髪を結ぶ話



「なんの匂い?」
「あー、晴がネイル塗ってる」
「ネイルの匂いってこんなんだったっけ?」
「わかんない。でも匂いきついってかげはどっか行っちゃった」

サマパラの打ち合わせ前の事務所内は、人が少ないのに冷房が強くて外から入ってきた俺にとっては快適な温度だ。
首筋に流れてた汗がひんやりしてきたのがわかる。
メンバーはもう揃ったのかなって思ってたけど、ロッカーで遭遇したがちゃんしか見ていない。
げえくんも来てるらしいけどその姿は見ていないし、名前が出た梅田の姿もない。
マスクをしてても漂ってくる刺激臭にキョロキョロ視線を彷徨わせてたら、がちゃんが会議室の一つを指さした。
今日は使う予定がないそこは扉が閉まってて、開けたら刺激臭が強くなって思わず顔を顰めてしまった。
その表情のまま目が合ったのは梅田で、申し訳なさそうに眉を下げた。

「俊介おはよう。ごめんだけどドア閉めてくれない?」
「おはよう。ネイル塗ってんの?」
「うん」

言われた通りにすぐにドアを閉めて梅田に近づいたらちょっとびっくりして目を見開いた。
『ドア閉めてくれない?』は『匂いきついからこの部屋から出た方がいいよ』って意味だったんだろうけど、そんなのわかった上で無視して部屋の中に入った。
ソファに腰掛けた梅田の目の前にはネイルの小瓶が3つあって、膝の上にのせた両手の爪はいつもよりツヤツヤして見える。
正面に座ると匂いが強くなった気がするけど、慣れてきたのか気にならなくなってきた。

「梅田がネイルするの珍しくない?」
「だね。裁縫やってると結構細かい作業多いから、ネイルはあんまりやったことないかも」
「急に塗りたくなった?」
「ううん、奏が塗ってほしいって」
「あ、奏もう来てるんだ。見かけなかったからまだいないんかと」
「ほんと?私より前に来てたからもうリハ室かな?今日さ、リハ終わりにドレスコードのISLAND TV撮るでしょ?その時に『こんな感じです!』って見本で出せないかなって相談されて。ネイル持ってなかったからさっき近くのお店で買ってきた」

なるほど、そういうことか。
今日、俺たちはリハが終わってからISLAND TVの動画を撮る予定だ。
サマパラでPINKyのみんなに着てほしい服の話をする。
俺たちのグループカラーになっている黒とピンク。
そのドレスコードの例として、奏はネイルを提案するつもりなんだろう。
ファンの子がイメージしやすいように、梅田が見本になろうとしてる。
ツヤツヤしてる爪は下準備だったのか、梅田は鮮やかなピンク色の小瓶の蓋を開けてハケを引き出した。

「おー、発色すごい、めっちゃ鮮やか」
「ほんとだ。これでペンライト振ってくれたら絶対気づくよね」
「うん、絶対気づく。うわー、一気にサマパラ楽しみになってきた。ファンの子が黒とピンク身につけてきてくれたら嬉しいねー」
「ねー」

梅田が丁寧にネイルを塗っていく様子をじっと見てた。
あんまり塗ったことないって言ってたけど、衣装作りで培った手先の器用さは文句のつけようがないくらいで、色むらもなく梅田の爪が綺麗なピンク色になっていく。
どれだけ指先を見つめても緊張する様子も手が震える様子もない。

「……」

無言、何も喋らない、でも気まずくない。
梅田の視線はずっと爪で、俺の視線はずっと梅田の瞳で。
あー、こっち見ないかなー、なんて思いながら見ても視線はもらえないわけで。
耳にかけてた髪がサラッて落ちてくる。
滝沢歌舞伎が終わってから伸ばしてるのか、梅田の髪はショートとは言えない長さになっていた。

「サマパラは髪切るの?」
「うーん、内緒」
「え、なにそれ」
「とりあえず伸ばしてるの。伸ばして伸ばしてISLAND TVもいっぱい撮って、あれ?梅田もしかしてロングにするの?って匂わせようかなって。で、サマパラで思いっきり色変えるか、本番前にバッサリ切っちゃうか」
「PINKyにサプライズ仕掛けてるんだ」
「うん。影山がそういうのも面白いんじゃない?ってアドバイスくれて。でも今はちょっと邪魔かも」

左手の爪が塗り終わったのかハケを持つ手を入れ替えつつ、ぶん!って頭を振って髪をよけようとした。
逆効果だったのか両耳から髪が流れてきて、余計に邪魔そうに見える。
不満そうな表情でため息をついたのがなんか面白くて、ふはって噴き出してしまった。
ずっとずっとショートを貫いてきたから、長めの髪だとすぐに邪魔だと思っちゃうのかな。
耳にかけたいのに指先のネイルが乾いてないから触れられない。

「結びたい…、首元あっついし…」
「ちょっと待ってて」
「え?うん」

キョトンって顔した梅田を置いて一旦部屋を出た。
持ってるか分かんないけど、とりあえず聞いてみようと思って奏を探すと、梅田が言うようにリハ室でダンス練習に向けて柔軟をしてた。

「奏、ヘアゴム持ってない?」
「え?ヘアゴム?あったかなー」
「持ってたら一個貸してほしい」
「いいけど、基くん使うの?」
「ううん、梅田。髪伸びて暑いって」
「あー、うめめね。たしかに伸びたよねー、俺はそのまま伸ばしてほしいよ。…あった、あげる」
「ありがとう」

髪伸びた時に奏がよく結んでるなーって思ってたけど、今も持ってて助かった。
黒いヘアゴムを持って梅田がいる部屋に戻ると、ピンク色は塗り終わったのか透明な瓶の蓋を開けてた。
また独特な匂いが部屋中に広がってる。

「奏にヘアゴム借りてきた」
「え?奏に?持ってたんだ」
「うん。奏は髪伸ばしてほしいって言ってたよ」
「あははは、ほんと?参考にします」
「梅田ってメンバーの意見も参考にすることあるの?奏がロング希望してるけどずっとショートだよね」
「もちろん参考にしてるよ?でもメンバーに聞くと影山が『絶対ショート!』ってすごい言ってくるから、結局影山の意見が勝っちゃう」
「げえくん、ほんとにショート好きだな…」
「ヘアゴムありがとう。そこ置いといて?これ終わったら、っ!?」

終わったら自分で結ぶね、なんて言うことは分かってるから言われる前に梅田の後ろに回って髪を掬うと、予想外だったのかネイルから視線が上がった。
ハケが変な方向に滑らなかったのは咄嗟の判断か、無意識に手先の器用さが出たのか。
俺のせいでネイル失敗したら申し訳なかったからちょっと安心。
後ろを振り返った梅田が俺をじっと見たけど、ニヤニヤを必死に隠してまた髪に触れる。

「ほら、結ぶから前向いて?」
「じ、自分で出来ますが」
「知ってますが。その上で俺が結びたいのですが」
「…いや、ほんとに、だいじょぶ」
「遠慮しないで」
「遠慮とかじゃなくて、緊張するし、…恥ずかしいから」
「ふはっ、」

そっか、恥ずかしいんだ。
2人でいる時にはもっとすごいことしてるんだけどな。
笑ってしまった俺に目を細めて咎めるような視線を送ってきたけど、一向に髪から手を離さない俺を見て観念したのか視線がネイルに戻っていった。
これは都合の良い解釈だけど了承と捉えよう。
改めて梅田の髪を掬ってひとつにまとめてると、赤くなった耳が見える。
ネイル独特の匂いでいっぱいだったのに、髪に触れたらふわっと甘い香りが広がった。
俺の好きな香りだ。

「ほんとに伸びたね」
「うん、伸びた。結べるようになったの久しぶりだな」
「去年、エクステつけてなかった?」
「あー、つけてたね。俊介が自粛期間中にロング見たいって言ってきたから」
「…俺が無理強いしたみたいな言い方してるけど、梅田が自分でやったんだからね?」
「あの時の俊介の反応、面白かったなー」
「俺がロング好きって知っててからかってきたんでしょ」
「うん」

昔のことを思い出してくすくす笑うのがなんとなく悔しくてわざと耳に触れたら笑い声が止まった。
耳の縁を撫でるとびくって身体が動くのが可愛くて、もっと触れたくなってしまう。
結局、梅田と付き合ってから2人っきりになれたのは名古屋のホテルとモスバーガーだけで、あとはずっと仕事続きでメンバーと一緒にいる。
毎日一緒にいられるだけで嬉しいけど、満足してるかと言ったら決してそうではない。
もっと一緒にいたいなと思ってしまう。
どこかに遊びに行きたい、とか、家に行ってもいい?とか、10分でもいいからドライブしよう、とか、誘い文句はいくらでもあるのに、綺麗に塗られたピンク色の爪を見ると何も言えなくなる。
今、俺たちの目の前にあるのはサマパラで、そのために必死になっている。
他のことを考えてる暇はないんだ。
だから、触れられるのはこういう一瞬だけ。

「…はい、出来た」

伸びた髪は綺麗にまとめられて首元がスッキリした。
うん、これでダンスしても暑くないはず。
くるって振り返った梅田は、嬉しそうに笑った。

「ありがとう、俊介」

衣装で魅せたいから髪型は変えない。
ジュニアの1人だから、男と並んでも違和感がないようにショートにする。
なんていろんな理由で梅田はずっとショートを貫いてきたのに、なんだか少し変わった気がする。
梅田が髪を切らない時は何か変化してる時だと思ってる。
一度目は、アイドルを辞めようか悩んでた時。
そして今が二度目だ。
なにか、梅田は変わろうとしている。
そんな気がする。

「梅田いる?」
「あ、横原おはよう」

コンコンってノックの後に部屋の中を覗き込んだ横原は、俺ら2人を見て一瞬目を見開いたけどすぐにいつもの目に戻った。
部屋の中まで入るつもりはないのか身体を少し乗り出しただけ。
ネイルを早く乾かしたいのか、梅田は両手をパタパタ振りながら横原に返事をした。

「昨日LINEもらったやつ、今日でいい?」
「うん、忙しいのにありがとう」
「全然いいけど。じゃ、リハ終わったらな」
「はーい」

それだけ話して横原は扉を閉めた。
顔を顰めてたからネイルの匂いが嫌だったのかもしれない。
横原と梅田の会話を頭の中で反復しながら部屋の扉を開けると、ネイル瓶で両手が塞がってる梅田が『ありがとう』って笑ってて。

「今日、リハ終わりになんかあるの?」
「うん、ちょっと横原と打ち合わせ」
「サマパラの?」
「うん。私、諦めるのを辞めてみようかと」

その言葉の意味はわからない。
廊下にいた新に話しかけられて聞くこともできなかった。
ただ、見たことないくらいわくわくした顔で横原を見てた梅田の笑顔が、妙に頭に引っかかった。




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