クリエCができた日の話



息が苦しい。
もう走れない。
止まってほしいって言ってるのに、影山はスピードを緩める気配はなかった。
右手は全力で引っ張られて千切れそうなのに、なんとか足が着いてくるのは椿くんとの体力作りのおかげか、横原の無理矢理ダンスレッスンのおかげか。
影山が急かす理由が分からない。
シャワーを浴びたばかりの私の髪はビショビショで、ずり落ちそうだったタオルを慌てて引っ掴む。

「晴!早く!」

私の方を見ようともしない影山は相変わらず口が大きくて笑ってて、まるでなにかのアニメの主人公かってくらいにキラキラと輝いてて。
その横顔を見てたら、ふと、ドキドキした。
心臓がドキドキして、うずうずして、緊張で呼吸が浅くなったのが分かる。
だってこれは予感だ。
影山がこんなにも笑って、こんなにも泣くのを堪えてて、張り裂けそうな顔してて、私の手を掴む力が信じられないくらい強い。
これは、絶対そうだよ。

「っお待たせ!」
「かげ、遅いよ」
「ごめん!晴探すの手間取った!シャワールームだと思わなかった!」
「全員揃った!?揃ったよね!?」
「奏落ち着いて」
「無理でしょ!」
「ちょ、影山ほんとはやい、息、しんど、」
「体力なさすぎ」
「うるさーい」

影山が飛び込んだ稽古場には見慣れた顔が揃ってて、壁に寄りかかってた滝沢くんを見つけて背筋を伸ばした。
隣に立った大河と目が合って予感が確信に変わる。
8年前、初めてステージ裏に入れてもらえた日。
暗幕を勝手に捲ってステージを覗いて3人ともスタッフさんにめちゃくちゃ怒られた日。
私たちは夢を見た。
あそこに立ちたいって夢を見た影山と大河。
あそこで勝ちたいって夢を見た私。
それが、きっと今だ。
コホンって咳払いをした滝沢くんはにこって笑った。

「えー、君たちはジャニーズ銀座2020に出ます。8人の単独公演です」

……ん?

「やったーーー!!!」
「……え?」

思いっきりガッツポーズする影山も、ぴょんぴょん飛び跳ねて喜ぶ皆も、固まった私には気づかない。
だって、待って、違う、そうじゃない。
私が思い描いてた夢はそうじゃないんだよ。
今、8人って言った?

「梅田?」
「……」

肩からタオルが落ちる。
何も言えない。
口がパサパサになって空気が通らない。
タオルを拾ってくれた横原は私に触れようとしたけど、その前に同期2人が私を呼んだ。

「やったな!めっちゃ嬉しい!」
「絶対成功させる」
「当たり前じゃん!…晴!」
「っ、」
「衣装頼むぜ!晴の衣装なら絶対かっこいいから!」
「無敵だろ。絶対勝てる」
「勝てる!」
「勝つってなにに?」
「全部!ぜーんぶ勝って1番になるんだよ!なあ晴!?」
「晴!」

バンって大河に叩かれた背中が痛い。
痛くて痛くてたまらなくて、涙が出そうだよ。
ごめん、影山、大河。
私が夢見たのは違うよ。
キラキラな衣装とバチバチなパフォーマンスが大好きで、そんな2人を見るのが大好きで、私は武器になりたいと思ったんだよ。
2人が、ううん、ここにいる7人がステージで輝く、どんな敵にも勝てるような、そんな衣装を作る人になりたいんだよ。
だから、“8人”っていうのは想像もしてなかった。
だって滝沢くんとはもう話してる。
私は、来年の3月に大学を卒業したらジュニアを辞めて衣装に関わる仕事をする。
この場に呼ばれたのは裏方としてクリエに参加するって話だと思ってた。
なのに、8人でクリエに出るなんて。
私はステージに立てるってこと?
立てるチャンスをいただけたってこと?

「え!?」
「嘘でしょ!?うめめ泣いてる!?」
「がちゃんが強く叩くから」
「俺!?え、ごめん」
「あーもーやめてよ!俺も泣けてきちゃうじゃん!」
「タオル使う?大丈夫?」
「大丈夫!」

涙が出る理由は分かってるんだ。
私、今、辞めたくないって思ってる。
まだステージに立ちたいって思ってる。
皆と一緒にいたいって思ってる。
まさかこんなチャンスがくると思わなかったの。
毎日毎日、衣装のことばっかり考えてた。
見て、聞いて、学んで、必死に知識を身につけて。
滝沢くんが引退するって知って親に頭を下げて大学を休学した。
滝沢くんがアイドルでいる最後の1年間、滝沢くんの背中を追いかけて全部吸収したくて。
本当に、毎日必死だったの。
武器になりたいの。
大好きな皆が勝てる武器になりたいって、ずっと思ってたの。
そのために蓄えてきた力がやっと形になってきて、やっと試せる時がきたって思って。
なのに、思ってたものと違う形でチャンスがやってきた。

「梅田」
「…はい」
「どうする?8人で出る?」

頭の中を駆け巡る、これまでの私の選択の連続。
たくさん悩んでたくさん泣いてこの道だって覚悟して辞める決断をしたのに、それを崩していいのかなって、息が詰まる。
即答できない。
したいのにできない。
私が決断して進みたかった道も諦めきれない。
だって、……ずっと前から背中を押してくれてた人を裏切ることになってしまう気がしたから。
言葉が出なくてふと顔を上げたけど視線は合わなかった。
俊介は、滝沢くんをまっすぐに見てた。

「出ます」
「っ、」
「8人で出ます。それで、必ず勝ちます」

世界が変わる瞬間を見た。
なんて、大袈裟かもしれないけど本当にそう思ったの。
ぎゅうって左手が包まれる。
繋がれた私の左手と俊介の右手はあの時と同じだ。
私が辞めるって決めた時と同じ、でも、それより熱い熱で私を包む。

「っ出たいです!」

ほら、世界が変わった。

「よし!晴!お前やっぱ最高だわ!」
「影山も最高だよ。あと大河もね」
「ついでみたいに言うな」
「あははは、ごめん」
「勝つぞ!絶対!」
「うん、勝つ」
「絶対ね」

くしゃって笑って3人で抱き合って、覆いかぶさる2人の大きな背中に触れてると影山の肩越しに俊介と目が合った。
何かを言いたそうに口を開いて、すぐに閉じて眉を下げて笑った。
世界が変わってしまったから、その言葉はきっともう私は聞けない。

『アイドルを辞めたら、伝えたいことがあるんだ』

俊介は言わない。
この世界はそういう世界だから。
でも俊介が嬉しそうに笑うから。
だから、私も笑うんだ。



backnext
▽ビビッドリフレクション▽TOP