約束の話01



『できるだけ騒がしくするなって言われたじゃん』って目で俺を見てくる大河ちゃんを無視して扉に耳をくっつけた。
扉一枚隔てた向こうで今、事務所の偉い人と新橋演舞場の偉い人が話をしてる。
呼ばれたのは久瀬さん。
例のインスタの件を白黒はっきりつけることになっていて、ただ変な混乱が起こらないようにトラビスさん含めて俺らメンバーはできるだけいつも通りに過ごすように指示が出ている。
その指示を無視して話し合いを盗み聞きしようとしてたのは俺と、意外にも新だった。

「横原くん、聞こえた?」
「うん」

久瀬さんは抵抗することなくインスタの件をすぐに認めた。
学生時代から梅田のことを知っていて、ずっと可愛いと思っていて、憧れていて、少しでも近づきたかったとのこと。
梅田晴って女の子が大好きで、“友達”って関係性とは少し違っていたと、本人は淡々と語った。
理由を聞いても全然ぴんとこなかった。
なんでなりすましなんかしたのか理解できなかったけど、新は腑に落ちたようで扉から耳を離した。
もう聞く気はないらしい。

「久瀬さんは、うめめになりたかったんだね」

その言葉に、俺もなんとなく腹落ちした。
そうか、梅田になりたかったのか。
梅田が見てる景色を写真に撮って、梅田が思うようなことを文字にして、たとえアンチコメントでも梅田本人のように扱われることが嬉しかったのか。
言葉の通り、“なりすまし”ってことか。

「…はぁー」

ため息を吐かずにはいられない。
そんな理由で梅田は危険にさらされてたのか。
そんな勝手な理由で大事な舞台を荒らされてたのか。
ぶつけたい思いは山ほどあるけど、これで終わるならもうそれでいい。
そう思って俺も扉から耳を離そうとした時、聞こえてきた声に冷や汗が滲んだ。

「…え?違います。それ私じゃありません」
「でもうちのメンバーが、衣装に着替えてる時にシャッター音が聞こえたって証言してるんだ」
「私、やってません。確かに盗撮はしてましたけど、着替えてる晴ちゃんなんて撮ってません。それ撮ってどうするんですか?晴ちゃんになりすましてたのに本人が着替えてるところ撮ってもなんの意味もないじゃないですか」
「じゃあ誰が?」
「知りません。というか、私が言うのもなんですけどそいつ悪質ですね。わざわざシャッター音鳴らして『盗撮してるぞ』ってアピールするなんて。私だったら絶対無音で撮りますけど」

「っ、」
「よこ、盗み聞きもう辞めたら、」
「まだ終わってない」
「え?」
「もう1人いる」
「どういうこと?」
「っ梅田は!?」
「さっきまでかげと一緒に、あれ?かげー」
「晴ならうどん食いに行った!」
「じゃあもってぃどこ?あいつ今どこにいる?」
「基は衣装部屋に、っ横原!?」
「あ、鈴木、ちょっといいか?昨日言ってたシャッター音の件なんだけど」
「あー、はい」

冷凍うどんは昨日食べ切ってる。
もう食べるものは何もない。
影山くんに嘘吐いてどこかに別の場所に行ったんだ。
衣装部屋までが遠い。
頼む、もう少しだけ待ってほしい。
その一言を言うのは待ってくれ。
昨日、あいつ変だった。
急にお礼言って、飴渡して、最後って線引いて。

『横原がどんな理由で見張ってるのか分かんないけど、とりあえず私を1人にしたくないんだなってことだけは伝わってる』

これは本当。
嘘じゃない。

『大丈夫、1人では帰らないから』

これも本当。
梅田は1人では帰らない。
じゃあ誰と?

『だから横原と一緒に帰るのは今日が最後ね』

俺以外の誰かと帰る。
グループの中じゃお姉さんぶって年上ぶって先輩風吹かせて弱いところを見せたがらなくて甘えようとしない梅田が、めちゃめちゃ疲れるストイックな舞台終わりに家まで一緒に帰ってほしいって頼める相手なんて1人しかいない。
もってぃしかいない。
昨日の夜、梅田はもう決めてたんだ。
もってぃと仲直りするって決めてたんだ。
仲直りして、また隣に並んで、2人で笑って歩いていくって、決めてたんだ。






お邪魔しまーす、って声を潜めて扉を開けたけど、返事の変わりに寝息が聞こえてきた。
今日は天気がいいから、昼夜間の衣装部屋はぽかぽかしてる。
いいお昼寝日和。
私もお昼寝したいくらいだって頭では思ったけど、その目は完全に起きている。
昨日、一睡もできなかった。
なんて伝えたらうまく伝わるのか分からなくて、どんな言葉を使ったらいいのか思いつかなくて、考えて考えて考えて、それでも決められなかった。
俊介に伝える言葉を、決められなかった。
でも先延ばしにしたくないし、これ以上最低な言い訳を続けることはしたくなかった。
だから自分で逃げ道を塞いだ。
今日、私は俊介に自分の気持ちを伝える。
受け入れてもらえたら一緒に帰る。
受け入れてもらえなかったら、1人で帰る。

「俊介…?」
「……」

名前を呼んでも俊介は起きない。
この前と同じように座って壁に寄りかかったまま寝ちゃってて、床に投げ出された手には本があった。
まるで栞のように指が差し込まれてる。
それをそっと抜き取って、一番最初のページに挟んであった紙の栞を挟んだ。

「……」

あの日、俊介が私に『好き』って言ってくれた時、俊介はどんな気持ちだったんだろう。
前から言おうと思って準備してくれてたのかな。
それとも衝動的に言ってしまったのかな。
どっちだったんだろう。
あとで聞いたら教えてくれるのかな。
私も教えるから、教えてほしいな。

「俊介」
「…ん、」
「ねえ、起きて?」
「……」
「…俊介、私ね、」

言葉より先に指先が触れる。
指先に触れたらもっと欲しくなる。
もっともっと欲しくなる。
だから私から指先を絡めた。
私から熱を求めた。
ねえ、お願い、聞いてほしい。
聞いて、届いて、この手を握り返してほしい。
欲しい。
『俺も好きだよ』が、どうしても欲しい。

「……好、っ!?」

ドキドキうるさくて止まらない自分の心臓の音しか聞こえてなかった。
願いを込めた指先の熱しか感じてなかった。
それ以外、なにもかも感じないような世界にいて、私と俊介しかいないと思ってて、そうであってほしいと思ってて、だから、突然のことに反応できない。

「ん、」

後ろから伸びてきた大きな手が私の口を塞いだ。
腰に回った腕に無理矢理引っ張られてハンガーラックの陰に引き摺り込まれる。
びっくりして、怖くて、逃げなきゃいけないのに身体が動かない。
どうしよう、怖い、助けて。
離れてしまった俊介に手を伸ばそうと視線を落としたら、見覚えのあるパーカーのロゴにハッとした。
私の身体を抱きすくめるこの腕、誰だか知ってる。

「…んー、んー」
「梅田、黙って」
「ん、」

耳元で聞こえた声に動けなくなってた身体が軽くなった。
やっぱり横原だ。
自作で作ったパーカーの袖には決まってこのロゴがついてる。
どういうつもりなのか全然分からなくて口を塞いでる腕をパンパン叩いたけど横原は力を緩めない。
むしろさっきより強くぎゅうって抱きすくめたまま、さらに奥に下がった。

「力抜けよ」

こんな状況でよくそんなこと言えるね!?
どういうこと?なにがしたいの?
聞きたいことばっかりなのに、抵抗する前に足音が聞こえてきた。
ドスドス、心なしか焦ってるような音。
それは横原が開けっ放しにしてたであろうこの部屋の扉の前で止まって、近づいてくる。
後ろから私を抱きすくめてた横原の力が強くなった。
ぎゅうって、強い。

「んー、ん、」
「お前、あいつに盗撮されてんの」
「っ!?」

待って、え、今、なんて言った?
嘘だって言ってほしい。
でも、耳元で聞こえる横原の声は本気だった。
ハンガーラックの隙間から顔が見える。
馴染みのスタッフさんだった。
新橋演舞場から参加してくれてるカンパニーの仲間だった。
当たり前だけど、毎日のように話してる。
信じられなくて、怖くて、横原の考えすぎじゃないのって思ったけど、その人は大きく開いた目で衣装部屋をぐるっと見渡した。

「…チっ!」

舌打ち、イライラした足音、胸ポケットから不自然に飛び出したスマホのカメラ。
おしりのポケットにカッターが入ってるのが見えて、ひゅって息を吸い込んだ。
仕事で使うのかもしれない、なにか用事があって私を探してるのかもしれない、なにも怖いことなんてないのかもしれない。
でももし、もしあのカメラがずっと回ってたら?
横原が来てくれなかったら?
俊介と2人でいるところを撮られてたら?
会話を、全部聞かれてたら?
悪い想像ばかり浮かんでしまってまた身体が固まる。
それを安心させるみたいに横原がまたぎゅうって力を強くした。
スタッフさんがいなくなると、今度は焦った顔した椿くんが入ってくる。

「っ基!いた!起きろって!寝てる場合じゃねえから!」
「うわ!びっくりした、え、なに?」
「うめめ見なかった!?」
「見てないけど、」
「じゃあとりあえず来て!大変なことになってるから!」
「なになになに?」

状況も分からないまま俊介は椿くんが連れていって、衣装部屋の扉を閉めたら外の喧騒が遠くなる。
いつもの昼夜間とは違うこの空気、なにが起こってるのか、目の前で何が起こったのか分からない。
抱きすくめてた腕の力を緩めた横原は、私の腕を優しく叩いた。
いつのまにか、横原の腕をぎゅっと掴んでた。

「全部説明するけど、大きい声出すなよ。しばらくここに隠れてた方がいい」
「ん」
「梅田がここにいること、リーダーに連絡するからちょっと待ってて」
「ぷはっ、」

塞がれてた口が解放される。
一気に空気が吸えるようになったのに、浅い呼吸しかできない。
まだ肩が強張ったまま。
横原は、スマホで連絡してる間も私の腰に回してた手を離さなかった。
ぎゅうって、離さなかった。

「…なんとなく、理解してる」
「…うん」
「あのスタッフさん、私のこと盗撮してた?」
「うん」
「新橋演舞場公演始まってからずっと?」
「たぶん。まだ確証がないけど、今問い詰められてると思う」
「ずっと…」
「あいつだってわかったのはさっき。だから捕まる前に梅田になんかするんじゃないかって思って、」
「守ってくれてた?」
「っ、」
「横原がずっと、今だけじゃなくて、新橋公演始まった時からずっと、私のこと守ってくれてたんだよね?」

答え合わせだ。
普段だったら絶対しない横原の行動の、答え合わせ。
おかしいと思ってた。
なにか理由があると思ってた。
横原が理由もなく私を見張るはずないって、四六時中一緒にいるはずないって、絶対なにかあるって分かってた。
でも、それがこんな、こんな優しい理由だったなんて思わなかった。
くるって振り返ったら、遂にバレたって気まずい顔した横原と目が合う。
その目は、どんなこじつけでも無理矢理にでも私と一緒にいようとしてた横原と同じ目だ。
心の底から心配してる目。

「否定はしない」
「…ぐす、」
「え、ちょ、待って、待って嘘、全力で否定する、守ってない、俺が嫌がらせしてただけ、困らせてやろうかなって思って、あー、うん、そう、嫌がらせ」
「嘘、」
「嘘じゃない、ほんとに、守ってない、あー、あーあーあー、ほんっとに頼むから泣かないで、」
「ごめん、私、全然知らなくてひどいことばっかり言った、うざいとかめちゃくちゃ言ったし、メンバーにも横原うざいって愚痴ちゃった」
「いや、それは別にいいけど、実際うざかったと思うし、」
「ごめん、ごめんなさい、うぅ、」
「あ、え、っあー!アイシャドウ持ってる?」
「持ってないよ、化粧台に置いてある、」
「ええー、ちょ、あ、……はぁー、ほんとに、泣くなって」
「よこはらごめん、ごめんね」
「わかったから泣くなよ」
「私、最低な馬鹿野郎じゃん、この世で一番最低、」
「泣くなって、晴」
「ぐすっ、」
「……俺、晴に泣かれるのが一番きつい」
「っ、」
「俺にごめんって思ってるなら、ありがとうって言って笑ってよ」

そんなこと、横原に言われると思わなかった。
横原の優しい気持ちに対して、自分勝手なイライラで最低なことをした自分が嫌で嫌で仕方がない。
盗撮に気づけなかった自分も悔しくて消えてしまいたい。
申し訳なさと後悔と怒りで涙が止まらないけど、そんな私を見て横原は眉を下げて泣きそうな顔してた。
泣きそうな顔で私をじっと見つめたから、鼻を啜って涙を拭う。
これ以上泣いたら、横原が泣いちゃいそうだった。
鼻声で精一杯の『ありがとう』を伝えたら、安心したように息を吐いた。

「今、メンバーとかマネージャーさんが動いてくれてるから犯人は捕まると思う。スタッフさんのチェックとかセキュリティとか、もっと強化されるって。だから梅田はもう安心していいから」
「うん」
「…まだ怖い?」
「っ、」
「震えてるから」
「…うん、ちょっと怖い。でも大丈夫。カンパニーメンバーにそういう人がいたっていうことにびっくりしてるだけ。落ち着いたら大丈夫」
「今日、送ってくわ」
「ううん、大丈夫。昨日も言ったけど今日は、」
「もってぃはだめ」
「…え?」
「もってぃとは帰さない。俺が送ってく」
「え、あ、いや、別に俊介は関係な、」
「梅田、…もってぃに『好き』って言うな」

ねえ、涼太くん。
やるなら殺すつもりでぶん殴れって教えてくれたよね?
2回も教えてくれたよね?
じゃあ、こういう時、どうしたらいいの?
殺すつもりでぶん殴らないといけない相手が大事なメンバーだった時、どうしたらいい?


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