誰にも渡さない話



「うめめ、inゼリー食べる?」
「やめときます…、吐きそう…」
「でもなんかお腹に入れておいた方がいいよ?」
「分かってはいるんだけど…、吐きそう…」
「大丈夫っすよ椿くん。晴、乗り物以外で吐いたことないんで」
「それって大丈夫なのか?」

不安そうな椿くんが何を話しかけても晴の表情は硬いままだった。
サマパラ初日、開演1時間前。
通しリハを終えた今、晴の楽屋では影山美容室が営業中。
鏡越しに晴の表情を見ながらシルバーに染めた髪を巻いていく。
いつもより長いからアレンジし甲斐があるし、美容師やってる妹にもいろいろアドバイス貰ってきたのに当の本人は死にそうな顔して何も喋らずにじっと座って、鏡に映る自分を睨みつけてる。

「うめめ」
「衣装のことで聞きたいんだけどー、って影山美容室中?」
「あー、ごめん、大河か椿くんに聞いてくんね?晴今めっちゃやばいから」
「はーい」
「じゃあまたあとでね」

苦笑したら新と奏が静かに楽屋の扉を閉めた。
こんなに緊張してる晴は初めてかもしれない。
朝から、少なくともTDC入りしてから晴はなにも食べていない。
水は飲んでるにしても異常だ。
いつも直前までラーメン食ってるようなやつなのに。

「うあぁぁぁ…、やばい…」
「緊張してんね」
「うん、過去一だよ」
「ビビッてんの?」
「めちゃくちゃビビってる」
「大丈夫だって!夏楽しもうぜ!」
「…影山はピカピカ太陽だねー」

鏡越しにニッて笑ったら少しだけ表情が穏やかになった。
緊張も恐怖も、分かる。
理解できるよ。
いつだってステージは怖くて、辛くて、でもそれ以上に熱さと楽しさと笑顔で溢れてるんだよ。
ずっと頑張ってきたんだ。
怖がる必要なんてないし、勝てるに決まってる。
伸びたシルバーの髪を編み込んでいくと、その手元をじっと晴が見つめてた。
その顔は既にばっちりメイクされてて、瞼が星空みたいにキラキラ輝いてる。

「横原の振付ほんとに最強だから、頑張れ」
「うん、頑張る」
「晴のソロだけじゃなくてさ、他の曲も横原と基の振付が最強だって証明しようぜ。衣装も最強だって証明しようぜ。IMPACTorsが最強だって、PINKyに見せてやろうぜ!」
「うん…!さすがリーダーだな。テンション上げるの上手いね」
「だろ?」
「ドヤ顔。口大きい」
「口はいいだろ別に」

開演時間が近付くにつれてテンションは上がっていく。
熱量も上がっていく。
負けたくない、証明したい、勝ちたい、最強だと感じたい。
俺と大河と晴が小さい頃に立ったこのステージ、TDC。
帰ってきた。
バックじゃない、一番前、俺たちIMPACTorsのライブだ。
楽しむしかない。
誰よりも楽しんで、勝つんだ。






良くも悪くも初日のステージ裏はバタバタだ。
何度リハーサルしても本番の緊張感に飲まれて焦る。
焦ったって意味ないのに、何度経験しても慣れることはないし、この緊張感はなくしてはいけないものだと思ってる。
始まったらあっという間に時間が過ぎて、一曲一曲の余韻に浸る暇もない。

「……」

新のソロが始まって数秒。
SPARKの衣装に着替え終わった梅田はスタッフさんが点けてくれた扇風機の前で目を閉じてじっと立っていた。
周りでは他のメンバーが着替えてるけど、そんなの気にならないくらい集中して微動だにしない。
集中、集中、集中。
まるで戦う前の戦士みたいに、その両肩から闘志がメラメラ燃え上がってるように見えた。

「梅田さん!あと20秒で出ます!」

スタッフさんに呼ばれて梅田がゆっくり目を開ける。
まるで星空みたいな瞼が伏し目がちに下を向いて、少しだけ息を吐いた。
もっと練習すればよかったかも、別の曲にしたほうがよかったかも、自分には大きすぎた曲だったかもしれない。
無理、かもしれない。
そんな弱気な気持ちを抑え込むように、パンって頬を叩いた音が俺のところまで聞こえてきた。
ステージ中央に上がるための階段に向かう途中、じっと見つめてたら泣きそうな梅田と視線が重なる。

「っ梅田!」
「っ、」
「勝つぞ!」

ビビんな。
怖がるな。
なんのために俺を頼った?
なんのために俺の振付を求めた?
勝つためだろ。
諦めるのをやめるんだろ。
強くなって、進化して、勝つんだろ。
証明しろ。
IMPACTorsの梅田晴は強いって、皆に証明しろよ。
梅田の返事は聞かない。
聞いたところで俺がかける言葉は変わらない。
見せてくれよ、ステージの上で。
今まで梅田晴が培ってきたものを全部見せてくれ。

幕の間からステージが見える。
SPARKの音と一緒にシルバーが揺れたら、客席がざわついたのが伝わってきた。
声が出せない状況だってファンの皆の驚きが聞こえる。
ああ、梅田今どんな顔してる?
TDC一面に広がる白色のペンライトの光が強さの証明だよ。
上ずった声と掠れた呼吸音と、時折マイクに入る雑音。
はっきりと聞こえてくる緊張感と、それでも最後までやり通したいんだって熱量に、緩む頬を抑えきれない。

「だいぶ無茶してるね」

いつのまにか隣にいたもってぃは既に着替えを終えて、セットの隙間から見える白いペンライトを見つめてる。
見てるのはペンライトだけど、考えてるのは梅田のことだ。
だいぶ無茶してるのは声で分かるし、朝から異常なほど緊張してる梅田を見たら一目瞭然。
あの大食いの梅田がなにも食べないなんて異常事態だ。
去年のサマパラやISLAND FESやクリエの比じゃないほどのプレッシャーが梅田を押し潰そうとしてる。
もってぃは俺を見ない。
だから俺も見なかった。
白いペンライトだけを見てた。

「うん、無茶してる。してるっていうか、させてる。SPARKの振付は最初用意してたものからレベル上げてるから。梅田かなりしんどいと思うよ。正直、今朝のリハでも大丈夫か?って出来だったし。もし後半もたなかったら梅田じゃなくて俺のせい」
「もたせるよ、梅田なら。もたなくても俺らでカバーできるし。でも梅田は横原の振付は絶対踊りきるよ。なにがなんでも、ライブ終わって倒れたとしても、絶対踊りきる」
「……それはそれで困るな。あいつ、そんな無茶しても踊りきったら笑うぜ?たぶん、俺ら見て笑うよ。それは困るわ。そんなん見せられたらさ、堪んねえじゃん」
「……」

あ、やっともってぃが俺の方見た。
でもごめん、俺はもうもってぃの方見てない。
梅田の声が変わった。
苦しくて辛くて緊張してて壊れそうなのに、泣きそうなくらい、楽しそうだ。
あっちでステージを映したモニターを他のメンバーが見てる。
目を見開いて、びっくりして唖然と口開けて、梅田のパフォーマンスに飲まれてる。
息を飲んだ影山くんが、嘘だろ?ってつぶやいた。
ああ、強いな。
梅田はやっぱり強いよ。
無理って言わず最後までやり切ることを覚悟した梅田晴は、梅田本人が思ってる想像の何倍も強いんだよ。

「無茶して、倒れそうで、無理って諦めて泣くギリギリのラインでこんなパフォーマンスするなんて信じられるかよ」
「……」
「無理だろ、こんなの。良すぎる。苦しんでるギリギリでこんな声で歌って笑うなんて、ずるいだろ。あいつが『もう無理』って叫ぶギリギリがこんなに”イイ”なんて誰も知らなかった」
「よこ、」
「もし“次”があっても俺が振付する」
「っ、」
「誰にも渡さない」

耳に残る限界ギリギリの声とカツカツ響く靴音。
俺が思い描いた通りのタイミングで、俺が思いもしなかった熱で鳴り響く。
誰にも渡したくない。
俺が引き出した音だ。
俺だけが見つけた音だ。
絶対、誰にも触らせない。

「横原、……梅田のこと好きなの?」
「なんでそんなこと聞くの?」
「……」
「もってぃ、なんで?」
「……」
「……」
「……俺が梅田のこと、」
「基!横原!もう上がんないと間に合わない!」
「うめめのソロ終わるよ!」
「くそー全部見たいのに!後で絶対録画見る!」
「おー、すぐ行く!」

逆なんだよもってぃ。
言うなら、逆だ。
『俺は梅田の事が好きなんだ。だから横原は触るな』
そう言ってくれたらすべてが終わるのに。
すべて、なにも起こらずに解決するのに。
なにも始まらないのに。
でももう遅い。
遅いんだよもってぃ。
俺はそこまで待てなかったよ。
もっと早く確証を見たかった。
もってぃは梅田のことが好きなんだって、2人の関係は誰にも踏み込めないんだって、本人の口からでも梅田の態度からでもいい。
確信を得たかった。
それがないからこういうことになるんだ。
梅田のこの歌声を聞く前に、示してほしかった。

次の曲のスタンバイのために階段をかけ上がる。
サイドにあるタワーに昇れば、ラストスパートをかけてステップを踏む梅田が見えた。
モニター越しでも音だけでもなく、直接自分の目でそのパフォーマンスの熱を見たらもうだめだった。
この感情に名前なんかいらない。
つけなくてもいい。
ただ、その熱を生み出すのは自分でありたい。
“IMPACTorsの梅田晴”を一番熱くさせるのは、俺でありたい。

SPARKが終わる。
ペンライトの光は真っ白で、まるで雲の上みたいだ。
暗転して数秒後には目の前の暗幕の向こうに飛び出して次の歌が始まる。
梅田の1人きりの戦いが終わる。
いや、ひとりじゃないか。

聞こえるか分からない、マイクが通ってたかわからない。
でも止められなかった。
俺も否定できないくらい熱くなってた。
曲が終わる時に自然と右手を高く掲げてしまうくらい、熱くなってた。

「晴…!」

名前を呼んだ。
俺が一番熱くさせたい人の名前を呼んだ。
ステージの照明が消えて暗転する。
その一瞬、目が合った気がした。
俺を見上げて、息上がったまま、汗だくで髪乱れたまま。
見たことないくらいキラキラした顔で笑って、俺に応えるように晴が大きくピースサインしたんだ。
その目に星空が見えたんだ。
白い光の雲の中で見えたその星空は、間違いなく『勝ったよ!』って叫びだった。



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