モノクロリフレクション09



目の前に並ぶ文字が嘘なんじゃないかって疑ってしまう。
穴が開くんじゃないかってくらい凝視する私を見て滝沢くんは笑ったけど、一緒に笑う気持ちにはなれなかった。
すごい人だとは思ってたけど、滝沢くんは私の想像なんて軽く越えていく。

「これ、本当ですか?」
「本当だよ。もしアイドル辞めてもそれだけ道がある。事務所の衣装班にいてもいいし、他の会社に就職する道もある。アイドルの衣装関連以外の道も考えてるなら、」
「あ、いや、それは考えてないから大丈夫です」
「そう?じゃあそこにあるリストのどこかなら、面接受けても梅田なら大丈夫だと思うよ」
「はい…」
「…思ってたのと違った?」
「いい意味で違いました」

喉がカラカラに渇いてしまったのでお茶を飲もうとするともう空だった。
見かねた滝沢くんがサッと注文してくれて、後輩レベルが低くて申し訳なくなってしまう。
ただでさえめちゃくちゃ忙しい滝沢くんがこうして2人でごはんに行く時間を作ってくれただけでもありえないのに、こんなに私の将来を考えてくださってるなんて思っていなくて。
このリストに書かれているのは、全部が私の道だ。
『アイドルを辞めることを考えています』って言ったのは昨日、今日の朝にはこのリストがメールで送られてきて、嘘なんじゃないかって思ってる間にこのごはんがセッティングされてた。
iPadに映るメールの文字を何度もなぞる私を見かねた滝沢くんは、iPadを置いて目の前のしゃぶしゃぶを食べるように勧めてきた。
でも正直、しゃぶしゃぶ食べてる場合じゃない。

「あの、聞いてもいいですか?」
「いいよ」
「どうしてここまでしてくださるんですか?」
「俺の優しさ?」
「…僭越ながら、それだけとは思えません」
「そう?」
「将来性を考えて、まだ仕事がないジュニアを大切にするのは理解できます。でもこれってスタッフ部門の話ですよね。即戦力にならない人の就職先をここまで考えてくださるのは、驚きましたし理解が追いついてないです」
「おおー、梅田は直球で言うようになったね。滝沢歌舞伎で宮舘と言い合いしてたのがここで活かされるとは思ってなかった」
「言い合いしてたわけじゃないですけど…」

『いい指摘だねー』なんて滝沢くんが関心するのを見ながら、店員さんが運んできてくれたお茶を半分飲み干してしまった。
問いかけた疑問は尤もだと思う。
だって、今の私を雇うメリットが事務所側にあるのか不安だった。
私はそこまで自分の実力を過大評価できない。
グラスを置いた滝沢くんの空気が変わる。
現役アイドルを引退して今はジュニアを束ねる社長となった、新しい滝沢くんの顔だった。

「梅田、ビジネスだよ。これは交渉」
「交渉?」
「俺はね、ジュニアの体制を変えたいと思ってる。今までのやり方じゃなくて、抜本的に改革したい。その一つとして、ジュニアの進路について考えている。ジュニアとして、アイドルとして活動したけど結果的に別の道を選ぼうとした時、選択肢がある状態にしたい。若者の貴重な時間を預かる者として、その将来に責任を持ちたい。…梅田?もし梅田が望むなら、そのリストの中から好きなところに就職できる。そのかわり、しっかり働いてもらうよ」
「…滝沢くんの改革のパイオニアってことですね」
「素敵な言い方だね。他の人には実験台って言われてショックだったよ…。まあ言い方はなんでもいいか。要するに、そういうこと」

やっと納得できた。
芸能以外にお仕事経験がない私に新しい就職先をこんなに紹介してくれるのは、滝沢くんの改革ありきの話だ。
アイドルの道を進まなくなった人に将来があるのかどうかを試しているんだ。
この先、衣装の仕事をするならずっと滝沢くんに試されるってことだ。
それが嬉しい時もあれば息苦しい時もあるだろうけど、私にはもったいないくらいの優しさであることには違いない。
ごくって唾を飲み込んだ私を見て、滝沢くんが笑った。
目尻に寄る皺が愛らしくて、肩の力が抜ける。
社長じゃない、いつもの滝沢くんだ。

「ビジネスなんて言ったけどさ、実力がどうこういう以前に俺は梅田にはこの世界に残ってほしいよ。梅田はちゃんと仕事をやりきる人だから」
「本当ですか?いつもボロ雑巾みたいなのに…」
「でもやりきってる」
「っ、」
「ボロボロでも、君は最後までやりきってるから。だからアイドルとは別の道に行っても大丈夫だよ」
「……」
「さあ、食べな?今日全然食べてないじゃない。お肉追加する?」
「……もうひとつ、聞いてもいいですか?」

ジャニーズ事務所の新しい未来を創ろうとしている滝沢くんが眩しかった。
すごいと思った。
この人が描く未来は、今までより多くのアイドルが幸せになれるかもしれないって思った。
そんな人にこんな質問をしたら失礼だと思う。
聞いたところで滝沢くんが困るだけかもしれない。
でも、聞かずにはいられなかった。
アイドルとして、ステージに立つ者として、その人生をかけてやりきった滝沢くんにひとつの真実を教えてほしかった。

「私の選択は、……逃げだと思いますか?」

アイドルでいたい。
ステージに立ちたい。
皆と並んで笑っていたい。
ステージで、大河と影山と勝ちたい。
ずっとずっとそう思っていてここまで走ってきたけど、今、私の中でその思いが過去になっていこうとしている。
“ステージで2人と並んで勝ちたかった”になろうとしている。
滝沢くんが行う改革は、表舞台に立たないと選択した者を救う素晴らしいものだと思う。
でも果たして、私は“立たない”なのかな。
“立てない”なのかな。
曖昧なことが嫌い。
未来は決めてから走り出したい。
一度覚悟したことを最後までやりきりたい。
だからどんな選択でさえはっきりさせてから選びたい。
たとえそれが言われたくないことだったとしても。
滝沢くんは、一瞬も迷うことなく答えを口にした。

「中途半端よりはずっといいよ」






「基くんもごはん行くー?」
「……」
「基くん?」
「え、あー、ごめん、俺はいいや」
「基行かないの?」
「うん、ちょっと梅田から電話きてたみたいだから折り返す」

げえくんと新が出演してる『虎者』を見学させていただいた後、スマホを見たら梅田から着信が2回も来てた。
電話があることは珍しくないけど、2回も連続でかけてくるなんて滅多にない。
なにかあったに違いないけど、着信以外になにもメッセージがきてないから様子が分からない。
奏とばっきーと別れて駅までの道を急ぎながら折り返すけど梅田は電話に出なかった。
何もなければいいけど、最後に梅田に会ったのはリクルートスーツを着てた時だったから余計に不安で。
いつまで経っても出ない電話を一度切って相手を変えた。

『…もしもし?』
「あー、がちゃん?基だけど」
『どうしたの?電話珍しいね』
「がちゃんさ、梅田どこにいるか知らない?今一緒?」
『いや、一緒じゃないけど』
「今日梅田ってなんか仕事入ってたっけ?」
『そこまでは分かんない』
「だよね…。ありがと、ごめん急に」
『晴、なんかあった?』
「……ううん、大丈夫だよ、なんでもない」

がちゃんと一緒じゃなかったら梅田がどこにいるのか分からない。
とりあえずLINEを送ったけど、既読はつかなかった。

やっと返事がきたのは夜中の12時越えてて、『ごめん』の一言が送られてきた瞬間に電話をかけた。
すぐに電話をかけたのになかなか出なかったけど、粘ってたらやっと呼び出し音が止まる。

「っ梅田?」
『びっくりした、急に電話きた』
「こっちのセリフだよ。昼に電話もらってたよね?出られなくてごめん、虎者の見学行ってて」
『あ、そうだったんだ』

電話越しに喋ったことなんて多くはないけど違和感にすぐ気づく。
鼻を啜る音と震えてる声が、梅田が泣いてるって気づくには十分だった。

「どうした?」
『……』
「梅田?」
『…俊介、今話したいことがあるんだけど、いい?』
「なに?」
『あのね、私、…アイドル辞め、』
「っちょっと待って!!!」
『っ、』
「それ、言うのちょっと待ってよ」

震えてたのは俺だ。
俺の声の方が震えてた。
いつかは答えを出すんだって思ってた。
いつか決断するんだって思ってた。
その決断は梅田が1人で決めたもので、誰の言葉だって助けにならないって分かってた。
分かってたけど、梅田が隣にいなくなることがこんなにも怖い。
もう二度と一緒にステージに立てなくなるかもしれないことが、こんなにも怖い。
怖くて怖くて、でも『辞めないで』と言えるほど俺には覚悟がなかった。
梅田の人生を背負うほどの強さがなかった。
でも、その決断を電話で聞きたくはない。
泣いてる梅田の口から言わせたくない。






いつか、影山が『晴はいっつも大事なことは言わねえよな』って言ってた。
言い方がきつかったから、私も反発して『それのなにがいけないの?』って言って喧嘩になったことがあった。
大河が呆れた顔で見てて、どっちの味方になることもなく仲直りさせてくれて。
そんな昔のことを思い出してた。
不言実行。
決断も覚悟もやりたいことも、口に出す前に力をつけてやりきる。
やりきってしまえば、言葉は“願い”じゃなくて“事実”になるから。
だからいつだって私の頭の中はぐちゃぐちゃで、ごちゃごちゃで、全然綺麗じゃなくて。
それを整えようと必死で考えてて。
でも、どこかで必ず決壊する。
頭の中に詰まったたくさんの言葉が決壊して、口から溢れ出して止まらなくなる。
答えがほしいわけじゃない、諭してほしいわけでもない。
ただ、溢れ出る言葉を聞いてほしいだけ。
私のもやもやを、少しだけ下ろさせてほしいだけ。

「俊介、」
「っ言い逃げはさせないからね」

隣にいてほしいって言ったことはなかった。
離れないでって言われたこともなかった。
でも、なんでだろう。
私の口から言葉が決壊する直前、必ずこうやって俊介が現れるんだよ。
走って走って走って、絶対私のところに来てくれるんだよ。
玄関先でジトって私を睨んだ俊介は、車のキーをコートのポケットに突っ込んだ。

「え、まさかここまで運転してきたの!?」
「そりゃそうでしょ。電車ないんだから」
「あ、そっか、終電ない、」
「狙ったでしょ」
「っ、」
「俺がどうにもできない時間狙って連絡したよね?虎者が始まる直前、楽屋挨拶で忙しい幕間、あと、終電なくなってから」
「……」
「黙ってるってことは確信犯じゃん」

怖い顔した俊介が手を伸ばしたから後ずさろうとすると、それより先に頬に触れた。
ヒヤッとした指先がちょっとだけ気持ちいい。
私の目は随分前から熱を持ってた。
今朝、私は滝沢くんに自分の気持ちを伝えて、今後について話して、それで、俊介と短い時間しか話せないタイミングを狙って電話をかけた。
目元を覗き込む俊介の眉が下がる。
なんでそんな顔するの、違うよ、悲しくて泣いたわけじゃない。
それどころか、私は滝沢くんの前では泣かなかった。
全然泣かなかったんだよ。
でもね、俊介から連絡が来てたことに気付いて、そこで初めて泣いたの。
なんてことない『いつでも連絡して。話そう』の文字が、泣くほど嬉しかったんだよ。

「…決めたの?」
「……うん」
「…じゃあ教えてよ」
「っ、」
「電話じゃなくて、直接俺に教えて」
「……」
「……梅田」
「……私、アイドルを辞める」
「……」
「……決めたの」

ああ、なんでだろう。
悲しいことなんてなにもないのに、自分で決めたことなのに。
俊介に伝えると、涙が止まらないんだ。






梅田の手が俺の手をここまで強く握ったのは今が初めてだったけど、これが最後になればいいって思った。
この辛さは、もう二度と感じなくてもいいって思った。
何かを得るために何かを諦めることはこんなにも辛い。
こんなにも涙が溢れる。
ソファに腰掛けた梅田はずっと俺の手を握ったまま、自分の中に溢れるものを吐き出すように言葉を紡いだ。

「…私ね、事務所入って最初に仲良くなったのって影山なの。入ってすぐ声かけてくれたのが影山で、他の同期って最初は全然仲良くなれなくて。ほら、影山ってあんな性格だから裏表ないでしょ?明るいし面倒見もいいから、私の方が年上なんだけどいろいろ助けてくれていつの間にか仲良くなって。いつだったか忘れちゃったけど影山にごはん誘われて行ったら大河もいて、そこで仲良くなって。それで、一緒に仕事するようになって」
「うん」
「初めてコンサートに出た時に、スタッフさんにめちゃくちゃ怒られたことがあるんだ。自分たちが出る直前に、勝手に暗幕捲ってステージ見ててお客さんに気付かれるっていう失態。でも、その時見た景色が忘れられない」
「……」
「キラキラ光ってて最高に綺麗で、お客さんが振ってくれるペンライトが宇宙みたいで、それを浴びて笑ってる先輩がすごくかっこよくて。その時に思ったの。影山と大河に笑ってほしいって。先輩たちに負けないくらい笑ってほしいって、思って。そのためにはステージで勝たなきゃいけないって思って。……私も2人と一緒に笑いたいって思ったのは、その後しばらく経ってからだった」

紡いでいるのは、決断にいたった過程であって迷いではない。
どれだけ泣こうがどれだけ俺の手を握る力が強かろうが、梅田は自分が下した決断を変えることはない。
ずっと隣にいた俺にはわかる。
俺が何を言おうと何をしようと、梅田はアイドルを辞める。
これは決定事項であって今さら変えることはできない。
梅田のこういうところが好きだ。
他人に決断を委ねることなく、時には口にすることもなく、静かに、強かに、自ら決断して責任を負ってそれを最後まで突き通すところが好きだ。
不言実行の人で、辛い決断をしてもずっと背筋を伸ばしてるところが好きだ。
そして、そんな梅田が嫌い。
溢れる涙をパーカーの袖で拭っても拭っても溢れてくる。
俺の赤いパーカーは色が変わってしまったけど、構わずその頬に触れ続けた。
アイドルとしてステージに立ちたい。
演者として舞台に立ちたい。
スタッフとして衣装に携わりたい。
げえくんとがちゃんの衣装を作りたい。
いろんな思いが混ざって、迷って、本当は全部やりたくて、でもできなくて、分からなくなって。
ごちゃごちゃになった頭の中で残ったのは、根っこにある思い。

「影山がグループ組みたいって言った時、すっごく嬉しかったんだ。影山の目がほんとにキラキラしてて、またひとつ夢を見つけたんだなって思って。私もその夢叶えたいなって思って。絶対、勝ちたいって思ったんだ。……私、やっぱり勝ちたいんだよ。ステージで勝ちたい。勝てるステージを作りたい。でもそのためには中途半端はだめだなって思った。私、もっともっと強くなりたい。そのためには今のままじゃだめだ」
「っ、」

ああ、嫌いだ。
呆れるくらい好きなのに、今の梅田は誰よりも嫌いだ。
1人で決めた。
全部1人で決めて、梅田の中ではもう完結してて、俺がなにしようが決断は変わらない。
矛盾してるって分かってる。
梅田の人生だから梅田が1人で決めるべきだ。
他人が決めることじゃないし、俺が梅田の将来を背負えるほど強くない。
俺ができることなんて、隣で話を聞いて涙を拭うことしかできない。
なのに、1人で決めた梅田が誰よりも嫌いだ。

「…たぶん、これは逃げなんだよ。アイドルやりながら衣装に携わってる人もいる。そんな先輩いっぱいいる。でも私には無理だ。両方やりながら両方で勝つことは無理だから、だから、……アイドルを辞めるって決めた」

梅田は俺にとって“特別”なんだと伝えたとしても、“好きだ”と伝えたとしても、強く抱きしめたとしても、梅田の決断は変わらないんだろう。
1人で覚悟して1人で強くあろうとする梅田の事が大嫌いで、自分の弱さが嫌になる。
嫌だと言いたい。
辞めないでと引き留めたかった。
でも、できない。
抱き締めることさえできない。
だって、ここにいてほしい理由はなんだ?
梅田が好きだから、梅田の隣にいたいから、梅田と離れたくないから。
そんなの、全部自分勝手なエゴだ。
梅田の思いなんて全部無視した俺だけの想いだ。
そんなもの、梅田に伝えるべきじゃない。

「……アイドルを辞めたあと、なにがしたい?」
「え?」
「梅田の夢はなに?」

夢を口にしたがらないのは知ってる。
口にして、結局叶えられなくて、がっかりされるくらいなら最初から言いたくないっていう臆病な一面を知っている。
でも、梅田がどんな夢を口にしようと俺は否定しない。
バカにしたりもしない。
アイドルを辞めようと俺の隣からいなくなろうと、梅田は俺の特別なんだよ。
絶対、特別なんだ。
だから応援させてよ。
できることなら一緒に叶えさせてよ。
梅田の未来が笑顔で溢れるよう、俺にも手伝わせてよ。

「…私、デビュー衣装が作りたい」
「……」
「私が作った“勝てる”衣装でキラキラなステージに立って、それで、……笑ってほしい」

そう口にして、梅田は泣きながら笑った。






目を開けるのが怖かった。
朝が来てしまったんだと自覚するのが怖かった。
こんなにも、朝が来てほしくないと思ったのは初めてだった。
ひとつの決断をして夜が明けて、今日から私は新しい道を進むために生きていく。
眩しい。
目を細めながら起き上がると、ぼやっとした視界に俊介の後ろ姿が映ってた。

「俊介?」
「あ、おはよう、勝手にカーテン開けちゃったけど平気?」
「うん、平気」

大きな窓から入ってくる朝陽は眩しすぎるほど強い。
頭がボーっとするのはまだ残る眠気とお酒のせいか。
泣きすぎたせいで瞼が重い。
起き上がった拍子に肩から落ちたのは俊介のコートで、眠ってしまった後にかけてくれたんだって理解した。
テーブルの上に置いてあるのは梅酒の瓶と2つのグラスで、そういえば昨日、いろいろ話した後に飲もうって話になったんだっけ。
結構飲んだのかあんまり覚えてなくて記憶が曖昧だ。

「梅田、大丈夫?気持ち悪い?」
「ううん、大丈夫、ちょっと頭ボーっとするけど」
「あはは、髪ぼさぼさ」

そう言って笑った俊介が私の伸びた髪に触れた。
肩より伸びてしまった髪をいつものように短くすることはないかもしれない。
私が髪を短くしていたのは、自分がステージに立つことが前提だったから。
ああ、なんとなく昨日のことを思い出してきた。
私は日本語にもなってないような言葉をひたすら並べて、俊介は静かにずっと聞いてくれて、それで、私の決断を聞いた後、新しい道に乾杯しようってなって梅酒を出したんだっけ。
うちの実家から送られてきた梅酒を自分以外が飲んだのは初めてだった。
美味しいって言って笑う俊介の顔がなんとなく記憶に残ってる。

「っあ!え、俊介ここまで車で来たよね?」
「うん」
「飲酒運転…」
「しないよ。お酒抜けてから運転するから」
「ごめん…」
「自分から飲んだから梅田が気にすることじゃない」
「それでもごめん…、飲みに付き合わせてしまった…」

テーブルの上にあるグラスに朝陽が反射してる。
半分くらい残った梅酒の光がテーブルの上でキラキラ煌めいていた。
その輪郭をゆっくりなぞりながらされるがままになってたら、髪に触れる手を止めた俊介がこっちをじっと見つめてきた。

「…梅田」
「ん?」

光の輪郭をなぞる手にそっと触れた。
触れて、指を絡めて、ぎゅって強く握られて。
瞬きすることも息をすることも忘れたように身体が動かなくなる。

「……アイドルを辞めたら、伝えたいことがあるんだ」
「……」
「…梅田に、伝えたいこといっぱいある」
「今じゃだめ?」
「っ、……今、聞きたい?」

私の身体を引き寄せた腕は優しかったけど、抵抗できないくらい強かった。
ぎゅうって抱き締められて俊介の顔が首元に埋まる。
触れられたことなんて何度もあった。
嫌だったことなんて一度もない。
でも今は、ほんの少しだけ怖かった。
私の知らない俊介に抱き締められてる気がして、この先を聞きたくなかった。
なんでだろう、でも、なんとなく感じる。
怖いのは、関係が変わってしまうからだ。
私と俊介は同じアイドルで、ライバルで、友達だった。
でも今日から変わってしまうかもしれない。
俊介はアイドルで、私はアイドルを支える人になる。
自分で決めて望んだことだけど、やっぱり怖い。
お互いが知らない人になってしまう気がして、怖いんだ。
耳元で聞こえる声に思わず目を瞑る。

「…俺は今言いたくない」
「…なら聞かない」

もう決断したから今更変えることはない。
俊介がなにを言おうと、どんな思いを伝えようと、私は迷わない。
でも言いたくない気持ちもわかる、わかってしまう。
私も、俊介に言いたいけど言えなかったことがある。
重荷になりたくなかった。
アイドルを辞める私が、アイドルを続けることを選択し続けてる俊介の重荷になりたくなかったから、言えなかった。
私のことを“特別”だと言ってくれる俊介は、私の願いを言ったら絶対叶えようとしてくれると思うから。
絶対、なにがなんでも叶えようと必死になってくれるから。
私はずっと自分で叶えられる夢を持ってた。
でも今、初めて自分だけじゃ叶えられない夢を持ったよ。

「…もうちょっとだけ、いい?」
「…うん」

背中に腕を回してぎゅっと抱きしめたらまた涙が出た。
あんなに泣いたのにまだ涙って出るんだね。
パーカー、また濡れちゃう、ごめん。
本当は俊介に伝えたいこといっぱいあるんだよ。

私ね、デビュー衣装が作りたい。
影山と大河と椿くんと横原と奏と新と、俊介。
7人のデビュー衣装を作りたいの。
そのために頑張るね。
誰よりも強くなるね。
どんなステージでも皆が“勝てる”ような衣装が作れるように、最後までやりきるよ。
不言実行、夢を口に出さない。
そんな私の溢れる言葉を、俊介はいつも聞いてくれたね。
嬉しかった。
この世界で私が一番幸せ者だって思ってたよ。
でもこれだけは言わない。
自分の夢を叶えるためにアイドルとしてステージに立ち続ける俊介に、私の夢は背負わせない。
だから俊介も言わないで。
私がアイドルを辞めるまで、その言葉は伝えないで。




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