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いつも通りポアロへと続くドアを開けて、一言。


「今日は安室さんのトークショーでもあるんですか?」


いつもは午前中に訪れることの多いポアロだが、今日はなんとなく昼下がりである時間帯に訪れてみた。
安室さん特製のハムサンドもいいけどたまにはおやつの時間に甘いものを食べたい気分だったので、あれこれ脳内でポアロのメニューを思い返しながら来たのだが。
店中人で溢れかえっているというわけではないけれど、圧倒的に多い女性客。
基本的に数人のグループで来店しているお客さんが多いのかテーブル席はかなり埋まっているし、カウンターも珍しく満席だ。
これは来る時間帯をミスったか、と思い引き返しかけた私を止めたのは梓さんだ。


「あらみょうじさん!いらっしゃいませ。
今日は安室さんは来てますけどトークショーはありませんよ」


私のただの呟きをしっかりばっちりと拾っていたらしい梓さんは、くすくすと可愛らしく笑いながら私にそう返しながら席へと案内してくれた。
普段はカウンター席で安室さんを眺めながらのんびりとハムサンドを食べているのだが、今日は珍しく店内の端っこにあるテーブル席に座る。
一人で来たのにテーブル席とか混んでる様子なのに大丈夫なんです?
と思いながら梓さんを見れば、察したように声を潜めながらそっと教えてくれる。


「みょうじさんはいつも午前中にくることが多いから知らないかもしれませんけど……安室さんが来る日のこれくらいの時間帯っていつもこんな感じなんですよ」
「へえ」
「どうも女性客の有志でのネットワークでもあるのか、たちまち席が埋まっちゃって」
「商売繁盛ですねえ、良いことです」
「そんなわけでみんな安室さん目当てでくるものだから、この席はあまり好まれなくて」


そう言われて顔を上げれば最近マスターが置いたらしく、観葉植物が置かれていてこの席からでは安室さんをしっかりと見ることが出来ない。
申し訳なさそうに『席が空いたらそっちの方に案内しなおすので』と申し出てくれる梓さんをよそに、私は観葉植物の影から体を逸らして安室さんを視界に入れ。


「……この角度から見る安室さんもレアで中々良いですね?」
「わあ!さすがみょうじさん!ちょっと安心しました!」


これはこれで中々に趣がある、と職人のような顔でそう告げれば最近私に対して遠慮というものを取っ払い始めている梓さんが両手をぱちんと合わせて言葉を返した。
なんてことだ、安室さんの影響だろうか。
嘆けばいいのか喜べば良いのか微妙な心境でいる私に、梓さんは『でも』と更に続ける。


「みょうじさんがこの時間帯に来るのって珍しいですね?」
「うん、たまには甘いものでも食べに来ようかなって」


そう言いながらテーブルの隅に設置されているメニューを手に取り、デザートメニューのページを開けば美味しそうな写真がいくつか並んでいる。
これは迷うなぁ、と暫し視線をうろつかせた後ふと目にとまった期間限定という言葉に惹かれて私はホイップクリームとナッツ、キャラメルソースがかかったパンケーキを指さした。


「この期間限定のパンケーキとダージリンティー下さい」
「かしこまりました」


丁度朝食も昼食も食べていないので、かなりボリュームがありそうだが何とかなるだろう。
にっこり笑ってお冷を出していった梓さんはカウンター内で忙しそうに何かを作っている様子の安室さんに何事かを伝えたかと思えば、不意に安室さんがこちらを見た。
なんだなんだ、と思いながらもへらりと笑って軽く手を振れば営業用のスマイルをくれたけれどその顔には疲れが滲む。
おや、とその様子を食い入るように見れば店内のあちこちから黄色い悲鳴が聞こえてくる。
可愛らしい女の子たちが安室さんの笑顔に嬉しそうに頬を染めている姿を見て、さすがポアロの名物イケメン店員だなあと実によくある感想を抱いた。
可愛らしく着飾り頬を染めながら、格好いい男性の姿に目を輝かせる彼女たちはとても可愛い。
ちょっと近所のスーパーに、といった風情のシャツの上からカーディガンを羽織り適当なジーンズを身に着けた格好でここを訪れた私はほんの少しだけ居心地が悪かった。
観葉植物で隠れているのは好都合だ。

苦笑を浮かべながら、注文を運ぶたびにあれこれ話しかけられている安室さん。
これあの人過労で倒れたりしないだろうか、と少しだけ心配になるものの私が心配したところで何がどうなるわけでもないだろうと自分に言い聞かせて鞄の中から本を取り出す。
喫茶店でのんびりと読書。
いつもは本の代わりに安室さんを眺めているので必要ないのだが、たまにはいいだろう。
私は椅子に深く腰掛けて、ゆっくりとパンケーキの到着を待つことにした。




「お待たせしました、期間限定パンケーキと紅茶です」
「あれ?ありがとうございます」


てっきり梓さんが持ってきてくれるものだとばかり思っていた私は、聞きなれた声がすぐ側から聞こえてきて思わずびくりと肩が跳ねる。
相変わらず完璧な笑顔を浮かべている安室さんがパンケーキを置きやすいように本を鞄の中へと仕舞い、正面に置かれたパンケーキを感嘆の声と共に迎え入れた。
綺麗にデコレーションされたパンケーキはメニューで見た時よりも美味しそうだ。
たっぷりの生クリームやナッツに正直食べ切れるかどうか心配だったものの、そちらの量は思っていたよりも控えめでこれなら頑張ればどうにかなりそうで内心ほっとする。
続けて置かれた紅茶は珍しく砂糖もミルクも入っていない。
最近は気づいたらすでに入った状態で手渡されることが多かったので思わず安室さんを見れば、にこやかな笑顔を保ったまま更に続けた。


「今日はいつものハムサンドと違って甘いパンケーキですからね。
甘いものに甘い飲み物はもしかしたらきついかもしれないと思ったので、添えるだけにしておきました」
「わーさすが有能な名物イケメン店員さんだ」


よく見ればいつも淹れてくれる紅茶よりもやや色が濃いことから、甘いものを一緒に食べるということを考慮してくれているようだ。
ありがたく手を合わせる私を安室さんは何故かじっと見つめている。
何か用かと首を見返せば、ほんの少し口ごもりながら聞き取れるかどうかといった小ささで呟いた。


「……今日は言わないんですね」
「ん?何をです?」


観葉植物で陰になっているのをいいことに、息抜きでもするかのように張り付けた笑顔が少し崩れている。
輝かんばかりの営業スマイルも素敵だけど笑ってない安室さんも勿論素敵である。
パンケーキに合わせていた手をそのままに、安室さんをさりげなく拝み始める私に気づかず何故か拗ねたような表情を浮かべている。


「いつもはうるさいくらいに人の事をイケメンだのどうの言うくせに、今日はやけに静かだと思っただけですよ」
「いやぁ……今日は私の代わりに言ってくれる人がたくさんいますし」


脳裏に浮かぶのは、ほんの一瞬見せたあの困ったような表情だ。
悪い気はしないけど一挙手一投足に目を向けられ、何かするたびに黄色い悲鳴をあげられていた安室さんは少々お疲れ気味に見える。
そういったことに喜べる性質ではないのか、はたまた騒がれすぎて辟易しはじめているのかはわからなかったけれどそんな状態の彼にいつも通りあれこれ言うのは流石に自重した次第だ。


「あまりにも甘い言葉ばっかり投げかけられてたら、しんどいかなって思って今日くらいは封印しとこうと思ったんですよ」


ほら、甘いものに甘いものだときついでしょう?

これと同じですよと言わんばかりに紅茶を少し掲げてみせれば、安室さんは予想外のことを言われたとばかりに目を見張る。
まあ私が言う『安室さん格好いいです拝ませて下さい』なんて言葉が甘い言葉というくくりに入るのかは謎だが。
さて私には目の前に鎮座しているパンケーキと格闘して勝利するという任務が待っている。
大きな山を前に荷物を背負いなおすかの如くナイフとフォーク構え、そっと切り分けたパンケーキに生クリームを絡ませて口に運べばふわふわとした食感と共に口の中でパンケーキがしゅわしゅわと溶けていくような感覚。
おお……!と感動しながら思わず口を押さえる。


「もしかしてこれ、安室さん作だったりします?」
「よくわかりましたね」
「いやだって……毎度細かくこういう技を仕込んでくるの好きじゃないですか」


ハムサンドのマヨネーズに仕込んだ少量の味噌であったり、その日の天候や一緒に頼んだメニューによって微調節される紅茶であったり。
完璧主義者なのか、それとも彼の中での『安室透』という人間がそういう設定であるのかはわからない。
わからないけれどとりあえず美味しいから幸せだ。
美味しいは正義。
頬を緩ませながら食べ進める私に、安室さんはしょうがないなといった表情を浮かべる。


「……実はそれ僕が考案したんですよ」
「でしょうねえ」
「水の代わりにヨーグルトが入っていて」
「なるほど、相変わらず凝ってますね」


美味しいものは美味しいうちに。
と言わんばかりにナイフとフォークを動かし続ける。
そう食べるのが早い方ではないので、おそらく最後はまだ温かいパンケーキは冷めてしまうだろうけど。
それでも口へと運ぶたびに訪れる幸せに私は頬を緩ませた。
時折紅茶を口に運び、口の中の甘さを程よい渋みでリセットさせてまたパンケーキへと向かう。
ところで安室さん私が食べるところをじっと見たまま動かないけど仕事は良いのだろうか。


「安室さん、ところでお仕事は良いんですか?
みんなお待ちなのでは」


カウンターからも他の席からもやや死角になっているこの場所で、いったい何を話しているのかと先ほどからちらちらと視線が寄せられている。
安室さんに話しかけていて放さない様子であれば何か文句がとんできたかもしれないけれど、どちらかといえばパンケーキに真剣に向き合っている姿が目に入るので気にする程度におさまっている。
私の言葉にふと我に返ったのか、安室さんは少しだけ悩んだ素振りを見せた後


「今日はいつまでいますか?」
「んん?それはお店が混んでいるから早めに帰れという…?」
「いいえ、そうではなく。
いつも通りであればあと一時間もしないうちに忙しいのが落ち着くと思いますので…」


珍しく歯切れが悪い様子で言葉を途切れさせる安室さんを眺めながら、私は一旦ナイフとフォークを置いて休憩に入る。
美味しいけれどやはりお腹にたまるようで私の胃がもうこれくらいでいいだろうと訴えかけてくるのだ。
パンケーキは残り三分の一。
是非とも完食したいし、さすがに中途半端に食べたこれを包んでもらい持って帰るのは躊躇いがある。
手を休めてじっと安室さんを見上げれば、何を考えているのかわからない顔でじっと見下ろしていた。


「……そうしたら、いつもの席に案内します」


いつもの場所に貴方がいないのは、なんだか落ち着かないので。

その言葉に目を丸くさせる私を置いて安室さんは痺れを切らした様子の女性客から名指しで呼ばれ、そちらの方に足を進めていった。
彼が何を思ってああ言ったのかはイマイチ理解できない。
私に対してハニトラしたって私が凄く嬉しいだけで何の情報も得られないだろうに。
『安室透』としての性格をアピールするだけに、そこまでする必要もない。


「うーん……?」


まさか私に対して情がわいたというわけでもないだろう。
膨れてきたお腹をさすりながら、ちまちまと口に運ぶパンケーキは何故だか先ほどよりも甘く感じた。