2話-昼餉-

 武器商人と昼ごはんを食べている。

 剥げかけた水色の塗装と効果が期待できないシーリングファンが回る食堂。

「なかなか旨いなこの店」
「それは良かったです」

 目の前でハンバーガーに齧り付く男の名はキャスパー・ヘクマティアル。
 海運の巨人と呼ばれるフロイド・ヘクマティアルの息子で、アジア区域の兵器運搬を担当をしているとかなんとか。

「ええと、HCLI?でしたか。キャスパーさんはそのアジア担当で、皆さんはその護衛というか私兵という訳ですね」
「そういうこと」

 返事をしたのは唯一の女性であるチェキータさん。かなり筋肉質で、おっぱいもすご──。ダイナマイトボディの美女である。常に口角は上がっているが目は笑ってない時がある。すこし怖い。

 後ろのテーブルでガツガツとご飯を食べ進めているのはエドガーさんとアランさんと、ポーさん。
 絶対にこの順番でないといけない気がするのは何故だろう。

 兵士の人たちはプラスチックの椅子が小さく見えるほどガタイがいい。

「幹部とやらとお話しはできたんですか?」

 薄い味のアップルジュースを煽りながら次の皿を取る。こっちにきてこんなに食べたのは初めてだ。

「あぁ、お陰様で大分楽に話を進められたよ。その謝礼も兼ねてるんだ、好きなだけ食べてくれ」
「…では遠慮なく。チャーハンおかわりお願いします」
「はいよ〜」

 厨房から聞こえてくる返事と小気味良い包丁の音と油の匂い。ここの料理はシンプルで美味しいのだ。
 皿から顔を上げるとキャスパーさんが肘をついた手に顔を乗せて実に楽しそうにこちらを見つめている。嫌に整っている。こういうところもアレと似ていた。

「…なんですか?」
「私は君の話が聞きたい」
「…ぼかしながらでいいならお応えしますよ」

 キャスパーさんはニッと口角を上げて君は誠実な人間だなと口にした。どういう意味の言葉かはよくわからない。

「出身は?」
「中国あたり」
 これはボスに初対面で言われたのでそのまま使わせてもらっている。この世界で私の顔立ちは中国人とやらに見えるらしい。

「海賊と言ったがどの辺りで?」
「ノーコメント」

器を煽ってスープを飲み干す。海鮮の出汁とパクチーが効いていて美味しい。

「では、歳は?」
「十九」
「訓練は海賊時代に?」
「訓練…まぁ、そうですね。実戦で学びました。組織はもうないですけどね」
「ほう」

 キャスパーさんは蒸し鶏にフォークを突き刺して口に放り込んだ。繊細な見た目に反してこういうところの仕草は雑だ。すこしギョッとする。

「私のいた組織は海賊というよりかは犯罪シンジゲートで、なんでも手を出していました」
「具体的には何を?」
「大麻や薬物の取引斡旋、人身売買…まぁ悪いことなら大体やってましたね。私はそういうのよく分からなかったですけど」
「君はそこでなにを?」
「実働部隊というか、荒事専用の部隊に所属してました」
「見えないわねぇ」
「そうですか?」

 チェキータさんはうなづいた。その仕草だけで色気があるのはいったいどういうことか。

「ん?なぁに?」
「い、いえ」

 昨日もそうだったが、チェキータさんはキャスパーさんの隣にいつもいる。単に私兵という関係性だけでは足りない何かがあるのかもしれない。

「見た目もそうだけど雰囲気からして普通の子って感じするわ」
「留学してきた真面目な学生といわれたって通じるね。なぜそんな部署にいたんだ?」
「両親がその部隊にいたので当然のように入りましたね。傭兵部族だったんですよ」

 二人とも、というか後ろのテーブルの三人まで私をまじまじとこちらを見た。

「…」
「船の中で生まれて故郷も知らぬ、というパターンです」
「あら」
 チェキータさんがキャスパーさんを見た。あぁ、そういや彼も親と同じ職なのか。

「キャスパーさんも?」
「あぁ、船の上で生まれた。いくつか国籍はあるが故郷と呼べるものはない。しかしウチはいわゆる親族経営だから妹も父も同じ職だ。家族がいればそこを家と呼ぶのだろう?」
「…そうですね、私の部隊も皆おなじ部族でしたから。船が家と言えば家だったかもしれません」
 
「ユキちゃんおかわりどうぞ」
 脇から熱々のチャーハンを乗せた皿が現れる。机の上の皿を押し除けて目の前に置かれた細めの黄金の米はニンニクと香味の香りを湯気とともにくゆらせる。

「ありがとう」
「ユキちゃんの知り合いかい?なかなかいい男じゃないか」

 グイグイと肩を押される。この店の店主であるおばちゃんは若い男に眼がない。いつもお金に余裕があるときに店に寄ったが、大概その場にいる適当な男を勧められる。無職で歯のない男を勧められたときは流石に言葉が出なかった。仲介役ができればなんでもいいのか。

「はじめましてマダム。彼女にはいろいろ助けて頂きまして、そのご縁ですよ」
「あっらーそうなの! ほんといい子なのよこの子は!」
「ゲホッ、ゴホッ」

 パンパンと背中をおばちゃんの分厚い掌が叩いてくる。身体の芯に響く衝撃だ。チャーハンを戻しかねないので食べてる最中に叩くのはやめてほしかった。

「店で客が喧嘩すると治めてくれるし、重いものも運んでくれるしねぇ…あ!ユキちゃんちょっと頼まれておくれよ」
「なんです?」
「あの冷蔵庫の下に指輪落としちまってね」

 おばちゃんの指した先には業務用のシルバーの冷蔵庫。キッチンではなく店内にあって、ドリンクの出し入れを行ったりするための冷蔵庫だ。

「…またですかおばちゃん」

 前にもおなじ頼み事をされた。冷蔵庫の下にコードが敷かれていて棒などで引っ掻いても凹凸に引っかかって取れないのだ。

「アッハッハ、頼むよユキちゃん」
「もう…」

 大きな口を開けて笑うおばちゃんに責める気も失せて、皿を置いて立ち上がる。こうやっておばちゃんのお願い事を聞いてあげるのも最後かもしれない。

「ユキちゃん早くしとくれよ」

 ハッとして視線をやればおばちゃんはすでにしゃがみ込んで腕まくりまでしていた。準備万端である。

「あ、はいはい」

 しゃがみ込む。底面に手をかけて、中腰になるまで立ち上がれば50センチ程度の隙間ができた。これ以上持ち上げると天井が抜けてしまうのだ。

「取れました?」
「まだだよ。コードの埃がすごくてねぇ」
「雑巾で拭いたらどうです?」
「そうしようかね……あったあった、旦那のだけどいいだろ」
「え、いいんですか?」
「いいんだよ、いっつも雑巾みたいなシャツ着てんだ。洗ったら気付きやしないよ」
「そうかなぁ…」
「お、あったよユキちゃん!ありがとねぇ」
「婚約指輪なんだからもう少し大事にしてくださいよ」
「はいはいありがとさん」

 コードを踏まないように慎重に冷蔵庫を置く。
 おばちゃんに断ってキッチンで手を洗った。席に戻って再びチャーハンを──。

「──」
「?」

 前を向くとキャスパーさんが珍しく無表情に近い顔でまじまじとこちらを見つめている。
 昨日会ってからここまでずっとキャスパーさんは飄々とした軽薄そうな笑みを浮かべていた。止めるとますます美形ぶりに拍車がかかるな、などとぼんやり眺めてしまう。
 辺りを見ればチェキータさんも他の人もみんなポカンとして私を見ている。
 しかしいくら考えてもその表情の意図が汲み取れず首を傾げる。何かしてしまっただろうか。

「…あぁ…あー……」
  ──業務用縦型冷蔵庫。
  容積一〇二四g、重さ一一八㌕…プラス中身の飲料五〇gおよそ五〇㌕。
 やっと意図を察して視線が泳ぐ。
 ここまで話し込んだのは初めてだったので気が緩んでいた。説明もなしに一五〇㌕を持ち上げてしまったらそれは驚くだろう。

「あの、改めましてユキと申します。戦闘民族出身で、すこしばかり力持ちです…」



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「アッハッハハッ、ハハハ」
「いつまで笑ってるんですか」
「いやぁ、あの衝撃を俺は死ぬまで忘れない!」
「…」


 隣に座るチェキータさんに視線で助けを求めても肩を竦められただけで終わる。
 HCLIのバンの中、助手席でいつまでも笑っているキャスパーさんの頭をぼんやり眺める。
 なぜ先日襲撃したはずの車に乗っているのかと言えば私が中心街に仕事を探しにいくと話したところついでに近くまで送ってくれると言うのである。断ることもなく好意に甘えさせてもらった。
 なんでも中心街のすこし離れたところにヘリで迎えがくるのだとか。さすがに世界を股にかける武器屋は違う。

「一五〇キロはある冷蔵庫を片手で持ち上げて世間話だぞ! 冗談が過ぎる! ふざけすぎだ! アハハ! ゲホッ、」
「……そういえば解放軍との話し合いはどう始末をつけたんですか」

 いつまでも笑っていてそろそろ死にそうだったので話を逸らしてあげることにした。決して笑われ過ぎて腹が立ったとか、イラッとしたとか、殴りたくなったとかそんな理由ではない。

「はぁっ…あぁ、アイツらがしたってのは分かってたしユキのくれた口座のコピーもあったからな。武器は回収、取引は勿論無し。キャンセル料もきちんと頂いた」

「手出してこなかったんですか?」
「出してきたよ、あんなことする奴らだ当たり前だろう」
「ですよねー…」

 ちらりと窓の外を見る。流れてゆく景色の中には貧困層の痩せこけた子どもや重い荷物を頭にも手にも乗せた少女が映る。

 解放軍は税収と実質的な独裁を敷くこの国の改革を求めている。

 しかし、貧困の格差の解消を掲げるのは対外的な体裁であって内部は私欲を求めて政治と宗教を利用しているだけに過ぎない。
 中にはましなのもいるが、そういうタイプはたぶん消されるか埋もれていく。
 今回、キャスパーさんを襲った一件でその内部の腐敗具合は見て取れる。
「その場の面々は返り討ちにしてやったが、各地の拠点に声でもかけている頃だろう。愚かな連中は相手をしないに限る」
「それがいいですね」
「君はどうするんだ?」
「…まずはお金稼いでからフラフラしようかなと」
「また護衛か?」
「中心街はそこまで治安悪くないし護衛が必要な人もいない気がするんですよね。見かけの護衛なら男の護衛の方が需要ありそうだし…ほらレストランの店員さん、とか?」
 誰か吹き出した。見るまでもないキャスパーさんだ。
「君がか?! 三〇〇ポンドを片手で持ち上げる君が?紛争の激化してる西の方に行けば護衛としても荷運びにしても幾らでも儲けられるぞ。どうせ君賄いが食べたいだけだろう」
「…」

 図星を突かれてしまった。

「まぁあの膂力を引き出すなら食べる量も相応に必要なのは自明のことだ」

 キャスパーさんの言葉にいまいちトゲを感じるのはかなり嵩んだ昼食代のせいだろうか。奢りなのをいいことにだいぶ──かなり──すごく食べた。

「ちょっとキャスパー、ユキちゃんのこと虐めないの」
「チェキータさん…」
「おおっと、僕が悪者ですか」

 キャスパーさんが両手を上げた。

「しかしまぁチェキータさんとユキを相手にとったら命がいくらあっても足りなさそうなので止めておきます」

 勿論そんなつもりはないが、チェキータさんと二人ならキャスパーさんどころか大体の人類は相手取れる気はする。

「真面目な話、ユキはなぜあれの護衛についていたんだ?聞けば給料もお小遣い程度のレベルじゃないか」
「何度か言いましたけど、シンプルに身元不明の私を拾ってくれた恩ですよ」
「…本当に?」
「私の母は恩知らずだけにはなるなと口酸っぱく言っていたので、まぁ、はい」

 ボスは大概悪人ではあったけど、悪人に今さら嫌悪も忌避もしない。…たまにご飯奢ってくれたし。
 ふと流れる視界の中に見覚えのある顔が目に入った。

「あー…」

 解放軍との打ち合わせで見た顔だ。木の影に複数の迷彩のシルエット。

「キャスパーさん、ヘリポートはどの辺なんですか?」
「ん?あぁ、そうだな中心街より北に五キロ。基地局にほど近いあたりだ。なんだ?もう少し中心街寄りで落とすか?」
「いえ、そろそろ降りようかと。武器商人と一緒にいるところ見られたらレストランで雇ってもらえないし」
「そうか──ではこの辺りで」

 明らかに失礼なことを言ったのに注意することも怒ることもなく冷静にキャスパーさんは車を止めさせた。
 バンのスライドドアに手を掛ける。振り返るとチェキータさんや他の隊員の方が微妙にむすっとしていた。

「ええと、それでは。無事にお帰りくださいね」
「あぁ、君こそ」

 助手席から子どものように身を乗り出すキャスパーさんに手を挙げてドアを閉めた。
 降りると車はそのまま離れて小さくなっていく。辺りは森の中でも少し開けた場所で──。
「よう、裏切り者」
「どうも」
「俺はどうにもお前が怪しいと思ってたよ。護衛だけ生き残ったなんて報告を聞いたときにはすぐ合点が言ったけどな」

 車が行って現れたのは見知った顔、解放軍の戦略担当の男だ。髭を蓄えたヒョロリと長い男はバイクから降りて私の前に立った。

「別に裏切った覚えはないですよ。私の契約相手はボスですし、あんな爆弾で裏切ったのは貴方たちでしょ」
「昼から武器屋と仲良さそうにしてたじゃないか」
「だから今日仲良くなったんです」
「そうか、信じるとでも?」

 男が笑いながら左手を高く掲げた。ざり、と森の中から銃を手にした兵士たちが出てくる。

 ゾロゾロと現れた迷彩服の男たちは軽く見積もって三〇はいる。

「少なくないですか?力量も測れないんですね。あぁ戯れに軍と付けただけのチンピラですもんね」

 嘲笑うように言えば男の顔が歪んだ。前見たときも思ったが戦略担当なのに喜怒哀楽出すぎで、おおよそ向いてない。

「お前が化物みたいに強いってのは聞いてる。だが、裏切り者はきちんと粛清しないと死んだ『ボス』も浮かばれないだろう」

「…裏切り者はどっちだよ」

 呟いたのが聞こえているのかいないのか知らないが男はニタリと笑う。

「ちゃんと強いんですか?」
「精鋭だ」
「それは良かった。とっととやりましょう」
「──あぁ、そう言えば」

 わざとらしく男が咳払いして話し出した。

「お前の家に証拠を探しに行ったんだよ。結局なにも出てきやしなかったがな」
「…それが何です」
「お前の家に入るときにやけに小汚い犬が吠えてくるんで思わず驚いて殺してしまったよ。お前の飼い犬だったかな?」
「──」


 
(久々だな、この感じ)
 迷わず頭や胸を狙って飛んでくる銃弾に、手足を狙う刃の光。

 殺意が私に向いている。兵士たちの顔は口布とヘルメットのせいで見えないが、唯一見えるその目は私を敵として捉えている。

「ぐあ、あ」

 目の前の男の首を手で落とす。形で言えば手刀だが夜兎が使うなら「打つ」ものではなく「斬り裂く」ものになる。
 骨まで切れて、首が半分取れかかったまま地面に伏した。
 四方に飛んだ血飛沫が顔に当たる。生温い温度とむせ返る鉄の匂い。心臓がドクドクと鼓動を早める。生を実感する。夜兎に刻まれた闘いへの渇きが満たされていく。結局ここしか、私にはないのだ。

 辺りを見渡せば血の絨毯の上に屍体の山がいくつか築かれている。

「弱いなぁ弱いなぁ弱いなぁ」
「っ、」

 さっきまで啖呵を切っていた男は数人残った兵士の後ろに隠れるように立っている。
 笑かければ男の肩が揺れた。恐怖、戦慄、畏怖…それともどれでもないなにか。

「私に銃を向けたでしょう?殺そうとしたなら、殺されることも覚悟の上でしょう。何に怯えるんです?」
「う、うてぇ」
 頼りない声とともに発砲される銃弾。胸に飛んでくる軌道を頭を下げて避けながら発射元へ駆ける。

「あが、ぁ、あっ…」
 一番前にいた男の額を膝で捉える。その勢いのまま、膝と地面の間で頭蓋がぺちゃんこになった。

「ひ、っひっひあぁ」

 立ち上がって見渡せば目があった他の兵士たちは間近で見た己に近い死に背を向けた。

「それはダメでしょ、全然ダメだよ」
 背を見せた男の頭を、奪ったマシンガンで円形に打ち抜いて隣の男の心臓も心筋をすり潰すように握り潰した。
「あれ、もうお一人ですよ」
 兵士の後ろに──兵士を盾にしていた男は後ずさって、落ちていた右手に躓いた。
「やめ、やめろ」
「はぁ?裏切り者は殺すんでしょ」
「も、もういい。助けてくれ」
「部下は全員死んだのに?…いいですね! いいと思いますよ! それでこそ上官! 部下をモノのように武器のように使う。正解です」
 すっかり尻餅をついて下がる男の腹を踏む。唸るような音が聞こえた。男の後ろについた手は何度もずるずると血液でぬかるむ地面を滑る。
「そういや彼のこと撃ったのはあなたですか?」
「か、かれぇ?」
「私の家にいた茶色くて耳の黒い犬ですよ」
 ごくん、と男は唾を飲んだのか判別のつかない動きでうなづいた。
「どうやって?」
「お、襲いかかってきたから、撃って、なかなか死なないから首の骨をを、を、折った」
「なるほど」
 腹に一発撃ち込んだ。跳ねる血とそれを追うように上がる悲鳴が森に響く。ふと遠くにヘリのタービン音が聞こえた。キャスパーさんたちは無事に帰ったらしい。
「苦しまないように首を折って早く殺してあげたんですか?それともうるさいから?」
 男の目は黒目がぐるぐると回っている。顔を覗き込んでも目が合うことはない。
「ころ、ころしたかったから」
「…じゃあ私もそれで」
 裂くような悲鳴が森に一つ響いた。
 
 
「は、っ」
 木にもたれて、ずるずると地面に座り込む。ここまでの人数を相手にしたのはこちらの世界に来て初めてだ。しかもそれなりに訓練された兵士だった。街のチンピラを相手にするのとは少しばかり違う。
 靴先は真っ赤に染まっている。ゴシゴシと指で擦ってみる。
 拭う人差し指も赤々としていて行為に意味はない。チカチカと明滅する視界。体力的な問題ではなく、久々の戦闘で昂っているらしい。心臓が耳に置き換わったのかと勘ぐりそうなほどの動悸と指の震え。
 辺りは一人残らず私の殺した兵《つわもの》たち。
 後悔や恐怖、罪悪感、未来への不安、孤独。いろんな感情の一番奥にあるのは結局、戦闘の悦楽だ。このやりとりの中でしか私は生の実感が得られないのだ。
「はぁ…っ」
 熱く肺にこもった熱気を吐き出す。
物音がした。車の停車する音と複数の足音。四、五、六…。決して多くはない。
 足音は近づいてくる。増援だろうか。やってもいいが、戦う理由はない。理由なんてない。無くてもいいから戦いたい。
 ゆっくり立ち上がって構える。
 三、二、一──。
「おお、っと」
「きゃ、キャスパーさん?!」
 振るった腕は覚えたての白色を認識して慌てて引っ込める。とその数コンマ前に弾が飛んできた。チェキータさんだ。かわして後ろに飛ぶ。
「やぁ、さっきぶりだ」
「ヘリに乗ったんじゃ」
「ヘリポートでまさに乗り込もうというタイミングで発砲音が聞こえてね。明らかに銃撃戦ばりの連続した発砲音だったんで調べてみたら君を置いていった辺りだと分かった」
「…なるほど」
 キャスパーさんの後ろからエドガーさんも、アランさん、ポーさんも現れる。あたりの様子を見て言葉を失っているらしい。黙り込んでいる。
「一応確認だが、すべて君か?」
「その確認要ります?こんだけ血塗れなんですから察して下さい。そういうの得意でしょう」
「よく喋るな。ハハハッ、ハイになってる」
 キャスパーさんが一歩近づいてきたので二歩下がる。
「そうです。あんまり近づかれると普通に殺しそうなんで近づかないでください」
 キャスパーさんは「まるで手負いの獣だな」と笑う。彼はそのまま落ちていた拳銃と迷彩のヘルメットを高そうな皮靴でつついた。
「…血が付きますよ」
「そうか」
 キャスパーさんはどうでも良さそうにその遊びをやめた。
「戦闘民族?傭兵部族だったか?君以外にはいないのか?」
「たぶんいません。すくなくとも今地球上には」
「それは良かった。その戦闘能力で組織なんて作られたら世界のパワーバランスが揺らぎかねない」
 
「あのほんとに、何しにきたんですか?」
 キャスパーさんは私の言葉にポカンとした顔を浮かべた。
「なんだ分からないのか」
「ええと、一応私はご飯のお礼も兼ねて巻き込まない様に戦闘をしたつもりで…」
 いつのまにか動悸も視界の明滅も無くなっていた。この人の謎の勢いと飄々としたペースに巻き込まれてしまう。
 手が差し出された。
「スカウトだよ」
「…」
 断る言葉が頭を巡る。田舎のチンピラを護衛するのとは訳が違う。しかし、これを逃すと私は戦場を追い求める私を持て余すのだろう。安寧や平和を求める顔をしながらその実、面の皮を割いて肉を開けば殺し合いが好きなのだ。
「君を一番上手く使うと約束しよう」
「人に対して使うって言葉の選び方はどうかと思いますよ…」
 自分から一歩、足を進めていた。
「三食食べれます?」
「デザートもつけようじゃないか」
 距離は1メートル。目の前に立って、青い瞳を見上げた。この距離で見上げると本当に神秘的で圧倒されそうになる。
「よろしくお願いします、ボス?」
「キャスパーさんでいい」
 手を差し出されて、自分の手を見下ろす。少し乾いてきた赤茶色の手は布で拭っても綺麗にならない。
「うわ」
 ゴシゴシと動かしていた手を取られてそのまま引っ張られる。
「おいみんな新しい仲間だ。仲良くしてやってくれ」
 はーい、とかイェースとかいまいち気合いの入らない返事が続く。
 私の手を掴むキャスパーさんの血に汚れた掌を見つめながらこれからに思いを馳せた。