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数週間ぶりに喫茶店に来たらすごい笑顔の安室さんとコナン君に出迎えられて、あれよあれよという間にいつもの席に案内されて『逃がさねえぞ』とばかりにコナン君に膝の上に乗られ『今の時間帯はお客さんが少ないですから』と安室さんに隣に座られたけど何か質問ある?

わずか数秒間での出来事に対応できなかったし、気がついたら尋問体勢が整っていたというこの状況。
とりあえず胃にくるのでカツ丼じゃなくて紅茶を一杯お願いできますかね。


「で」
「で?」
「なまえさん、最近ポアロに来てなかったでしょ?
僕お姉さんに会えなくて寂しかったなぁ」


そう言いながら御年7歳ほどの少年は自分の持てる限りのポテンシャルを総動員させて、上目遣いで私に軽く抱き着いてくるという技術を見せてくれた。
ただし中身は高校生である。
正面からではなく腕に抱き着くような形をとっている辺りが照れと遠慮が出ているし、それなりに紳士な性格をしていると見受けられる。
あざとい表情ではあるものの、猫なで声での可愛らしいコナン君に私は思わず抱きしめた。
腕の中でコナン君がびくっと体を震わせているが、私はコナン君の中身が高校生であるという事情を何一つとして知らないのだ。
だからこれはセクハラでもなんでもない、ただのコミュニケーションとして処理してもらえると嬉しい。
隣で現役警察官である安室さんが威圧してくるけど白々しい顔で乗り切ろう。


「あ、ごめんねコナン君。
あんまりにも可愛いことを言うものだからついつい」
「女の人がこういうこと軽々しくするのどうかと思う」
「ごめんって」


自分から膝の上に乗ってきておきながらその言葉もどうかと思うけれど、私は素直に謝った。
僅かに顔を赤くさせているコナン君はとても可愛かったです。
思わずにやけてしまう顔をどうにか元に戻しながら、
「それで、」と普段よりも若干低い声が隣から聞こえてきて私は視線をうつす。


「何かあったんですか?
最近来てくれなかったので、少し心配していたんですよ」
「え!?心配!?安室さんがですか!?」
「……なんですか、その反応は」


思わずぎょっとしながらそう返せば、じとっとした目を向けられる。
いや、だって。
別に安室さん調べようと思えば私くらい簡単に調べられるでしょうに。
それ以前にただの客の一人である人間をそこまで気にする必要もないだろう。
万が一私を組織の関係者であると疑っているのであれば、彼であればこんなまわりくどいやり方をしなくてももっと早く手を打つことだって可能だ。
だからこその反応だったけれど、それを本人に面と向かって言えるはずもなく。
曖昧に笑いながら、とりあえず浮かんだものの一つだけを答えることにする。


「ええ?だって私は最近ポアロに通い始めただけのお客さんの一人ですし。
別にしばらく姿を見なかったところで、心配されたりはしないだろうと思って」


ねえ?
と同意を求めるように膝の上のコナン君に話を振れば、何故か呆れた表情をされた。
向かい合うようにして私の膝の上に座り、拘束のつもりなのか腕の辺りをずっと握られたままでいる私は場違いだと罵られそうだけど第三者に見られた時妙な誤解をされやしないかと少しハラハラする。
おまわりさん、この人です!
脳内にそんな言葉が響いたが、隣でその様子を見てもスルーしているこの人もおまわりさんなのでおかしな空間が出来上がっているものだ。
隣から深いため息が聞こえてきて、視線をそちらへとうつそうとしたその時だった。


「……ねえ、なまえさん。
ちょっと痩せた?」
「あれ?今私褒められてる?煽てて口を緩ませる作戦されてる?」
「そうじゃなくて。
今まで大き目の服着てることが多かったから気づかなかったけど……どこか体調悪いの?」


私の腕を触りながら、どこか心配そうに問いかけられて私は眉尻を下げる。
別に隠すつもりはなかった。
ただ言う必要がなかっただけで。
まっすぐな視線から逃れるように安室さんの方を見れば、意外と至近距離にいて密かに驚いた。
そして私が何かを言う前にコナン君に拘束されていない方の手をとられ、ちょっと失礼しますね、なんて言葉と共に私の服の袖が捲り上げられる。
誰も了承してないのになぁ、なんて考えながらもされるがままでいる私は眉間に皺を寄せる安室さんをぼんやりと眺めた。
腕の細さを確かめるようにじっと落とされた視線が、不意にこちらに向く。


「……なまえさん、貴方がどう思っているかはわかりませんが。
僕はそれなりに貴方と親しくしていると思っています」
「え」
「本当は今まで少し気にはなっていたんですよ。
サンドイッチを一皿食べ切るのに、かなりの時間を費やしていたり完食できないことも多い。
はじめは小食なのかと思っていたんですが、顔色が悪い日も少なくなかった」


聞いて何が出来るのかと言われれば、それまでですが。
そう前置きして、安室さんはじっと私を射抜くような目で、静かに続ける。
ねえ安室さん。
今の顔、どちらかと言えば『安室透』じゃなくて『降谷零』の顔になってるの気づいてます?
トリプルフェイスのしすぎて境目が曖昧になっているのだろうか、と少しだけ心配になる。


「もし良ければ話してくれませんか?
貴方の事を」


そんなに真面目そうな顔で言われてもなぁ。
私は困った顔を隠しもせず、不満げな唸り声をあげる。
コナン君を軽く抱きしめたままゆらゆらと揺れてみせれば、落ち着きがないと膝の上のコナン君に軽く叩かれてしまった。
なんだか色々と立場が逆転している気がする。
いやでも、コナン君が元の年齢だったら……それでもコナン君の方が年下か。
年上の威厳とは。


「うーん……別にそんな畏まって話すようなものでもないんだけどさぁ」


そう、この程度の話にここまできちんと場を設けたりしなくても別に良かったのだ。
大した話でもない。
むしろこんな風に注目されながらその大した話じゃないことを話す方が苦痛である。
そもそも私はあまり自分の事を話すのが得意ではないので、きっと聞きたいであろうことを全部一気に言ってしまおうと口を開いた。
面倒なことは早めに終わらせるに限る。


「ただちょっと、二か月前くらいまでブラック企業に勤めてて過労と睡眠不足と栄養失調と貧血と胃潰瘍を拗らせてぶっ倒れて入院してたんだけどね?
今は丁度辞めるための有給消費中なんだけど、用事があってこの前会社に出向いたらまた調子が悪くなって医者やってる友人のところに暫くお泊りしてたってだけの話で」
「ちょっと待って情報量が多いよ!?」


まさかここまであっさりと話すと思っていなかったのか、コナン君からストップがかかった。
ストップされたところで聞かれるだろうことは大体話したと思うんだけど。
素直に口を閉じて、言われた内容を整理しているらしいコナン君を見下ろす。
数秒待っても反応がないので隣にいる安室さんに『まだ?』という視線を向ければ、呆れた様な目で私を見ている。
なんでだ。
二人からの反応が中々ないので、とりあえず勝手に続きを話しはじめる。


「で、それなりに回復はしてるんだけど正直まだあんまり食欲とかないし自分で作るのも一人分だけ作るのって面倒だしって思ってたら美味しいサンドイッチが食べられてしかも店員さんがイケメンっていう噂の喫茶店があるって聞くじゃない?まあ、そうしたら来ちゃうじゃない?
そして今に至る、っていう……」


だから大した話じゃない、って言ったじゃないですかー。

いやあ、それにしても驚いた。
世界融合型トリップをしたという衝撃ですっかり忘れていたけど、私のまわりのあれこれはこの世界にもあったんだということをこの前思い出したのだ。

私が勤めていた会社は朝から晩まで働いて、タイムカードを押してから今度は晩から朝まで働くというちょっと意味がわからないところだった。
家に帰る暇もなく、仕事ばかりでちょっと頭がおかしくなっていた私は帰れる見込みもないのに家賃だけ払うのもなんだかなぁという理由で契約していたアパートを引き払い必要最低限の荷物と寝袋を片手に会社に泊まり込んでいた。
そうでもしないと仕事は終わらなかったし、奇跡的に仕事が終わって家に帰れたところで待っているのは上司からの鬼電である。
それならばいっそのこと職場にそのままいた方がいくらかマシか…?
という結論に至っての行動だったけれど、日常的に上司の怒号が飛び交う職場で死んだ魚の様な目でただひたすら機械的に働くにも限界があった。
そもそも当たり前の話だが、人間は機械ではない。
限界はあるし、無理なものは無理なのだ。
そんなわけで職場で盛大にぶっ倒れた私は病院に搬送され、運よく友人が勤めている病院だったために自体が発覚。
更にその友人から弁護士をしている別の友人へと連絡がまわり、気がついた時には今まで受け取れなかった分の残業代や有休、その他もろもろのお金が私の懐に転がり込んできていた。

別に深刻に思って黙っていたわけではない。
あまりの急展開さと、ここ最近ずっと仕事しかしていなかった私が何をしていいのかわからずぼんやりと眺めていたテレビで聞き覚えのある地名を耳にしたことでそれらすべてが頭からすっぽ抜けてしまっていただけで。
何をすればいいのか、と悩んでいた私の脳裏に浮かんだ
『そうだ!どうせ異世界融合トリップを果たしたならイケメンと名高い安室さんを見に行こう!』
という結論に至ったのである。

以上私のこれまでの話でした。

反応がないことをいいことに、融合型トリップに関わる部分を伏せながら好き勝手話した私は何故か話が進むごとに私の腕にぎゅうぎゅうと抱き着いてくるコナン君の背中を軽く叩く。
多分聞きたいことはこれで終わりだよー、という合図のつもりだったのだが。


「あれ?コナン君?どうかした?」
「……あのねなまえさん」
「ん?」
「命にかかわるような病気とかじゃないんだね?」
「まあ、過労と胃をやっちゃったのが主な原因だからね」


しんどくはあるけど死ぬほどではないかなぁ。
そう言いながら、淹れてもらった紅茶を一口飲む。
ああ、これこれこの味。
すっかり舌に馴染んでしまった紅茶の味に私は頬を緩めた。
もう話すことは終わったとばかりに、未だ訝し気な表情で私を見上げているコナン君を気にせず私は隣で黙ったままじっとこちらを観察している安室さんに声をかける。


「安室さん、コナン君にも何か飲み物あげて下さい」


本当はコーヒーとかがいいんだろうけど、私は何も知らないお客さんの一人だ。
こういう時に猫を被っていつも飲んでいるらしいオレンジジュースを注文すると、安室さんは立ち上がりふと思い出したように私を振り返る。


「そう言えばなまえさん、今日はハムサンド注文しないんですね?」
「ええ、まあ」
「……まさかとは思いますが。
固形物を胃が受け付けない、とか言い出しませんよね?」
「わあ、安室さんすごーい。
エスパーか何かですか?」


やや棒読みで、わざとらしくそう言って誤魔化す私に安室さんは少し考えてからカウンターの中に引っ込んだ。
何か言われるかと思ったけど、スルーしてくれたようだ。
私は片手でコナン君を支えながら、ふと今の体勢って見た目は子供頭脳は大人である少年的にセーフなのだろうかと気になってそのまま口に出してみる。


「ねえ、コナン君。
お姉さんのお膝に乗ってくれるのは嬉しいし癒されるんだけど足が痺れてきたから一旦降りてもらえると嬉しいなぁ」
「えっ!?ごごごめんなさい!」
「ちょ、飛び降りると危な……わぁ!」


私の言葉に自分の体勢を思い出したらしい中身が高校生であるコナン君は、頬を赤くさせながら慌てて私の膝の上から飛び降りようとした。
別に彼の運動神経から考えれば何もしなくても大丈夫だっただろうに、飛び降りる際に少しバランスを崩したコナン君の様子を見てうっかり手を出してしまったからいけない。
反射的に手元にあった紅茶を机の上に置けた自分を私は褒めたいし、咄嗟に自分の体を下に滑り込ませてクッションになることに成功した点でもよくやったと思う。
ただ残念ながら、受け身をとることが出来なかった。
椅子から転がり落ちた私は地味に背中を打ち付けて、コナン君を抱きしめたまま声もなく痛みに耐える。
思いの外派手な音がしたせいか、安室さんがぎょっとした様子でカウンターから駆け寄ってきた。
学生時代くらいの私であればこの程度なんということはなかった。
まだそれなりに健康で、それなりに筋肉も体力も残っていたからだ。
けれど、残念ながら今現在の私は筋力も体力も衰えている残念な社会人女性である。
慌てて私の上から退き、大丈夫かと声をかけてくれるコナン君に『大丈夫』と返したいのに私の口は開閉するだけで何も言葉が出てこない。
ああ、やらかしたなぁ。
適度に放置してもらえれば痛みも引いて立ち上がれるから気にしないでほしい。
身振り手振りでそう伝えようとした私は、ふと大きな影が私の側にあることに気づく。
うっすらと目を開ければ安室さんが膝をついて真剣な表情で見下ろしていた。


「頭は打っていませんか?」


小さく一つ頷く。
続いて『気分は悪くないか』と聞かれてまた頷く。


「痛いところは?」
「せ、なか……ぶつけただけなので」


ようやっと声が出た私は、自力で起き上がろうとしたけれどあっさりと手で止められる。
ぼんやりとその手を見つめていれば安室さんは自分のポケットから携帯電話を取り出して、誰かに電話をかけはじめた。
その様子をどこかぼんやりとしながら眺めていれば、不意に小さな手に服の端を引かれその方向に目を受ける。
いつの間にか私の手の中から脱出していたコナン君は心配そうに見ていて、私は格好悪いところをみせてしまったと苦笑する。


「ごめんね、コナン君であればあのくらい余裕で着地できただろうに」
「こっちこそごめん、急に飛び降りたりして……」
「今度はもっと格好良く受け止められるように練習しとくから待っててね」
「しなくていいから。
もう、ちょっとなまえさん黙ってて!」
「はい」


見た目小学生の少年に叱られる大人の図、再び。
今日一日ですっかりと力関係が出来上がってしまったような気がする。
電話が終わったらしい安室さんが私たちのやり取りが終わるのを待ってから、『ちょっと失礼します』と私に一言声をかけてから背中と足の裏に手をまわして私を抱き上げた。
まさかのお姫様抱っこ。
いや、むしろ降谷零の時であれば俵担ぎで運ばれそうだが安室透の時であれば女性を運ぶときにはお姫様抱っこ一択だろう。
イメージとかの問題で。


「わあ……今の状況、凄く写真撮って欲しい……。
これ絶対安室さん格好いいやつじゃないですか……なんで自分じゃこの光景見れないの……?」
「この状況で出る感想がそれですか」
「ええ…?じゃあ、重くないですか……?」
「自分で最近の食生活を振り返って、どうだと思います?」
「まあ安室さん程の筋力であれば重くはないだろうなとは」
「……じゃあ何故聞いたんですか」
「様式美、というか」


安室さんの腕の中でこんなにも色気のない会話をしたのはきっと私が初めてじゃないかな?
自分でももうちょっと可愛げのある反応が出来ると思っていたのに、予想外に落ち着いたリアクションしかとれなくて心底残念で仕方がない。
安室さんが今までにないくらい近くにいる。
良い匂いがするのは綺麗なお姉さんだけじゃなくて、綺麗なお兄さんもだったか。


「もう少ししたら梓さんとシフトが交代なんですよ。
だから今日はこのまま送っていきますね」
「は」


どういうことなの?
何かイベントのフラグでもたてたのかと自分の行動を思い返してみても、私が間抜けにも椅子から転がり落ちたということしか原因は思い出せない。
別に適当に放置してくれても構わないのになぁ。
今日にしたってそうだ。
こんな風に二人がかりで私のことを探らなくても聞けば言ったのに。
そもそも、二人して気にするほどの存在じゃなくないか?
困惑する私をよそに、その数分後梓さんが出勤してきて私たちの体勢を見て意味ありげな微笑みを向けられたのはまた別の話である。