学校も始まり、夏の講座と模試を経てどこか歴戦の戦士の風格さえ漂わせる同級生たちを横目に私は週末の呪術高専に来ていた。
呪術高専にある道場。夏休みはここで先生から呪術について教わっていた。
「ひとまず呪力のコントロールについては及第点といったところだろう」
「本当ですか」
「あぁ」
「よかったぁ」
2月近くを共に過ごした呪骸を抱きしめる。愛着も湧いているが反面殴られ過ぎて殺意も同時に持ち合わせている。
夜蛾先生が差し出した手に呪骸を渡す。眠ったように動かないぬいぐるみにありがとうと一言呟いた。死ぬほど殴られたがコントロールができるようになったのは彼(彼女?)のおかげであることに間違いはない。…一生分くらい殴られたけど。
「ここからはお前の呪力を出力する過程に入る」
「実際に攻撃するってことですか?」
「攻撃に限った話ではないが…。お前の術式は呪力を集めるという点に特化している。それをどう活かすかはこれからお前が向き合う課題だ」
「はい」
「呪力単体でも戦うことは可能だが、多くの術師はその出力──攻撃に適した術式を持っている」
夜蛾先生はお前はそうではない、と続けた。
「まずは呪力を出すこと。その感覚を覚えろ。あの的を狙って呪力を打ち出せばいい」
「的…」
「やってみろ」
「はい」
息を整えて背筋を伸ばす。上から吊られたように真っ直ぐ立って、手の平を的に向ける。
コントロールできるようになった身体中の呪力の巡りを感じながら目を閉じた。手のひらに集めて──放つ。
「…」
「…」
何も変わらない景色。何か起こるどころかやる前より道場は静寂に包まれている。
「あのー…出ました?」
「出て
出て
「…」
「…」
うんともすんとも動かない的。しかし私は一つの異変に気づく。的の後ろのカーテンがそよ風を受けたように靡いていたのだ。それはもう慎ましくなびいていた。
「…あれエアコンの風で動いてるんですかね?」
むしろそうであって欲しい。何も出ていない方がマシな気さえする。
「お前の呪力だな」
「…」
さわさわと布の擦れる音がする。道のりの長さに私は小さく絶望するのであった。
あの後も小一時間ほどとりくんだができたことと言えばただひたすらにカーテンをひらひらさせることだけだった。正直カーテンが揺れる様は何もできないより哀れさを強調させた。
肩を下ろす私に夜蛾先生は
「夏の間に必要なことは教えたつもりだ。ここからは己のペースで磨け。助言はするが今までのような特訓はしない」
と告げた。
「そうなんですか?」
「お前は現状呪術高専の生徒ではないからな。自分の学業を優先させろ」
「でも」
「呪霊を触発しないだけのコントロールと知識は教えた。助言はするが積極的に教えることはない」
「…分かりました」
「五条さんとか小さい頃には的なんか簡単に吹っ飛ばしたりしてたんですかね」
帰り支度をしながら私が呟いた言葉を拾い上げた先生はすこしだけ間を置いて話し出した。
「アイツは──アイツに限らず呪術界は古い時代から血筋や家柄による影響が強い。御三家や呪術界に名高い名家に生まれれば幼少期から訓練をしている」
禅院家。五条家。加茂家。
これが御三家だ。呪術師を夜蛾先生を含めて4人しか知らない私にはその凄さがまだよく分かってはいない。呪術界とはどんな世界なのだろうか。
「呪術高専に入れば授業を受け、任務にも同時に就くことになる。生死の保証なぞどこにもない。呪霊を相手にこの世界で生きるとはそういうことだ」
「…」
「もう一度よく考えろ。呪術高専に入る意味を。理由を」
「呪術高専に入る意味」
道場を出た後、道すがらそんなことを考える。
公園での一件から慌ただしくただただ自分の身を守る為にも勉強してきた。ネタになるだろう、とそんなことを思って入学を決めたのも本当だ。
しかし、私は今それに命をかけれるかと聞かれたら頷くことができない。死ぬのは嫌だ。痛いのも嫌いだ。
呪術高専に入るということはきっとそれについても理解しなくてはいけない。痛いことも死ぬことも、避けれるなら避けて行きたい。呪術師になることはそれを受け入れることでもあるのだろう。
──たとえば。
将来任務で呪霊に殺されそうになったとき、その死の淵で私は私の選択を恨めしく思わないだろうか。なぜ呪術師になったのかと、そんなことをしないで生きていけばよかったと。
そんな
足元のかさついた葉が風にさらわれた。煽られて秋の高い空に舞う──。
「よぉ」
「…五条さん」
顔を上げた先にこちらを覗き込む五条さんがいた。珍しく夏油さんも家入さんもいない。思えば一人の五条さんというのも珍しい。
「とぼとぼ下向いて歩いて何してんの?またあのぬいぐるみに殴られたんだろ」
ニヤニヤと笑う五条さんにすこしムッとして離れるように歩き出す。
「違いますよ。コントロールの訓練は終わりました…ただその、進路の悩みと言いますか」
「ウチじゃねぇの?」
「その予定だったんですけど…。夜蛾先生に呪術高専に入ることと呪術師になって呪術界で生きることについてよく考えろと言われまして…」
五条さんに今までのことをかいつまんで話す。隣を歩く五条さんの歩みはいつもよりゆっくりだ。
「五条さん的に呪術界ってどんなところなんですか」
五条さんは御三家の一人で実力もある人だ。そんな呪術界をよく知る人からどう見えているのか純粋に気になった。
「クソ」
「え」
「秘匿することを重視してるから頭も固い。上の方は血筋としきたりのことしか考えてねぇ馬鹿ばっか」
「そうなんですか」
「もともと呪術師なんてイカれてなきゃつとまんねぇよ。倫理観?んなもん期待するだけ無駄」
「…あの、呪術界にメリットは」
五条先輩は空を見上げて、それから一瞬間をおいて口を開いた。
「ない」
力強い一言だった。一瞬の間は考えて出したというよりはもともと出ていた言葉を出すための準備に過ぎなかったのだろう。
「無いだろ。呪術師なんて正気のやつは選ばない。人の形をしたものを
「…分かんないです」
情けないことに答えはこうだ。分かりやすく、異形のものであれば殺しやすい。それはエゴだがそういうものだ。
豚や牛も骨から外されて薄切りにされた肉を見ても食べても罪悪感はない。元の形を想像しにくいし顔の見えぬ誰かがそれをしてくれているから。しかし命を絶つ映像を見れば食欲は失せるしましてやそれを自分でやれと言われたらどうだろうか。
そういうものだと割り切れるだろうか。
「たとえばお前俺のこと殺せる?」
「え…たぶん無理ですけど」
たぶんというか絶対無理だ。会って2月程度だがそれなりに楽しく会話もしているし、アドバイスをもらったことだってある。情もあるし、助けてもらった恩と縁もある。
あと純粋な力量で無理。
「俺の形の呪霊が出たらどうする?俺や傑や硝子が呪詛師に寝返ったら?殺されるつもりか?」
答えに詰まる。呪霊だと割り切れば殺せるかもしれない。だが、呪詛師に寝返ったとなればそれは五条悟で夏油傑だ。
呪術高専を出るための長い階段を降りる。私の歩幅に合わせて五条さんの長い脚はすこし窮屈そうに動いていた。
傍若無人に見えるし実際そういう面もあるが『こういう』面もある。それを知るだけの時間は過ごした。
「…呪術師は数が少ない。術式は生まれ持ったもので決まるからな」
「は、はぁ」
話の意図が掴めずに曖昧な返事を返す。五条さんはそれが気に入らなかったらしい。
「だーかーら人材不足なんだよ。お前みたいな弱っちいのでもなんでも猫の手も借りたい状況がずっと続いてる」
それは確かにそうなのかもしれない。一応学生である彼らでさえ任務に明け暮れている。実習的な面と共に学生だろうとなんだろうと使わなければ呪霊の発生に間に合わないということの証左でもあるのだろう。
「呪術界の将来を憂うセンセーはお前にそんなこと言わずにとっとと入学させちまって使うだけ使えばいい」
でも──それはしなかった。呪術師にならない選択肢についても考えさせた。きっとそれに足るだけの理由と覚悟を問われている。
「わっ」
頭が重くなる。五条さんは私の頭を犬を撫でる要領でぐちゃぐちゃにしたあと黙って行ってしまった。
今度はその長い脚を使いこなして大きな歩幅でどんどんと距離は離れていく。
「…うーん」
私は乱れた髪の毛を手櫛で直しながらその背中を見えなくなるまで見送った。