020



「っ、いって、」
「お兄ちゃん!?」
「はは、そう呼ばれるの久々じゃね?」

背中のローブをぎゅっと握ったのが伝わってきたけど、後ろを振り向くほどの余裕はない。
なにが起こった?
冷静になれ。
男が笑った瞬間、袖口から緑の光が溢れて空気が爆発した。
その衝撃音が大きくてまだ耳がキーンってなってる。
視界は薄ら緑色になった煙でいっぱいで、会場全体の様子が分からない。
新が目をつけた男は何かを企ててたようだ。
必死に目を凝らして煙の中で仲間を探す。
新、エマ、奏は無事か?
あいつが放った緑の光はなんだったんだ?
背中から身じろぎする音と呻き声が聞こえる。
もう何年も聞いてなかったけど、親の声って覚えてるもんだな。

「悠毅、お前、」
「杖構えて。奴がどこにいるかわかんないから」

男がなにか仕掛けたって理解した時、咄嗟に動いた身体は新でもエマでも奏でもなく、自分の家族を守ってた。
背中に両親と姉と妹。
この会場にいた人の中で一番大切な存在。
不思議だよな、俺勘当されてんのに。
でも、家族を守らなきゃって思ったんだ。

「…けほ、」

奏の声が聞こえた。
煙が充満する中で床に伏せる奏と奏を守った従者1人を見つけて少しだけ安堵する。
さすが荻町家の従者、咄嗟に守ったな。
あとはエマと新。
だんだんと煙が渦を巻いていく。
ぐるぐる回って会場全体の緑色を吸っていくその中心に、あの男が立っていた。
足元には新と、新を庇うように覆いかぶさったエマ。
2人とも杖は構えてるけど息が荒い。

「けほけほっ、」
「エメラルドの杖、…あなた、カリム家の長男ね。三男が事件を起こしてカリム家は闇祓いに捕まったはず」
「愚弟のせいで家族みんな捕まったよ。だから長男の私がその尻拭いにきた」
「どうやってここに入ったの?招待状は送っていない」
「忘れたか?カリム家は自ら魔法を作り出す一族だぞ」

顔が剥がれる。
いや、顔だけじゃない。
身体も髪もどんどん剥がれていって、さっきの男とは似ても似つかない男に姿が変わった。
鼻と口がカリム家の三男にそっくりで兄弟というのは頷ける。
ただ、目つきは信じられないくらい鋭くて憎しみに溢れている。

「っ、」

カリムに杖を向けたエマの指先が震えてる。
震えて、苦しそうに息を荒げて、尋常じゃないくらい汗をかいてる。
いや、エマだけじゃない。

「うっ、」
「っなにこれ、」
「はぁ、はぁ、くるし、」

息が苦しい。
俺らだけじゃない。
会場にいる人みんな喉を抑えて苦しそうに悶えてる。
なにが起こった?
ズキズキする頭で考えるより先に、“それ”は発症した。

「きゃあああ!!!」

会場で上がった悲鳴に振り返ると女性が襲われてた。
襲ってる男の様子には見覚えがある。
これは呪いだ。
ホグワーツで感染爆発した呪いだ。
理性を失って涎を垂らしながら人を襲う姿はまるで獣。

「お前、あの呪いをここで使ったのか!?」
「信じられない!」
「発症には個人差がある。今は辛いだろうが、君たちも発症したらすぐ楽に、」
「ステューピファイ(麻痺せよ)!」
「っ!?」
「レダクト(粉々)!」
「プロテゴ(護れ)!」
「エクスペリアームス(武器よ去れ)!」
「エマ…」

嘘だろなんで普通に動けてんだよ。
呪いを受けた俺も新も奏も、息が苦しくてまともに立てそうもないんだぞ。
なんで普通に動いて魔法が使える?
赤いドレスが舞ってる。
発症した人と襲われる悲鳴と苦しい煙の中で、エマが戦ってる。
攻撃魔法を畳みかけて壁際にカリムを追い込んだエマは杖先を喉元に突き刺した。

「こんなことする狙いはなに?」
「……」
「言いなさい。なにがしたいの?」
「……復讐だよ」
「……」
「私達が作った新しい魔法を評価しなかった家の当主や魔法省の役人がここに来ている。だから復讐するにはもってこいの日だ。ここにいる全員に思い知らせてやる。カリム家の魔法がどんなに素晴らしいか、思い知らせてやるんだ!」
「そんなことに意味はない。すぐに闇祓いが来てあなたはアズカバン行きだ」
「呼べるのか?」
「っ、」
「ここに闇祓いが呼べると思っているのか?本当に?荻町エマ、呼べるもんなら呼んでみてくれ」
「……」
「呼べないだろ。呼べるわけない。今、ここは結界で守られてる。この中でどれだけ暴れようが何人死のうが誰にも気づかれない。闇祓いは来ない。助けを呼ぶか?いいのか?結界がなくなったら呪いにかかった奴らが放たれるぞ?関係ない人間が大勢襲われるぞ?」

くそ、奴は全部分かってる。
奴の言う通りだ。
結界がなくなれば呪いにかかった感染者が外に出ていってさらに被害が拡大する。
人々を守る“盾”の一族がそんなことできるはずはない。
じゃあここで呪いを止められるか?
それも無理だ。
招待客は要人ばかりで、絶対に殺せない。
感染者を殺さずに止める方法を俺たちは知らない。
ホグワーツの時のように呪いを解くためには闇祓いに来てもらわなきゃいけない。
無理矢理気絶させるしかないけど、ここにいるのは実力者ばかりでそう簡単に気絶してくれるとは思えない。
やばい、頭痛い、喉熱い。
きっと俺も呪いにかかってる。
いつ発症するか分かんない。
それは、エマも同じだ。

「そうね、あなたの言う通りかも。……セクタムセンプラ(切り裂け)」
「うわぁ!?」

静かに唱えられた呪文によってカリムの右腕が切り裂かれた。
血が溢れ出して、びくびく震えて、きっともう杖は握れない。
いくら睨まれてもエマは表情を変えない。
エマが杖を一振りしたら俺の息が少しだけ軽くなった。

「少しだけ楽になったと思うけど、気休め程度」
「エマ、」
「叔父様、私が前に出ます。叔父様は絶対に死なないでください。あなたがいなくなったらここは守れません」
「……」
「奏、新。丸投げごめん、結界を破らずに外に連絡する方法を考えて」
「そんなのどうやって、」
「ごめんわかんない。でも、お願い。…悠毅、」
「いいよ」
「っ、…ありがとう」

悲鳴が聞こえる。
ずっと鳴り響いてる。
俺のローブを掴む小さな手のひらは妹のもので、立ち上がろうとした腕を掴んだのは両親の腕だった。
姉が鼻を啜った音は聞こえてたけど、聞こえないふりをした。

「悠毅…!」
「お前は行くな!死ぬかもしれないんだぞ!?」

勘当しておいてここで止めるのはなしだろ。
ずりいよ。
こんな土壇場で息子のこと心配する親みたいな目で見ないでくれよ。
俺の名前を呼ぶその声も、その手の温かさも、その涙も、組み分けで赤いローブを着た時に諦めたんだ。
今俺が持ってるのは、赤いライオンの正義なんだよ。

「…ごめん」

エマがヒールを脱ぎ捨てた。
邪魔そうな髪を適当に結わいて『ふうー』って息を吐いたから、俺もドレスローブを脱ぎ捨てる。
いつ助けが来るか、いつ発症するか、いつ殺されるか分からない状態。
守らなきゃいけないのは自分の身だけじゃない。
ここにいる人を1人でも多く守る必要がある。
荻町家の当主として?横原家の長男として?“Wildfire”として?
あー、わかんなくなってきた。
とりあえず、これ終わってから考えたらいいよな?
今はただ、全部を守ろうとしてる友達と一緒に戦いたいって思いだけでいいよな?

「レダクト(粉々)!」
「エクスペリアームス(武器よ去れ)!」


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