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江戸川コナンは戸惑っていた。


最近喫茶店ポアロに常連客が増えた、という情報を得たのは数日前の事。
喫茶店の表で掃き掃除をしていた梓さんに世間話がてら『そういえば』と切り出された話に僅かに警戒心を抱いた。
ここ最近毎日のようにポアロに通ってきては安室さんと会話を楽しんでいる。
それだけなら安室さん目当てで喫茶店にやってくる女性客は少なくないため、どうとも思わない。
けれど『ほぼ毎日』通ってきているはずの人に、喫茶店の真上に住んでいる自分が会ったことがないなんてそんなことがあるだろうか?
その常連客が来ている時間帯が丁度小学校に通っている時間帯であれば説明はつくけれど、話を聞けば土曜日や日曜日にも足を運んでいるようで。
そうなったら一度くらい顔を合わせてもおかしくないはずなのに、さりげなく聞いたその常連客の特徴とコナンの記憶の中にある誰かとは結びつかない。
そうなると、自分の存在を避けているのでは?
という疑問が浮かび上がるのだ。
考えすぎかもしれない。
しかし、一度気になった以上確かめずにいられないのは探偵としての性なのか。

だから店内に客が少ない時間帯、カウンター席に座っている見知らぬ女性の後ろ姿を見たコナンは不思議と『あの人だ』と不思議な確信と共に喫茶店のドアを開けて中に入った。

そうして、冒頭に戻る。

梓さんの話によれば、いつも二人は会話を楽しんでいてその客はいつも安室さんが作るハムサンドとミルクティーを頼んでいるらしい。
その話通りのものがその女性の前に置かれているものの、二人の間に漂う雰囲気がどうにも重い。
何か大事な話をしているのか、と窺えば会話をしているような様子がない。
どういうことだ、と訝し気に思いながらもそっと女性客に近づけば先に自分の存在に気づいたらしい安室さんが重たい雰囲気を拭い去って笑顔で声をかけてきた。


「ああ、いらっしゃいコナン君」


こんにちは、安室さん。
そう続けようとしたコナンだったが、それより先に女性が勢いよく振り返ったことで声にならなくなった。
女性は眉尻を下げ、何故か涙目で縋るような視線を自分に向けてくる。
……なぜ今初めて会った人間に『救世主が現れた!!』と言わんばかりの視線を向けられるのか。
引きつりそうになる表情を母親譲りの演技力でどうにか子供らしい笑顔に整えて、その女性に話しかけた。


「うん!こんにちは安室さん!
お姉さんもこんにちは!僕ここの上に住んでるんだけど、お姉さんはじめて見るな!
このお店に来るのはじめてなの?」


そう言いながら、子供らしい無遠慮さで少し高い位置にある椅子によじ登って隣を陣取る。
首を傾げながら好奇心いっぱいです、と言わんばかりにあれこれ訊ねれば渋ることなくあっさりと女性は口を開いた。


「こんにちは、ここ最近この喫茶店に通ってるから初めてじゃないよ。
そっかぁ、ここの上の子か……おうちが探偵事務所なの?」

「ううん!ちょっと色々あってお世話になってるんだ!
僕、江戸川コナン!お姉さんの名前は?」

「私はみょうじなまえ。
ねえ、コナン君。
会ったばっかりでなんだけど、」

「なまえさん?駄目ですよ?」


話しもそこそこに、期待を含めたような声色で何事かを言おうとしたなまえさんの言葉を安室さんが笑顔で遮った。
いつも通りの爽やかな笑顔なのに、どこか威圧感がある。
なまえさんは安室さんの声に一度びくりと体を震わせたかと思えば、項垂れながら視線を目の前にあるハムサンドへと向けた。
皿の上には残り三分の一程残されたハムサンドと、空になったカップ。
どういう状況なんだ、と思ったけれどこの光景をどこかで見たことがある。
それは昔見たものと同じであり、そして小学校に通う今わりと頻繁に見る光景でもある。

そう、まるで給食を食べ切れずに残されている生徒のような。

そこまで思い至ってコナンは先ほどの視線の意味を理解した。


「ねえねえ、なまえさん。
それ食べ切れないの?」


コナンの言葉になまえは縋るような目で再び視線を寄越してきたし、安室さんは余計なことを…とでも言いたげな目で見下ろしてくる。
別に全部食べ切ることができなくてもそこまでしなくてもよくないだろうか。
仮にも安室さんは喫茶店でアルバイトをしている店員の一人であり、なまえさんはそこによく通っているというだけのただの客だ。
例え全部食べ切れず残したとして、心の内でどう思っていたとしてもそれを咎めるようなことはできないのではないだろうか。
基本的に誰と接する時も線引きをして接している安室さんにしては珍しく気にしている様子ではあるけれど、友人という雰囲気ではない。
不思議に思いながらコナンは穏やかな表情で不穏な雰囲気を纏う、器用な男を見上げた。


「あのさ、安室さん。
別に食べ切れないことだってあると思うよ?
なんで残しちゃダメなの?」


コナンの言葉に隣で『そうだそうだ!』と言わんばかりに頷くなまえ。
見たところ二十代くらいの年齢であるようにみえるけれど、その様子は少し子供っぽい。
苦笑しながら『ねえ、なんで?』と言葉を重ねれば、安室さんはうっすらとした笑みを浮かべたままなまえさんの空になっているカップにそっと紅茶を継ぎ足した。
サービスのつもりなのか、まだいけるだろうということなのか。
とりあえずなまえさんは嬉しそうにしながらも両手で顔を覆いながら絶望するという器用なことをしている。


「別に僕だって苛めようとしてこんなことをしているわけじゃないんですよ」


心外だ、とでも言うかのようにため息をつきながら小さく首を振る安室さん。
本当だろうか、と隣に座るなまえさんを横目で見れば真顔でその様子を見ていた。
じっと目に焼き付けようとするようなその視線に動じることなく『ほら、頑張って』と完食を促しているあたりいつものことのようだ。


「ただちょっと、なまえさんがここに来た時に気になることを言っていたので」
「気になること?」
「ええ実は昨日、午前中に来店されていつも通りハムサンドを注文されたんですが……。
ふと気になって聞いたんですよ。
昨日は何を食べましたか?って。
毎回同じものを注文されるので実はかなりの偏食家なのではないかと思いまして」
「そうなんだ……、それでなんて?」


自分の目の前でついさっきしていただろうやり取りをあっさりとばらされているなまえさんが、プライバシーとは、と小さく呟いていたけれど安室さんに気にした様子はない。
ハムサンドに手をつける気配はなく、手慰みにちびちびと追加された紅茶に砂糖を放り込んで口に運んでいる。


「この人僕の言葉にこう答えたんですよ。
『ご飯なら昨日ハムサンド食べたじゃないですか』って」
「……ねえ、ちょっと待って?
なまえさんが来てたのって午前中だったって言ってたよね」
「言いましたね」
「もしかしてそれから何も食べなかったの?」
「そのようですよ?
しかも追及してみればそれ以前もそのような生活を続けていたようで」
「…………」
「コナン君、やめて、その目やめて……。
お姉さん心が折れちゃうからそのジト目で私を見ないで……!」


これには深いわけがあるんだよ……!
と大げさに泣き真似をし始めたなまえさんに、二人そろってため息をつく。
せめて、せめて持ち帰りを許可して下さい……。
と消え入りそうな声で要求してくるなまえさんに安室さんはまるで出来の悪い妹を見るような目で見下ろしながら不服そうに了承した。


「……わかりました、その代わりちゃんと夜もご飯を食べるんですよ?」
「えっいいの!?」


安室さんの言葉に喜ぶ彼女を尻目に驚きの声をあげたのはコナンだった。
何故君が、という視線をよこしてくる安室さんに『だってあれだけ粘って威圧してたのに』と目で返せば何やら思案した様子でなまえさんには聞こえないようにそっと耳打ちされる。


「……少し気になることがあって」
「気になること?」


一瞬、組織に関連したことかと思ったけれどこうして堂々と隣で内緒話をしていても気にした様子もなく『内緒話をしてる安室さんもまたいいなぁ』なんて無遠慮にこちらを眺めている様子の彼女を見て即座に浮かんだ可能性を打ち消した。
流石に隙がありすぎるし、もしこれが演技だとしたら組織に対する意識を改めなければならないだろう。
だから安室さんの言う気になることは彼女個人に関することだろう。
職業柄、彼も自分も人の秘密は知りたくなる性ではあるもののそれでも少し仲良くしているだけの常連客に対して一体何を気にしているのだろうか。
疑問を隠さず表情に滲ませれば、安室さんは持ち帰るための箱を用意しててきぱきと半分ほど消費されたサンドイッチを詰めている。

安室さんが彼女の何を気にしているのかは知らないけれど、


「ねえなまえさん、明日も来る?」
「うん?多分来るんじゃないかな?」
「ほぼ毎日来ているくせに何を言ってるんですか」
「いやほら、私だって予定がどうなるかわからないじゃないですか」
「予定があったらここには顔を出さない、と?
ちなみに僕の明日のシフトは午後からです」
「そうなんですか、明日の午後にまた伺いますね」
「……貴方のその素直なところ、嫌いじゃないですよ」


二人の慣れたようなやり取りが気になって仕方がないのは事実だった。
コナンはのんびりと紅茶を飲み続けるなまえの横顔を見ながらまた明日の午後にでも顔を出してみようと決めた。