独り占めの春

「ディルック様。その……私用で暫く休暇をいただきたいのですが、よろしいでしょうか」
 いつものように並んで朝食を食べている最中、レティシアは言い出しにくそうに休暇を申し出た。彼女が自ら休みの希望を言い出すのは珍しく、何事だと手にナイフを持ったまま数度瞬きを繰り返す。どこか体調でも悪いのか、いくつか思考を回すものの私用だと言うのだからそうではないのだろう。体調が悪いのなら悪いと彼女ならはっきり言うはずだから。
 彼女とは体調不良は隠さず伝えるよう約束を結んでいる。それから僕との約束事は決して破らない、破る可能性が少しでもあるようならば最初から約束しないこと。旅中に簡易的に定めたことであったが、彼女は今もずっとそれを守り続けている。そんな彼女だからこそ僕は信頼を置くことができているんだ。
「や、やっぱりだめですよね! 頼まれていたお仕事もまだ終わらせていないのに……すみません、忘れてください」
 しばらく無言が広がったことを僕からの不許可と判断したのかレティシアは慌てたように否定を繰り返す。果物を一つ口に放り込んで、もぐもぐと口を動かしながらもしゅんと項垂れるその様子が親に怒られた子供のように見えて、思わずふっと笑ってしまった。
「……どうして笑うのですか」
「ああ、いや、すまない。君があまりにも可愛くて」
「かわ……!? も、もしやからかわれているのでしょうか」
 僕の言葉に顔を赤く火照らせて、困ったように眉尻を下げた。
「言葉の意味のまま受け取ってもらって構わないんだがな」
「もう。……ディルック様が嘘をつくような方だとは思っておりませんが、そういうお言葉は心臓に悪いです……」
「なら次からは事前に確認を取ろうか」
「そ、そういうことじゃなくってですね! 今度は間違いなく私をからかってますね?」
 くつくつと笑いをこぼしながら言えば、声が拗ねた。そう言うところも可愛いんだがな、言うとさらに拗ねてしまいかねないので心の中に留めておくことにする。仕切り直すため、わかりやすく咳払いを一つ。
「……休みの件だが、勿論許可は出す。気が済むまで休むといい。」
「! ほ、ほんとうですか!」
 レティシアは先ほどまでのやり取りを深掘りすることなく、ぱあっと笑顔で喜びを表した。途端に周りの空気がやわらんでいくのを感じる。彼女は放っておくと休みを取らず働き続ける癖があるから、丁度いいきっかけにもなる。
 今日のレティシアは近年稀に見るほど表情豊かで。このように感情のままに言葉を紡ぐのは随分と珍しかった。どうやらよっぽど休みを取りたい理由があるらしい。それならば、仕事のことは忘れた方がいいだろう。そう考えて話を続ける。
「君に頼んでいた業務は、他の者に指示をしよう」
「え、……あの、ディルック様。そのことなのですが」
 どうかその件はまだ私に任せていただきたく。
 凛と言い切る彼女の言葉から、彼女の望む休暇が仕事に関係があることなのだと察する。それならば休暇と言わず仕事にしてしまえばいいのだが、彼女の性格上それは難しかったのだろう。……おそらく、この休みは彼女の趣味にも関係があることなんだろうから。
 彼女に頼んでいた仕事は夏に売り出す予定の新商品の開発で。ここ最近はありとあらゆる食材を集めては、茶葉や酒と組み合わせて楽しんでいた。
「休暇の理由を聞いてもかまわないだろうか。」
「その……璃月の翹英荘へ行きたくて。この時期は茶葉の新茶が入荷されます。行かなくても調達は可能なのですけれど、今年は特に良作らしく……この目で見て手に入れたくて」
 なるほど。推測通りの答えに静かに頷く。茶葉にこだわりがあるレティシアは毎年この時期になると隣国の商人と頻繁に商談を重ねている。茶葉の手配と情報収集が目的だろうが、今年は商人の手を頼らず自ら出向くことにしたらしい。翹英荘は茶業発祥の地というだけあり、良質な茶葉が得られると僕も耳にしたことがある。それだけ入手難易度が高いということも。
「それならば、僕も同行しよう。璃月にも長らく足を運んでいないからな」
 提案するも、彼女は慌てて手を振り断った。
「い、いえ、私の趣味にディルック様の手をお借りするのは」
「璃月までの道程での護衛はどうするつもりだ? まさか一人で向かうつもりではないだろう」
「う……騎士団の方にお願いする、とか……」
「璃月までか? 騎士団の奴らもそこまで暇ではないだろう」
 レティシアは顎に手を当てて考える動きを見せる。最適な答えはすぐ目の前にあるのに、この選択に踏み切るのは勇気がいるらしい。もっと素直に甘えてくれても平気なんだが、君は少し謙虚すぎる。
「僕なら君の護衛に適任だ。それに、君との旅は僕の休暇にも繋がる。何一つ問題なんてないよ」
「そう言っていただけるのであれば。では……お願いします、ディルック様」
「ああ、任された」
 やわく笑みを浮かべる。花が開くよう綻んだその表情を独り占めしたいと思うが、彼女を閉じ込めておくのは僕の趣味ではない。彼女には多くの世界を知ってほしいから。君が行きたいところがあるのなら、僕はどこだってついていくよ。昔、君がそうしてくれたように。