい!」

『さよなら、青色。』千秋楽。
私がそこに立つ意味を、意義を、証を残したい。
笑顔で終わりたい。
コロナなんかのせいで悲しい舞台にはしたくない。
そう思って鏡に映る自分に気合いを入れようとしたのに、ハッて息を飲んだ。

「え、なんで?え、え!?」

アイシャドウがない。
ポーチから取り出したアイシャドウは底が見えてて一粒も残ってなかった。
クリエで横原にもらった魔法のアイシャドウは、度重なる大事なライブや舞台を通して底をついてて、その輝きはもうなくなってた。
アイシャドウが減ってたことには気付いてた。
でもまさか今日なくなるなんて思ってもみなくて。
毎日が一瞬で過ぎるほど忙しくて、使い切ったことを忘れてしまっていた。
たかがアイシャドウだ。
それがなくたって死ぬわけじゃない。
舞台で失敗するわけでもない。
そんなの分かってる。
分かってるのに手が震える。
魔法がかけられないとこんなにも怖い。
1公演目からずっとこのアイシャドウを使ってた。
毎公演、この魔法に助けられてた。
これは、私が勇気を出す最後のスイッチみたいだったんだ。

「はっ、はっ、」

呼吸が浅くなる。
今になって今日ごはん食べてないことを思い出してしまって立てなくなった。
緊張して、怖くて、食欲なんて全然なくて。
どうしよう、こんなところで座ってる場合じゃない。
分かってるのに、分かってるのに…!

「…よこはら、」
「なに?」
「っ!?」

無意識に口から零れ落ちた名前にまさか返事が返ってくると思わなくて。
パって顔上げたら楽屋の扉を開けて私を見てる横原がいて。
びっくりして声も出ないのに、信じられないくらい心臓がきゅーって痛い。
瞬きしたら涙が零れた感覚がして、私泣いてるんだって気づいた。

「な、なんで?」
「ん?」
「え、え、なんでいるの!?」
「晴は?なんで泣いてんの?」
「え?あ、いや、私は、その、っあ!」

慌てて立ち上がったら手に持ってた空のアイシャドウを落としてしまった。
私が拾う前に横原がそれを拾ってまじまじと見つめてる。
中身が空っぽで何も残ってない。
そのことを確認してから私に向けられた視線がニヤニヤしてて恥ずかしくなってしまう。

「もしかしてこれがなくなったから泣いてた?」
「っ、…それだけじゃないけど、緊張とか不安とか、いろいろ」
「ふーん。これそんなに大事?」
「うん、大事だよ。横原がくれたものだし、魔法みたいだから。1公演目からずっと使ってる」
「…そう」
「ねえ、横原はなんでここに、」
「はいこれ」
「へ?」
「あげる」

私の話を全然聞かずに無視して渡された箱に首を傾げる。
千秋楽の本番直前に楽屋にきて渡すものってなに?
『大丈夫、心配しないで』って言った私にわざわざ渡すものってなに?
何もわからないのに開けるまで舞台には行かせないって目で横原が私を見るから、その黒い箱を開けた。

「っ、」
「これ、めっちゃいいっしょ」
「……」
「ちょっとさ、少しだけ目閉じてくんね?すぐ終わる」
「……」
「晴?」
「……なんで」
「ん?」
「なんで会いに来たの?」
「……」
「なんで?」
「…嫌だった?」
「うん、だって私言ったよね?大丈夫だから心配しないでって。無事に千秋楽終わるまでメンバーには甘えたくない」
「心配はしてないから」
「っ、じゃあなんで?……なんで来たの?今会いに来ないでよ」
「なんでだろ、分かんない」
「よこは、」
「ただ、……晴が泣いてる気がしたから、かな」
「っ!?」
「なんかさ、笑ってない気がしたんだよな。だから晴に言われたこと無視して来た。まさか本当に泣いてるとは思わなかったけど」
「……」
「笑っててほしいんだよ。やっぱり晴は笑ってる方がいい。そうじゃないと俺が辛い。それだけ」
「……横原」
「目、閉じて」

分からない、分からないよ横原。
なんで来たの?
こんな時に来ないで。
あと少し踏ん張ったら走りきれそうだったんだよ。
甘えることなく頑張れそうだったんだよ。
『無理』って言わずに達成できそうだったんだよ。
それなのに、笑ってほしいからってなに?
そんなの、苦しいよ。

「うん、めっちゃいいじゃん」

瞼に触れた指が離れる。
近い距離で私の目を覗き込んだ横原が笑ったから一気に心臓が早くなった。
キラキラ光る星空は、また私に魔法をかける。
泣いても負けない、泣いたっていいから全力で戦えっていう魔法。
横原がくれる、私だけの魔法。
『無理、怖い、大丈夫じゃない』
そんな言葉を頭の中から一瞬で跡形もなく消し飛ばす、最強の魔法。



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