ある日の事、僕はいつものように赤い彼と同じ入り口から電車に乗ると、幸運な事に久し振りに赤い彼の近くに陣取ることができた。さりげなく赤い彼に近付き、不審にならない程度に彼を見る。
「え…?」
赤い彼を見て、思わず声が漏れた。赤い彼が真っ青な顔をしていたからだ。よくよく見れば、彼の後ろにいる位置の男が怪しい動きをしていた。それに僕はまさか、と思う。
だが証拠はないし、下手に騒いだら赤い彼に迷惑がかかるかもしれない。そこで僕は勇気を出して赤い彼に話しかけた。
「おはよう。なんか今日は顔色が悪いな。寝不足か?」
「!そ、そうなんだよ。動画見ていたら、遅くまで起きちゃってさ〜。馬鹿みたいに眠いんだわ」
さり気無く赤い彼と男の間に入り、二人の距離を離しながら話しかけると、赤い彼も僕の意図を察したのか、一瞬驚くも話を合わせてきた。ちら、と男を見ると男は何食わぬ顔で僕らから離れ、そしらぬ顔で吊り革に掴まっていた。そんな男に内心僕は怒り狂ったが、なるべく顔に出さないように赤い彼に話しかける。
「確か、君が降りるのは次の駅だったよな?心配だから、僕も降りるよ」
「悪いね〜。一緒に学校に行くか!」
電車が駅に着く。赤い彼も僕も降りる駅ではないが、事態が少しでもバレないなら、かえって都合がいい。僕らは一緒にホームに降りると、ホームのベンチに座った。他の乗客達はそんな僕らを残し、次々と駅を出ていく。周りに人がいなくなったのを確認した僕は赤い彼に話しかけた。
「…大丈夫か?」
「…ごめん…助かった…ありがとう」
赤い彼は真っ青な顔をしながらも、礼を言ってきた。そんな彼に僕は言う。
「…なぁ…まさかだけど、君…もしかして」
「…気付いたの?」
僕の問いかけに赤い彼は青い顔をしたまま、力なく笑う。
「うん…俺、痴漢されていたんだ…」
「やっぱり!くそっ、あの野郎…!!捕まえて、サツに突き出せば良かった!」
その一言に僕の頭の中は怒りで満ちた。思わず叫ぶ。
赤い彼はあの男から痴漢されていたのだ。まさか、赤い彼が犯罪の被害者になるなんて!それも、痴漢!!卑怯すぎる!
「許せねぇ…!あの男、ぶっ殺してやる!!」
「お、落ち着け…!あいつはもうとっくに電車で遠くに逃げているぞ?!」
荒れ狂う僕に赤い彼は青い顔をしながらも僕の腕を掴み、止めた。だが、僕の怒りはそんな事では止まらない。
「知るか!あの野郎…!!今度見つけたら、ぶっ飛ばしてぶっ殺す!」
「いや、そんな事したら、あんたが犯罪者になるから!とにかく、落ち着け!!」
それに、と赤い彼は続ける。
「そんな事したら…俺が痴漢されていたのが、バレちまうよ…」
「……」
青い顔で泣きそうな声で呟かれた言葉に、僕は頭を抱えた。なんとか頭の中の怒りを鎮めるべく、荒い呼吸を繰り返す。ようやく落ち着くと僕は赤い彼に向いた。
「…すまない…熱くなりすぎた」
「いや、いいよ…むしろ俺のせいで、そこまで不快にさせて、ごめん…」
「なんで、君が謝るんだ?!君は悪くない!悪いのは、あの男だ!!」
何故か謝ってくる赤い彼に僕はつい怒鳴ってしまった。大声に驚いたのか、赤い彼の体がビクッとする。それに僕は慌てて謝った。
「ご、ごめん…急に怒鳴って…でも、君は悪くないんだ。君を連れて降りたのは僕の勝手だし…だから、謝らないでくれ」
「いや、いいよ…むしろ、嬉しいし…そんなに俺の為に怒ってくれてさ…」
頭を下げて謝ると、彼はそう言って笑った。入学式の日に見た、影のある顔で。それに僕の胸が締め付けられる。
悲痛な赤い彼の表情に改めてあの卑劣な男に怒りが込み上げた。だが、赤い彼に気を使わせたくなくて、それを外に出さないようになんとか取り繕う。
「…これから、どうするんだ?」
「え?」
「痴漢なんかにあったんだ…学校に行くのは辛いだろう?良かったら、近くまで送るよ」
「いや…遅刻だけど、学校は行くよ」
「なんで?!今日くらい、休めよ!」
赤い彼の言葉に僕はまたしても叫んでしまった。それに僕はまた慌てて謝る。
「ご、ごめん…何度も何度も…」
「いや…あんたのそれは俺を心配してだろ?俺も何度も言っているけど、その気持ちは嬉しいよ」
そこまで言うと、それに、とも呟く。
「痴漢に合うのは今日が初めてじゃないんだ」
「え?!」
「俺の学校、中高一貫でさ。中学の時から何度かあってる。でも、俺はずっと学校を休まなかったから、今日も行くよ」
「なっ…!なら、尚更、警察に行けよ!!」
衝撃の事実に僕の頭は真っ白になった。またしても叫んでしまうが、赤い彼は力なく首を振る。
「男の俺が痴漢なんて…恥ずかしくて言えないよ…」
「…なら、僕が君を守る!」
「え?」
悲しそうに呟く彼に僕は叫んだ。これには赤い彼も予想外だったのか目を見開いて僕を見る。そんな彼に僕は尋ねた。
「痴漢は朝だけか?」
「今の所は…」
「時間は、いつもこの時間だよな?一緒に学校に向かうから、一緒に電車乗っている間は僕が君を守る。そばに居て、あの男を離すよ」
戸惑う赤い彼に、にっこり笑いながら提案する。
「ダチが近くにいて守っていたら、あの男も近づけないだろ?」
「…それもそうだな」
僕の言葉に赤い彼も頷いた。そんな彼に僕はスマホを取り出す。
「とりあえず、連絡先を交換しよう。念密に計画を立てないとな。徹底的にあの男の邪魔をしてやる!」
「…ふは!」
僕の言動に赤い彼は吹き出した。そのまま腹を抱えて笑い出す。そんな彼に僕は戸惑う。
「ど、どうしたんだ…?何か、僕、変なことを言ったか?」
「いや…!あんた、見た目によらず強引で…!!キレた時は優等生面しているのにヤンキー語だったし…!」
「あっ!」
笑い転げる彼の言葉にハッとした。しまった!怒りで我を忘れ、思わず素がでちまった!!
でも、今の僕は違う!今の僕は真面目な優等生なんだ!!
「ち、ちが…!僕は優等生で…!!」
「優等生が、自分の事を優等生なんて言うか!それにその学ラン!!学校は俺の降りる駅の一つ向こうの高校のだろう?俺よりは頭悪いじゃん!」
「そ、それは…!そうだけど…!!」
「もう駄目…!あんた、ギャップが激し過ぎる…!!笑いが止まんねぇ…!」
「そ、そこまで笑うか?!」
「あはははは!」
赤い彼からそう言われ、思わず叫ぶと彼は痴漢にあったのも吹っ飛んだのか、元気に笑った。その顔は入学式の日に見た、あの明るい笑顔だった。
「あー…笑った笑った…ぶふっ」
「そんなに笑うなら、助けないぞ?」
「ごめんごめん…謝るから、俺を助けてくんない?」
ようやく笑いが収まったらしい彼だが、時たま溢れるのか、笑いが溢れる。笑いすぎな彼にブスッとしながら言うと、彼は謝ってきた。上目遣いに間近で赤い瞳で見つめられ、僕はうっと詰まる。あんなに焦がれた彼の赤がこんなにも近くにある。その事実に内心興奮し、鼻血が出そうだ。
「…分かったから、君の名前と連絡先を教えてくれ」
「エース・トラッポラ。連絡先は、これね。てか、君なんて呼ぶのやめね?俺ら、どうせタメだろ?」
スマホを差し出しながら赤い彼…エースはそう言った。その画面には連絡用のアプリが。その情報を登録すると、僕も自分のスマホを出し、情報を伝える。
「僕はデュース・スペード。連絡先は、これだ。そっちがそう言うなら、お前もあんた呼びをやめろ」
「デュースね。分かった、分かった」
僕の情報をスマホに登録したエースは笑いながら手を差し出してくる。
「そんじゃ、明日から宜しくな、デュース」
「あぁ、こちらこそ。宜しくな、エース」
そう言いながら、僕はエースの手を握り、握手した。ただ、同じ電車に乗っていただけの僕らの関係が「友達」になった瞬間だった。ずっと見つめていたエースと友達になれた事に僕は内心浮かれに浮かれた。
連絡先を交換した僕らはエースの学校前まで一緒に行き、エースが学校に入ったのを見送った僕はそのまま自分の学校に向かった。連絡もなく遅刻した事を先生に叱られたが、エースと友達になれた僕はそれが嬉しくて嬉しくて…優等生としてはあるまじき事に、その日一日中浮かれてマトモに授業を受けなかった。後でその日の授業の内容が分からなくなり、先生にこっそり聞きに行ったのは言うまでもない。
「おはよう、エース」
「おはよう、デュース」
翌日から僕は駅に行くとエースに話しかけ、電車の立ち位置もエースが痴漢に合わず、また友達として自然な位置に立った。それにエースは安堵からかほっと息を吐く。
「具合は大丈夫か?」
「へーき。一日寝たら、治ったよ」
「それは良かったよ」
そう言うエースだが、僕はそれが本心でないのを知っている。万が一を考えて、昨日このやりとりを決めたのだ。あの男がいた場合、昨日のやり取りで僕らに違和感を感じさせない為に。
「そうだ、エース。実は…」
「マジかよ!お前、やべーな!!」
雑談しながら、僕らはお互いの学校に向かった。
それからも僕は毎日エースに話しかけ、エースが電車を降りるまで話をした。夜はスマホで連絡をとり、交流を重ねた。
スマホの連絡は最初はあの男への対策内容だったが、日が過ぎるごとに変わり、今ではお互いの話に変わった。普通の話題を普通にスマホでやり取りする。エースから勉強を教わったり、僕の好きなバイクの話をしたり、とにかく僕らは「ダチ」として仲を深めていった。日に日にエースとの仲が深くなる事を僕は喜んだ。
だって、僕はずっとエースを見ていた。乗る電車が一緒なだけで何の接点もない僕らがこんなにも仲良くなれた。あんなに焦がれていたエースに、こんなにも近付けた。きっかけはあの男がエースを痴漢していた事だが、それでも僕はエースと友達になれて嬉しかった。





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