016



誤算が2つあった。
1つ目、課題が終わってないっていうのは話すきっかけ作りだと思ってたら、影山の羊皮紙は本当に0pだったこと。
2つ目、課題提出前の図書室は混んでいて、ルイースがいる集団の近くの席しか空いてなかったこと。
以上2つの誤算によって、影山と会うのはたまたま授業で使われていない空き教室になった。
今回のポイントになる箇所を開いた本を広げながら補足説明すると、影山は必死に羊皮紙にペンを走らせていく。
その様子をじっと見ながら、熱くなる顔をなんとか隠そうとした。
髪が濡れてる。
シャワー浴びて急いできてくれたのか、ちゃんと乾いてない。
乾かす魔法を使えばいいのにって思うけど、影山みたいなマグル出身の人は魔法を使うのが私たち程日常生活に馴染んでいないことを“Wildfire”に入って知った。
基は魔法を使わずにお茶を入れるし、椿は魔法を使わずに筋トレするし、大河は魔法を使わずに服を縫う。
あ、頭かいた。
制服のシャツのボタンも全部閉まってないし、セーターに突っ込んだネクタイは緩いままだ。
うーんって悩む目は今は羊皮紙を見てるけど、この前は私を見てた。
熱さも恥ずかしさも全部、影山のせいだ。

「……」

謝るタイミングをずっと探してる。
今だけじゃなくて、ずっと、あれから毎日探してるけどそのタイミングを掴めていない。
皆の前で謝るようなことじゃないし、かといってわざわざ呼び出す話でもない。
こういうのはさらっと謝ったらいいって分かってるんだけど、“さらっと”で済むタイミングはとっくに過ぎてしまった。
だから、変なタイミングで強引に言ってしまう。

「エマ、これってさ、」
「ごめん」
「え?」
「影山、ごめんなさい」
「え、なにが?あ、もしかしてここってエマもわかんなかった?」
「ううん、課題のことじゃなくて。この前、魔法使ってごめんなさい。頭打って痛かったよね?」
「この前…、っ、」

影山の顔が赤くなって口元を隠したけど、きっと同じくらい私の顔も赤いと思う。
肌に触れられた記憶をなんとか頭を振って誤魔化して、謝罪の気持ちを言葉にしていく。
影山が羽ペンから手を離したら羊皮紙にインクが飛んでしまった。
目を合わせられないから、その飛び散ったインクをじっと見つめることしかできない。

「びっくりして魔法使っちゃったんだけど、使うつもりはなかったの、本当に、嘘じゃないよ、私、感情がぐわって上がると魔法使うつもりなくても暴発しちゃうことがあって、」
「ごめん!!!」
「え?」
「俺が先に謝るべきだった!ごめん!だってあれは俺が悪いじゃん!100パー俺が悪い!エマが嫌がることしたんだから、痛い思いするのは当然だよ!魔法とか関係ない!」
「でも、傷つけていい理由にはならないよ。私は“盾”の荻町家の、」

言葉が止まる。
机の上に置いてた私の指先を影山がつんつん突いてた。
優しく、でも確実に熱を持って。
顔を上げたら口がへの字になった影山と目が合った。
不機嫌とも違う、嫌いとも違う、どこか悲しい顔をしていて、なんでそんな顔をしているのか分からなかった。

「エマ」

名前を呼ばれてハッとする。
私、なんて言おうとしてた?
『私は“盾”の荻町家の当主だから、たとえ正当防衛でも傷つけちゃいけなかった』?
違う、そうじゃない。
影山はそんな答え望んでない。
影山は、“荻町”じゃなくて“私”を見てくれる人だから。

「ううん、違う」
「……」
「“私”が、影山に魔法を使ってしまったことを謝りたかった。言葉で拒否しても影山は聞いてくれる人なのに力を使ったのは良くなかった」
「謝んないでくれよ、俺が悪いんだから」
「うん、影山が悪い。そもそもはそう。でも私も悪い」
「ううん、ごめん」
「急に触られて嫌だった」
「ごめん!……でも、綺麗だった」
「っ、」

思ってもみなかったことを言われて、咄嗟に手を引っ込めてしまった。
影山の指先は机に残ったまま。
私の指先はもう、膝の上できゅっと握りしめている。
影山は私を見ない。
あの時、月明りの下で私に触れた右手の指先を擦り合わせながら、笑った。

「エマの背中には青い炎があった。俺はすごい綺麗だと思った」
「……変な人。そんなふうに言われたことないよ」
「誰かに見られたことある?」
「悠毅と奏は見たことあるよ。すっごい小さい時だけどね。2人とも優しいから『痛くないの?』って心配してくれてた」
「どっかで怪我してできたの?」
「ううん、生まれつき。生まれた時からずっとあるんだよ」
「生まれつき…、ずっとある…」

ずっとずっと私の背中にある青い痣。
痛くもないし何かの呪いでもない。
魔法で消せないこともないけど、消すつもりはなかった。
広い荻町家の真ん中にある暖炉の前で、家族3人が集まって紅茶を飲む。
暖かいブランケットは山ほどあるのに、私はいつも2人にくっついて離れなかった。
今はいないお父さんとお母さんが、何度も痣を撫でながら笑うの。
背中をトントンって優しく叩かれて、いつのまにか眠ってしまう冬の夜。
あの瞬間だけは、“荻町家”じゃなくて普通の家族だった。

「『まるで炎みたいね』って、お父さんとお母さんが言ってくれてた。私のことを普通の娘として大事に抱きしめてくれてた」
「……」
「影山は同じこと言ってくれるんだね。嬉しい。すっごく嬉しい」

私は今、どんな顔をしてるんだろう。
今攻撃されたらなにもできないくらい緩んだ顔をしているんだろう。
“盾”のことなんか頭から抜け落ちている。
自分が荻町エマであることなんて忘れてしまっている。
でも、影山はずっとそうだった。
影山は、私のことをずっと“エマ”として見てくれてた。
“荻町”として見たことは一度もなかった。

「なあ、ルイース、荻町落とせた?」
「まだ。あいつ全然靡かねえんだよ。てかどこにいるんだ?」
「こっちにいるって聞いたんだけどな。見つかんない」

「っ、」

廊下から聞こえてきた声にパッと顔を上げた。
ルイースだ。
なんで?
図書室にいたはずじゃ?
靴音が近付いてくる。
ルイースに会ったらまた誘われるに決まってる。
何度断っても、ルイースは荻町家のコネを利用したがるんだ。

「オブスクーロ(目隠し)。エマ、こっち」
「え、」

杖を一振りしたら机の上にあった魔法史の課題が消えた。
影山が魔法を解くまでここに課題があったことは見えなくなる。
ぐいって手を引かれたと思ったら、影山は机の陰にしゃがみ込んで私を隠すように抱きしめた。
一気に近づいた距離にびっくりして声をあげそうになったけど、ガラって教室の扉が開いたから咄嗟に言葉を飲み込む。
ルイースとその取り巻きが入ってきた。
オブスクーロを私と影山にかけたら姿は隠せるけど、こんな静かな教室じゃ声で気づかれる。
詠唱破棄して魔法をかけたいけど、私の杖はローブの内ポケットの中だ。
影山に抱きしめられたままじゃ取り出せない。

「ここにもいないか?くそ、どこだ?」
「ルイース、熱くなりすぎじゃない?そんなに荻町のこと好きなの?」
「本気で惚れた?」
「まさか。家目当てに決まってんだろ。あの荻町家だぞ?没落寸前とはいえ魔法界じゃ知らない奴はいない。魔法省にだってグリンゴッツにだってクディッチワールドカップにだってコネがある。そこの当主と結婚しちまえば将来は安泰だ」
「結婚はまずいだろ。自分が当主になるってことだぜ?当主になったら荻町と同じように“盾”?になって戦わなきゃいけない」
「誰がそんなことするかよ。好き好んで他人のために命かけて戦うわけないだろ。頭おかしいんだよあの家は。何をしてでも他人を守るなんて、異常だ」
「うわ、辛辣」
「本当にお前は家目当てなんだな」

心臓がぐりって抉られた。
唇を噛みしめたら痛くて痛くて仕方がないのに、力が抜けない。
ずっと、身体が固まったまま。
ルイースになんて思われようとなにも感じない。
今までだってルイースと同じような奴はたくさんいた。
たくさん言われてきた。
いちいち傷ついてる暇なんてない。
ルイースがなんと言おうと荻町家はそういう家で、“盾”とはそういうものだから。
じゃあなんでこんなに心が痛い?
なんでこんなに涙が出そうなの?

「あいつら、行ったみたいだな」
「……」
「エマ…?」

答えは簡単で、明白で、確実で、否定しようもない。
外野の言葉なんてどうでもいい。
いつ誰に批判されたって構わない。
でも、でも……、

「…影山もそうなの?」
「え?」
「私のこと、そう、思ってる…?」

どうしよう、嫌だ、自分がこんなに弱いなんて思わなかった。
さっき、影山は私のことを“エマ”として見てくれるって思ったばっかりなのに。
影山は家柄で判断するような人じゃないって思ったばっかりなのに。
こんなにも些細なことで不安になる。
もしかしたら影山もルイースと同じ考えなんじゃないかって。
いつかルイースと同じような目で私を見るんじゃないかって。
私のことを異常だと思ってるんじゃないかって。
不安がどんどん大きくなっていく。
怖い。
影山のローブをきゅっと握りしめたら、背中に回ってた影山の手がトントンって優しく叩いた。

「思ってないよ」
「っ、」
「俺はルイースとは違う。そんな狡賢い気持ちじゃない。本気だよ」
「……え?」
「本気で考えてるし、本気で想ってる」

そ、れは、え、どういう意味?
たぶん、私が聞きたかったのはそこじゃない。
荻町家のことを異常だと思われてたらどうしよう、”盾”のことを頭おかしいって思われてたらどうしようって、そう思って、怖くなって、だから聞いたのに。

「エマ」
「はい…」

机の影に隠れたまま影山が正座したから私も正座して背筋を伸ばした。
窓から夕陽が差してる。
その光が影山に当たって、キラキラ光ってる気がした。
目が合ったらもう逸らせない。
名前を呼ばれて理解した。
そうだよ、影山は私の家のことなんて気にしてない。
だから私が『ルイースみたいに、自分の家のことを異常だと思われてたらどうしよう』なんて不安に思ってることに影山は気づかない。
だって影山にとって私は、”私”だから。
家のことなんて関係ないから。
影山が断言したのは家のことじゃない。
ルイースが私に向ける感情について、自分は違うと、本気なんだと。
そう、伝えてくれたんだ。
ああ、どうしよう、また怖くなってしまった。
心臓が今まで感じたことないくらいドキドキしてる。
酸素と一緒に魔力がぐるぐる回ってる気がする。
気をつけなきゃ暴発しそうだよ。
心臓が、きゅうってなってる。

「エマ、……俺とクリスマスパーティーに行こう」
「え?」
「俺はエマと行きたい。エマがルイースとか横原とか奏とか、俺以外のやつと行きたいって思ってても、俺と行ってほしい。俺はエマ以外は誘わない」
「……」
「2人で行きたい。エマじゃなきゃだめだ」

暴発、した。
ぽんって耳元で音がして私の肩に花が乗った。
それは真っ赤なダリアで、香りがぶわって広がる。

「え?」

影山がびっくりして目を見開いたけど、お構いなしに『ぽん!』『ぽぽん!』って音が鳴る。
ダリア、ヒマワリ、キキョウ、コスモス、ネモフィラ、ユリ、スイセン…。
数えきれないくらいの花が突然空間に現れてどんどん私に降り注ぐ。
止められない、止まらない、なんでこんなことになってるのかわからない。
でもたぶん、私の魔力が暴発してるんだ。
怒りでゴブレットが割れるのと一緒。
きゅうってなった心臓に耐えられなくて、影山が真っ直ぐ見つめる熱に耐えられなくて、溢れちゃった気持ちが花になって降ってきたんだ。

「ご、ごめん!どうしよう、ああ、またダリアが、あ!コスモス、」
「っあはははは!」
「笑わないでよ!魔力収まったら消えるから!」
「そのままでいいよ。やっぱりエマはすげぇな!こんか綺麗な花出せるんだな!」

花は止まらない。
私の頭にも肩にもローブにも花が降り積もってて、ずっと消えずに残ってる。
暴発が止まったら消えると思ってたのに全然消えない。
影山が私を見てるからだ。
心底嬉しそうな顔で私を見て、ニカって満面の笑みで笑うからだ。
ほらまた、花が咲いた。
今度は影山にも降り注いでいる。

「……私だって一緒に行きたいよ」
「じゃあ、」
「ごめん、行けない」
「なんで?」
「私はクリスマスパーティーには出ないし、その日ホグワーツにいないから」
「え、そうなの?」
「うん。私だけじゃなくて、悠毅も奏も新もいないよ。12月24日も25日も、みんなホグワーツにはいない」

クリスマスパーティーに浮き足立つみんなを見ながら羨ましく思ってた。
好きな人を誘って、好きな人から誘われて、綺麗なドレスを着て、1番可愛い自分でその手を握るのを何度も想像した。
でもその日、私はここにはいない。
誰の手も握らない。
私はその日、自分で自分の手を握って大人になるんだ。



backnext
▽今夜、愛を噤むそのわけは▽TOP