幸ある領土

イミ……もとい、弥尊が大学へ復帰してからしばらく。あの日のうちに理鶯に付き添われながら美容室に入り、長かった前髪を含む髪をばっさりと切って前髪もうなじ辺りもすっきりしていた。長らく前髪で顔を隠していた事もあってなかなか慣れなかったが、前よりは抵抗が無くなったように思う。ただ、変わったことはそれだけではなかった。

「祇屋ちゃん、変わったよねえ。」
「……はあ、」

目立たないように行動するのは相変わらずながら、見た目が変わったこともあるのかやたら男子学生に声をかけられるようになった。単なる好奇心だろうと思うので、適当にはぐらかして煙に巻いているのだが、しつこい生徒もいる。

(……困った。)

さすがに疲れる。彼らは単に目新しいものに興味を持っているに過ぎないのに、どうしてこうも積極的に迫ってくるのか……。その日何度目かのため息を漏らしながら、弥尊は大学の敷地を出て家に向かいだした……時だった。

「弥尊チャン、」
「……、」

振り向いた先にいるのはそのしつこい生徒のひとりだった。ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべてこちらに近づいてくる。どうしようかと考えていると、今帰り?と馴れ馴れしく尋ねてくる。

「ええ、まあ。」
「どっち方面〜?一緒に帰んね?」
「……、」

これはどう考えても、相手の逆方向だったとしても着いてこられるパターンだと判断し、口を噤むが相手は答えを催促するように声をかけてくる。

「あの……、」
「弥尊。」

何とか逃れようと口を開いた瞬間、背後から聞き慣れた声が聞こえ、目の前の相手は自分の後ろに視線を向けて目を見開いて固まっている。驚いて振り向いたのと同時に、体が抱き上げられる。

「り、理鶯……さん?どうして……、」
「遅いので迎えに来た、こちらは?」

そう言って相手に冷たい視線を向ける理鶯に、弥尊は相手の不機嫌な空気を察して小声で単なる同級生ですと答えた。相手は予期せぬ相手の出現に完全に固まっている。

「……“小官の”弥尊に、なにか?」
「……!い、いや!何も!じゃ祇屋チャンまた明日……!」

威圧的な言葉に相手はすっかり縮み上がり、上擦った声でそう答えると脇目も振らずに校舎の方へと駈けて行った。それを見て、弥尊が安堵の息を吐くと、理鶯はようやく弥尊を地面に下ろす。

「大丈夫か、弥尊……?」
「はい……その、ありがとうございます……助かりました。」
「ああいう手合いは多いのか。」

そう言って、彼が去った方に視線を向ける理鶯の目は相変わらず冷たい。よっぽど機嫌が悪いようだ、そう思いながら弥尊は小さく頷いた。

「……単に珍しいだけだと思いますからそのうち居なくなりますよ。」
「……今度から送り迎えしようか?」
「え、えぅ……その……、」
「君に悪い虫がついたら困る。」
「はい……。」

押し切られる形でそれに頷くと、理鶯は満足気に笑って手を差し出し、弥尊はそっとその手を握る。彼に手を引かれながら、その手がいつもより強く握られているのにまだ彼の機嫌が良くないのを感じて、また小さく吐息を漏らした。……その分大事にされている、のはわかるし、その不機嫌は自分に向けられたものでは無いのもわかるのだが、どうしたらいいのか分からない。そんな事を考えていると、一度少しだけ手が緩み、握り直される。それに不思議そうに顔を上げれば罰が悪そうな顔の彼と目が合った。

「……すまない、君が悪い訳では無いのに苛立っていてはいけないな。」
「あ、いえ……その、」
「ん?」
「……私も、多分……理鶯さん、が……他の人に、ああ言われていてら……いや、だから……気持ちは、わかり、ます。」

彼の手を握ったまま、俯きつつぽつぽつと小さく呟く弥尊に、理鶯は目を細めると繋いでいない方の手で軽くその頭を優しく撫でる。恥ずかしげにさらに俯く弥尊を、また先程のように抱き上げると視線を合わせる。

「理鶯、さん……?」
「君のその目が映しているのが小官だけだと言うのは喜ばしいことだな。」
「……他のひとはまだ怖いです、それに……理鶯さん、は……受け入れてくれた、人ですから。」

その言葉に理鶯はぎゅっと弥尊を抱きしめると、抱き上げたまま歩き出した。

「え、えぅ、お、下ろしてください……。」
「いや、このままで行く。」
「う、ぅ……。」

一気に機嫌が回復したのを感じつつも、やはり恥ずかしさが勝って弥尊はただ理鶯の首筋に顔を埋め真っ赤に染まる顔を隠していた。
……次の日から宣言通り、理鶯が弥尊を送り迎えするようになると、彼女に近づいてくる男は次第に追い払われて行ったのは言うまでもなかった。

END
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作成:20/8/27
移動:20/8/28

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