パステルリフレクション06
『Masquerade』を読んでいなくても楽しめると思いますが、『Masquerade▽at20:38』をあわせて読むとより話が分かりやすいかと。
「……」
「……」
「大丈夫だよ!?怖くないよ!?」
「怖いっていうか、近付きにくいようめめ」
「ええー…」
わたわたしてる姿を前に新と顔を見合わせた。
梅田晴って存在は知ってたし事務所で何度か見かけたことはあるし話したこともあるけど、こんなにがっつり一緒にお仕事するのは初めてで。
正直、あんまり印象がない人だった。
任された仕事を器用にきっちりやる人、でも熱くも冷たくもならない人って思ってたけど実際は違ったみたい。
なんていうか、なんか、…抜けてる?
「本当は健康なんだよ!?ちょーっと体調悪いだけで!」
「体調悪いって言っちゃってるじゃないですか!」
「大丈夫なんですか?」
「大丈夫大丈夫!このとーり!」
そう言って梅田さんが指さしたおでこには冷えピタシートが貼ってあって、綺麗な文字で『気圧にやられてるだけです!熱ありません!』って書いてあった。
体調悪いけど人に移るものじゃないって主張したいんだろうけど、その主張の方法はどうなんだろう。
なんかちょっとズレてる気がするけど、椿くんやよこぴーは気にするそぶりを見せないからこの空気感が普通なのか?
滝沢歌舞伎ZERO新橋演舞場公演に出演させていただく俺たちは数日前から稽古を開始していて、今日から全体の稽古が始まる。
殺陣の練習から始まるんだけど、ジャージで剣持って冷えピタ貼ってる姿はなんかおかしくて笑ってしまいそう。
表情が真剣だから余計にちぐはぐ。
「あ、大河!久しぶり!」
「おー晴、ひさしぶ、え、どうしたの?」
「これ?低気圧で頭痛ハンパないから貼ってる」
「そっちじゃなくて、髪切った?」
「あ、そっち?うん切った。南座の前に切って、この前また切っちゃった」
「相変わらずショート似合うね」
「ありがとう。大河は相変わらずよく気付くね」
なんの躊躇いもなく梅田さんの髪に触れる大河くんを見て少し面食らった。
あれ、こんなに簡単に触れられる人だったっけ?
俺の記憶が確かなら、梅田さんは昔、不躾に触ろうとしたジュニアを強く拒否してた気がする。
女の子だからもっと俺らと距離取ると思ってたのに全然そんなことない。
俺の訝しげな顔を見て、椿くんが理由を教えてくれた。
「あの2人、同期なんだよ」
「え、そうなんですか?」
「そう。あと影山も」
「だからあんなに仲良いのか」
「2人もすぐ仲良くなれるよ。うめめ、一回心開いたら秒で仲良くなれるから」
「梅田さん、そんな印象なかったです」
「あー、出来れば梅田さんじゃなくてうめめとか晴って呼んであげて?今日から毎日稽古あるし、舞台成功させるために距離縮めていこう。信頼しないと怪我するからね」
そっか、そうだよね。
滝沢歌舞伎なんて過酷な舞台を成功させるためには信頼と結束と努力が必要なんだろう。
中途半端に遠慮してたら怪我するし、舞台が台無しになってしまう。
それを肌で感じたのは殺陣の稽古が始まった時。
ピリッとした空気の中、お互いを信頼して剣が力強く振られていく。
肌がビリビリする。
ああ、滝沢歌舞伎が始まった。
手のひらが痛い。
ずっとじんじんしててもう感覚なくなってきた。
稽古でこれって、本番どうなるんだろう。
痛々しい自分の手のひらを見つめてたら、隣に誰かが座った。
「新、お疲れさま」
「おつかれ」
「あ、お疲れさまです」
「うわ、それ手めっちゃ痛いでしょ」
「新もテーピングする?ちょっとマシになるよ」
「やったほうがいいぜ。午後も練習あるし」
「影山、右手出して」
「ん」
「それ左手」
「あー間違えた!俺左利きだから」
「関係なくね?」
うめめ、影山くん、大河くんの同期トリオが来ると空気が一気にわちゃわちゃする。
稽古場は休憩中だから人は疎らだ。
SnowManさんは仕事があるのか全員いなくて、お昼ご飯を食べようとするジュニアが数人残ってるだけだった。
影山くんは右手を差し出してうめめにテーピング巻いてもらいながら、器用に左手でスマホをいじっていた。
「新、昼なに食べる?今椿くんと奏がコンビニ行ってる」
「え、僕もいいんですか?」
「いいよ」
「好きなもの頼みな?たぶん後でお金渡したら大丈夫だよ」
「じゃあうどんで」
「OK。連絡しとく」
「椿くん奢ってくれるんじゃない?」
「晴は奢ってくれないと思うからお財布用意しな」
「分かってますー」
「お弁当何個頼んだの?」
「今日は控えめに2個。午後に殺陣やるし」
「2個?」
「控えめで2個?」
「控えめじゃないのよ」
テンポの良い会話をしながら、うめめはパパッと影山くんのテーピングを終えた。
それをじっと見てたら今度はこっちに向かって座り直して『はい』って手を出されたから思わずそこに自分の手を重ねる。
何度見ても痛々しい。
普段使わない部分を酷使してるから、治し方だって分かんない。
こういう時、先輩方は本当に優しい。
「貼るね。痛かったら言って?」
「はい」
「あ、お前ら昼メシまだ?」
「まだ」
「言ってくれたら一緒に買いに行ったのに」
「今椿くんと奏が行ってるから大丈夫。2人は?」
「モス」
「うわー!匂いがしんどい!美味しそう!」
「食べる?」
「ポテトだけ恵んでもらってもいいですか?」
「やめときな。お弁当2個くるんだから」
横原くんと基くんが美味しそうな匂いと一緒に戻ってきたからうめめの顔が一気に明るくなった。
基くんがチラつかせるポテトが欲しいのかずっとそっちを見ていてなんとなくテーピングが雑になってる。
やってもらってる側だから文句言えないけど。
涎垂れそうなほど見てたのが面白かったのか大河くんがポテトをうめめの口元に持っていったらパクって咥えてて。
その瞬間に稽古場の入り口から高い声が聞こえてきた。
「っあー!うめめ先に食べてる!一緒に食べるって言ってたじゃないですか!」
「あ…」
「ひどいよ!俺うめめの分も買ってきたのに!」
「ごめん奏。欲望に抗えなかった。お詫びにポテトあげるよ。美味しいよ」
「やったー!」
「それ俺の」
「はいこれ、新の分」
「ありがとうございます。お金払います」
「あー、いいよ。テーピング終わったら食べな?」
「お!つばっくん優しー」
「先輩なんでね」
「先輩ご馳走さまです」
「先輩あざーっす!」
「ちょ、待ってそういうことじゃない」
「先輩、ありがとうございます」
「梅田、iPad持ってる?さっき殺陣の映像送ってもらってたよね?」
「あるよ。見る?」
「俺も見たいです!斬られるところまだ全然上手くいかなくて…」
「斬られるのもってぃ上手いよな」
「かげも上手いよね」
「ありがとう」
「私も苦手だから練習しないとなー、はい、再生しまーす」
お弁当を開ける音に混じって殺陣の剣の音が稽古場に響いてる。
うめめのiPadの画面を8人で覗き込んで、ここが下手、ここはもっとこうしたほうがいい、なんて話が始まって。
最初はお昼食べながらなんとなく見てたのに反省会はどんどん白熱していく。
ふと、気付く。
そういえば最近、この8人で集まることが多くなったなーって。
8人で何かをすることが多くなってきた気がするなーって。
なんとなく、そんなことを考えてた。
新橋演舞場公演が始まった。
今までとは違うメンバー、今までとは違う演出が入り混じる中、南座から出てるメンバーはさすがに慣れてきたのか少しだけ余裕がある。
昼公演と夜公演の間、体力回復のために雑魚寝するジュニアの大部屋を覗きつつ隣の個室に向かうと、扉が開けっ放しだった。
見慣れた背中に届くように声を張る。
「阿部ちゃーん?」
「はーい、なに佐久間」
「ふっかが探してたよ」
「まじ?なんだろ、すぐ行く」
「あとやっときます」
「いける?」
「大丈夫です!」
大部屋の隣は梅田の部屋、ってことになってるけど、新橋演舞場では学生組の勉強部屋になりつつあった。
4月、学校が始まって課題が山ほど与えられてる。
休憩中にやらないと間に合わない子もいるから、梅田は自分の部屋を開放して阿部ちゃんを誘い、こうして勉強する時間を作ってる。
まあ、元々梅田はほとんどジュニアの大部屋にいたし、その甲斐あってか今年は今のところ打ち合わせの遅刻ゼロだった。
阿部ちゃんと入れ替わりで中に入ると、4人がそれぞれ課題と戦ってた。
「なになに?今なにやってんの?」
「英語です」
「佐久間くん読んでくださいよ」
「うわ!なにこれ!読めねえ!」
「全然終わらなくて困ってます…」
「阿部くん早く戻ってきてくれー!」
「できるところからやっちゃおう」
舞台に立つ時とは違った表情でPCに向き合うジュニアを見てるとなんとなく口元が緩んだ。
なんか懐かしいなー。
阿部ちゃんもよくこうやって楽屋で勉強してたっけ。
手持ち無沙汰になったからたまたま画面がついてたiPadを覗くと、衣装スケッチが見えた。
「これ誰の?」
「あ、私のです。時間ある時に描いてて」
「へえー、梅田絵上手いね!これ影山でしょ?」
「そうです!影山がこんな衣装着たらかっこいいなーって思って」
「あいつ、こういう主人公っぽいの似合いそうだなー!他のも見ていい?」
「どうぞー」
「うめめ、辞書貸して?」
「どうぞー」
視線がPCに戻ったから返事が緩くなった。
その横顔を見ながらiPadをスライドすると、どんどん衣装が出てくる。
先輩の衣装を元にデザインしたものもあれば一から描いたような見たことない衣装もある。
しかも、描いてあるのは衣装だけじゃない。
それぞれ誰の衣装なのか一目でわかるほどに、人の絵もうまかった。
ほとんどが今回滝沢歌舞伎に出てるジュニアだけど、ページが進めば進むほど、まるでグループの衣装みたいにお揃いのデザインになっていった。
画面から感じる熱量に圧倒されそう。
描かれた8人はいつでも画面から飛び出してきそうだった。
ジュニアだけど、ジュニアだから、ジュニアから抜け出したいから。
スケッチからいろんな感情を感じて感慨深くなってる時、梅田はPCから手を離してぐでーって畳に寝転がった。
「終っわんない!」
「ちょ、うめめがそれ言わないでよ。1番進んでんのに」
「うめめが終わんなかったら俺らも終わんないじゃん」
「ごめんー、…ん?」
寝転がったまま逆さまに部屋の入り口を見た梅田は、何かを見つけたのかガバって起き上がった。
「涼太くんお疲れさまです!」
「お疲れさま、え、よく俺だって分かったね」
「足音でわかりました」
「そんな特徴的?」
「特徴的です。どうしました?衣装でなんかありました?」
「いや、プリン買ったんだけど晴食べるかなーって思って」
「食べます!」
「食べまーす!」
「あ、ごめん、1個しかない」
「はい!俺最年少!」
「うわ、奏それはずるい」
「はい!俺1番先輩!」
「もっとずるい」
「私から食べ物取ろうなんていい度胸だな!覚悟しろ!戦争だ!命をかけて!」
「いや、プリン1個に命かけんなよ」
「うめめもずるいよ!いつもお姉ちゃんぶってるくせに!」
「食べ物の前では情け無用!」
勉強のストレスが溜まってたのか一気に部屋の中がうるさくなった。
小学生かってくらいのテンションで盛り上がってる様子をだて様は微笑ましく見てて、その視線の先が梅田で、あー思ったより可愛がってるんだなーって実感した。
休憩中にわざわざここまできてプリン渡す時点で一目瞭然か。
ガヤガヤ騒がしい部屋に入ってきただて様は周りを威嚇してる梅田の頭にぽんってプリンをのせた。
「今回は晴に買ってきたから晴にあげる」
「やったー!」
「ええー…」
「今度はみんなの分も買ってくるよ。まさかこんなにいると思わなかったから」
「しょっちゅうここで勉強してるみたいだから、次は人数分買わないとなー」
「あ!俊介もよくここにいるのでもう1人分!」
「あと阿部くんもいます!」
「あははは、わかった、あと2人分ね」
「ありがとうございます!」
「涼太くんありがとう!大事に食べます!」
「どうぞ、召し上がれ」
部屋を出て行く時にひらひら手を振っただて様を見て梅田も手を振った。
廊下の先に姿が消えて、見えなくなって、その瞬間に目が伏せられた。
手元のプリンに視線が落ちる。
落ちて、ふふって笑って、長いまつげが揺れた気がした。
「っ、」
無意識に自分の右肩に触れてた。
雨、傘、濡れた右肩と触れる左肩。
見透かそうとした俺の視線と見透かしてしまった想いと、走り出した水溜りの音。
ここはどこだ。
あの日じゃない。
あの日からもう何年も経ってるのに、今でもその瞳の色を鮮明に思い出せる。
「いいなーうめめ。贔屓されてる」
「えへへ、いいでしょ」
「謙遜しないの?」
「しません。涼太くんと仲良いもん」
「俺だって康二くんと仲良いから」
「なんで張り合うんですか。無意味な戦いですよ」
「プリン見てたらお腹空いたわ」
「あれ?がちゃん戻んの?」
「なんか食べたい」
「冷蔵庫にゼリーあるってさっき横原が言ってたよ」
「それ食べよ」
「俺も戻る」
「えー、じゃあ俺もなんか食べよう」
「みんな後で戻ってくる?」
「分かんない。食べてちょっと仮眠とるかも」
「はーい。課題やるならここ使ってね。私残るから」
「じゃあまた後でねー」
3人が部屋から出て行く時に声をかけられたけど曖昧な返事しか出来なかった。
身体が冷たい。
右肩がずっと濡れてる感覚がする。
あの日、傘の外に飛び出した冷たさが痛い。
部屋に残った梅田はるんるん嬉しそうにスプーンを持ってきてプリンの蓋を開けた。
律儀に両手を合わせていただきますをして、大切に大切に一口を味わった。
「美味しーい」
「……梅田」
「なんですか?」
「だて様のこと好き?」
「好きですよ?涼太くん、ほんとに優しい先輩ですよね。プリンありがたい、美味しい」
「そうじゃなくて」
「ん?」
「…好き?」
その想いを見透かす。
畳にちょこんって座ってた梅田の顔を覗き込んだ。
びっくりして目をまん丸にして、ただじっと俺の目を見てた。
その奥を見透かしたい。
想いを知りたい。
大きくなる前に、止めたい。
梅田は瞬きもせずに口を開く。
「びっくりした、え、なんでそんなこと聞くんですか?」
「その気持ちさ、”そういう”好きじゃなくて”憧れ”の好きなんじゃない?」
「……」
「だて様は梅田がやりたかった仕事をしてる人で、ずっと近くで仕事してる先輩で、優しくて構ってくれる。だから”憧れ”の好きだと思うよ」
「……」
「もし違ったとしても”憧れ”だと思った方がいい。その方が誰も傷付かない。”そういう”好きなら今すぐやめな」
雨に濡れた右肩と触れて熱くなった左肩の感覚を今でも覚えてる。
忘れられなくて、痛くて、つらくて、でも後悔はしていない。
あの日、あれしか正解はなかったし、あの熱を受け取らなかった俺の選択はこの先もずっと背負う。
絶対、一生受け取らない。
でも同じようになってほしくない。
同じ気持ちを感じてほしくない。
俺たちが恋をするっていうのはそれほどまでに代償が大きい。
だけど、出来ることなら幸せに恋をしてほしい。
幸せな恋になる人を好きになってほしいから。
「…佐久間くん」
瞬きをひとつ。
ぱちって開いた目で、梅田は声色を変えずにただ静かに問いかけた。
「それは佐久間くんの経験談ですか?」
ダンッ!!!
きつく握り締めた拳を畳に思いっきり振り下ろしたら大きな音が鳴った。
めり込んだ右手は痛みさえ感じない。
一気に沸点まで上がった怒りは止まるどころか増している。
その言い方はなんだ。
からかったわけでもカマかけたわけでもない。
梅田の思考の先に特定の人物がいた。
ギロって睨みつけたら、梅田は眉ひとつ動かさずに静かに俺を睨み返した。
「黙れよ。お前、それ以上喋ったら、」
バンッ!!!
「こっちのセリフです。それ以上喋ったら先輩だろうと容赦しない」
敬語が抜けた。
明らかに声色が変わって沸々とした怒りを感じる。
声に震えなんて微塵もない。
机に振り下ろした拳の衝撃でPCがガタって音を立てた。
梅田は俺と同じくらい、怒っていた。
「なにも知らないくせに私の気持ちに土足で踏み込んでこないで。私はなにも答えてない。好きとか憧れとか、涼太くんをどう思ってるかなにも答えてない。なのに勝手な憶測と経験談でこっちに入ってこないで。大体、佐久間くんに関係な、」
「あるよ」
「っ、」
「涼太は大事なメンバーなんだよ。梅田だって大事なカンパニーのメンバーなんだ。失いたくないし後悔もしてほしくないし傷付いてほしくない。だから言ってる。これ以上好きになるな。”そういう”好きなら今すぐやめろ。戻れ。進むな」
「……ほっといてください」
「梅田、」
「っ私だって分かってない気持ちを勝手に決めつけないで!!!」
また拳が振り下ろされる。
白くなるほどに強く握り締めた梅田の拳は、机に当たって衝撃を広げた。
プリンのカップに置かれてたスプーンがかちゃんって畳に落ちて、それが終わりの合図だった。
「……失礼します」
先に視線を逸らしたのは梅田。
でも声色は最後まで変わらなかった。
瞳はずっと俺に強く突き刺さっていて、絶対に揺るがない強さを持ってた。
畳に落ちてしまったスプーンをそのままに部屋を出ていこうとして入り口で人にぶつかる。
よろけた相手に名前を呼ばれたのに無視して、梅田の背中が廊下に消えた。
訝しげな顔した基は、普通じゃない空気を感じ取っていつもより低い声で問いかけた。
「佐久間くん」
「……」
気持ちがぐちゃぐちゃで返事をする気になれなかった。
深いため息しか出てこなくて、基はその先をなにも聞かずに駆け出した。