忘却の姫子
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レゼナが咲いた日 
 小川に架かる橋を渡り少し進むと、丘の入り口になる道の開けた場所に出る。ミルフィとハウエルは大木にレジーを繋ぐと石の階段を登った。この階段を登れば丘の上だ。

「へえ。本当に満開だ。綺麗だな」
「でしょう。やっぱりレゼナは野咲きが一番ね」

 丘の上はレゼナや色とりどりの春の草花達で満開だった。甘い花の香りに草いきれの匂いが鼻腔を刺激する。ミルフィは胸いっぱいに息を吸い込んでは吐いてを繰り返した。
 ぐるりと辺り一面に咲き乱れる草花達の草原を柵が取り囲み、ユスラの大木の近くには屋根付きの簡易休憩所が建てられていた。
 ミルフィとハウエルは休憩所に足を向けた。

「あら?」

 休憩所には先客がいた。しかし見知った姿にミルフィは微笑んで駆け出した。

「こんにちは、オスガさん! お久しぶりですね」
「おや。ミルフィかね」

 オスガは齢九十を越える老婆だった。丘の裏手に流れるリネン川の傍に娘と一緒に暮らしており、丘の近辺をよく散歩しているのだ。ミルフィ達とは挨拶を交わす顔馴染みだった。
 オスガと顔を合わせたのは、冬以来だった。実にひと月以上ぶりになる。

「おばあちゃん。散歩も良いけど階段には気をつけなくちゃ駄目だよ」

 ハウエルも笑いながら休憩所に入って来た。

「あたしゃまだまだ大丈夫さね」

 オスガは皺に埋もれた目を細めて笑った。

「今日は見事な春晴れですね」
「そうじゃの。レゼナもようやく咲いた。見事なものじゃ。ここ数年は雪が深くてうまく咲かないことが続いたからのう」
「そうですね。私は去年種を取り損なっちゃったから、今年こそはと思ってるの」

忘却の姫子