恋するカメラ。
「はい先生。今夜はサラダスープと焼きそばです」
「ビール」
「はいはい。後でです。先ずはいただきましょう」
焼きそばの味付けはいつも塩だ。嘘か真実かは知らないし興味もないが、以前は調理師として飲食店で働いていたというミオウの腕前は確かだ。旨い。最近、近所にオープンしたダウンタウンからほど近いストリート・アルパインの片店『ドリー』の塩焼きそばよりも数倍に旨い。
トマトのオニオン炒めもあるんですけど食べます? と聞かれて首を横に振った。立ち上がり、キッチンの冷蔵庫から缶ビールを取り出して、ついでに懐を探った。
潰れた煙草の箱から一本を取り出して、ライターを探す。
「ライターならここですよ先生」
はい。と差し出される。ミオウはニンマリと笑いながら続けた。カズミさんの仰っていた通りですねー。
『いつもライターを無くすんです。前に誕生日に贈ったZippoもものの数時間で無くしたんだから。いくらしたと思ってるんだかまったく! あの人には下手に高価なモノを持たせるととんでもないことになるんですよ。ライターは無くしても煙草だけは絶対に忘れないんだから』
ついこの間、日本に暮らす先生の友人であるカズミさんと電話で話した時に、そんなことを教えてくれた。いや怒っていたと言うか。
カメラと煙草以外にはてんで疎くて面倒くさがりでダルい男。カメラが恋した行きずりの恋人(被写体)と運命を共に生きる変人。
恋人は道端の雑草だったり、地面に転がった石ころだったりもした。
国籍は日本。性別は男性で本名は吉岡 慎二。年齢は……未だに不明のままだ。
ミオウが彼のことで知っているのは実はこれだけだった。
世間とメディアでは『タカラ。』の名前で通っているカメラマン。
今から二年前に、ここアメリカのロサンゼルスで出版された彼のファースト写真集『素通りストリート』でデビュー。同作が二十二万部を売り上げる大ベストセラーを記録し、翌年にカエン・セナ写真賞を受賞した。
一気に有名になったのだ。
日常や人、風景の一瞬を抽象的に、またリアリティの一時で写すセンスが評され、故郷である日本でも個展を開くなど、今最も期待が寄せられている若手カメラマンだった。特に若い世代からの支持率とファンが圧倒的多数を占めている。
そしてタカラ。の素性を知る者はそう多くはない。カメラマンのくせにカメラに写ることが大嫌いな人間でもあるからだ。
ミオウはいつも思う。この二年の間で懐に入った多額のお金を無駄遣いはせずに、ストリートの片隅の、安いアパルトマン住まいなんかをしている変な先生。世間やメディアがこれほどまでに、人間からはことごとく外れたかのような先生に魅せられている理由が何となく分かる。と。そう思うのだ。