ご所望通りにっていう話



久々に入ったビルの空気に懐かしさを感じて大きく吸い込んだ。
緊急事態宣言中の自粛期間が終わって今日、やっと8人が揃うことになる。
リモートで画面越しに顔見てたって言ってもやっぱり直接会えると嬉しい。
その証拠に、偶然駅であった横原と思わず握手しそうになった。
しなかったけど。

「うわー、なんか久々じゃね?」
「緊張するわ」
「なんで?緊張はしなくね?結構テレビ電話してたし」
「そうだけどさ…。どうする?誰かめっちゃ変わってたら」
「あー、椿くんとか?まじでバッキバキになってそう」
「椿くんは絶対なってる」
「でも椿くんくらいじゃない?他の人はそんなに変わんな、……」
「横原?」

急に横原が足を止めたから俺も立ち止まった。
言葉が出なくなった横原はその大きな目を瞬きもせずに見開いてて。
なんか見つけた?って思って視線の先を追うと、事務所のビルの一室に奏を見つけた。
楽しそうににこにこ喋ってて、いつもと同じように相手と距離が近い。
それだけならまあ全然気にしないんだけど、問題は相手だ。

「え、彼女?」
「ちょ、がちゃんこっち」
「え、」

横原に腕を引っ張られて壁に隠れて2人の様子を伺う。
こっちに背を向けて顔が見えない女の子は奏の話を聞きながらコクコクって何度も頷いてる。
その度にツヤツヤした長い髪に光が反射して、くすくす肩が揺れててめちゃくちゃ楽しそう。
すごくいい雰囲気に見えるけど、ここはカフェでもなんでもない。
事務所の一室でこれから俺らメンバーで打ち合わせがあるのになんてことだ。
横原はまるで探偵気取りで、スマホでかしゃかしゃ隠し撮りを始めた。

「スタッフさんじゃない?」
「あんなスタッフさん見たことある?」
「いや、ないけど。新しい人かも」
「さっきから奏がタメ口で喋ってんだよ。スタッフさんじゃないな」
「じゃあ誰?」
「ガチで彼女じゃね?」
「もし万が一彼女だったとしてもここに連れてくる?」
「連れてこないと思うけど、っあ!」
「なに?」
「奏が髪触った」
「…それはもうアウトじゃん」
「黒だな」
「真っ黒」
「なにが真っ黒?」
「うわあ!」
「びっくりした」
「なんだよもってぃかよ!」
「2人ともなにしてんの?」
「ちょ、こっち」

ちょうど今きた基くんが、壁に隠れた俺ら2人を白い目で見てたから横原が壁際に引き摺り込んだ。
これで覗きが3人になる。
呆れながらも基くんも2人を覗き込んだけど、表情は落ち着いていた。

「あれ、奏の彼女」
「確定させんな」
「彼女?ないない」
「あやしくね?仮にスタッフさんだったとして、あんな距離近く喋る?しかもめっちゃ触んの。ほら!今も髪触った」
「仲良いからでしょ?」
「だから彼女なんじゃない?」
「ないない。そんなに気になるなら聞けば?」
「え、」
「奏ー?」
「ちょ、もってぃ!?」

横原の制止も聞かずに基くんは大きな声で奏を呼んでしまった。

「基くん、おはよー、あれ?大河くんとよこぴーなにしてんの?」

女の子がくるって振り向いた。
長い髪が揺れて、こっちをじっと見る目がぱちぱち瞬きを繰り返した。
黒マスクで顔半分が隠れてても誰かわかる。
見慣れてるはずなのに、その姿は初めて見た。

「梅田!?」
「晴か」
「あははは、横原どうした?声裏返ったけど。大河と俊介おはよー」
「え、は、はあ!?なんだよ梅田かよ!俺とがちゃんの盛り上がり返せって!」
「なんか意味わかんない理由でキレられてるんだけど。不満」
「横原が、奏が彼女連れてきたって騒いでた」
「連れてくるわけないじゃん」
「よこぴー、すごい勘違いだね」
「いやいやいや!お前らめっちゃ距離近かったから!カップルみたいだったから!」
「そう?仲良いだけじゃない?」
「これどうなってんの?ウィッグ?」
「ううん、エクステ」

晴が『触る?』って頭をこっちに向けたからその髪に触れると、たしかに少しだけ違和感。
でも触らないとわからないくらいに地毛に馴染んでて、どこから見てもロングヘアの女の子になっていた。

「すごいね」
「似合う?やっぱり微妙?」
「全然見慣れない」
「あははは、だよね。ずっと短かったもんね」
「でもいいんじゃない?似合うよ」
「お、やった。大河に褒めてもらえると思わなかった」
「いいと思うよ、うん、普通に。…かげはあんまりかもだけど」
「ねー、影山は『晴っぽくない』って言いそう」
「梅田だって全然わかんなかった…、え、てかなんで?なんでロングにしたの?」
「うーん、気分?ステージ立つときはずっと髪型変えてなかったけどコロナでステージ無くなっちゃったし。たまには試してみようかなーって思って」
「俺はめっちゃ好きー。うめめロングも似合うよ」
「ありがとう、嬉しい。奏は優しいねー」
「ほらそれ!奏がそうやって頭撫でるから勘違いするんだって!」
「ほんとに付き合ってたらちゃんと言うし。てか俺未成年」
「未成年とは付き合えません」
「そこは真面目」
「私、大人ですから!」
「顔はめっちゃ童顔のくせに」
「うるさーい」
「でもロングのうめめ、ちょっと大人っぽいよ?」
「ちょっとだけな」

昔から衣装が好きで、衣装での魅せ方に拘ってて、その反動なのか髪型はあんまり変えなかった晴が、自粛をきっかけに髪型を変えた。
ここまで大きな変化はもしかしたら事務所入って初めてかもしれない。
髪型は見慣れないのにくしゃって笑った顔はいつもの晴で、それでもどこか別人みたいに見えて、横原が唖然とするのも無理はない。

「梅田、そろそろ時間」
「あ、そうだった。行こっか」
「なになに?もう打ち合わせ始まる?」
「ううん、私と俊介だけ別の打ち合わせあるの。みんなはまだ大丈夫だよ」
「だからもってぃこの時間にいたのか」
「いつもギリギリなのに」
「そんなことないって。いつもギリ間に合ってるから」
「ギリな」
「あ、影山と椿くんと新には髪のこと内緒にしてね!あとで驚かすから!」
「OK」

ぐって親指を立てた奏を見て満足そうに笑った晴は、手を振って基くんが開けてくれてたエレベーターに乗り込んだ。
2人の姿が消えてふぅーって息を吐いた横原が、ふと気付いて顔を上げる。

「もってぃ、梅田の髪に全然驚いてなかったよね?」
「あー、そういえば」
「なんで?」
「……なんでだ?」






「俊介ご所望のロングです」
「……本気にすると思わなかった」
「えへへ、そう思ってると思ってた」
「だからやったの?」
「だからやったの」
「うわー、もう、やられたわ。悔しい」
「俊介の反応、めっちゃ面白かったなー。もう満足です」

梅田がニヤニヤした顔で俺を覗き込んできたから顔を逸らしたけど、くすくす笑う声が耳に入ってきて頭を抱えた。
ほんの冗談のつもりだった。
本気にすると思わなかった。
自粛期間中にリモートで打ち合わせしてて、美容院に行けないから髪伸びたねーなんて話になって。
ほんの出来心で、『ロングも見たい。もっと伸ばしてみたら?』って言ってしまって。
『すぐ伸びないからエクステがいいかもー』なんてケラケラ笑ってて、まさか本気でしてくると思わなかった。
昔からずっとショートで、髪型にあんまり興味ないことも知ってて。
だからなにかきっかけがないと他の姿は見られないと思ってた。
コロナ禍の中でみんなできることを探して、その中で見たことない姿を見ることができて。
これもそのひとつなのかもしれない。
チラッと視線を向けたら梅田と目が合って、マスクの中でぐっと唇を噛み締めた。
こてんって首傾げたから、なんとなーくコメントを求められているような空気になってしまって。

「あのさ、」
「あ、感想はいらないから」
「え、」
「俊介が、……『可愛い』って言わないの知ってる」
「……」
「そういうこと言わないの、知ってるから大丈夫。変に期待してないよ」

“そういうこと”に含まれる言葉を俺は何個持ってるんだろう。
可愛い、似合う、綺麗だ、嬉しい、……好きだ。
そんなたくさんの言葉を、伝えられずにずっと俺の中で溜まり続けてることを梅田は知っている。
言わないことを責めることも求めることも待つこともせず、ただなんとなくその言葉を感じ取って自己完結してる。
それに不満なんてない。

言わない。
聞かない。

クリエCとしてステージに立つって決めた時から、これは2人の暗黙の了解だった。

「この髪も自己満足だもん。俊介が勧めてくれたのはきっかけで、やるって決めたのは私だし。うん、だから、なにもいらない」
「じゃあためとく」
「っ、」
「いっぱい、ためとくよ」

俺が一歩近づいても梅田は逃げなかったからその長い髪に触れた。
奏が触れてたみたいにさらっと上手くは出来なくて、震えた指でその頭をぎこちなく撫でる。
耳が赤い。
そこに触れて、撫でて、聞こえないように手で覆い隠すと梅田がじっと俺を見つめた。
目を逸らさなかった。

好きだ。

そう言っても、口を覆うマスクが、耳を覆う俺の手が、その言葉が梅田に届かないように阻む。
これでいい。
これがいい。
いつかきっと、これじゃ嫌だ、になるから。
今はいいんだ。


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